水面下の索敵
トマーゾ・バルディーニは
「やっとドニゼッティ男爵の監視任務から解放されたぁ〜」
と束の間の喜びを味わっていたのだが
見慣れた封筒の手紙が届くと
「もう次の監視?」
と露骨にガックリ崩れ落ちた。
「…オッサンの監視なんて面白くも何ともないし、監視対象次第ではホント苦痛なんだよなぁ」
と自分自身に正直な感想をついつい独り言で漏らした。
のだがーー
どうやらお次の監視対象はうら若き女子のようだ。
(王立学院の女子寮で暮らす女子を一体どうやって監視するんだ?)
と疑問に思ったところ
「『ファルチェ』を頼れ」
と書かれている。
(…「ファルチェ」は一応、「伝統保持派に与しているフリをしてる」のだから、現状維持派の俺がノコノコ近づくのはマズイんじゃないのか?)
とトマーゾとしては迷いを感じた。
基本的に妖術師は平和主義者の身勝手な人間だ。
「長い物に巻かれろ」的に現状維持派に与している。
それでも
「魔道具を融通しろ」
と接触してくる者達が伝統保持派の中から湧き続けるので
「伝統保持派に与している」
フリをして自己保身を図っている。
肉体乗り換えして延々生きてはいるが
殺されれば死ぬし
病気になれば死ぬし
不慮の事故でも死ぬ。
妖術師は不死身ではないのだから
「たとえ妖術師だろうと言うことを聞かないなら殺す」
という姿勢の連中を刺激しない配慮は必要なのだ。
「『ファルチェ』を頼れ」
という命令は
「『ファルチェ』が伝統保持派に殺される事は無いだろう」
という楽観を示している。
(いやいや、伝統保持派のキチガイ達はどんなに有能な妖術師でも怒りに任せてサクッと殺しにかかるバカ揃いだと思うよ…)
何せ
「前世の記憶がない『転生者』は運気の搾取が出来ない」
と明確になってる現状でも
「伝統に従い、大公家・公爵家から【強欲】の加護持ちが出れば、魂の兄弟姉妹を探し出して、虐待するなり儀式で殺すなりする」
と言い張り、実際に暗躍している連中だ。
頭が悪過ぎる。
というか欲に目が眩んで現実が見えてない。
非合理的過ぎる。
そんな伝統保持派が
「大人しく魔道具を融通して傘下に組み込まれている筈の『ファルチェ』が現状維持派にも協力している」
と知って怒らない筈がない。
頭が悪くて非合理。
それでいて身分が下の者達、庶民らを蔑み見下ろす事に慣れ過ぎている劣悪人種。
(ああいうクズが公爵家にも占星庁にも一定数居るのが何ともこの国の未来の暗さを示しているようで気分が悪くなるよな…)
トマーゾはイマイチ上司である父が伝統保持派の悪質さを甘く見てる気がして不安を感じたのであった…。
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その晩、ジェラルディーナが目を覚ましたのは完全なる偶然だった。
(いつもは朝までグッスリなのに…)
とジェラルディーナは自分でも不思議に思った。
それにしても風が強い。
隙間風が吹いて来る。
だからこそか…
隙間風の軌道に不自然な点を感じたのだ。
(…私は夜目が利く方だし、確かに「この部屋には私以外誰もいない」ように見えるし、そうとしか思えない筈なのに…)
それでも直感が危険を告げている。
(もしも何かが部屋の中に入り込んでいるとして、ゆっくり動いて「気が付いた」と悟られたなら、その瞬間攻撃される…)
という可能性が脳裏に浮かび
(動くなら俊敏に。部屋の出口へ向かう!)
そう思うや否や身体が動いた。
ベッド脇のサイドボードの上の燭台を握り締めて振り回しながら素早くドアへ向かい廊下へと出た。
燭台を振り回した際に何かが燭台の先を掠めた手応えがあったので
(勘違いじゃない!)
