お飾り枢機卿のため息がつきない日々
召喚モノ大好きですが、う~ん? と思うところもあったので、五分くらいで設定を決めて書いたもの。なので、設定はハチの巣穴だらけ……。
サンルシェル枢機卿は、目の前の四人の若者の主張にため息をもらした……つもりだったが、実際は
「何? なんなの? お前ら、バカなの? アホなの? なんでそんな博打をやろうなんて思うっちゃうわけ? 人生、棒に振りたいタイプなの?」
ついうっかり本音をもらしてしまった。
「は? あ、あの……?」
枢機卿の口から紡がれたとは思えない、乱暴な口調に四人の若者は目を白黒させて言葉を失っていた。
あ~ヤベ。つい、素で言っちまった。
後悔してももう遅い。
今でこそ、お飾りとはいえ枢機卿と呼ばれる身分に列せられているが、元はテルホトゥーヒ教会の庭を整備していた庭師の息子である。庭の整備をしながら、併設されていた神学校の授業を聞き覚え、神聖術を使えるようになったという、異色の出自。
世界的な規模を持つテルホトゥーヒ教会の枢機卿という地位にありながら、サンルシェルは庭師の息子であったことを、隠したことがない。むしろ、そのことを誇りに思っていると公言してきた。そんなこともあって、自身が平民出身であることは、広く知られている。
結果、サンルシェルが「まあ、いいか」と開き直るまで三秒もかからなかった。
「卵丸のみして、のどに詰まらせたような顔してんじゃねえよ。こちとら、庭師の息子だ。これが素なんだよ。知ってるだろ? 俺の剪定ばさみがうなりをあげて、学校の植木を立派なクマちゃんに仕上げたところを見てたろうがよ」
サンルシェルが、卒業した神学校を視察した半年ほど前の話である。
「クマちゃん……」
若者は、おっさんのクマちゃん発言が気になったらしい。気にするのはそこ? と思いつつも、サンルシェルは今度こそため息を吐き出した。
もう一度言うが、サンルシェル枢機卿の『枢機卿』という身分はお飾りである。いや、通行証のようなもの、という方が正しいのかも知れない。
彼が得意とするのは、世界最高峰の理力──世間一般では魔力と呼ばれているが、教会という組織の特性上字面がよろしくないということで、理力と呼び変えているだけである──とその豊富な知識を元に振るわれる、数多の神聖術。
軽いフットワークであちらこちらへ出向き、時に魔物を討伐し、時に呪いを祓い、時に災いをもたらす呪術師を成敗する。戦う聖職者を体現したような人物だ。
彼は身分にこだわらないが、世間にはこだわる人間も少なくない。そういう人間は、実力よりも肩書を重視する傾向にある。なので、そういう人間にも対応できるよう、サンルシェルをはじめとした、『枢機卿』という肩書を持つ現場主義の戦う聖職者が存在しているのだ。全くもって、人間という生き物は面倒である。
さて、聖職者という職業は、後を継げない貴族の就職先になることも多い。サンルシェルの前に並ぶ四人もそのクチである。
一人は王弟殿下であり、名をライティアと言う。今代の国王とは十二も年が違い、王位継承に関して大きく揉めることはなかった。また、国王陛下には昨年嫡男が生まれたこともあり、王弟殿下は、教会へ身を寄せることにしたと聞いている。
他の三人も上級貴族の次男以下の生まれで、彼の遊び相手として城へ上がっていたそうだ。
この四人は、どういう訳か戦う聖職者を希望している。貴族の坊ちゃんに勤まるとは思えねえんだがなぁ……と思いつつも、サンルシェルは彼らを──仮に、ではあるが──受け入れた。
「聖女を召喚して、魔王を倒して英雄になる! なんて、バカかアホかと……お前ら、今まで何を勉強してきたの? 記憶力は家のベッドに忘れてきたのか? だったらさっさと取りに帰れ。っつか、魔王の存在自体、あやふやだって知ってるだろ?」
気持ちは分からないでもない、と続けようとしたのだが、やっぱり本音が漏れた。
「な……! そっ……そこまでおっしゃられなくても…………」
