容疑者の待遇格差
異端審問庁本部ーー。
ジェラルディーナの(ジェラルディーノの)元同僚であるトマーゾ・バルディーニは戸惑っていた。
実家からジェラルディーノ・フラッテロの監視を言い付けられていた事案はジェラルディーノが退職した事で解消されていたが…
「ジェラルディーノがフラティーニ侯爵邸で侍女見習いとして働き出した」
という話を聞いたのだ。
それを聞いてトマーゾは
(「執事」でも「侍従」でもなく「侍女」なのか…)
と、しばし呆然となった。
思えば初対面の時から
(男とは思えないくらいに可愛いな…)
と思ってはいたのだが…
名前が「ジェラルディーノ」だし、フラッテロ姓の者達は皆「ジェラルド」と呼んでいたし、まさか女だとは思わなかった。
バルディーニ家自体が占星庁と縁の深い家ではあるが異端審問庁では新参者。
異端審問庁長官のヴィルジリオ・ガストルディ侯爵は
「バルディーニ家を含む占星庁一族を一部知ってはいる」
のだが、他の者達は占星庁を仕切る一族に関しては全くという程、何も知らない。
それと比例するように占星庁側も異端審問庁側を把握しきれていない。
「異端審問庁では女性は貴族じゃない限り男性名で登録され男装して職務に就く」
という刑吏一族にとっては当たり前の事情すら、トマーゾは誰からも教えてもらえていない。
(今度、伯父さんに会ったら文句を言ってやらないとな…)
とトマーゾは密かに思っていた。
(…それにしてもフラッテロ姓の奴らはみんな顔が良い…)
アンジェロ・フラッテロ子爵…。
異端審問庁の名物と言って良い美人だ。
長身で、妻子もいるので
「実は女なんじゃないのか」
という勘違いは誰もしないが…
その辺の女よりも遥かに美しいのは誰の目にも明らかである。
ただ
「フラティーニ侯爵とデキてる」
という噂については当人は否定していないとかで
「そっちの趣味の御仁ともお付き合いできる人だ」
と専らの噂だ。
異端審問庁のような敵対派閥の者達がひしめいている職場では
普通に盗み聞きのような行為も横行しているし…
大半の者達がフラッテロ子爵には興味津々だ。
そんな環境の中での噂は信憑性が高いと言える。
長官のガストルディ侯爵も
「派閥的に麾下にないフラッテロ子爵に対して妙に甘い」
原因として
「そっちの繋がりで籠絡されているのだろう」
と密かに囁かれている。
今日は
「フラティーニ侯爵の遣いがフラッテロ子爵の元へ訪れる」
事になっている。
「逢引きの日時を決めるスケジュール調整だろう」
という認識で皆が生暖かい目を子爵へ注ぐ…。
フラティーニ侯爵家の執事長チェザリーノの妻というのが
フラッテロ子爵の実妹という事らしく
執事長と子爵は義理の兄弟にあたる。
当然ながらフラッテロ子爵の実妹はフラッテロ子爵同様に目の覚めるような美人。
その旦那である執事長はフラッテロ子爵に対して性的関心を持たない貴重な人材だ。
フラティーニ侯爵がフラッテロ子爵への遣いとして寄越すのに最適な人材という事らしく、毎度その執事長が遣いとして訪れている。
(「男同士で」ってのが普通に受け入れられてる空気が何気にコワイんだが…)
トマーゾ側の常識など、周囲の常識に何の影響力も持たない。
異端審問官は性的な貞節を軽視する。
異端者として連行される者が1人の場合には普通に拷問が行われるが…
組織的異端者が複数連行された場合には
「容疑者同士の待遇に格差をつける」
といった人心分断が行われる。
つまりは
「容赦なく拷問される組」
「食事を与えられず放置されて餓死させられそうな組」
「軽い軟禁状態で拷問もされずに事情聴取される組」
「催淫剤を与えられて性的奉仕される組」
など…
待遇格差をつけてやる事で
「拷問される組」
「餓死させられそうな組」
の者達に
「仲間への不信感」
を植え付けるのである。
「調度品の整った貴族牢」
は鏡硝子で外部から様子を見れる部屋でもある。
そこで与えられた環境にホッとしながら過ごす者達は
そこで過ごしている間に
「拷問される組」
「餓死させられそうな組」
の者達から
「なんでアイツは無事なんだ」
と憎まれている事にすら気付かない。
「催淫剤を与えられ性的奉仕を受けて快楽堕ちする者達がペラペラ情報を話す」
ような事はほぼない。
そういった連中は悲惨な目に遭っている仲間から
「アイツは裏切ったから良い思いをしてるんだな…」
と疑われ憎まれて、まさに裏切られるために存在している。
「待遇に格差を付けて、仲間への不信感を煽る」
という手段で集団の組織性を解体し、団結できない状態にする。
それは異端審問庁が自陣以外の組織の力を無効化するために取る常套手段。
容姿の優れた異端審問官は性的な奉仕で容疑者を快楽堕ちさせる人材として適しているので特に貞操・貞節が当てはまらない。
フラッテロ子爵が
「妻子ある身で高位貴族の男娼でもある」
と認識されながら
「誰からも批判されず嘲笑もされない」
のは異端審問庁ならではの価値観によるものなのである…。
「男同士で」
という点には未だ反発を感じるトマーゾではあるが…
トマーゾはジェラルディーノが女だと判った事で
(…ジェラルディーノも顔が良かったし、もっと長く一緒にいたら、彼女がそういう任務に従事する場面を間近で見られる機会もあったのかも知れないよな…。実に惜しかった…)
と、実にゲスな感想を持った…。
それはずっと後で自覚する事になるが
「よそ者だった異端審問官が異端審問庁の価値観にジワジワ染まっていく」
現象の初期症状のようなものなのである…。




