囮役
ジェラルディーナの元へ弟のロベルトからまたも手紙が届いていた。
「とにかく会いたいです。可能な限り早めに寮に顔を出すようにしてください」
といった内容。
ジェラルディーナのような用心深い(疑い深いとも言う)性格の人間は
「そうなんですね。わかりました」
などといった無条件追従の返事を書いたりはしない。
(何でも相談しておかなきゃね?)
と思い、家政婦のアルフレーダの元へ手紙を持参した。
家政婦の仕事は決して暇ではないだろうにアルフレーダは嫌な顔一つしない。
それはアルフレーダの人間ができているからという訳ではなく、相談しやすい雰囲気を演出しておかないと必要な情報が入って来ない事を理解しているからである。
鷹揚な対応というものは人格や人間性とは全く無関係に、人間心理の道理を踏まえた上での情報管理を本気で意図すればできるようになるものだと言うことだ。
アルフレーダは手紙を見ると
「よく相談しに来てくれたわね」
と笑顔を向けてきた。
(やっぱり見せに来たのが正解みたいだ…)
とジェラルディーナにも分かった。
「十中八九、トリスターノ・ガストーニ子爵令息が絡んでるでしょうね。本来なら会わない方が良いんでしょうが、実は今、ビビアナ・ドニゼッティ男爵令嬢が消息不明になっているの」
「あの人が…」
ジェラルディーナはビビアナの姿を思い浮かべた。
フィロに少し似ていた女の子…。
「おおかた友人の誰かに匿われているのでしょうね」
「そうですか…」
(似た者同士だと友情が成立するのかな?ああいう性格の貴族令嬢は多そうだ)
「ドニゼッティ男爵が拘束されている今、令嬢にも任意出頭で事情聴取の協力が要請されている筈なのだけど…。どこに隠れているのか、いっこうに見当たらないの」
「友達多そうですもんね」
「酒場の接客を見て育った少女は私達よりも余程、他人に合わせて自分を変える演技に長けてるようね」
「それで、そのドニゼッティ男爵令嬢の消息不明と、私がロベルトの所へ行ってガストーニ子爵令息におびき出される事とがどう関係あるんでしょう?」
「ドニゼッティ男爵令嬢は役割として子爵令息を繋ぎ止める必要があったけど、多分それだけじゃなく、彼に執着してるらしいわ」
「本当に好きになってしまってた、とかですか?」
「いいえ。コミュニケーション能力に長けて演技力があって籠絡技術に自分で自信を持ってる人間は大抵自分自身が大好きなの。
ビビアナ嬢が本気で男性に惚れることはないでしょうね。あの手の女子は今頃『自分を袖にし続けた男への恨み』で内心荒れ狂ってる筈よ。
自分と婚約解消したばかりの男が密かに関心を寄せる女子を呼び寄せて愛を育もうとしてると知ったら、心穏やかに逃亡生活を続けられると思う?」
「…要するに、ドニゼッティ男爵令嬢を怒らせて、こっちに襲いかかって来るように仕向けろ、と?」
「端的に言えばそんな感じ」
「………」
「それにしても因果なものね。ドニゼッティ男爵は実子が殺された事で貴女を逆恨み。養女のビビアナ嬢は自分の魅力が通じなかった事で、やっぱり貴女を逆恨み。
他人を逆恨みする次元の低い人間を釣り上げるのに、何故か貴女は役立ってしまうようになってるのかしら」
「…自分で自分を憐んでみても良いですか?」
「異端審問官は恨まれてなんぼの商売。職を辞したとは言え、貴女は刑吏一族として立派に一人前になったって事でしょう」
「そんな一人前、ご遠慮願いたいんですが?」
ジェラルディーナの気持ちにはお構いなく
アルフレーダは
「近日中にこの問題は片付けておきたいの。だから不服でも、この件では従ってもらうわ」
とキッパリ言い切った…。
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アルフレーダの指示でロベルトに会いに行く以上
「寮にこっそり」
