火の用心
(精神干渉魔道具の効果っていうのは劇的なんだな…。なんで「スペクルム」が万年推定序列第一位なのか分かった気がするぞ…)
サルヴァトーレ・ガストルディは婚約者のグローリア・チェッキーニ伯爵令嬢の様子を観察しながら、しみじみ思った。
貴族女性というのはツンとすましていて、身分が上の者への露骨な追従以外では笑顔など殆ど見せないものだ。
対面した直後はそうした貴族令嬢特有の気取った態度だったグローリアが、魔道具稼働後には笑顔の大盤振る舞いでサルヴァトーレに愛想を振り撒くのが何気にコワイ。
(「当人の意にそまぬ感情や振る舞いを引き出す」という行為は魔道具や薬物を使うにしても、いずれ破綻するのだろうな…)
サルヴァトーレの脳裏には、ジェラルディーナがランドルフォ・フェッリエーリを心底から嫌ってる様子で対応していた態度が何度も繰り返し再生され続ける。
(人が人を操ると、後日、操作網が切れた時に好意が反転して敵意へ変わるという事か…)
グローリアはそれなりに美しい令嬢だ。
魔道具など使わずに満面の笑顔を向けられて明からさまな好意で押して来られたら、絆されていた可能性すらある。
だが、魔道具を使うのをやめた途端に一転して
「ゴミを見る目」
を向けられるようになる事を思うと…
どんなに偽りの好意を向けられても、絆されるような油断は起きない。
(どんなに好かれたくても絶対ジェリーには、こういう小細工は使うまい…)
と改めて決意した。
ともかく、精神干渉魔道具は効いている。
(人の心というのは火の取り扱いと似てるな…)
と取り扱い注意を改めて自分自身に戒めるサルヴァトーレだった…。
********************
サルヴァトーレが精神的に疲労して学院男子寮に戻ると
何故かトリスターノ・ガストーニが仁王立ちして待ち構えていた。
(怒ってる?ようだが、一体なんなんだ?)
親戚だし度々親切にしてやったし、そこそこ良好な関係だった筈なのに、サルヴァトーレを見るなりギロリと睨みつけてツカツカと歩み寄って来た。
そして開口一番
「君がとんでもない卑怯者だって事に今まで全く気付かなかった自分に心底から腹が立つよ」
と言い出した。
「…トリス?…一体、誰に何を吹き込まれて、そう喧嘩腰になってるんだ?」
「今日、ジェラルディーナ・フラッテロに会ったんだ」
「ジェリーと?どうやって?まさかフラティーニ侯爵家に押しかけたのか?」
「ロベルト・フラッテロに呼び出してもらったんだ」
「…弟を懐柔しての接触か?…なんかさっき君は俺を『卑怯者』だのと言うのが聞こえたが、ソレ、自分にも当てはまるって自覚はないのか?」
「彼女は俺の事が好きだ。それは傍目にも明らかだろうが」
「トリス…。君の世間知らずは、そろそろ返上して、ちゃんと大人になったほうが良い」
「どういう意味だ」
「君が思う程、『一目惚れ』に正当性は無いってことさ」
「当人の主観は尊重されるべきだろう?!」
「尊重されるべき『当人の主観』は多面的だという事だ」
「意味が分からない」
「だから世間知らずなんだよ。いいかい?よく考えてみるんだ。美男美女は大勢の人達から『一目惚れ』されるが、だからといって君は『一目惚れしました』と言い寄ってくる女性全員に恋情を返したりはできないだろう?
要は『想う人から想われない』という状態が社会内の通常モードなんだ。そこに『当人の主観』への尊重なんて存在してないだろう?」
「それは片想いの場合は、だろう?」
「同じだよ。たとえ双方が一目惚れし合ってて両想いだとしても身分差という乗り越えられない壁がある時点で『当人の主観』への尊重なんて起こり得ない。
それとも何か?君は彼女を正妻に迎えて、彼女を批判する世間の皆様全員を相手どり黙らせるだけの覚悟と力があるとでも言うのか?
