最後の人生
ルクレツィオ・フラティーニは、ふとーー
前回の人生でアルカンタル王国を出た時のことを思い出した。
一つ前の身体の時の人生。
14年間の人生。
10数年から30年くらいの間で肉体を乗り換える妖術師にとって14年間はそんなに長くはない。
だが転機ではあったのかも知れない。
妖術師は延々と肉体を乗り換えて自我を永遠に持続させる業深い生き物だが、時に肉体乗り換えの不具合に応じて
「元々の肉体の持ち主の意識のカケラ」
に自我が乗っ取られそうになる事もあるのだ。
今回も前回もその前も
「肉体乗り換え後、数ヶ月間はエチセロとしての自我が上手く立ち上がらずに、元の持ち主の自我の残響で生活していた」
状態だった。
「長生きし過ぎた魂は老いる」
「老いた魂は若い魂の抵抗に負けてしまう」
という事なのかも知れない。
「この肉体での人生が、この自我で生きる最後の人生になるのかも知れない。ならば、せめて師匠と出会った街があった地に戻ろう」
そう思い、アルカンタル王国を出てリベラトーレ公国南部へとやって来た。
どんな妖術師も初めはただの人間。
師が居て
適性があり
(後天的に)
妖術師となっている。
「エチセロ」にも師が居た。
そして出会った時の師には
今の「エチセロ」と同様の現象が起きていた。
長生きし過ぎた妖術師に起こる
「肉体乗り換え後に自分自身の自我がなかなか立ち上がらなくなる」
という現象。
師の「アエタス」はアドリア大陸からの移民だった。
あの大陸が海の藻屑になる前に移り住んで来た稀少な知識人…。
「アエタス」は今の「エチセロ」のように長生きし過ぎていた。
彼は実に10年以上も自分自身を取り戻せずに
肉体の元の宿主の意識の模倣的人格のまま
無駄に貧しく惨めな人生を過ごして…
ある日ようやく覚醒したのだ。
乗り換えた時点では子供だった身体は
既に成人していて結婚もしてしまっていた…。
妻に対してはーー
自分自身を取り戻す前から
「こんな女は俺に相応しくない」
と思っていた事もあり子作り行為は全くせず
ひたすら奴隷扱いでこき使っていた…。
自分自身を取り戻したからには
「こんな所に居られるか」
とばかりにすぐさま出奔。
隠し資産を取りに隠れ家へと向かったのだが
仲間の妖術師の誰かが裏切ったらしく財産は全て盗まれていた後だった。
「アエタス」には予感があった。
「これが最後の人生になる」と。
なので金策は容赦なく行った。
富豪の屋敷に強盗に入り金目の物を盗めるだけ盗んで出国。
アドリア大陸すら捨ててミセラティオ大陸へとやってきた。
「エチセロ」はそんな男に師事して妖術師になった。
不思議なことにアドリア大陸から来た妖術師はミセラティオ大陸では肉体乗り換えができなかった。
アッサリと老衰で死んでしまった。
「アエタス」は
「俺はクズだった」
と死に際に述懐していたが…
(本当にそうだな)
と「エチセロ」も思った。
その「アエタス」が息を引き取る前に
透明な涙を流しながら
「ティリア…」
と呟いたのが妙に印象的で…
いつまでも「エチセロ」の記憶に残った…。
聖木の幻覚でも見えていたのか
気にかかる知人の名がティリアだったのか
詳細は不明だ。
思い残しの多い最後の人生だったのだろうが
「アエタス」は持てる知識と技術を
「エチセロ」に気前良く叩き込んでくれた。
そのお陰もあり「エチセロ」は師無き後
常に支配者層から需要があり
延々と生き永らえてこれた。
しかしーー
生き続ける気力自体が今では足りなくなりつつあるようだ…。
流石に
(…次に肉体乗り換えした時には、次こそは自分の自我が立ち上がらずに、元の持ち主の人格の惰性がそのまま肉体を乗っ取ったままになるのかも知れない)
と不安になってしまう。