打たれ弱いライティア殿下は早くも涙目である。その隣で彼を気遣うようにそっと肩に手を乗せたデュランタは、侯爵家の三男だ。
「お言葉を返すようですが、実際に隣国では異世界から聖女を召喚する動きがあるとのことで──」
「先を越されちゃ、まずいっしょ! オレらが先に成功させねえと──っ!」
辺境伯家の問題児として放逐された青年、メラレカが拳を振り上げ、力説する。放逐された身で、ライティア殿下の側に侍ることが許されているのは、殿下が強く望んだからだ。
「サンルシェル枢機卿猊下のお力があれば、隣国より先に聖女を召喚することも──」
可能ですと言いたかったのだろう、伯爵家次男カルミア。しかし、である。
「いや、無理だから。絶対に無理。っつか、家に置いてきた記憶力を取って来いって」
ほんっともー、何言わせんのと、サンルシェルはため息をついた。四人とも記憶力を取りに帰る気配がないので、まあちょっとこっちに来てお座んなさいよと、サンルシェルは若者たちを手招いた。
サンルシェルは、旅から旅への生活を続けているせいか、気に入ったものは外国のものだろうがなんだろうが気にせずに取り入れる。
小上がりと言うのだと教えてもらった、段差のある空間もその一つだ。
部屋の一部を膝丈ほどにかさ上げし、そこに絨毯を敷き、大小様々なクッションをたくさん並べている。彼は靴を脱いで、その小上がりで足を伸ばして座るのが好きなのだ。
今もサンルシェルは小上がりでくつろぎ、四人の若者は小上がりではないところに立って、彼と話をしていた。四人は、尊敬する師に手招かれたこともあり、遠慮がちに靴を脱いで小上がりへと移動した。
その間に、サンルシェルは教会の規定について書かれた物を小上がりの下の収納ボックスから引っ張り出してきた。いいか、と彼は前置きをしてから、規定書のページをめくり、
「教会では、聖女、聖者について、厳格に規定が定められている」
彼が指さした箇所は、
「司祭以上の資格を持ち、長年の奉仕活動などにより多くの人々の助けや救いとなった者」
という一文から始まる。異世界から召喚された者は、司祭以上の資格どころか教会の洗礼すら受けていないのでアウト。召喚して洗礼を受けさせたとしても、長年どころか奉仕活動をした記録がないので、これもダメ。当然、助けや救いにもなっていない。
他にも推薦や調査が入り、聖女、聖者としてふさわしいと認められる必要があるわけだが、
「基本的に生きているうちに聖女、聖者に列せられるということはないぞ。世知辛い話になるけどな、人間なんだから、どこでどんな不祥事に巻き込まれるか分かったもんじゃないだろう? そうなれば、推薦者や認定者の責任も問われることになる」
亡くなった後、その者が清廉潔白であったことをじっくりと調査して問題がないと判断されれば、聖女、聖者として列せられることになる。
ライティア他三人は、石像のように固まっていた。
「異世界の者は教会の規定から除外するという、規定はどこにもないからな。異世界から、教会の規定に沿う聖女を召喚するなんて不可能だし、異世界で聖女として認められていても、その基準がこちらの基準と合致するとも限らない」
「えっと……どういうことっすか?」
メラレカが、よく分からないと首をかしげるので、サンルシェルは
「極端な例でいうと、招かれた誰かが信仰しているのは、こちらでは邪神と呼ばれるような神で、そこで聖女認定されるには、人を殺しまくることだ、なんてことになってたら、どうする? っつーことだ。連続殺人鬼を召喚した責任。とれるのか? とれないだろ?」
あまりにも突拍子な例えではあるが、絶対にないとは言えない話だ。行動を起こす時は、リスクを考える必要がある。もちろん、リスクに怯えて行動を起こさないこともまた愚かではあるが。
全員が酢を飲んだような顔で絶句しているので、サンルシェルは呆れるほかなかった。
