グラウディング
異端審問庁からの帰り道ーー。
チェザリーノが言うには
「身体の震えを止めるのにはグラウディングしなければなりません」
との事だった。
ジェラルディーナは
「そのグラウディングというものは具体的にどうすれば良いんでしょうか?」
と訊く。
「身体を動かす時々、何らかの言動を取る時々に、その都度『目的意識を持っておく』事。そして『目的意識を持っておく事自体に意図的に意識を向ける癖を付ける』のが具体的な方法ですね…」
「何をするにも目的意識を持ち、目的意識を持って行動する事自体に意図的に意識を向ける癖を付けるようにすれば良いんですね?」
「はい。端的に言うとその通りです」
「そうした意識の使い方がグラウディングに繋がるという事ですね?」
「結果的にグラウディングに繋がります。…ですがこれだけでは『グラウディングとは何なのか』が判りにくいかと思います。
…イメージしていただくとするならば、グラウディングの無い状態というのは、謂わば糸の切れた凧のような自由過ぎるが故の自己破滅待ち状態だと見立てていただくのが適切かと思います。
凧が糸で糸巻き軸と、それを持つ人の手に繋がってる状態がグラウディング状態で、制限があるが故の均衡状態だと思ってくださると分かりやすいかも知れません。
…生き物の行為は何にでも目的がある事が普通ですが普段それを意識していません。
更には他者を観察している内に自分自身の主観の在処が曖昧になって『観察対象へと感情移入してしまう』ような時には観察行為の目的すら曖昧になりがちです。
読書に没頭して自分の周りへの関心が疎かになるのを連想してもらうのも判りやすいかも知れません」
「そうなんですね?…でも私は他人へ感情移入とかしにくいし、読書してても周りが気になる性質なので、それだと私は『グラウディングできてる』という事になるんじゃないでしょうか?」
「グラウディングするには自分自身が他人へ感情移入しないのみならず、外部から為されている負の感情移入を無効化する事が必要になります。
【強欲】の影響下にある『転生者』にとっては自分の慢心による感情移入で他人に因縁を付けてしまう事態より、外部から負の感情移入をされて因縁を付けられてる事態を無効化させる術の習得を優先する必要があるでしょうね。
通常の『転生者』は【強欲】に遭遇した場合に、鼓動が早くなる事で、自分自身の異変に気付きます。
周りの者達には気付かれにくい変化なので、急いでグラウディングを身に付ける必要性はありませんが…
貴女の場合は徳力の搾取率が高く身体が震えて周りの者達にも異変が目に見えるので、早めに対策を身に付ける必要があります」
「要は、加護無しの『転生者』は生まれながらに【強欲】から負の感情移入をされてるようなものだと言う事ですね?」
「大雑把に解釈するならそうです。しかし加護無し『転生者』へと負の感情移入をしている存在は表面的には【強欲】な『転生者』ですが、掘り下げるなら少し違います。
『転生者』に【強欲】の加護を与えている【強欲の悪魔マモン】という存在は、実際に実体を持ち存在する訳ではありませんが…
【権化】と呼ばれる存在を媒体として【眷属】を具体化させ、この世に顕現し干渉しています。
そうした【眷属】は【強欲】な『転生者』にとっては守護霊のようなものです。
『何かしらの慣性作用』が感情的惰性エネルギーを纏って【強欲】な『転生者』を有利に、加護無し『転生者』を不利にし続けている、という事を理解しておいてください。
なので、加護無し『転生者』に負の感情移入をしているのは【強欲】な『転生者』自身ではなく、その人物に憑いて守護もしくは悪への誘導を行なっている【マモンの眷属】だと言うのが正解です」
「…悪魔というのは随分と象徴的な存在なのですね」
「ええ。悪魔も天使も神も象徴的存在。謂わば概念です。その一方でイデア界に原型を持つ普遍的情報体でもあります。
【眷属】が【権化】に憑いて、その影響を揮う、という意味では悪魔も天使も神も変わりはありません。
悪しきものと善きものとの差異は結果論的調和にあります。
私やカッリストは自分の魂の兄弟である【強欲】の加護持ちを殺しましたが、それによって搾取の絆は絶たれて、私達には『困難を克服したという経験』が残りました。
その時点まで来たからこそ、私達を幾転生もの長い期間苦しめ続けた【強欲】に対して『反面教師だった』という善性へ至らせる事ができたのです。
致命的悪は殲滅してやる事によって『反面教師』という善へと昇華できる訳です。
この世には、殺してやる以外では善性を持てず世界に貢献できない者達も居るので、我々はそれを殺戮し善性を付与する事を躊躇うべきでは無いと思っています」
「…フラティーニ侯爵様も【強欲】の加護持ちですよね?」
「アベラルド様は魂の兄弟姉妹にとっても致命的悪ではありません。探し出して殺そうというより、相手が殺そうとしてくるかも知れないと危惧なさっていて、常に専守防衛です。善性の【強欲】ですよ。命をかけてお護りしたいと思っています」
「そうなんですね…。…それだと『【強欲】からの影響を無効化してグラウディングする』行為もまた、【強欲】へと訓練官的な意味付けの善性を付与する事に繋がりますよね。【強欲】が致命的悪へ至れないよう活動を阻害しながら弱体化させれば殺す事も殺される事も避けられるのかも」
「アベラルド様や私達が目指す所がまさにそれです。勿論、それが上手くいくかは分からないので、加護なし『転生者』は『殺されるよりは殺せ』という姿勢でいるべきでしょう。
それでも加護なし『転生者』がグラウディングして、【強欲】に訓練官のような位置付けを与えて殺さずに済ます道を模索すれば、その分、道義の正当性も増します。
加護無しは運気も能力も、その源である徳力が搾取されている状態なので基本的に運命に対して無力ですが、唯一それに変わる力が道義の正当性にあると思っています」
「…グラウディングの第一歩が『何かするつどに目的意識を持ち、それ自体に意図的に意識を向ける癖を付ける』事なら、二歩目やその次があってグラウディングが成立するという事ですよね?」
「ええ。そうです。グラウディング状態とは自分自身の言動の全てに目的意識を紐付けし、それらの目的全てが社会空間とも自然空間とも自分自身の整合性とも調和の保たれた状態となり、その均衡を維持し続ける状態です」
「調和、均衡ですか…」
「我々は生き物ですので、自分自身の存続と繁栄を望む意志を本能レベルでの目的として自分の中に護持しています。
次いで、自分自身の存続と繁栄には自分の所属する運命共同体の存続と繁栄が必要なので、それを望む事もまた二次的目的として潜在的に理解しています。
それらに沿った、逸脱のない意志の充溢が自然と調和・均衡へと繋がります。
マモンの【眷属】や【権化】の場合は、そういった運命共同体への貢献意識に倒錯があるので自然的調和・均衡を乱す存在です。
彼らは『貢献はせず恩恵だけもらおう』『掠め取る恩恵も他の者達より多く頂こう』といった欲が常人よりも突き抜けているので【強欲】という枠で括られる存在となっています。
今は貴女も無自覚でしょうが、【強欲】との間に絆があり徳力を搾取され続けているという状態は被害者でありながらも罪深いのです。
調和を乱す存在を成り立たせている餌で在り続けてはいけない。一刻も早くグラウディング状態になられるべきだと思います」
「…でも『調和』とか『均衡』とか、正直よく分かりません。ただ自分の言動の全てに目的意識を紐付けする事ならできそうです。その第一歩を先ずは実践し続ければ良いんですよね?」
「はい。それで大丈夫です」
そう言ってもらえて、ジェラルディーナは
(一先ず目処は立ったかな?)
とホッとした。