と確信。
廊下の脇にある椅子やら小棚やら掃除用具入れやらを引き倒しながら、避難部屋へと向かう。
「侵入者あり!侵入者あり!」
と周知するのも忘れない。
敵はどうやってか、姿を見えなくしている。
インクでもぶつけてやればシルエットなりとも浮かぶのか、インクさえも不可視化されるのかは分からないが、ともかく
「侵入者は姿を消している!侵入者は姿を消している!」
という情報も叫んでおく。
おそらく、フラティーニ侯爵邸以外の屋敷でジェラルディーナが言ったような言葉で警報を発しても誰も信じない。
普通は暗殺者が姿を消すような希少魔道具を使用してまで襲って来るなどとは思わない。
フラティーニ侯爵邸だからこそ皆
「あり得る」
と納得して襲撃者を迎え討とうとするのである。
ジェラルディーナ自身、自分が廊下に散乱させた障害物が背後で退かされて
「クソが!」
という怒声と共に後を追って来る足音が聞こえて来る事で
(居る!)
と確信できるが
「襲撃される可能性がある」という事を予め知っていなければ、こうした異常な事態に太刀打ちはできないものだ。
(それにしても、侵入者は命知らずだな…)
と思う。
プロの暗殺者が依頼主について話す事はない。
なので暗殺者が屋敷に侵入した場合、殺さずに捕縛して情報を得ようという発想は余程戦力的に余裕が無いと出てこない。
つまり「侵入=殺るか殺られるか」だ。
それを覚悟して侵入して来るのだから、命よりも仕事が(お金が)大事という事なのだろう。
ジェラルディーナが避難部屋の前で追跡者に罠を張る。
糸を張って、それに引っ掛かると網が落ちて来る仕掛けである。
避難部屋の前の天井には常に網が仕掛けてあるので、それと連動させようというのである。
勿論、所詮は網でしかない。
直ぐに払われてしまうが、多少の時間稼ぎにはなる。
そうやって罠を張ってから女性使用人用の避難部屋へ閉じこもった。
ーーが
閉じこもって直ぐに
「ウギャァッ!!!」
と叫び声が上がった事で恐怖を感じた。
(誰かやられた?!)
と不安になったが扉を開けてみようという気にはならない。
避難部屋にある呼び鈴は普通の呼び鈴とは音が違う。
鳴らし方にも意味がある。
「使用中」
「付近に敵あり」
を意味する鳴らし方で鳴らして
「非戦闘員は近づくな」
と知らせる。
(侵入者が複数なら、こうしている間にも他の場所でも襲撃が起きてるかも知れない)
そう思うと、しつこく呼び鈴を鳴らし続けるのもどうかと思ったが…
恐怖心のせいか、手は勝手に呼び鈴を鳴らす紐を引き続ける。
人間、寝込みを襲われた際の動揺は大きいのだ。
ジェラルディーナが軽いパニック状態になっていたのも仕方ない。
(人の気配をもっとちゃんと読めれば、こういった際の索敵にも役立ったろうに…)
と、少し残念に思う。
(それにしても、どういった理屈で人間が姿を見えなくできるんだろう?改めて考えても不思議だ…。認識阻害魔道具で顔立ちを分からなくさせたり、色を変えて見せたりするのの延長かな?)
ジェラルディーナの脳裏にはサルヴァトーレの顔が浮かんだ。
自分に理解できるように説明してもらえるかどうかは分からないまでも、訊けば何かしらの解答が得られる事だろう。
(こんな時に男の事を考えるなんて)
と、不意に自分自身を不謹慎に感じたが
同時に
(こんな時だからこそ、なのかも)
とも思った。
人間、危機が迫った際に
「会いたい人」
「頼りたい人」
の事を考えてしまうものなのだ。
誰もが思う
「私が死んだら、あの人は悲しんでくれるのだろうか?」
という問いかけを…
ジェラルディーナは虚空に向けて問いかけた…。