「だいたい、召喚術って言うのは、どこにいるのか名前も分からない誰かを召喚できるもんだったか? 魔物や精霊を召喚するみたいに種族名を指定すりゃいいってモンでもねえだろ。条件が厳しくなればなるほど、難易度は跳ね上がるし、それに比例して召喚用の陣も複雑になっていくしな。聖女召喚用の陣なんて、一から構築しなきゃならんわけだが……」
そもそもの話、短距離であっても人間の召喚に成功したという話を聞いたことがない。
「それだけじゃない。呼ばれた誰かの見た目が俺たちと同じだとは限らない。言葉や常識が通じるとは限らない。それでも、お前たちは責任を取るんだな? 赤ん坊であっても、幼い子供であっても、妊婦であっても、深いしわが刻まれた婆さんであっても、お前たちは言うんだな? 愛する者が誰一人いないこの世界のために、たった一つしかない命を差し出せと、奪ったお前たちが言うんだな?」
もしもの話を積み重ねていく。
「愛する者がいて、将来の夢も希望もあり、生活基盤と資産を持ったお前たちが、それらの者を全て奪ったお前たちが、奪われた者に、言うんだな? その者がどんな行動をしようが、全てお前たちが責任を負うと言うんだな?」
四人は、絶句したまま動かない。
「召喚された者が、暴力とは縁のない平和な暮らしをしていた平民だったら? お前たちは、その者に生き物を殺せと言うんだな? 殺す技術を身につけろと、言うんだな? 元には戻れないだろうと分かっていてなお、血や肉を切る感触なんかに慣れろと言うんだな?」
それがどれだけ理不尽な要求か、分かっているのだろうか?
「召喚された者が、国王であろうが、戦場に立つ将軍だろうが、教皇だろうが、かまわないと──。その者を失った世界がどれだけの混乱に陥ろうが、お前たちは構わないと──」
サンルシェルは、ため息をついた。
「それでもやるんだと言うのなら、俺はとめんよ。ただし、教会からは破門にするし、お前たちの家族、友人知人、お前たちを知る全ての者に、お前たちとは関わるなという、通達を出す。当然、貴族籍からは抜かれるだろうし、場合によっては平民の籍にも入れない可能性はある」
「っな!? 何故です?!」
悲鳴をあげたのは、デュランタだ。
「何故? お前たちがこれからしようとしていることじゃないか。個人資産は残る、生きた死人になるための準備もできる。例え、会えなくても、連絡ができなくても、お互いに生死を知ることはできる。そう思えば、まだマシだろ? 召喚された誰かは、無一文だし、何の準備できない。家族や友人知人とは絶縁となり、お互いに何も知ることができなくなるんだからな」
サンルシェルが言葉を重ねれば重ねるほど、四人は頭を下へ下へと下げていく。
「万を生かすために一の命を犠牲にする。為政者なら仕方のない選択かもしれん。でもなあ、犠牲になる命の中にお前たちが含まれていないってのは、召喚されたほうとしてはたまったもんじゃねえと思うんだが?」
「私たちは…………」
ライティア殿下の涙腺が静かに崩壊した。
聖女召喚に隣国が挑むと聞いて、後れを取ってはならならいと、四人は決意したのだろうが、その決意は間違っていると思う。想像力があまりにもなさすぎた。
サンルシェルに言われて初めて、召喚が成功した後の現実について考えたのである。考えなし、浅はか、バカ、アホ、間抜けと言われても仕方がないと思う。
「お前たちがやろうとしていることは、誘拐だ。犯罪だよ。なあ、お前たちは召喚された誰かの怒りや憎しみ、哀しみ、憤りを全て受け止められんのか? 世界がその誰かを見捨てても、お前たちは見捨てちゃなんねえのは分かってるか? 誰かの奴隷になる覚悟がいるって、分かってるか? 誰かからどんなに理不尽な扱いを受けることになったとしても、お前たちは、その誰かに許しを求めちゃいかんって分かってるか?」
召喚された誰かが、争いの種になることだって考えられる。そうなった時の責任を、この四人はどうするつもりだったのか。
「僕たちの考えが足りませんでした」
