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プロローグ

 

 黒い煙が眼を刺激する。鋭い痛みに堪えきれずに、瞼を閉じた。暗闇の中、過去の思い出が濁流のように溢れ、襲ってくる。


(メル姉。町の子供達から虐められていた僕を守ってくれたその背中は、いつも頼もしかった。貴方がいたから不自由なく過ごせた。ありがとう。大好きだったよ。)


 額から水が垂れ落ち、蒸発する。


(ダイモン。教室で孤立していた僕に陽気に話しかけてくれた君は僕にとっては救世主だった。君が最後まで味方でいてくれたことは、本当に嬉しかったよ。君と友達になれて本当に良かった。)


 誰かに鋭い石を投げられ、皮膚が裂ける。


(母さん、父さん。二人を亡くしてから僕はようやく愛されていたことに気付いたんだ。ほんと、笑っちゃうよね。…貴方達の息子で良かったと心からそう思ってる。)


「ひゅっ」


 喉が焼けて痛い。眼を薄く開き、ちらりと隣を見る。…もう、先に逝ってしまったか。


(ああミノ。君と初めて出会った日、君と一緒に過ごした日々、眩しかったあの笑顔。僕は今まで一秒たりとも忘れたことなんかないさ。今でも君のことを愛している。愛しているよ。)


 涙が眼から溢れ出す。


(……後悔しているんだ。君達を救えなかったことを。)


 天に懇願するように、もはやなにも見えなくなった眼で空を見上げながら、

 黒髪の少年へレス・カーディガンは望む。


(もしもう一度。この人生をやり直すことができるなら)

(お願いだ、神様。僕に、皆を救わせて…くれ……)


 火花は散る。



 ヘレニズム暦769年

 二人の男女は十字架にかけられる。

 悪魔は、祓われた。



 ----

 悪魔の子がハッピーエンドを望んでは駄目ですか?





「っ」


 意識が覚醒する。


「おい。聞いてんのか」

「いつものやつ出せって言ってんだよ」


 ________ここは。


「無視すんじゃねえよ、このやろう。ぶっ飛ばすぞ!」


 _________僕は死んだんじゃ。


「ぽかんとしてないで、早く金を寄越せ……って、やば」


 目の前にいた少年二人は、突然と強張った表情を見せた。


 後ろに肩をぐっと引き寄せられる。後頭部には、僅かな弾力と温かみ、……そして懐かしさを感じた。

 息を大きく吸う音が聞こえる。


「うちのへレスに何してんのよ!」


 二人は瞬く間におびえた表情になり、すぐに背を向け退散していく。その聞き覚えのある声に驚き、顔を見上げると()()()はおおよそ女の子がしてはいけない凄い目つきで正面を睨みつけていた。


「自分より小さい子を虐めて何が楽しいのかしら」


 呆然としていると目の前に少女の顔がドアップで映し出された。


「いい、へレス。ああいう時はバシッと言ってやらないと駄目なのよ? 貴方も男の子なんだから、やるときはやらなくちゃいけないわ!」



 メルアード・クライス。小さい頃近所に住んでいた、可愛らしい茶色のショートヘアーと頬についているそばかすがチャーミングポイントの少しばかり発育が良い3歳年上の女の子。

 赤ん坊だった頃から面倒を見てもらっていたらしく、大きくなってからも困ったときはいつも助けてもらっていた。


 ……小さい頃の話だ。

 彼女は12歳の誕生日を迎える前に死んでいるはず。


 しかし何故か今、その彼女が目の前にいる。


「メル姉、なの?」


「? そうだけど?」


 この状況に脳が処理しきれず、へレスの思考は停止する。

 いやいや何故死んだ筈のメル姉と話せているんだ?


 やっとのことで口を開く。


「め、メル姉、助けてくれてありがとう」

「別に。大したことなんかしてないわよ。ただ私が気に食わなかったからしただけ」

「そっか」


 そっけなく返されてしまった。


「帰りましょ」


 手を繋がれ、歩んでいく。




 メル姉に気づかれないように繋いでいない方の手でへレスは自分の頬を引っ張った。


 しっかりと痛い。

 おそらくそうなのだろう。いや、間違いない。


 (信じられない)


 天への願いが叶い、僕は戻ってきた。まだ誰も失っていない、いつかの日に戻ってきたのか。


 沸々と心の奥底で後悔という感情を燃料にして何かが燃え始める。

 神様がチャンスをくれたのだ、こんな奇跡は二度も起こりやしないだろう。


 息を深く吐き、ヘレスは静かに決意する。


 (もう誰も失わせやしない)


○ヘレスの記憶

 →755年 メルアード・クライス 死亡

 762年 ダイモン・ダルジョン 死亡

 764年 ハルク・カーディガン 死亡

   ミネルヴァ・カーディガン 死亡


 765年 ミノ・カルスト 死亡

   ヘレス・カーディガン 死亡

 




 ----


 分かれ道でメル姉と別れた後、記憶を頼りに一人で歩き続け階段を登りきると木造の家が見えてきた。

 心を落ち着かせてから、手を取っ手に掛ける。

 ガチャ


「…ただいま」

「お帰り~」


 懐かしい声が聞こえた。

 料理を作っている母の姿が視界に入り、不覚にも心が揺さぶられる。……処刑される直前の姿が脳裏に浮かんだからだ。

 動揺を隠しながらテーブルに着くと、目の前には豪華な食事が並んでいた。


 その豪華さに少し気が向いたが取り敢えず思考の端に追いやり、へレスは今確認しなければいけないことを母に尋ねた。


「母さん。僕って今、何歳だっけ」

「ちょっと、忘れちゃったの? 今日で9歳になるんでしょ。しっかりしなさい」

「ああ、そうだったそうだった。ごめん」


 どうやら冗談だと受け取られたらしく、笑い飛ばされる。



 気持ちを切り替え、目先を見据える。


(今は、つまり755年か。だとするとまずいかもしれない、メル姉が失踪するのは…)


 思い出す。

 空が鈍色に曇っていて、冷え込みが激しかったあの日。

 メル姉は突如として行方不明になった後、翌週に近くの川で水死体として見つかった。

 眼と唇が魚に食い荒らされたあの様相がフラッシュバックのように思い返され、吐き気を(もよお)す。


「はー…」


 息を吐くと、一瞬空中に白い靄が残るくらいには家の中は寒かった。

 時間が戻ったことに万能感のようなものを感じていたが、タイムリミットはすぐそこまで来ているのかもしれないという恐怖に身を震わせる。



 食事を終え、自分の部屋に戻りベッドに寝転がりながら横目で部屋中を見渡す。

 部屋には必要最低限のものしかなく壁の木目模様がやけに目に入った。


 目を瞑ると胸の内が騒いだ。

 使命感のようなものと浮足立つような非現実感が脳内を埋め尽くす。


 複雑な感情に吞まれながら海の底に沈むようにへレスは眠りについた。


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