一族主義
「それにしても臭いな…。もしかして嫌がらせか?」
アンジェロが歯に衣着せぬ言い方で言う。
「いえ、自分ではよく分かりませんが、半年の地下生活で下水路の匂いが染み付いてしまったんだと思います」
「とにかくその匂いじゃ落ち着いて話もできない。とっとと浴室へ行ってニオイを落として来い」
そう言われてーー
事務室を追い出され、ジェラルディーナはトボトボ浴室へ向かった。
(ホント、下の者に気を使わない人達なんだよなぁ…)
デリカシーの無さや差別意識が常態モードの人というのは何処にでも居る。
そういう人種に対して、そういった点で不満を持つのは実に無駄な精神労働だ。
何を言っても改善などされないし
単に罵倒が返ってくるか
酷い時にはとんでもない報復が返ってくるのだから…。
貴族家に連なる家々は普通の庶民よりも恵まれている部分も多いが…
序列の絶対視という制限が重くのしかかるという事だ。
(さっきも助けてもらえた事は有り難いけど、それこそそういうのは私が「便利な駒」だからで、もしも「価値なし」と見做されたら、どんな目に遭わされる事やら…)
親兄弟と伯父一家は味方だと信じられるが…
それ以外のフラッテロ家の人達だと
ビミョーにジェラルディーナにとって畏怖の対象だ。
「一族主義による味方意識」
があったとしても
「愛し愛されている」
「愛情が全く介在しない」
という差の反映は激しい。
「愛情が全く介在しない一族主義」
の中で無能の烙印など押されようものなら
「敵に向けられる悪意が自分に向けられる」
羽目に遭う事になる…。
権力の一端にぶら下がり続けるのも楽ではないのである。
アンジェロ・フラテッロ子爵はそういう世知辛さを辛辣に思い知らせてくれる人だ。
先代フラテッロ子爵は6年前に亡くなっている。
基本的に刑吏一族は短命な者が多い。
どんなに気をつけても
「多方面から事故や病死に見せかけられた暗殺」
が仕掛けられるから仕方ないと言えば仕方ない。
この国では公爵家は騎士団を持てる。
中央騎士団と
四つの辺境騎士団。
五大騎士団と呼ばれている。
侯爵家の場合は騎士団こそ持てないが
騎士を私的に雇い暗部組織を持つ事ができて
護衛騎士を連れ回せるし
暗部工作員も使役できる。
だがそれ以外の下位貴族・平民は
騎士を連れ回す権利など持たないし
暗部を使役する事もない。
刑吏一族は処刑された「異端者」の身内から狙われる事が多いので、例外を設けて騎士を護衛として雇えるようにしてくれても良さそうなのに、そうした必要に応じた優遇は全くない。
アンジェロ・フラッテロ子爵は祖父母も両親も暗殺の可能性が高い死に方で亡くしている。
そのせいもあるのだろうが…
アンジェロは人間嫌いとしか思えないシニカルな性格。
アンジェロの妻、フラッテロ子爵夫人は貧乏男爵家の次女で、ほぼ身売り状態で嫁いで来ている。
これが劇や小説の中なら
「心無い男が金で買った妻を思いがけず愛するようになる」
ようなハッピーエンドに向かうのだろうが…
世知辛い現実だ。
アンジェロにとって妻は単なる子供を産む道具でしかない。
メロドラマのような情緒主義は所詮作り話。
作り話の世界観を現実へ投影してみると、期待の分だけ必ず絶望させられる。
だがアンジェロの
「妻を愛すまい」
という心情には
少なからず
「失うかも知れない」
という恐怖が混じっている。
「愛する者達が寿命を全うできずに殺される」
「自分自身も寿命を全うできずに殺される」
という可能性の高い環境では
人は
「誰かを愛しく思う事にさえ臆病になる」
のかも知れない、とジェラルディーナはアンジェロを見ていると思う。
(難儀な人だよな…)
と思う。
アンジェロのような辛辣な性格の美男のお陰で
(ジェラルディーナを含む)
フラッテロ家の人間は
「美男美女を見ても全くときめかない」
ようになってしまう…。
美しい女性
美しい男性
を見るとついついアンジェロを連想してしまうのだ。
(その辛辣な性格と共に)
アンジェロが裏表の使い分けもできない不器用な人間なら、柔らかい物腰でおっとりした喋り方の素直そうな美男美女とはイメージが被らずに済むが…
「役者ですか貴方は?」
とツッコミたくなるくらいにアンジェロは裏表の使い分けが上手い。
アンジェロはフラティーニ侯爵にも気に入られていて一部で
「男娼」
と陰口を叩かれている。
妻も居て、ちゃんと子作りしてるのに
「男性ともそういう仲になれる」
というのだから…
「自分自身の性癖や嗜好などより生き残る事の方が大事だ」
と骨の髄まで理解してる人なのだろう。
ある意味で
「異端審問官の鑑だ」
と言える。
(…私はアンジェロ様のような人間性になりたくない。早目に結婚相手を見繕ってもらって早目に主婦になりたい…)
と、切実に思うジェラルディーナなのであった…。
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ジェラルディーナが身を清めるべく事務室を退室するとーー
アンジェロの執事兼秘書のルーベンが
「…無事に戻って来てくれて心底安心しましたが、流石にこれ以上、何も事情を話さずにおくのは難しいんじゃないですか?
お陰でジェラルドがまんまと攫われた。相手次第では殺されていたかも知れない。
すぐにでも、ちゃんとこの国の真実を教えて自衛の必要性を説くべきです」
とアンジェロに食ってかかったので
「…何のかんの言っても、やっぱりお前は従姉妹大好きなんだな」
とアンジェロはマジマジとルーベンを見詰めた。
職務中という事もありーー
大袈裟にハグして再会を喜ぶようなリアクションもしなかったが…
ルーベン・フラッテロはジェラルディーナの従兄弟。
仲も良かった。
「…『何のかんの』ってのが意味が分かりませんね。俺は元々自分の親兄弟も男従兄弟も女従姉妹も大好き人間ですよ。
ジェラルドも実感してる事でしょうが、結局『血は水よりも濃い』んです。
他人は自分に何かあっても助けてなどくれない。仲の良い身内だけが親身になってくれる可能性がある。
そもそもアイツは変なヤツに目を付けられやすい。
昔からやたらイジメられそうになったり、変質者に襲われたり、身内で護ってやらないといけない子です。
俺はジェラルドが生き残れるようにしてやりたい。これは誰に何を言われようと変わりません」
ルーベンがそう言い切ると
侍従兼秘書のアメリーゴ・フラテッロが微笑ましそうな表情で
「わかるぜ」
と頷いた。
アメリーゴはシレア支部のフラテッロ家なので同じ一族でも遠縁だ。
フラテッロ家は血の近い者を優先する傾向があるので
アメリーゴもシレア支部の身内を
他所の支部の親戚より優先する事だろう。
「…俺の妹も従姉妹も『転生者』じゃないんで安心ですが、もしもアイツらが『転生者』だったなら、やっぱり俺もルーベンみたいに『真実を教えるべきだ』と思う筈です」
アメリーゴがそう言いながら、アンジェロを見遣ると
アンジェロは
「情報を開示すると政争に本格的に巻き込む事になると思うんだがな?」
と肩をすくめた。
「とっくに本格的に巻き込まれてるんじゃないですか?」
「だよな?」
「分かった」
そういうやり取りがあってーー
ジェラルディーナは図らずも
「神子とは具体的にどんな人物なのか?」
という謎の答えを聞かされる事になったのであった…。