カルミアがうなだれた。
どう考えても、もしもの時のリスクが大きすぎる。神の慈悲? そんな不確定極まりない要素をアテにしなければならないほど、この世は切羽詰まっている状態ではない。魔物が発生する仕組みについては、大まかに分かっている。その仕組みから言えば、魔王がいてもいなくても、魔物は減らない。
「まあ、そもそも召喚が成功するかどうかも分からないって話ではあるけどな。でも、成功した場合、呼ばれた誰かが最低な人間だったら? って考えることは必要だろ? それに、最低な人間だろうがなんだろうが、誘拐された事実には変わりねえわけだし?」
規定書と一緒に収納ボックスから取り出したお茶セットを小上がりに並べる。サンルシェルは神聖術を使って淹れたお茶を四人の前に置き、小さく息を吐いた。
それは、反省している子供たちの姿を見つめる親の姿そのもの。
「なあ、家の事情とかいろいろあるんだろうけどよ、焦ることなんてなんにもねえだろ?」
何を焦っているんだとたずねれば、ようやくおさまりつつあった涙腺を再び崩壊させたライティアが、
「私たちはあなたの教え子なのに、まだ何の功績も残せていなくてっ──!」
「アホか。言いたいやつには言わせとけ」
まさか身内からの精神攻撃によるものだとは思わなかった。
この四人が、外回りを希望しているのは先にもいったとおり。辺境の町や村を訪ね歩き、時に魔物を討伐し、呪いを祓う。そういう役目だ。当然、その職務は過酷であり、死亡率も高い。
どの国でも人気の高い役目ではあるが……人気者はツライのである。
四人の家族は、そのことを知っているから、そんな危険な役目を我が子にさせたくはないのだろう。
親の希望と子の希望のギャップ。どちらの気持ちも分かるから、この四人が供として旅に同道しないことを、サンルシェルは何も言わなかった。残念だなあ、くらいの気持ちである。
四人が本気で外回りを希望するのなら、家族を説得するか、振り切ってついて来るだろうと思っていた。四人で行動するのなら、外回りも十分勤められるとサンルシェルは思っている。
今は、若者たちの本気度が試されているときなのだと考えていたのだ。
それをまあ、何も知らない外野がピーチクパーチク。お前らは関係ないんだから、黙っとけ! と声を大にして言いたい。それはともかく、
「だいたい、功績ってなんだよ、功績って。そんなもん、俺だって残した覚えねえ……って、もしかしてあれかあ? 魔獣を討伐した時に森林破壊したり、山肌削っちまったり、新しい池作っちまったり……でも、これって、功績って言わねえよな?」
「え? なんスかそれ……え? それ、マジな話?」
驚きに目を真ん丸に見開いたのは、メラレカだ。
「マジな話。どんだけ怒られたと思ってんだよ。今、思い出しても震え上がるわ」
サンルシェルは、自分で自分を抱きしめ、ぶるりと体を震わせている。よほどこっぴどく叱られたのだろう。……環境破壊をしたのだから、それもそうか。
破天荒な人物だということは聞いていたし、実体験もした。それでもやっぱり、この人はどこかおかしいと思う。でも、そこが魅力的とも言えた。
自分たち四人は、王族と高位貴族という出自もあって、サンルシェルへの弟子入りが正式に認められたわけではなかった。戦う聖職者という役目の危険性を知っている親が、教会へ圧力をかけていることも知っている。
今の宙ぶらりんな状態は、そのせいだ。正式な弟子ではないから、彼の供としてついて行ける場所も非常に限られてしまっている。当然、教えを受けられる時間も制限付きだ。
教会がそうさせているというのに、彼らはまだ何も功績をあげていないから無能なのではないかとか、サンルシェルの教え方が悪いのではないかとか、好き勝手なことを言っているのだ。
聖女を召喚し、魔王を倒すことで無能ではないことを証明し、サンルシェルの株も爆上げしようと考えたのだが……彼が言う通り、あまりにも浅はかすぎた。
