第一話
ある部屋の中で幼い少年と10代半ばほどの少年が対面していた。
幼い少年は、両手で目の前にいる少年のローブを掴み、両膝を床につけ懇願した。
「お願いします! ここで働かせてください!」
「駄目だ。年もずいぶん若いし、回復魔法も使えない君を報酬を払ってまで雇うメリットがこちらには無い」
----
二日ほど過ぎた。
何としてでもメル姉の死を阻止しないといけないという考えの元、へレスがまず思いついたのはいつでも守れるように常にそばにいることだった。
しかし、ストーカー行為のようにこっそり後ろから見守るわけにもいくまい。ならば正々堂々メル姉の周りを監視できる状況下に身を置けばいい。
へレスはそう考え、村の人にメル姉がどこで働いているかを聞いてまわるとどうやらメル姉は町の中心部にあるタル教会で働いているということがわかった。
そして今朝その教会に向かい、雇ってもらうことはできないか教会の人と話をしているところだった。
(しかし、まさかこんなにも難儀するとは)
さっきから頼み込んでいるのだが、目の前の人は許してくれそうにない。が、メル姉の命がかかっているのだ。
へレスは頭を下に擦りつけながら情けなくも縋る。
「給料も要らないので、どうか」
「もはや怪しいぞお前。給料が要らないなら何故そんなにもここで働きたいのだ」
「いや、それは…」
こちらの教会で働いている女の子を助けるためだと言っても狂人や変人の類だと思われて終いだろう。どういう言い訳をしようか。
頭を捻らせ悩んでいると後方から、がちゃりとドアが開く音がした。
「騒がしいね。何事ですか」
「ナンド司祭! いえ、こちらの少年が雇われたいと先程から泣きついてきまして。今追い払おうと思っていたのですが」
白い衣装に身を包む20代くらいの男がこちらを一瞥する。
「別に良いではないですか。最近は、病の流行により患者が増加していてどんな時も人手不足です。人が多くて困ることはないですよ」
「しかし…。いえ、司祭がおっしゃることなら」
どうなることやらとハラハラしていたが、突如現れた司祭の粋な計らいで教会に雇われることに成功した。
なかなか思い切った行動だったが意外にも何とかなるものなのだな。
その後、先ほど話していた少年が渋々ながら仕事の内容を教えてくれた。雑巾がけや壁についているステンドガラスの掃除、近くの水汲み場に水を汲みに行ったり、はたまた血で赤く濁った水を川に捨てに行ったりと肉体労働ばかりであるらしい。
ーー
教会は宗教活動の拠点である以外にも、怪我人や病人に治療を施す医療施設でもある。基本的に怪我人の治療は回復魔法の使い手により行われ、そしてその補助を魔法が使えない人間がする。
ーー
支給されたローブを着て、男に言われるがまま動き始めると、直ぐにメル姉と鉢合わせることになった。
「すみません、水汲みお願いしま……ってへレス⁈ どうしてここに?」
「ぐ、偶然だね。今日からここで働くことになったんだ。水が足りないのね、了解」
メル姉の困惑をはらんだ視線から逃げるように水汲み場に向かった。怪しまれてなければいいのだけれど。
へレスはその後もいろいろな人にこき使われ、教会と水汲み場を何往復もすることになる。次から次へと人が教会内に運ばれてきて、過酷さが増していく。腕は乱暴に酷使されたことでぱんぱんに膨れ上がっていた。
バタンとドアが閉まる音が聞こえ、そちらの方を向くとまた一人患者が運ばれてきていた。
大体の患者は、入口の目の前に置いてある長椅子に座らせ、もしくは寝かせてから治療を行っていたが、時々あの人みたいにマスクを付けた修道士二人に持ち上げられながら、壁側にいくつかある部屋のうちの一つに運ばれていく様子を見かける。
聞いた話によればあの部屋には司祭がいるらしいが、
(中では何が行われているのだろうか)
とへレスは少し気になった。
しばらくたつと、司祭がその部屋から出てきて少し回りを見渡した後、こちらに声を掛けてきた。水を部屋に持ってきてほしいとのことだったので水を汲んできて持っていく。
なかに入り、そしてへレスは驚きのあまり目を大きく見開くことになる。
司祭はベッドに寝かされている患者の腕をメスで切り刻み、血を抜いていた。患者があまりの苦痛に喘いでいる。
「な、何をしているのですか」
「悪い血を抜いているんだよ、瀉血って言葉知らないかい?」
「しゃけつ…ああ瀉血。言葉自体は知っていましたが、初めて見ました」
瀉血。医療行為の一つで、瘴気に汚染された血液を抜くことで患者の回復を促す行為だと聞いたことがある。大きな病気を患ったことがなく経験したことがなかったがこんな風に血を抜かれるのか。
直視できず視線を患者から少しずらすと。
視界には淡々と手術を行う司祭が映し出され、その躊躇のなさにへレスは少しだけ恐怖を感じた。
その恐怖心は、もしかしてこの人がメル姉を殺したのだろうか……? とつい邪推してしまいそうになってしまうほどだったが、あまりにも冷静さを失っている自分に気づき反省する。
ナンド司祭は医療専門家として真剣に事に当たっているだけだ。もう一度こっそり見ると、その表情に快楽の文字は一切見えなかった。
「水汲み、ご苦労様です。持ち場に戻ってもいいですよ」
「は、はい。失礼しました」
なにか怒られたような気持ちになりながら(その声からは微塵も怒色を感じなかったが)、へレスは静かにその部屋から出ていった。
----
外は薄暗く、空を見上げると一面雲に覆われていた。
教会での仕事は終わり、メル姉と帰路に着く。
「へレスがちゃんと教会での仕事をこなせるか少し心配だったけど、上手くやれてたみたいね」
「何とかね。あんなに教会での仕事がきついとは思ってなかったから、小さい頃から働いてたメル姉には感服する気持ちしかないよ。」
「ふふ、そうよ。回復魔法を使える人は少ないからずっと前からあそこで働いててね」
「魔法が使える人って本当に羨ましいよ。それってつまりは神に愛されてる証拠だからね。」
「くふふ。中々人に褒められることってないから照れちゃうわ。熱くなってきちゃった」
そう言ってメル姉は背負っていた巾着袋を前に回し、ごそごそと何かを探し始めた。
が、探し物が見つからなかったのか慌てたような表情を顔に浮かべだす。
「水筒忘れてきちゃったみたい! すぐに戻るからちょっと待ってて」
そう言って駆け足で教会の方に戻っていった。へレスは少し驚きながら後ろから見送っていると、冷たい風が吹きつけてきた。
(寒いけど待つしかないか)
少し道を戻り教会の門の前で待つことにした。
・
・
・
----
(おかしい。いくらなんでも遅すぎる。)
体感では既に20分は経過していた。忘れ物を取りに行くだけだったら5分ほどで、長くても15分ほどで帰ってくるはずだ。
心がざわつく。今日の昼頃見た、司祭のあの目が思い出される。
第一話『雇ってください』