単に相手の好意を利用して束の間の恋人関係を楽しんで、飽きたら捨てるつもり満々で手を出そうとしてるだけだろうが。
俺はこう見えて財力だけは保証されてる。貴族の制限で平民の妻は迎えられないし、周りの反対を押しきって妻に迎えても彼女にとんでもなく苦労を強いる事になると予想できる。
そうした負荷を勘定に入れると『一生を通じて生活を保証する愛人契約』を彼女とその保護者に提示し、正式に財産分与の手続きをしておくのが一番誠実だ。
女が求めているのは一時の恋情が満たされて、その後、何一つ実のある物が残らずに無惨に捨てられ地獄へ叩き落ちされる事なんかじゃない。
女が求めるのは持続的安寧だ。自分で自分をよく分かってる女ほど、こうした人生の道理を理解できるし、ジェリーはその点で君より遥かに大人だ。
俺が彼女に手を出すことは彼女の保護者からも彼女自身からも了解を得ている。(まだ何もしてないけど)
君に口出しされるいわれはない。君は彼女に対して何の権利もない。何の責任も負わず、ただ弄びたいだけの君にはな」
「何を言ってるんだ?君は恋人同士の接触でさえ『弄んでいる』だのと言うつもりか?」
「責任を取るつもりがない不純異性交遊は、誰がどう見ても『弄んでいる』ようにしか見えないだろう?」
「そんなこと言ってたら誰一人学生時代の恋愛を楽しめなくなるだろうが!」
「学生の本分は勉学だ。必ずしも恋愛する必要性はない」
「屁理屈を…」
「今の時代、第三者が初夜に立ち会って花嫁が確かに純潔だったと証明を求められるのは公爵家以上だ。
それが何を意味するか分かるか?初夜まで純潔を守れる女が少なすぎて、そうならざるを得なかったって事だ。
だが一方で、そうした事態が異常だという事も皆内心で理解しているから、公爵家以上の家では未だ花嫁には貞操が強いられる。
そんな不健全性的行為溢れる異常な世の中では夥しい数の女達が不貞を理由に父や夫から放り出されて野垂れ死にしている。
君はそんな社会の悲惨な現実を知らないから、見た目で惹かれる一目惚れに過剰な意味を見出そうとしている。
何度でも言うが、女が真に求めるものは一時の恋情に身を任せた無責任な性的行為ではなく、持続的安寧だ。
女から見て、一目惚れしたくなるような整った容姿の男は魅力的だろうが、現実社会の残酷さを知る賢い女なら、そんな浮かれた恋情に深い意味は持たせない。たとえそれが自分の中にある恋情でもだ。
ジェリーは賢い女だ。彼女自身、ストーカーのフェッリエーリ伯爵に対して『相手の立場への配慮も心情への寄り添いもなく、欲まみれの執着だけで愛とか恋とか錯覚してる人』扱いで求婚を拒んでいる。
平民が伯爵夫人になったら、どれだけの目に遭わされるか…ちゃんと彼女は現実が見えてる女だよ」
「『相手への立場への配慮』『心情への寄り添い』…」
「君がジェリーにやろうとしてる事はフェッリエーリ伯爵と同じか、更にもっと無責任で酷い事だ。
それが自覚できなくても、彼女が君を絶対に選ばない理由はつまり、そういう事なんだ」
「君から見てジェラルディーナ嬢は打算的だという事か…」
「…『無責任な弄びに付き合わない』という賢い女の自衛を『打算的』と言うなら、その通りだが。
正直、俺は、君にとっての『打算的じゃない女』というものが刹那的快楽至上主義者にしか思えないよ。
金払って遊ぶ娼婦がそういう頭の弱い女なら罪悪感も湧かないし都合が良いが、金も払わずにやる事やる相手がその手の女だと、後々まで寝覚めが悪いだろ。
商売女じゃない、一般人女性とやる事やりたいなら、ちゃんと後々まで考えた対応をしてやらないと、世の中不幸まみれになるだけだ」
「…君の考え方は分かったが、だからといって俺は彼女に確認もとらずに彼女の真意を決めつけるつもりはない。
実際、彼女は、君と付き合ってるから俺と付き合えないといった事を言っていた。
君が平民の彼女を脅して彼女の望みとは異なる状況に彼女を囲い込んでいる疑いは消えてない」
「俺と付き合ってるから君と付き合えない、と彼女が言ったのは、単なる契約順守精神だ。
脅されて付き合ってるから助けて欲しいなんて彼女は一言も言ってないだろ」
「…言えなかっただけかも知れない」
「…こう言っちゃなんだが、そういう見方は君の希望的観測に過ぎる。諸々が逆なんだよ。
『一目惚れ』で人生を棒に振ったバカな女達が反面教師として不幸を見せつけている世の中だ。ジェリーも『一目惚れ』のバカらしさをよく理解しているだろう。
だから君がどんなにジェリーに対して『一目惚れ』で人生を棒に振るように強要しても、俺はそんな悪魔の誘惑からジェリーを護る気でいる」
「君の言い分だと、俺がジェラルディーナ嬢にとって疫病神みたいじゃないか」
「そうだな。そう言ってるな」
「理屈を捏ねるのが得意の頭デッカチが女に惚れられるかよ」
「俺の魅力は財力と生活面の長期的保証だ。惚れられはしなくても信用してもらえれば良いだけのことだ」
「負け惜しみを」
「そっちこそ」
「とにかく彼女は俺を好きなんだ」
「はいはい」
「君の好きにはさせないから覚えておけ」
「覚えてはおくよ。一応。多分、意味ないと思うけど」
サルヴァトーレは流石にムカついた。
トリスターノが言うように、ジェラルディーナはトリスターノに一目惚れして懸想してるように見えたし、おそらく本当にそうだ。
だがサルヴァトーレはトリスターノにも言ったように、本気で「女が求めるのは持続的安寧だ」と確信している。
破滅願望がある訳じゃない限り、女は自分の恋情を自分で切り捨てる。
財力と生活面の長期的保証を提供する男を必ず選ぶ。バカじゃない限りは。
なのでジェラルディーナが自分を選ぶと確信してるものの…
無性にムカつく。
その感情はサルヴァトーレ自身にもどうしようもないものなのだった…。