「世の中の善意を信頼しきっている」
ベッタことベッティーナ・ボッチの家は農村の粉挽き屋。
先祖がボッチャールド男爵家の男子だったらしく
領地内で職を得ようとして与えられた仕事が粉挽きらしかった。
農村の粉挽き屋、パン職人、酒場の主人などは大抵は
「領主の血筋の者達からなる」
のが、この国の当たり前。
(コネがものをいう社会だ)
森林保護を名目に
「薪の無駄使いを減らしましょう」
と法規制されている。
各家庭でパンを焼く事を禁止。
森の木を伐採するのも領主の許可が要るものとする。
ただし通行の妨げになる徒長した枝を切るのは
「領主が行う狩りの際の怪我予防になる」
ものとして奨励。
薪用の枯れ枝拾いも自由。
日々のスープ用の煮炊き程度の薪には困らない。
なので皆特に不便を感じて改革を望むような事もない。
何の疑問も持たずにパンを得るために
「パン職人の所へ粉を持ち寄って焼いてもらう」
のだ。
そのために粉挽き屋にも麦を挽いてもらう。
粉挽き屋からもパン職人からも手間賃として麦の粉を引かれる形で支払う。
農村の農民達は粉挽き屋とパン職人から
「収穫量を誤魔化せない」
ようにと二重に管理されている。
「パンにせずに粥を作って食べれば良い」
と思いそうになるが…
そこは聖体拝領によってパンを神聖化。
「良き信徒は粥ではなくパンを食べるものだ」
という刷り込みを与えられている。
農村のパン職人と粉挽き屋は農民の脱税を監視する公人でもあるので、農民から手間賃をいただく以外にも領主から給金が出る。
その他にも粉挽き屋は水舎小屋周りの施設の管理を任されている。
絞首台の管理人でもあるので、限定的ながら簡易裁判権がある。
酒場を営む権利もある。
つまりパン職人・粉挽き屋・酒場の主人は領主側の人間だという事。
領主はそうやって
「遠縁と言えども血族に便宜を図りつつ身を立てさせてやっている」
のだ。
一揆や下剋上が容易ではない理由は、そういった領主一族の既得権益層の独占による監視体制の粘着性にある。
こんな社会なのでーー
ベッティーナも粉挽き屋の娘なら、そこそこ教育を受けている筈。
封建制度の既得権益から恩恵を受けた暮らしをしてきているのだから。
当人の環境を鑑みるならベッティーナは
「平等主義など信奉せずに、封建制度支持派でいるのが妥当」
なのだが…
(それこそダニエーレの言うように親が甘やかし過ぎたか処世術の教育に無関心だったか)
何かしらの原因があって
「自分の足場を自分で否定する」
ような人間に育っている様子。
(ベッティーナの血筋自慢で攫われる以前の暮らしについてはだいたい分かった…)
農村の民とは思えない程の豊かな暮らしで
東都オルミにある国立学院に在籍していたのだそうだ。
教会の無償教育は国民なら誰でも受けられるが、学院へ行くとなるとカネも掛かり、平民は余程の余裕が無いと通えない。
ジェラルディーナの兄は15歳から18歳までの3年間首都の王立学院に通い卒業しているし、弟も在籍中。
フラッテロ家では男子は首都のフラッテロ子爵家を頼り、王立学院を受験。
受かれば全寮制の王立学院で3年間学ぶ。
学資の支援もフラッテロ子爵家が行ってくれている。
王立学院は貴族籍が必要なので在籍中はフラッテロ子爵家の猶子となる。
基本的に一族主義の貴族はこうやって平民の親戚に学問をさせて側近に取り立てたり、国政へ携われるように各分野へ人材を送り込んでいる。
従兄弟のルーベンだけが王立学院を受験もせずに15歳から子爵家に住み込んで執事として働いているが、それは例外中の例外。
ジェラルディーナの場合は
「女子だから」
と学院通いは反対された。
よって15歳で特殊官吏採用試験を受け
合格後地元の異端審問庁ガッダ支部に入庁。
フラッテロ家の女子は結婚までの間、家事手伝いをするか、異端審問庁で働く事が多い。
フラッテロ家の女子の結婚は大抵、フラッテロ子爵家の都合で嫁ぎ先を決められるので、恋愛結婚はできない。
と言っても一族の遠縁が主な嫁ぎ先候補。
結婚してもフラッテロ一族である事は変わらない。
自由のない人生だ。
それでも
(環境的制限の少ない一般人が半端に教育を受けると「ベッティーナみたいな性格に育つ」って事なのかな?)
