僕の描いた落書きが死後評価されてる
画面に映る自分の絵を何度も確認するが、僕が描いた絵だ。間違いない。
ということは、僕の絵が百億円で取引されたってことか。
要は、百億円で売れたってことだよな。
つまり、僕の絵は百億円もの価値がついたってことか。百億円、百億円...。
百億円あったら、何ができるんだろうか。
とりあえず、大きな屋敷を建てて、その隣に僕の絵を展示するための美術館を作って、そこにたくさんの人が足を運んできて...。ぐふ、でゅふふふ。
いや何、僕の落書きに斯様な価値を見出された事は、得も言われぬ気持ちではあるのだが。重要なのはそこではない。なぜ僕の作品がダ・ヴィンチの作品として競売にかけられているのかが問題なのだ。
まず、僕が前世で描いた絵は、その大半が自宅に保管されていたはずだ。
特に言及していなかったので、妻であるニコが保管していて、この時代に現存している事自体はまだ考えられなくもない。
しかしながら、いくら名前が似ているとは言っても、ただそれだけではダ・ヴィンチの作品としての根拠が薄いような気がするのだ。
それに、彼の作品とは比べるまでもないほど絵が違いすぎる。
これは調べてみる必要がありそうだな...。
明日やることを決めたところで僕は、激動の一日を終えたのだった。
色々と調べてみた結果、わかったことがある。
まず、僕の絵が勘違いされた理由だが、これは前世の僕が原因だ。
ダ・ヴィンチの自画像を見たが、僕が前世で目指したあの絵を描いた美青年とは彼のことであった。彼には僕の絵を数枚渡していたためそれが勘違いの元となったのであろう。まさか一度会っていたとはついぞ思わなかったが。
それに加えて、芸術の変遷も要因の一つであろう。
時代の移り変わりとともに、昔とは違う種類の芸術が台頭していった。その中でも印象派や象徴主義といった絵に僕が前世で描いた絵が酷似していたのだ。これによって、ダ・ヴィンチは時代の先取りをしていただとか、言いたい放題言われている。僕は全然そんなつもりじゃなかったのにも関わらずだ。全く、ダ・ヴィンチもいい迷惑であろう。
僕としてもこれは由々しき事態である。あのような落書きが、僕の目指した絵と肩を並べて並べて良いはずが無い。
別に印象派や象徴主義がダメだと言いたのではなく、ただ、意図して描いたわけでも無い物をその様に持ち上げられることを恥ずかしく思うし、何よりどこか小馬鹿にされた感じがするのだ。
僕は昔の絵をダ・ヴィンチが描いたものでは無い事を証明しなければならない。
出ないと彼に彼に申し訳が立たない。僕はこんな形で有名になりたかったわけでは無いのだ。
よし決めた。僕は勘違いされている前世の絵を全て正しい認識に改めさせる。絵を描くのは二の次だ!
今後の方針が決まったことで、どこがすっきりした。
今までは、ぼんやりとした、絵が上手くなりたいという願望のままにだらだらと過ごしていたが、このままではダメだ!
—この時僕は今までに無いほどの高揚を感じ、なんでもできる様な気がした。
まずは朝ランニングをしよう。その後は本を読んで。そうだ、幼稚園にいる時間は絵を描くことに専念して、家に帰宅してからはネットで美術について学んで、それからコストパフォーマンスが高いスキームでコミットしてアジェンダがコンセンサスなエビデンスで...
この時彼が建てた計画が一日で頓挫したのは言うまでもないだろう。
レオナルド・ダ・ビンチさんの年齢や学歴は?彼女はいるの?調べてみました!
調べてみた結果よくわからなかったです!
いかがでしたか?今回はレオナルド・ダ・ビンチさんについて紹介しました!
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