「絶対貴女を死なせない人」
(この際だから)
とジェラルディーナは
(疑問に思うことは一通り聞いておこう)
と思った。
「ですが、それだけで外部からの負の感情移入を無効化できるんでしょうか?」
ジェラルディーナの質問に
チェザリーノは
「…霊視者によると、精神というモノを具体的に可視化して見立てると、空気の独楽のようなモノが回っているように見えるそうです。
人間が自分の行動に意識を向けずに無自覚で生きていればいるほど、独楽は物質的な質感を持たずに、容易く外部からの干渉で影響を受けるものらしいです。
純粋な人間の精神は糸紡ぎされる前の綿のようなもので、感情を使いながら世の中を解釈する事で粘性のある糸を紡ぎ出しているのだそうです。
一方で知性的人間が自分の行動に意識を向けて自覚的に生きていればいるほど、独楽を形成する空気は水銀の糸のように、グルグル巻きの糸巻きのように、独楽のようになって、外部からの干渉に対抗する排除力を持てるという事です」
と答えた。
「独楽ですか…」
「…他人を陥れ搾取し破滅させる図式を描いてせっせと他人に関わろうとする人達の組織的集合意識体は、霊視者によって『活発に動く大きな独楽』に擬えられます。
霊視者によると、組織犯罪者達の意識体は刃を纏った独楽のようなもので、無防備な柔らかい肉を切り刻むように、無防備な人々の意識体を自分達の回転に巻き込んでバラバラに解体しているのだという話です。
霊視能力のない我々には霊視者の視点を共有はできませんが、フラティーニ家の人間だと、『霊視者が嘘を吐いていない』事だけはよく判ります」
「…私には霊視者が行なっているというそういう見立て自体が『そのように見えるから、そのように見ておこう』といった種類の『投影』の一種に思えます。
…なので、そのお話は『そういう風に擬えて見立てて、そういう世界観枠内のルール内で対策を立てると、何故かそれが有効化する』という解釈で良いでしょうか?」
「ええ。それで大丈夫です。私から見ても、霊視者のそういう見立ては『霊視者自身が行なっている投影』のように感じられますから」
「ですよね?」
「悪魔祓いのようなものも『悪魔は祓えるものである筈だ』という強い信念による『投影』があってこその現象だと思ってます」
「…悪魔が【眷属】と【権化】を使った『投影』でこの世に干渉する一方で、悪魔祓いもまた『投影』を使った術式で行うのが何とも皮肉ですね」
「ええ。…ただ、悪魔は『居る』というより『在る』モノだと言われています。
病原菌が在って、病原菌に感染し得る者が居て、感染が広がる可能性があるのと同じように。
悪しきモノの根源的存在は『居る』のではなく『在る』のです。
【眷属】や【権化】は根源から離れて個別化が進んだ存在で『居る』モノだからこそ、滅ぼす事が可能ですが…『居る』ではなく『在る』モノは祓えても滅ぼせない…」
「…人間の原罪とは、人類の集合意識の原型界にそういった滅ぼせない悪しきモノが在り続ける事の必然を指すのかも知れませんね」
「本質的には貴女の仰る通りだと思ってますが、『社会的には』人間の原罪という概念は、宗教施設と教皇庁に万人への搾取権を与える切り札に成り下がっています」
「…そんな風だと、いつか『神は死んだ』という事になって、神の権威を振り翳している者達は皆、それこそ異端審問庁までも人間社会から全否定される日が来そうです」
ジェラルディーナがそう悲観的な未来予想を口にすると、チェザリーノの目が暗く光り…
チェザリーノは
「…来ますよ。おそらく」
と言って神妙に頷いた…。
「…来ますよ。おそらく。…その頃には異端審問とは、無辜の民を一方的に拷問虐殺する悪辣極まる鬼畜行為だと全否定されて我々の行為も何もかもが無駄に残虐な狂気的凶行だと歪曲される事でしょう。
刑吏一族はただの拷問好きの気狂い一族だと、絶対悪だと見做されて、それこそ拷問虐殺によって根絶やしにされる日が、いつか来るのだと思います」
チェザリーノはジェラルディーナ以上に悲観的な事を言う。