「だいたい、功績を残そうなんて考えなくていいんだよ。そんなもん、後から付いてくる。ただ、出世したいからっていう理由なら、俺みたいな外回りじゃなくて、内勤の方についた方が確実だぞ。外回りは楽しいけど大変だし、面倒くさいことが多すぎる。面白いけど」
飲め、飲めと勧められるので、師が淹れたお茶をいただいた。
少しぬるくなっていたが、文句なしに美味い。他の三人も同じ感想を持ったらしく、
「美味しいです……これは、どこの?」
ほ~っと息を吐いたカルミアがたずねれば、サンルシェルは
「プロクサだな。そこのスィーリヴィルヤっていう商会のヤツ。今、一番気に入ってる」
諸国をめぐるからか、サンルシェルは美味しい物をいろいろ知っている。土地の人との交流をはかるには、美味しい物を飲んだり、食べたりしながら話をするのが一番なのだそうだ。
どこに行っても、旅の話は喜ばれると彼は言う。知らない場所の話は、それが日常の何気ない風景であっても、熱心に聞き入ってくれるのだそうだ。
「私たちもそうですしね? ふふっ。聖女を召喚する方法を考えるより、貴男のお供ができるようになる方法を考える方が現実的でしたね」
お茶が入ったカップを両手で持ったデュランタが、肩をすくめた。
「その通りです! 帰ったら、さっそく両親を説得して教会の許可が出るように協力してもらわなくては──! みんな、がんばりましょう!」
カルミアがふんっと鼻息も荒く宣言する。
メラレカも「おうっ」と応じれば、殿下とデュランタも「ああっ」「はいっ」と力強く応じた。
尊敬する師と仲間がいれば、なんだってできる気がするメラレカだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ライティアたちが、サンルシェルの供を許されることになったのは、あの宣言からわずか一か月ほど後のことだった。秘されはしたが、緊急案件だと隣国の協会からサンルシェルを名指しして、派遣要請があったためである。
何があったのか、ライティアたちは聞かされていない。ただ、師から「お前たちも見ておいた方がいいと思って、俺からも同道を要請した」と言われただけである。
「緊急案件だから急ぐぞ」
「「「「はいっ」」」」
否やはない。次から次へと馬を乗り継ぎ、五日後には隣国へ赴き、そこから二日。
かなりの強行軍であったが、休む暇もなく目的地へと向かった。
ライティアたちが訪れたのは、隣国の都であり、近隣諸国に名を知られたヴィールテイン教会だった。連日、多くの信者が集まり、神への祈りを捧げているという話だったのだが、教会の周辺はひっそりと静まり返っている。
不穏な空気を象徴するように、ヴィールテイン教会の入り口は固く閉ざされていた。見上げる空は晴天だと言うのに、教会周辺を取り巻く空気は重く、ライティアたちの訪れを拒むようだった。
「正面からじゃなくて裏から入るぞ」
「は、はい」
サンルシェルに促され、ライティアたちは彼の後に続いて、教会の裏門へ急いだ。
「なんなのでしょうね、この空気」
「あぁ。ここに来るまでは暑いくらいだったのに、急に寒くなりやがったな」
「ヴィールテイン教会の中で、何があったのでしょうか」
デュランタ、メラレカ、カルミアが小声で言葉を交わし合う。この空気の重さから言って、呪詛の類が教会の中で行われたのではないかと、ライティアは予想した。
現場に入る前から、涙腺がじわりと緩んでくる。しかし、ここで泣いたところで何もならない。サンルシェルのような、民の心に寄り添える、戦う聖職者になりたいと希望したのは他でもない自分なのだ。この程度のことで泣いていては、そんなこと、夢のまた夢である。
裏門に近づくと、司祭が一人、落ち着かない様子で立っていた。彼は、サンルシェルの姿に気づくと、今にも転びそうになりながら近づいてきて、
「サンルシェル枢機卿猊下っ! おまっ、お待ちしておりましたっ!」