行くという選択肢は与えられなかった。
「女生徒達の目に触れるようにしないと意味がないでしょうが」
とキツめに言われて、王立学院の女子用制服が何処からともなく調達された。
「偽学生はセキュリティ面で紛らわしいんで軽犯罪に当たるけど、ドニゼッティ男爵令嬢を怒らせて炙り出す作戦だからと警備隊には通告済みよ。
頑張ってビビアナ嬢をキレさせて隠れ家から出て来るように挑発してね!」
「はい…」
アルフレーダは励ますようにジェラルディーナの肩を軽く叩いてニッコリ笑顔を向けたが、ジェラルディーナはとても励まされる心境ではなく、思わず遠くを見る目になった…。
王立学院ーー。
フラッテロ家の男子のうち優秀な者達は猶子として期間限定で貴族籍に入り、この学院に通える。
兄も通ったし、弟も通っている。
そうした猶子制度による学生の大半が男子なので、王立学院の学生は男子が多い。(国立学院はほぼ男女同数らしい)
平民が猶子として通う場合、成績優秀を維持しなければならないので、脇目も振らず勉強尽くしとなる。
恋愛にうつつを抜かす暇がないので、ある意味で暇な男女の数は釣り合っている。
貴族令嬢達はまさにそういった分類の人達。
ジェラルディーナは学院の敷地内へ誰にも咎められずに入った。
ロベルトのクラスは知っているので教室の場所を近くにいた学生に尋ねて颯爽とロベルトに会いに行った。
教室の中にロベルトが居るのが見えたが
(ここから呼んでも良いのかな?)
と学生内コモンセンスがイマイチ理解できないので
そそくさと教室に侵入して背後からロベルトに話しかける事にした。
「ねぇ、ボブ。忙しいの?」
とジェラルディーナが訊くと
ギョッとした表情でロベルトが振り返り
「姉さん!何でここに?」
と質問を質問で返した。
「ビビアナ・ドニゼッティ男爵令嬢が任意の事情聴取を拒んで行方を眩ませてるって状況は耳に入ってるんだよね?」
「あ〜…。それ、女子が騒いでた」
「お屋敷の家政婦様からの指示で、私が出しゃばる事になったの」
「なんか、大変だったみたいだね。ドニゼッティ男爵に襲われたって?怪我はしなかった?」
「怪我はないけどショックは受けた。だって、私、ただ自分が逃げただけだし、自分の命を守っただけなのに、それだけで殺したいと思われる程憎まれてたなんて…」
「だよね。ヴァレンティノ・コスタの時も思ったけど、世の中、頭オカシイ大人が多いよ。
『なんでお前の子供の命を守るためにウチの姉が代わりに犠牲にならなきゃならないんだ』ってビックリだよ。
自己犠牲しなかったからって理由で憎悪されて殺されそうになるなんて災難だし、逆に言えばそういった理由で憎悪して殺そうとして来る連中は狂ってる」
「ボブは私の事『間違ってない』って言ってくれるんだね?」
「当たり前だよ」
「うん。やっぱりボブは優しくて思いやりがあって素敵。愛してる」
「僕も愛してる」
「…と言う割には、何故か私をガストーニ子爵令息に売り渡そうとしてたりするんだ?」
「…売り渡すのではなくて、対話が必要な両想いの男女だという判断で対話の場を設けてあげたかっただけだよ。
勿論、多少は『これ以上、あの先輩に付き纏われて煩わされたくない』という疲弊感はあったけど…」
「どんだけ付き纏われたの?…学生って暇なんだね…」
「暇なのは貴族だけ」
「それで?何処に行けば、彼に会えるの?」
「…そろそろ来てるんじゃないかな?この教室を覗ける場所に…」
そう言ってロベルトが向かいの学舎の窓の向こうから思いっきりこっちを覗いてるトリスターノをチラッと見た。
「…あの人、私の事好きだと思う?」
「思いっきり好きだと思う」
「そうなんだ…」
ジェラルディーナはロベルトに連れられて隣の学舎との間にある中庭に出た。
隣の学舎からもトリスターノが出て来て、まるでロベルトと示し合わせているかのようだった。