幼稚園無双
幼稚園での日々は、結論から言うと退屈なものであった。
幼稚園での学習とは言っても、所詮幼児向けのものであり、そのほとんどが遊んでいるのとほとんど遜色がないものばかりであった。いや、そもそも自分の精神年齢から考えて、楽しめることなどないとわかりきっていたことだなのだが。
「ほら、樹くんも一緒にお歌を歌いましょーねー」
全くもって退屈だ。
今日で、幼稚園に通うようになっておよそ一年が経った。
すでに幼稚園に通う生活は日常になっていたし、不躾に関わってくる幼児どもの扱いにも慣れた。
彼らをみていると、絵を描いている時に度々遊んでとせがんできた息子のことを思い出す。思えば息子の世話も妻に任せっきりで、幼かった頃の息子との思い出がほとんどないな。
嫌なことを思い出してしまった。そう考えると、僕の父親は僕に構ってもらおうと必死だ。いい父親なのかも知れない。
さて、今僕は年甲斐もなくワクワクしていた。
「さー今からみんなで、このクレヨンを使ってお絵描きしてみましょうねー」
そう、お絵描きの時間だ。前々から他の幼児たちが描いているのをみて、まだかまだかと待ち望んでいたこの瞬間がついにやってきたのだ。
思わず笑みがこぼれてくる。だ...駄目だ、まだ笑うな...、堪えるんだ...、し...しかし...。これが成功すれば、僕の計画が大きく進むだろう。
名付けて「ナチュラル絵の天才大作戦」。
これまで僕は絵を描いているところを頑なに親に見せてこなかった。
それも、少しでも不審がられる要素を排するために必要であったことだ。だが、今この瞬間は、自然に絵を描くことができるのだ。それも先生という第三者の目線を加えて。そして、
"樹くん絵がすごく上手いんですよー""えーそうなんですかー""本当ですよー"
なんて会話が繰り広げられるに間違いないのだ。そうなれば、私の絵描きへの道はグッと近づくであろう。
さて、作戦も佳境に入ってきた。描く準備はすでに万端。実際に、もうすでに描き始めている者もいる。だが、ここで重要となるのは題材だ。
平凡な幼児諸君は題材に"お母さん"や"先生"を選択するだろう。だか、ここではあえてそれらを選ばない。ここで選ぶのは"お父さん"が最善だ。
一家の収入源である父親の発言力は偉大だ。ましてや、愛に飢えている、日頃構ってもらえない父に対しての影響は絶大だろう。何という悪魔的計画だ。早速絵に取り掛かかろう。
そして絵は完成した。まだ指が思うように動かないこともあって、完璧とまではいかないが、他の物と比べてもその実力の差は歴然。現に私の絵の周りには人だかりができていた。そして次々と称賛の声が上がる。
「すごーい」「人?」「え、うまーい」「パン?」
そうだ褒め称えるがいい。ああ、こんなにも気分が良いのは初めてだ。絵のうまさで褒められるのはこんなにも気持ちがいい物なのか。
これが、前世では、ついぞなしえなかった、なけなしではない、純粋な絵の技量で褒め称えられるということなのか。
そして、先生がやってくるのが見える。そうだ、お前も僕の絵の素晴らしさに打ち震えるがいい。そして伝えるのだ、こんなにも絵が上手いのだと両親に、それがお前の役目だ。
「わーすごい絵が上手だねー」
計画通りッ!!!
—そして次の瞬間、有頂天になった主人公の顔面に鉄槌が下される。
「パンを焼いているところなのかなー?」
まずい。くそっ!上手に描くことを意識するあまり、何を描いているかにまで頭が回らなかった!
この計画のためとはいえ、父親にあまり関わってこなかった僕は、交流の場といえばパン屋での味見ぐらい。
それならばまだ良かった。あまつさえパンを焼いているところを書いてしまったのだ。
これでは、パン屋を継ぎたいですと言っているような物ではないか。
—完全なる自業自得
まずい、今すぐに紙を破り捨てなければ。パン屋は嫌だ!パン屋は嫌だ!
「はーいみんなも描き終わったかな?今日描いた絵はお披露目会でみんなのお父さんお母さんに見てもらいましょうね」
無情にも紙は回収されていく。僕はそれをただ見守ることしかできなかったのであった。
ジェバンニが一晩で書きました