泣き声で彼を出迎えたのだった。サンルシェルは「待たせた。もう大丈夫だ」と彼をいたわり、「ここでできる話ではないだろう。中へ案内してくれないか?」と、彼を促した。
「はい、はいっ。ズビビッ。どっ、どうぞ、こちらですっ……!」
お供の方もご一緒にと言われ、サンルシェルの後について中に入った。
とたん、まるで地底の奥底に入り込んだような、じめっとしたかび臭い空気に包まれたではないか。
ここは聖なる家ではないのかと、毎日の務めをきちんとこなしているのかと、この教会に勤める司祭たちをなじりたくなってくる。
しんと静まり返った教会内部。都の中心近くに立つ教会だと言うのに、中は誰もいないようだ。
まるで、この中だけ時間が止まっているようだし、デュランタは「廃墟を歩いているみたいですね」とつぶやく。メラレカは
「まるでダンジョンみたいだ」と言葉を漏らした。
「ダンジョンの中って、こんな感じなの?」
ライティアたちの四人の中でダンジョンに潜った経験があるのは、メラレカだけである。
辺境伯家の嫡男がダンジョン狂いでは領民たちが不安を抱えるという理由で、彼は実家から放逐されたのだ。本人は「政治なんてオレにはできないからな。せいせいしたぜ」と笑っていたが、内心は悔しさでいっぱいだっただろうなと、ライティアは、彼の心中をおもんばかった。
メラレカは何も語らないので今の心境は分からないが、彼がその気になればいつでも話を聞こうと思っている。彼が語らずとも、日にち薬が効いてくれていればと、願う日々である。
「全部が全部ってわけでもねえけどな。こういう空気のダンジョンは、ときどきある」
カルミアの問いに答えたメラレカは「こっからは、気を引き締めていかねえとな」
「なら、いつでも攻撃態勢に移れるにしましょう。ライ殿下──」
「分かった。後ろに下がろう」
ライティアが得意とするのは回復であり、攻撃は不得手である。ほぼ横並びだった歩き方を変え、メラレカが前に出た。左右をデュランタとカルミアが固めてくれる。
「いい判断だ。でも、後ろの注意も怠るなよ」
後ろから聞こえてきた教え子たちの話声の内容をサンルシェルは、ご機嫌で聞いていた。経験は浅くても、そこから得たものを生かそうとしているし、周りもそれをきちんとくみ取れている。
頬の筋肉が緩むのを自覚しながら、サンルシェルは、振り返り
「ダンジョンって一口に言っても、実は二種類ある。一つは、自然に集まった魔力が形成するダンジョン。こっちは、個性豊かで面白い。うま味も多いから、冒険者好みでもある。もう一つがこんな感じ。瘴気が形成するダンジョンだ」
緊張を少しでも緩和させる意味もあって、ダンジョンについてのミニ講義を始める。
瘴気が形成するダンジョンは、個性なんてなく、うま味も少ない。ただ、闇属性のアイテムが手に入りやすいという特徴がある。
「自然発生したダンジョンと同じで放っておきたいんだが、入り口から常に瘴気を吐き出してやがるからそうもいかねえ。さっさとダンジョンコアを潰して、消滅させた方がいいんだよ。でないと、周辺の生き物が魔物に変じて、とんでもないことになるからな」
そういうダンジョンを見つけて消すことも、外回りの仕事の一つだ。瘴気由来のダンジョンは、なるべくなら消してしまいたい。自然由来のダンジョンにだって、闇属性のアイテムは出る。資源としての価値なんてないに等しいと思うのだが、お偉いさんは違うらしい。
「こっちがリスクが高いだけのうま味のねえダンジョンだって言っても、その土地を管理する貴族は、消滅許可を出さないんだよ。あの法律、マジでどうにかなんねえかなって思うんだけど。んで、結果として魔物が大繁殖して大きな被害を出すんだ」
教会でもそういう瘴気由来のダンジョンは絶えずチェックをしているのだが、完璧とは程遠い。結果として、辺境や国境近くの町や村で、魔物の大繁殖により大きな被害が出たという報告を数年に一回や二回、聞くことになってしまうのだ。
「こちらです……」