「………」
(考えたくない事態ではあるけど、最悪に備えて最善を望む気概は必要だよね…)
おそらくフラティーニ家・フラッテロ家以外の刑吏一族も同じ不安を感じている。
「…そうなる前に我々は『異端審問庁など要らない』『刑吏など要らない』と言われて、取り調べや刑罰の役職から解放されておくべきだと思いますよ。
今現在、必要だからこそ必要悪として、寄生虫のような侵略者に『異端』の言い掛かりを付けて始末する異端審問庁が存在していますが…
人々がその必要性を完全に理解できなくなる日が必ず来ると思います。
私は必要悪に護られている自覚もない人々を護って、護ってきた人々自身から全否定され、護り返してもらえずに敵に虐殺されるような…そんな危険のある報われない道を、我が子に歩ませたくないです」
「…チェザリーノさんは、お子さんを異端審問官にさせたくないんですね?」
「させたくないですね。でも子供達が『異端審問は残酷だからやりたくない』などと庶民目線で国防の必要悪を忌避するようなら…
寧ろやらせてみて、『無責任な庶民目線そのものを返上するように』と促すかも知れません」
「…ああ。その気持ちは判ります。国民全てが無責任な庶民目線に感染すると、国防自体が揺らいで簡単に国の上層が合法侵略されて国自体が植民地化されてしまいますからね。
そういった『国家というもの自体の凋落』を止める力は刑吏一族如きには無いものの…『国家がどんな状態なのか』と『国民の暮らし』との間にある関連を認識・理解する知性だけはちゃんと自分も自分の家族も持っておくべきでしょうね」
「ええ。人間がちゃんと知性ある人間であれば『必要悪を否定し、懐に入り込んだ敵を野放しにする事がどんな結果を招くか』に関しても、ちゃんと責任を取らなければならないでしょうから」
「…無責任な庶民目線の皆様に必要悪の刑吏目線を理解していただく事は難しいでしょうが、一応『必要悪を否定せずに、許容しておく必要性』を機会あれば、一般人と同化して説いておくべきだと思ってます」
「…それは…一面では貴女が『一般人と結婚する気がある』という意思表示のようにも聞こえますが…」
「そうですね。『転生者』であるが故の危険に片が付いて、その後に一般の人と仲が深まる機会があれば…
私はその流れに乗って、一族を離れる気はあります。
勿論、それは【強欲】から殺される危険が無くなってからの話なんで一生私とは無縁の事態かも知れないです」
「ルーベン君が気の毒です」
「フラティーニ家の方々には判りにくいかも知れませんが、ルーベン兄さんと私は従兄妹ですが本当の兄妹にとても近いです。
性的に相手を意識するのが不可能なんで、子作りとかは間違いなくできないでしょう。
ルーベン兄さんには何かのトラウマがあって『フラッテロ家は一族の娘を外部へ嫁に出さない』というルールを頑なに守ろうとしてるように見えます」
「彼の中では貴女と結婚する事が決定事項のように見えます。全く何の迷いもない。婚約が決められて一言の不満すら無かったと聞いています」
「…セックスって人生の中で少なくない比率の幸福感をもたらす要素だと思うんですけど、それを全て捨ててでも『妹と所帯を持って妹を護りたい』と思うのは、精神的にどこか病んでるように感じます」
「…まぁ、確かに前世のトラウマとかはあるでしょう。私も前世から持ち越しのトラウマは未だありますし」
「私もです」
「トラウマを克服しようとするべきなのか、トラウマに従って、特定の事態を過度に避けようとするべきなのか、その人その人で最良の選択は違うと思います」
「ええ」
「…貴女がルーベン君以外の人を選ぶのだとしたら、『絶対貴女を死なせない人』を選ぶ必要があるという事は理解しておいてあげてください」
そうジェラルディーナに告げるチェザリーノは、もしかしたらルーベンの前世について何か聞いた事があるのかも知れない…。
ともかく、ジェラルディーナはチェザリーノが言うグラウディングのための意識の使い方を試す事にした…。




