「絶対お前を死なせない男」
ルーベンは呪具に刻まれていた魔法陣の図形を複数思い出しつつ、それを目の前のものと比較し、合致するかどうか確認。
合致するものが過去の記憶から引っ張り出せた事もあり、それをサラサラと紙に書き写していく。
集中すると周りの声も何もかも全て意識から消えてしまう。
ベルナルディ家の異能は「周りが全員味方」と判断できる時にしか使いたくない能力だ。
異端審問庁にはベルナルディ家の者達もいるので、わざわざルーベンが瞬間記憶能力を使って見せる必要はない。
それはアメリーゴにも言えること。
他家の能力も使えたとして、それをその家に報せてやるメリットが全くない。
そういう事情もあり、この事は周りにも伏せてきた。
あくまでも私用でのみ使う、というつもりで。
能力の訓練に関してはいつでも可能。
それこそ異端審問庁にある書類の多くを大量に記憶できる。
例えば、ダニエーレ・ガスパリーニが
「ガスパリーニ士爵の庶子だ」
という書類上の事実も
(実際にはガスパリーニ伯爵の庶子だが)
姓名ごとに分類された人物関連ファイルをわざわざ見なくても分かっていた。
一応、確認を取ると同時に
「異常な記憶力を周りに悟られないようにする」
ためにファイルを持ってきて開いたのだ。
ルーベンは呪具の魔法陣を書き終わると
「この図形で間違いないと思いますが、念のために合致部分を擦り合わせて確認願います」
とアンジェロへ手渡した。
「…間違いない」
「相変わらずルーベンは用心深いな」
「…俺は真面目過ぎる性格なんだろうなぁ。正直、俺なんかが婚約者だとジェラルドが可哀想だと思ってた」
ルーベンが苦笑すると
アンジェロが
「その件でも話をしておきたい」
と言い出し
アメリーゴが
「おっ。ジェラルドの婚約者が変更になるのか?」
と片眉を上げて興味津々といった体で尋ねた。
「ジェラルドの名目上の婚約者にリディオ・フラッテロはどうか、という話が出ていて、ほぼ本決まりだ。
リディオはジェラルドも知っての通り同性愛者。おそらく女性と結婚する事はない。
当然ながら我が国は同性婚を認めていないので、リディオはこのままだと一生独身という事になる」
「なんで同性愛に走る男がいるのか、俺には一生理解できないな」
「それな」
アメリーゴもルーベンも同性愛に禁忌感を持っている。
「同性愛者の社会的地位が低い事は勿論、父親の分からない子供や認知されない庶子もまた社会的地位が低い。
公共の福祉から対象除外される事も多いので、ジェラルドが今度『チプレッソ』との間に子を作る事があるなら、役所にはリディオを父親として届けるのが良いだろうという話だ」
「役所へ届ける書類上の夫婦としてリディオと私の組み合わせが考えられている、という事ですね?」
「そうだ」
「どうせ断る権利も無いんでしょ?」
「…おそらくな」
「別に良いですよ。あのオカマ君とは名目上の婚約者、後々は名目上の夫婦って事でも。ですが一応、確認しときますが、あくまでも名目上ですよね?
それっぽく見せるために定期的に会えとかデートしろとか、そんな無理難題は降りかからないんですよね?」
「それは大丈夫だ」
「なら良いです。婚約者の変更、お受けします」
「了解した」
アンジェロがホッとしたように言うと
今度はルーベンが
「俺としてはジェラルドはルクレツィオ・フラティーニに惚れてくれて婚約して欲しかったよ」
と言い出した。
「ルクレツィオって言やぁ、要は『エチセロ』のことだろ」
「…名実共にルクレツィオがお前の婚約者になってくれたなら安心できたんだ。あの男なら『絶対お前を死なせない男』と言えるからな」
「…ルーベン兄さん」
「愛よりも金よりも何よりも命が大事だ。お前はまだその辺の真実を理解できていないのかもな」
「…本当にそうなのかな?私には分からないな…。大事なのは『後悔しないで済むように生きる』事なんじゃない?」
「後悔はしても良いんだ。寧ろ後悔してみて『後悔できるのは命があるからだ』と悟ってみろ」
「…誰だって死にたくはないし、勿論、死なずに済むように気をつけるけど、『後悔できるのは命があるからだ』と悟るためにわざわざ後悔する事が分かってる生き方を選ぶ必要はない筈だよ。身体が死ななくても心が殺されるのなら、それを『生きてる』とは言いきれないよね?」
「…多分、お前が『後悔しないで済むように生きる』と言った挙句に早死にすると、俺の方が『何が何でも止めるべきだった』と後悔するんだ。それで正気を失う。心が死んでしまう」
「…もしも私がルーベン兄さんよりも早く死んだとしても『当人の選択の結果だ』と見做して欲しい。その時は心の中で私の事を切り捨てて欲しい。
世の中の人達は自分の選択を無理矢理押し付けておいて、その結果が不幸だったら、自分がもたらした不幸なのに平気で相手を切り捨てたりするよ。
だからさ、ルーベン兄さんには『自分が選択を無理矢理押し付けた時には切り捨てずに責任を持つ』『相手が自己責任で選択した結果の不幸に対しては切り捨てる』といった適切な対処をお願いしたい。
大好きな家族には立派な人間性を期待したい。
責任持つ必要がない事に責任を感じて苦しみ続ける必要はないのだと納得して欲しい」
「…自分がトラウマだらけだと、他人のトラウマに配慮できなくなるんだって、自分の悪い点を本当は自覚してるんだ。
お前が誰かを嫌ったり避けたりするのは、お前にもトラウマがあるからだと分かってはいるんだがな」
「ごめんね。私はサルヴァトーレ様と生きていきたいんだ。それが世間的に『愛人』とか呼ばれて鼻つまみ者になる事だと分かってても」
「俺には、あんな弱そうな妖術師、どこが良いのか全く分からん」
「あっ、それは俺も」
アメリーゴも横から口出ししてサルヴァトーレを貶す。
ジェラルディーナはムッとして
「強いとか弱いとかを男の魅力だと思ってると、女性に選ばれないよ」
と忠告してやった…。
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ジェラルディーナはルーベンが書いたものの写しをとり、それをカッリストの元まで呪具と共に持ち帰る事になった。
そうして帰りの馬車の中でつらつらと前世で見た呪具の記憶を振り返ってみた。
寝室用の照明器具…。
夫だった男の家に着いた当日に、その村の村長が
「お祝い」
として贈ってきたものだった記憶がある。
「村長が村人へお祝いと称して呪具を贈っていた」
という事実が今にして思うとショッキングだ。
鉛丹色の装飾模様が美しいと思っていたが、それこそが持ち主に不幸をもたらす作用を発動させる回路だとは…
指摘されない限り自発的に気付ける者は少ない筈。
「お祝い」
と言いつつ
「呪い」
を降りかける。
それがあの大陸で蔓延っていた欺きの一つだったのかと思うと
(あの大陸が海に沈んだのは必然…)
と納得である。
末永い祝福
もしくは
末永い呪い
そのいずれもが人体に留まり続けた水銀や鉛丹の象徴するところのもの。
ダレッシオの地下調合室で作ったホムンクルスの血こと血糊。
それの主な成分が鉛丹だった。
呪具の修理に必要なものがダレッシオの地下調合室にあった古い素材で揃うというのも不思議な話だ。
(もしも本当に神様が居るのなら、私が攫われて、あの調合室を見つけたのも神様の思し召しだったのかも知れないな…)
ジェラルディーナはほんの少しだけ神の実在を信じる気になったのだった…。