サンルシェルたちを先導していた司祭が足を止めた。元は会議室として使われていたというその部屋の扉が開くと──目の前に広がる凄惨な光景に、サンルシェルは絶句した。
「な、ん…………っ」
「うわ…………」
「げ。マジかよ……」
「なんてことを…………」
四人の弟子たちも言葉をなくしたようだ。吐き気をこらえる音も聞こえてきた。
無理もない。このような光景は、何度見ても言葉をなくす。
扉が開くと同時に、むわりと漂ってくるのは、死臭だ。教会全体の空気が淀んでいるように思っていたが、その淀みの原因は間違いなくここである。
広さからいって、元は会議室として使われていたのだろう。十数人は余裕で入れるほどの広さがある部屋は、机も椅子も何もない空き室になっていた。
部屋の窓は全てが固く閉ざされている。雨戸までピッチリと閉められているため、外からの光は一切入ってこない。
湿気がこもっているせいで、室内に入ると不快さが増す。もちろん、湿気のせいだけではない。
床いっぱいに描かれた、いびつな魔法陣。
その上に広がるのは、中心から外に向かってはねる、大量の血痕。床はもちろん、壁や天井にまで、その飛沫が飛び散っていた。
その跡から、少なくとも十人前後の人間が、ここで息絶えたのではないかと推測できる。
「先生、これは……」
教会を取り巻く空気が淀んでいたことから、ろくでもない結果になったのだろうと予想はしていたが……これは酷い。ライティアの呼びかけに、サンルシェルはため息をはき、
「聖女召喚に失敗した現場、としか聞いてねえんだ。何があったか、知ってるか?」
ここに案内してきた司祭へ問いかけた。彼は、真っ青を通り越して真っ白になった顔色で
「は、い。私もここにおりましたので……。聖女を召喚するにあたって、我々は何度も綿密な打ち合わせを行い、検討、検証を繰り返してきました。また、召喚にあたって、慎重に聖別したのです。何度も何度も念入りに」
何人が関係していたのかは分からないが、その様子がありありと想像できてしまう。
聖女を召喚する。
それは、前代未聞の一大プロジェクトになっただろう。ありとあらゆる召喚術の文献をあさり、聖女の記録を確認し、召喚用の魔法陣と呪文を構築していく。
魔の存在を近づけないように、本人が言うように聖別も念入りに行われたに違いない。それにより、この部屋を教会内で一番神聖な場所とすることができたはずである。
「召喚のための陣も描き終え、呪文を唱えると、陣が淡く光り輝き始めました。私たちは、召喚の成功を信じて疑いませんでした」
召喚の成功を信じた瞬間の気持ちを思い出したのか、司祭の顔がぱっと明るいものになる。
だが、それも一瞬のことだった。
「光はどんどんと強くなり、すぐに目を開けていられなくなりました。腕で影を作り、それでもまだ我々の目を焼く、強烈な光。立っていることすら難しくなり、膝から崩れ落ちそうになったその時、何もかもが真っ白になり、唐突にパッ! と光が消えたのです。光が消えて、我々が目を開けると、陣の中に一人の美しい少女が立っていました。年は十七、八といったところでしょうか。我々は聖女の召喚に成功したと喜びに沸き立ち、彼女に手を差し出したのです。状況が全く分からないからでしょう。彼女は恐る恐るといった感じで、差し出された手を取り、召喚の陣から出て……崩れ落ちたのです」
「は? 崩れ落ちた? 何故?」
デュランタが首をかしげる。突然、腰が抜けたり、足から力が抜けたりするものだろうか。どういうことだと全員分の視線を浴びながら、司祭は言った。
「マリオネットを操る糸がぷつんと切れたように崩れ落ち、同時に彼女の皮膚や肉が、彼女の骨がどろどろと溶けていったのです。まるでプディングの塊のようになった少女の真上には、黒いもやが浮かんでいました。そのもやには、顔のようなものがあり…………っ」
自分で自分の体を抱きしめ、司祭は言葉を詰まらせた。大丈夫かとライティアが、その背を撫でると、彼はほうっと息を吐き「大丈夫です」と気丈に答えた。
