早朝訓練
奥方や、その侍女達と遭遇する事もなかったせいか初日は訓練も免除で無難にすぎた。
翌日早朝ーー
(今日から早速訓練に参加しなきゃならないんだな…)
と起きて早々に気分が萎えた。
貧民街での有事を想定した逃走訓練としての走り込みは昔からの日課だったが…
半年ほどの地下生活で体力は随分と落ちている。
(絶対、筋肉痛が来る!)
と予想できる分、今から筋肉痛の痛みを想像してしまう。
非番の日以外は日中は皆仕事中。
教官役以外の護衛騎士は基本的に早朝に訓練している。
午後からジェラルディーナやフランカといった預かり組が受けられる訓練は、わざわざ教官役の騎士に付き合ってもらってのものとなる。
因みに教官役の騎士は午前中は非番の者達を鍛えている。
夕方には旦那様の自己鍛錬を指導している。
(貴族家当主本人もある程度強くないと想定外の事態が起きた時の生存率が低くなるので貴族の自己鍛錬は半強制的義務の一つ)
この侯爵家の護衛騎士には住み込みと通いの二通りの勤務形態がある。
基本的に既婚者は通いで勤務。
独身者は住み込みで勤務。
当然ながら独身者には婚約者がいる。
恋愛的な出会いの場となる可能性はない。
そうやって
「職場恋愛的な空気を封じておかないと、使用人がマトモに仕事をしない」
のは何処の屋敷でも同じ事。
「貴族は政略結婚しかない」
「平民は恋愛結婚ができる」
という固定観念が存在するが…
実際には平民でも
「社会的上位者によって結婚相手が決められる」
ので恋愛結婚などはできない。
そもそも「恋」などという心理状態に陥るには、それなりに社会的余裕が必要となる。
護衛騎士の訓練とは、ただただひたすら身体を鍛え直すだけのもの。
「さて、行くか」
サッと身支度を済ませて、乗馬スタイルのような動きやすい男装をすると、丁度ドアがノックされた。
「ねぇ、ジェラルディーナ。ちゃんと起きてる?」
とフランカが確認に来たようだった。
「起きてます。今、出ようとしてたところです」
ジェラルディーナがドアを開けるとフランカが
「おおっ」
と目を見開いた。
「すごく男装が板についてる」
「この国は女性が男装しても罪に問われない所が良い所ですよね。普段から度々男装してます」
とジェラルディーナが言うと
「そうだね〜」
とフランカも頷いた。
「じゃあ、場所を教えるから一緒に鍛錬場へ向かおうか」
「はい」
フランカについて行くと、中庭を過ぎて、裏庭へ出た。
「中庭の空きスペースは旦那様用の鍛錬場所だから我々使用人は使用を自粛してるの」
既に人が集まって来ていて、めいめいに柔軟体操をしたり剣の素振りをしていたりする。
料理人は早朝から仕込みのために仕事をしているので早朝の訓練には来れないが、男性使用人は庭師も御者も全員参加が基本らしい。
この国には騎士団が五つある。
首都ロッリのリベラート公爵家が擁する中央騎士団
東都オルミのレオーニ公爵家が擁する東部騎士団
南都ブルコのレオンツィオ公爵家が擁する南部騎士団
西都ガッダのレオパルディ公爵家が擁する西部騎士団
北都シレアのレオジーニ公爵家が擁する北部騎士団
刑吏一族とは言え、皆が皆異端審問庁へ就職する訳ではない。
フラティーニ家では騎士団入りする者も多い。
要はフラティーニ侯爵家の騎士達は
「正騎士の資格を取るために騎士団入りした」
ものの御礼奉公期間後に騎士団を退団して
フラティーニ侯爵家で私属騎士として働いている人達だという事だ。
フラティーニ家もフラッテロ家も先祖が西部の人だった事もあり、国内でもフラティーニ姓フラッテロ姓の者達が最も多いのは西部。
しかし八代前のフラティーニ侯爵が領地を賜っていて、その領地は東部にある。