と思うと…
ジェラルディーナは自由に恵まれている筈の一般人に対して
「羨ましいとは全く感じない」
と思ったのだった…。
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塩漬け肉の樽の他、空樽が丁度二つあった。
行商隊の食料用。商品ではない。
逃亡者を塩漬け肉の樽に紛れ込ませる逃亡幇助は慣れたものらしく、専用の袋や空気用の筒まであった。
ジェラルディーナは指示に従って袋に入りながら
(「このまま騙され拐われて人身売買組織に売り渡される」って可能性もあり得るんだよな…)
と思った。
ポンペオはプロの「仲介人」であり「逃し屋」だ。
ここの商会もその手先。
少なくない金が支払われるし異端審問庁との繋がりを作る良い機会だ。
万が一にもおかしな気を起こす事は無いだろうと思うが…
(もしも私が異端審問官じゃなくてベッティーナみたいな民間人だったなら…)
(まぁ、普通に売り飛ばされるだろうな)
と思う。
(平気で悪い事をする人達の価値観って、自分が傷付ける相手に対して「弱いのが悪い」「コネが無いのが悪い」と嫌悪する事で弱肉強食正当化しようとするようなものなんだよな…)
とジェラルディーナは理解してしまっている。
ジェラルディーナは異端審問という仕事柄
「平常時では決して口にされる事のない本音」
に触れ過ぎているのだ。
実際に「逃し屋」と共謀していた旅芸人一座が
「逃亡希望者をそのまま拐って奴隷商に引き渡した」
事件があった。
「旅芸人一座が異邦人の流れ者だった」
せいで異端審問の管轄になったのだが…
そういった逃がすフリをした奴隷確保を行ったのが
「強力なコネを持つリベラトーレ人だった」
としたなら異端審問にも回されず
「現地領主の裁量で無罪放免にされていた」
可能性が高い。
コネの有無は犯罪者にとって死活問題。
ゆえに「コネが無い」という弱味は犯罪者達の嗜虐心を刺激する。
彼らと関わり無事でいたいなら
「使えるコネがちゃんと有効化するように普段から所属先の上司には従順に仕える」
のが人間社会における処世術というもの。
ジェラルディーナは「人が悪に流れようとする堕落」を抑制できるのは「恐怖」もしくは「先見の才」だと思っている。
悪に流れた場合のリスク。
悪に流れた場合にその後降りかかる運命。
そういったものが低きに流れる傾向のある人間達に堅実に生きる道を示す。
ベッティーナは
「ジェリーが金を払って依頼してるのだから行商隊は逃亡を手助けして当たり前」
と単純に信じ込んでいる。
ベッティーナは契約不履行や確信犯的裏切りなどといった世の中の悪意の存在を疑ってもいないのだ。
世間知らずも甚だしい。
ジェラルディーナは
(…ある意味で「世の中の善意を信頼しきっている」からこそ、ベッティーナは横柄になれるんだろうね…)
とベッティーナの粗野な人間性の原因が
「世の中をナメた甘い見通しにある」
という事を理解した。
(私は…世の中に対してベッティーナみたいに甘い見通しでナメたりはできないなぁ…)
世の中をナメるには人間の浅ましさを見せつけられ過ぎた…。
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