前世の記憶と神子
ジェリーには前世の記憶があった。
今世のジェリーが生まれたのはリベラトーレ公国。
ミセラティオ大陸ラスティマ圏にある国の一つ。
前世の彼女は
(ミセラティオ大陸の国々がもっと文明的に未発達な頃に)
先んじて繁栄を誇っていたアドリア大陸で暮らしていた。
ジェリーにはその頃の記憶がある。
「神の怒りに触れて海に沈んだ大陸」
と言われているアドリア大陸とトゥーリア大陸。
アドリア大陸では「精霊」「契約」が神聖視され崇拝されていた。
「神」が居たとしたら怒るのも無理はない。
今現在、ミセラティオ大陸の西側の海はアドリア大海と呼ばれて、ミセラティオ大陸の東部の海はトゥーリア大海と呼ばれている。
ジェリーにはアドリア大陸で暮らしていた頃の記憶があるせいか…
(もしかしてアドリア文明で技師をしてた人達がその頃の記憶を持ち越して生まれてきたら「神子」と呼んで持ち上げる事にして、失伝した古代文明の技術を国に提供させてきたとか、そういう事なんじゃ…)
と密かに疑っていたりする。
ジェリーは前世では典型的な貧困層。小作農の農民。
当時の文明の技術を再興させるような知識を持たない。
(まぁ、こんなんじゃ絶対「神子」じゃないよね…)
と自分でも判る。
(技術面で役立つ前世の記憶を持つ者が現れたら、それが「神子」という事になって、それ以外の者は解放されるのかな…)
希望が有るとしたら、それだけだ。
何せ攫われてきた少年少女の待遇はまるっきり罪人へのそれ。
大教会中心部の真下地下室。
そこは歴代大司祭達の遺体安置所となっていて立ち入り禁止区域。
ジェリー達が寝泊まりしているのは大教会を中心とした市街地の下に位置する地下迷路の一画。
かつて軽犯罪者達を勾留していた地下牢。
死刑囚を勾留していた拷問部屋近くの地下牢と比べるなら
遥かにマシだが…
窓のない空間で長く過ごすと気分的に陰鬱になる。
(前世の文化圏だと、どんな貧乏家にもベッドがあったし、農奴もベッドで寝てたし、多分牢獄にも囚人用にベッドはあった筈なのに…)
ここでは
「粘土質の泥を踏み固めた寝台」
が床よりも25センチメルタほど高くなるようにしつらえられているだけ…。
敷き藁が湿気取りも兼ねているので
「敷き藁はこまめに変えるように」
と勧められているのが唯一の救い。
劣悪な環境。
なのに教務官らは
「少年少女達の生活・活動区域である地下迷路の一画」
を
「至聖所」
と呼んでいる。
その
「至聖所」
(という名の監獄)
に押し込められている少年少女らは
何も四六時中監視されている訳ではない。
いわゆる軟禁状態。
拘束もされていない。
物理的には逃げようと思ったら逃げられるのだが…
誰も逃げようとはしない。
それはひとえに
「逃げようと思えば必ずバレて連れ戻され拷問死させられる」
という繰り返されてきた懲罰への恐怖ゆえだった。
ダレッシオの地下には地下迷路が張り巡らされているだけでなく
下水道用水路も張り巡らされている。
そして地表では旧ダレッサンドロ皇国の街並みが受け継がれ続けている。
しかし下水路は清掃や修復が度々必要となり
管理コストが掛かり続ける。
ただ下水路の清掃・修復は
「秘蹟体現者候補らになすりつけられている」
ので…
管理コストは
「秘蹟体現者候補らの食費と生活必需品程度」
という低コストで済んでいる。
実質的には秘蹟体現者候補らは
「必要最低限の衣食住のみ保障された奴隷」
と変わりない
のだがーー
ダレッシオ大教会のアングラ権威に連なる使徒達の宣うところによると
「秘蹟体現者となり得る若者に徳を積ませてあげているのだ」
という事になっているらしい…。
(独善的な人達には常識が通用しない)
聖教以前の多神教の神々の一柱には「愛と美の女神」が居た。
その女神の名は「排水溝」や「弁」を意味する言葉と同源。
その女神の伝承は
聖教に取り込まれ
水に関連する四大天使の一人と同一視されている。
そんな事もあり
「下水路の清掃・修復」
は
「かの大天使の加護を授かりやすくするための修練だ」
という名目が当てはめられている。
使徒を自称する教務官らの脳内では
人攫いと奴隷労働強要は正当化されているのである。
(誰も罪悪感も持たず、反省もしない)
しかも秘蹟体現者候補者らは簡単には「本物」とは認められない。
延々と奴隷労働強要は繰り返される…。
「修練という名目の奴隷労働が強要され続ける」
事態と
「下水路が維持され旧ダレッサンドロ皇国時代の街並みが維持されている」
事の間には、共依存的な関係がある。
候補者らは
「誰かの欲と理想を維持する為に自分達の人生が犠牲にされている」
のだが…
そうした事実に気付けないように慢性的栄養失調で
「思考力が低下した状態」
に置かれ続けている。
暗示・錯覚効果を駆使した人心操作術。
逃げ出す事に強い恐怖心を持つように調整された思考コントロール。
そういったものに人生を奪われ続けた者達がいた上で
延々と保たれ続けてきた旧ダレッサンドロ皇国時代の美しい景観。
行き過ぎた不条理。
それは今現在も繰り返されている…。