領地住みのフラティーニ家はオルミの東部騎士団で正騎士資格を取得するものらしい。
フラティーニ侯爵家はこの本邸の他に東都オルミと西都ガッダに別邸を持っていて、それらの別邸にも私属騎士を配置しているのだという。
フラティーニ侯爵家の私属騎士達の出身もロッリ、オルミ、ガッダが多いのだそうだ。
そして、ここ本邸の騎士達は大半がロッリで生まれ育った地元民。
「だから柔軟や剣技の型も中央騎士団風なんだって」
フランカが解説してくれた。
フランカが解説してくれてる間にも教官役の騎士が側に近寄って来て
「訓練官のイザイア・フラティーニだ。自宅からの通いで来てるんで、夜は対応できないが、それ以外の時間なら鍛錬に関して何でも相談してくれ」
と宣うた。
「ジェラルディーナ・フラッテロです」
ジェラルディーナがお辞儀をすると
「おい、みんな、ちょっと集まってくれ」
とイザイアが大きめの声を上げた。
「なんだなんだ」
「見慣れない子がいるな」
「新人だろ」
「若いな」
「カッワイイ〜」
などといった軽口を叩きながら人が集まると
「フラッテロ子爵家からの預かりのジェラルディーナだ。細いが、フラッテロ家の血は優秀なんで、みんなビシバシ指導してやってくれ」
とイザイアが余計な事を言ってくれた…。
「ジェラルディーナ・フラッテロです。どうぞお手柔らかにご指導のほど宜しくお願いします」
ジェラルディーナが深々お辞儀すると、パチパチと拍手が返ってきた。
フラティーニ家では新人の自己紹介後の拍手が
「「「「「「了解」」」」」」
という意味になるようだ。
「んじゃ、めいめいに自分の鍛錬に戻ってくれ」
とイザイアが言い、集まった人達が散った。
「1人1人名乗らせても良かったんだが、一度に言うと覚えられないだろうからな。関わる機会があればその時に名乗るように言っておく」
「ありがとうございます」
「それじゃ、ジェラルディーナは初日だから柔軟の後はランニングだな」
「…ですよね」
「体術や素振りは基礎体力を底上げして体力が充実してからだな。暗器の取り扱いも教える事は出来るが、一通り習ってはいるのだろう?」
「はい」
「練度が足りない分は自習の反復練習で補えるな?」
「はい」
「それじゃ、柔軟の順番をフランカに習ってくれ」
「わかりました」
「そういう事だから、隅っこに移動しよう。おいで」
フランカに言われて、ジェラルディーナはフランカと共に裏庭のすみへ移動した。
「中央騎士団風だと柔軟は足からほぐすんだよ」
「はい」
「しっかり柔軟しとかないと故障の元になるから、慌てずにしっかりほぐしていこうか」
「はい」
「今日はジェラルディーナは初日だから、ランニングも長距離走れる速度で走って良いけど、明日からは全力疾走でどれだけ走れるか、自分の限界に挑戦しなきゃならないんで覚悟しておいてね」
「…はい…」
「…なんか、返事に間があったけど、気持ちは判る。でも皆が通る道だから、抵抗は諦めよう」
「…はい…」
「女子の場合は、どんなに鍛錬しても馬鹿力の筋肉ゴリラが繰り出すクソ重い剣撃を受け止められないから、『全力疾走でどれだけ逃げ回れるかが生き残る鍵だ』って言われてる。
あと、障害物競走もさせられる。
有事の際はキャビネットやら椅子やらを引き倒しながら逃げるように推奨されてるし、他の人が引き倒した家具類を上手く避けながら走り回るように指導される。
けど、それらは全力疾走で走れる距離がある程度以上伸びてからの話。今はとにかく速く長く走れるようになるように頑張って」
「はい。頑張ります」
(…自分の限界に挑戦、か…)
ジェラルディーナはルーベンが言っていた
「フラティーニ侯爵家の護衛騎士達は頭がオカシイのか?ってくらいに厳しい連中」
云々という言葉を思い出していた…。




