一安心
ジェラルディーナは御者が真っ直ぐフラティーニ侯爵邸へ向かっているのを、何度となく小窓から景色を見て確認し
(気を抜けない世の中だ…)
と、しみじみ思った。
貧民街を出入りして生き延びる為には
方向音痴であってはいけなかったし
脳内地図を作成し現在地を常に割り出し続ける能力が必要だった。
料金をぼられるストレスはないものの…
脳内地図作成はほぼ癖になっているので、こんな時でも欠かせない。
ジェラルディーナとしては
「フラッテロ家の御者が街中探検さながらに通った事のない道を通ってみて、街中の道路がどうなっているのか把握しておこうとする」
のは
「フラッテロ家の血に染み付いた習性だろう」
と思っている。
(異常な用心深さがフラッテロ家を生き残らせてきた)
ジェラルディーナの実家は馬車を持ってはいなかったが…
ルーベンの実家は馬車を持っていた。
その御者も当然フラッテロ家の人間で、やはり街中探検が趣味の男だった。
「寄り道をするな」と言われていたからなのだろうが
今乗っている馬車はフラティーニ侯爵邸まで最短距離で進んでいる。
ジェラルディーナはホッと息を吐き、改めて
(ベッティーナとダニエーレが無事で良かった…)
と思った…。
異端審問庁も相手構わず拷問して殺すような殺人鬼集団という訳ではないと分かっているものの…
民間人だと傍目にも明らかなベッティーナと、ベッティーナに付き纏われて見捨てる事もできなかったお人好しのダニエーレに関しては
「もしもの事があったら寝覚めが悪くなる」
と思っていたのだ。
とりあえずは一安心。
だがベッティーナに関しては今後も心配ではある。
教皇庁が神子候補生の脱獄をそのまま許しておくとは思えないので、身を隠す必要があると思うのだが…
ベッティーナとその親族がそれを理解できているとは思えない。
(占星庁にコネがある、とかなら、逆に教皇庁側の人権侵害と不当な殺害が告発される運びになりそうだけど…。この国の占星庁はちゃんと仕事してくれてるのかな…)
ラスティマ圏の国々は占星庁という国家機関を持つが…
その占星庁こそが実質的に国を動かす組織だという事もあり
占星庁を仕切る者達は各国で「裏王家」と呼ばれている。
(リベラトーレの場合は「王家」ではなく「大公家」が君主一族なので「裏大公家」と呼ぶべきなのかも知れないが)
占星庁は職員の1人1人に至るまで個人情報の保護が徹底されている。
占星庁職員が自分から身分を明かして接触してくる以外では
占星庁と関わりになる事もコネを作る事もできないのが普通。
異端審問庁以上に謎に包まれている。
(占星庁がちゃんと機能してるのなら、教皇庁が成人したての少年少女を拉致して牢屋に押し込めて無償労働させ続けてる状態がここまで放置されている訳ない…)
という不信感もある。
「まぁ、なるようにしかならないかぁ〜」
と呟いて思考を打ち切ると、丁度侯爵邸に着いたらしく馬車が停止した…。
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フラティーニ侯爵邸ーー。
門衛が御者と話をして門を開けてくれて、屋敷の近くまで再び馬車が動いた。
ジェラルディーナは馬車を降りて
(やっぱりデカイな…)
と感心。
貴族には領地持ちの貴族と領地を持たない貴族がいる。
領地持ちの貴族は領地に大きな本邸を持ち、都市の邸宅の方が別邸となるが、領地を持たない官衣貴族や法衣貴族は公職に就いている都市に本邸を構える。
フラティーニ侯爵はガストルディ侯爵派が進出してくる前までは代々異端審問庁長官を務めていた家柄。
東部に領地を持つ領主でありながら官衣貴族でもある。
首都に大きな本邸を構えていてもおかしくはない。
侯爵家ともなるとフラッテロ子爵家とは違い
「護衛騎士を私的に雇える」
ので高い塀の内側は安全。
放火されて家が焼け落ちるような事もなかったようで…
よく手入れされた建物自体は年季が入っている。
(フラッテロ子爵家は放火で数度邸宅を失い建て直している)
ただ、フラティーニ侯爵家は、ガストルディ侯爵が異端審問庁長官に就いてからは縄張りを財務省へと鞍替えさせられている。
と言っても元々財務省に根を張っていた家も複数あったので…
フラティーニ侯爵家が財務省全体を仕切っているという訳ではない。
(財務省と癒着のある省庁の人事権に喰らい込んでいるが、正妻として迎えた夫人の実家との関係に依存している状態らしい)
だが駆け引きの多い世界で
実はフラティーニ家は圧倒的アドバンテージを持ってはいる。
フラッテロが「瘴気を認識する」能力を一族ぐるみで保持しているように、フラティーニ家も「嘘を見抜く」能力を保持している。
しかも「嘘を見抜く」進化系で「読心術」を使える者もいる。
(異端審問庁が能力主義だったならエリート中のエリート)
因みにベルナルディ伯爵家は稀に
「映像面における瞬間記憶能力を持つ者を輩出する」
お家柄で基本的に記憶力に優れている。
カルダーラ伯爵家も
「高い解錠技術及び気配隠蔽技術を持つ」。
(秘密捜査で暗躍する人達はだいたいこの一族)
フェッリエーリ伯爵家は
「芸術分野で優れた人材を輩出する」。
(容疑者の人相描きで重宝されている)
刑吏一族は普通の官吏一族と違って昔から差別されてきたので
「生き残るために多芸になりやすいのだ」
と言われている。
そうした人材事情を勘定に入れるなら…
(よくもまぁ、能無しのガストルディ侯爵派を異端審問庁に進出させて有用ポストを埋めさせたものだよな…)
と呆れる。
(この国の占星庁は異端審問庁を弱体化させて、自国を衰退させたいのか?)
という疑問すら浮かぶ。
そんな風にジェラルディーナが侯爵邸を目の当たりにして色々考えていると
御者は
「では」
と一声かけて、サッサと子爵邸へとって返した。
お陰で顔つなぎもない…。
(ちゃんと話が通ってるなら良いんだけど…)
と微妙に不安に思いながら…
ジェラルディーナはフラティーニ侯爵邸の玄関ドアに立ち、先ずはドアベルを鳴らしてから、数秒おいてノッカーを鳴らした…。