なのでルクレツィオの身体を乗っ取った後に、ちゃんと「エチセロ」としての自我が立ち上がってくれて、心底からホッとしている。
未来に期待するのが怖いせいもあり「エチセロ」は
「次の肉体乗り換え可能期間がいつなのか?」
に関して
さほど
「知りたい」
とは思っていない。
ただ
「後悔したくない」
という想いだけが、自分の中に根付いている…。
そんな中で
(「アドリア大陸からの転生者」に惹かれるのが我ながら不思議だ…)
と思っている。
リベラトーレ公国西部沿岸には
今でもアドリア大陸時代の魔道具が流れ着くことがある。
海に沈んだ大陸の名残り…。
そうした物質的名残りと比例するかのようにミセラティオ大陸で時折現れる「アドリア大陸からの転生者」もまたリベラトーレ公国が最も多い。
(というか、他の国ではほぼ出現しない)
アドリア大陸と最も縁が深い国がリベラトーレ公国であり、リベラトーレ公国の西部なのだった。
「エチセロ」は他の妖術師同様に
「肉体乗り換えのために狙う標的はできるだけ自我の弱い子供が良い」
と実感している。
そこそこ知性も意志の強さもある大人の個体だと、元々肉体に宿る魂の定着がしつこくて、なかなか居場所を空け渡してくれない。
失敗すれば自分の魂の方が宿を失い、纏まりを失い、個別性を消失して普遍性へと還ることになる。
よって妖術師達は未成年の子供を狙って「次の宿主」として目を付ける。
「エチセロ」が狙ったこの身体の持ち主は孤児院暮らしの孤児だった。
たまたま
「フラティーニ家の女性が産んだ子供だった」
と発覚して、血縁上の伯父の家に潜り込めたのは幸運だった。
タイミングも良かった。
肉体乗り換えして人格が変わる事で親族から
「悪魔憑き」
と疑われることがある。
なので孤児院暮らしの孤児の中でも職員らに見離されて放置されがちの子供を妖術師は狙うことが多い。
親密な相手がいる子供だと面倒なことになりかねないからだ。
その点
「ルクレツィオは孤児院でも放置されがちの子供で、人格が変わっても誰にも指摘されなかった」
し、何よりも
「エチセロの自我が立ち上がったタイミングで母親だった女性がフラティーニ家の者だったと発覚した」
のだ。
念の為に環境を変えたくて
孤児院を出たくて
血縁上の伯父の家で養ってもらう事にした。
その後、順当に騎士になった。
そしてフラティーニ侯爵邸にてーー
ジェラルディーナ・フラッテロを初めて覗き見た時
「懐かしい」
感じがしたが…
「彼女の実家がガッダで、孤児院の近くにあった」
ということを勘定に入れたら
「肉体の元の持ち主が顔見知りとか友人だったのかも知れない」
という可能性に思い当たった。
初めて食べるリベラトーレの国民食を
「懐かしい」
と感じた時も同様だ。
「肉体の元の持ち主の記憶が身体の何処かに残っている」
のだ。とても色濃く。
ジェラルディーナに対して
「間違いなく好きだ」
と思うものの…
「この感情は果たして俺のものなのか」
という点では全く自信がない。
肉体由来の感情で持つ好意と
精神由来の感情で持つ好意。
それらが自分の中でひしめき合う事は
これ迄にも度々あった。
「後悔したくない」
人生だからこそ、結婚相手選びで失敗はしたくない。
ルクレツィオ・フラティーニこと「エチセロ」は、フラティーニ侯爵に言われた言葉をツラツラと思い出した…。
「嫉妬で発狂しそうになるくらい女の事で心を揺らす生き方というのは、一歩間違えば仲間割れを引き起こしかねないんだ。
その辺の自制心について、お前も一度本気で自分を省みて欲しい」
という言葉は尤もだと思う。
「最後の人生で共に過ごす相手は『唯一』が良い」
と思っているルクレツィオには
「彼女が『唯一』なのか?」
という問題で簡単には答えを出せないのだった…。