私、明日死にます。
「私、明日死にます」
不意に言われて男は呆然とする。
「ごめんなさい。いきなり話して」
そう言うと同時に彼女は男を無視して走り出した。
「さようなら」
その声と同時に男の脳に防ぎようのないほどの多くの情報が津波の如く襲い掛かった。
少女は男の母校の制服を着ていた。
校章をつけていた。
顔つきや体つきからして二年生だろうか。
瞼に大きな青あざが出来ていた。
唇の端から血が流れていて髪の毛も乱れていた。
泣いていた。
叫びたいのを抑えて。
だが、しかし。
男は彼女のことをまるで知らなかった。
束の間の呼吸の中、男は無意識のまま最善と思われる行動をした。
「君!? ちょっと!」
張り上げた声は届いたのか、届いていないのか分からない。
呆然とした男一人を残して少女は消え去った。
その日一日、男の脳に彼女の姿がこびりついていた。
忘れようとしても忘れられない。
彼女に一体何があったのだろうか。
どうして見ず知らずの男に声をかけたのだろうか。
どちらも分からない。
ただ一つ分かるのは彼女は死を選択するほどに追い詰められていたということばかり。
しかし、それを伝えられたところで男はどうすれば良いのか分からなかった。
翌日。
少女の姿が脳裏から少しだけ消えた。
このまま忘れていくのだろう。
いや、そうすべきなのだと諦めに満ちた気持ちのまま男が会社へ向かっていく途中、パトカーが止まっているのが見えた。
人だかりが出来ている。
「離れてください! 関係者以外離れてください!」
声が聞こえる。
遠くから耳をつんざく音が聞こえた。
救急車の音だ。
胸がざわつき男は思わずそちらに向かった。
「飛び出して来たんだ」
血にまみれたトラックの運転手と思われる男が必死に警官へ話していた。
「急に! 泣きながら飛び込んで来たんだ! ドラレコを見てくれ!」
大の男だと言うのに運転手は泣きそうな顔をしていた。
「離れてください! 関係のない方は離れて!」
警官の一人が怒声をあげる。
増援のパトカーがもう一台やってきて、三人になった警官により野次馬は解散させられる。
無論、男もその場から離れる他なかった。
しかし、男は見た。
血にまみれ砕けた体とこちらを見つめるように男自身に向いていた少女の顔を。
つまり、昨日の少女の死体を。
その日から男の脳裏から彼女の姿が消えなくなった。
男は四六時中自分が何か出来なかったのだろうかと思い悩み、そしてその気持ちがそのまま夢になり毎日のように後悔と嘔吐に苛まれる。
苦しかった。
けれど、きっと自殺した彼女の方が苦しかったに違いない。
辛かった。
しかし、見ず知らずの人間に声をかけた彼女の方が辛かったに違いない。
『私、明日死にます』
永久に響き続ける彼女の言葉。
男は見ず知らずの少女のために悩み、苦しみ、泣いていた。
「ごめんなさい」
男は叫ぶ。
「助けてあげられなくて」
私は自動販売機でオレンジジュースを買う。
「ガコン」
茶化して一つ呟いた直後、オレンジジュースが落ちてきて。
続いて、背後で強く大きなものが地面に落ちた。
ジュースを手に取り振り向くと歩いていた人間たちが立ち止まり、落ちてきた物体を何事かと見つめ、それに気づき始めたものが「まさか……」と呟き始める。
とっくに正体など分かり切っているくせに。
「一丁上がりっと」
私は罪の意識に耐えきれなくなり飛び降り自殺した男の骸を眺めた。
存在しない罪に怯え苦しむなんて。
「人間って何百年・何千年経っても間抜けね」
悲鳴に支配されてしまったこの場所で、けらけら笑う私に気づく者は誰も居なかった。
私、あの日と同じ姿をしていたのだけれど。
「最期、見えたかなぁ」
少女の姿のまま私は呟いた。
「私のすがた」