第二話
町の住民のほとんどは家にカレンダーがありません。(紙が高価だからです。同じ理由で本もない)
あるのは商人と貴族の家だけです。
勿論主人公の家にはカレンダーがなく、よってへレスはいつメル姉が死ぬのか分かりません。
まさか。
頭がだんだんと冷えていくように感じた。
考えるよりも先に足が動く。教会の門はすぐ目の前にある。
走った勢いをそのままに、へレスは大きな音をたててドアを開く。
「いや、別にそんなつもりじゃなくて…」
奥から声が聞こえてきた。
そちらを見るとメル姉は一人の修道女と長椅子に座りながらなにか話をしていたみたいだった。
(杞憂だったか、良かった。)
無意識に上がっていた肩を下ろし、大きく息を吐く。
視線が交わるとメル姉は横に座っていた修道女に声を掛け、すぐにこっちに走り寄ってきた。
「ごめんへレス! 待たせたよね、帰りましょ」
「はあ、うん。帰ろ」
ほっとしながら教会を出ようとすると後ろから鋭い視線を感じた。振り返ると先程の修道女と目が合ったので、へレスは軽く会釈してからメル姉の後を追って、ドアを閉めた。
前を向きなおすと、メル姉がはしゃいでいる様子が見える。へレスはそこで初めて雪が降り始めていたことに気づいた。
「雪だ!」
そういうや否やメル姉は口を開いて空を見上げ始めた。
「何してんの…?」
「降ってくる雪を食べようとしてて」
しばらくじっと眺めていると空を眺めるのをやめ、頬を赤く染めながらこちらを振り返ってくる。
「へレスはやらないの? 初雪が降ってきたら毎年一緒にやってたじゃん」
「…僕はいいかな」
「ええ! な、なんだか私だけアホの子みたいになっちゃったじゃん!」
そう言いながら、ぷんぷん怒ってへレスを置いていこうとする。少し走って追いつき、歩調を早めてメル姉の横を頑張って歩く。
「いや、ごめん。魚屋のおっちゃんから雪って実は汚いって聞いたからさ、やりたくないなって思っちゃって」
「え、雪って汚いの⁈ 初めて知った」
よほど驚いたのか体を少し後ろに仰け反りながら足を止めていたが、すぐにゆっくりと歩きだし二人は横に並んだ。
少しだけ沈黙の時間が流れる。メル姉の横顔をちらりと見上げ、へレスは口を開いた。
「さっきの人と何話してたの?」
今度こそ、メル姉の足は完全に停止する。目は泳いでいて、まるで聞かれたくない事を聞かれたような反応をされた。
「いや、まあ。別にへレスには関係ないことだから気にしなくていいよ」
完全にはぐらかされた。何もなかったら追及しないが、今はメル姉の生死がかかっている。些細なことでも情報収集はしといたほうが良いだろう。
「それでも知りたいんだ。お願い」
再び沈黙の時間が流れる。唾をごくりと飲み込む。
メル姉は少し悩むそぶりを見せたがようやく口を開いてくれた。
「へレスにはあまりこういう話したくないんだけど…。いや、実はね。5つ年上のルナ先輩に私がナンド司祭のことを好いてるって勘違いされちゃってて」
「……へ、へえ。それは大変だね」
拍子抜けな気持ちになる。恋愛関係の話をしていたのか。
「本当に、大変なの。一か月前からネチネチネチネチ言われてて。私は別に好きじゃないですっていっつも言ってるのに、あの人ずーーっと私の事疑ってくるの。ほんと勘弁してって感じ。というかそんな好きなら直接ナンド司祭に言えばいいのに、自分が告白する勇気がないことの腹いせで私をなじってくるの、ほんと頭おかしいと思う、そう思わない?」
「そうだね、その通りだと思う、うん」
急に饒舌になりだしたメル姉に圧倒され、話を聞き出そうとした少し前の自分を恨めしく思った。
その後も話は続き、その間へレスは頷くだけで精一杯になるのだった。
----
「……ただいまぁ」
「お帰り~」
疲れの余り玄関に座り込みそうになるが、ここで座っては動けなくなる気がしたのでリビングまで行き椅子に座る。既に晩御飯は準備されていた。
「ごめんね~、昨日の余りで」
「いやいや気にしないよ。昨日のご飯美味しかったし、嬉しいまである!」
「そう? それは良かった」
そう言う母さんの顔は少し嬉しそうだった。
「そういえば昨日お父さんから手紙が届いたんだけど、近頃大きい休暇が取れるから家に帰ってこれるって。へレス、良かったわね」
「父さん帰ってくるんだ。どのくらい会ってなかったっけ」
「そうねえ、大体一か月くらい会ってないわね。帰ってきたら二人で壮大なお出迎えをしましょ」
(一か月。そんなに長い間会えてないのか。いや、まだ足を怪我してなかった頃は確かにそんな頻度で帰ってきてた気がする)
へレスの父の職業は兵士だった。
この国、アラン王国の周辺には多くの魔物が蠢いている。その動向を交代で一日中監視し、国が魔物に襲撃されたときは全力で対処する、それが兵士である。
勿論それに耐えうる体力そしていざと言う時に魔物と戦える強さがないと務まらない。
というわけで兵士とは大変名誉な仕事なのであり、へレスはそんな父をいくつになっても、足を怪我してから実質ほぼ毎日家にいるようになったいつかの日も尊敬し続けていた。
「父さんってどうして兵士になったのかな。知ってる?」
「ふふっ。今度お父さんが帰ってきた時に聞いてみなさい」
何か知っていそうな雰囲気だったがはぐらかされてしまった。
メル姉の件が無事終わったら、帰って来た時に聞いてみるか。
(こんな風に親と話したことは全然なかったよな。折角戻ってきたんだ、もっと親と話すようにしよう)
「ご飯美味しかったよ。食器、片づけておくね」
「あらあら。片づけてくれるの? ありがとう」
緩やかな空気が流れ、へレスはなんだか心が温まった気がした。実家ってやっぱりいいな。
自分の部屋に戻り、今日もメル姉は無事だったことに安堵する。
ベッドに横になり眠りこける直前、メル姉と話していた修道女の顔がやけに思い出されたが、しばらくすると浮かび上がらなくなりへレスはそのまま眠りに落ちていった。
外は降雪の勢いが強くなってきており、窓を揺らした。やがてそれは猛吹雪となる。
第二話『不穏』