「そのもやの顔は、私たちを一瞥すると笑ったのです。嘲りを多分に含んだ、私たちを愚かだと罵倒するように高い声で笑い、その場にいた者たちをもやの体で切り刻んで殺したのです──! 床や壁、天井が血に染められるのを黙って見ていることしかできなくて……」
気が付いたときには、このありさまだったという。少女だったはずの塊も消え、共に聖女召喚の儀式に臨んだ上司や同僚の姿もない。何度も転びそうになりながら、部屋から飛び出し、誰かの姿を探すも──
「いないんです! 誰も、誰もっ、教会の中にいなくて! 口うるさいあの司祭長も陽気な下働きのおばさんも! 誰も、何もなくて……!」
今までこらえていたものが抑えきれなくなったらしい。司祭は、幼い子供のようにわあわあと泣きじゃくり始めた。彼ができたことと言えば、この教会の責任者の名前を借りて、サンルシェルの派遣要請を出すことと、教会の一部を修理するからという理由をつけた閉鎖処置だけだという。
「ずっと、ずっとっ、怖かったんです! ここに、独りぼっちでいたくなかった! 実家に帰ろうかとも思いました! いつもみたいに教会を解放することも! でもっ、でも、できなかったっ! そのせいで、仲間のように家族が、街の人たちが消えてしまったら……っ!」
「よく、よく頑張りましたね。お疲れ様でした。私はあなたを尊敬します」
はらはらと涙を流しながら、ライティアは司祭の体を強く抱きしめている。彼は繰り返し「もう、大丈夫だ」「安心してほしい」と司祭に言い聞かせていた。
本当に、慈悲深い青年だとサンルシェルは感心する。自分なら、あそこまで彼に寄り添うことはできないだろう。
「さて、司祭はライティアに任せるとして、デュランタ、メラレカ、カルミア。この召喚の陣について、思ったこと、気づいたことはあるか?」
「よっくもまぁ……ここまででかくて、細かいのを描けたなあって……」
メラレカの感想はシンプルだった。まるで、子供のような感想である。
「まあな」
昔、自分も同じ質問をされたことがあった。その時、メラレカと同じ答えを出したのだが、その時の指導官からは拳骨が返ってきたのである。思ったことを言っただけでしょうが、と抗議したら、二発目が飛んできたのは言うまでもない。
「なんですか、それ。まあ、これだけのものを描けと言われてもなかなか描けませんけどね。でも、それだけですよ。描いただけ、描けただけです。この陣は美しくありません。気分を害されることを承知で言えば、雑だと思います。その……どこかどう雑なのかと聞かれたら、困りますけど……」
次に口を開いたのはカルミアだった。
「あ、私もそれは思った。魔法陣を見る機会が何度かあって──。完成されたそれは、芸術作品のようだったし、そこに隠された何かをひしひしと感じ取れたのをはっきりと覚えている。でも、この部屋の床に描かれた陣には、迫りくるような何かがないんだ……」
司祭を抱きしめながら、ライティアが口を挟む。遠慮がちな様子なのは、意見を求められていないのに、発言したからだろうか。上目遣いでこちらを見るのは、反則だ。怒ってないでちゅよ~、と似合わない赤ちゃん言葉で、撫でまわしたくなるから。
「すごいな、ちゃんと見てたのか」
んんっと小さく咳ばらいをしてから、サンルシェルはライティアを褒めた。司祭を気遣うのに意識を向けていたようだから、魔法陣はちゃんと見ていないだろうと思って、サンルシェルは彼の名を口にしなかったのだ。褒めるところは褒める。それも、自身の教育方針である。
「そうだな。三人とも正しい。デュランタはどうだ?」
弟子の中で一番熱心に魔法陣を検めているのが彼だった。今もギリギリまで近づいて、指先を空中に滑らせながら、魔法陣の中のスペルをなぞっていた。難しい顔をした青年は、
「これ、スペルが間違っていますね。それから、呪文の構成も……これを見る限り、召喚の対象として、聖女を指定しきれていないと言うか……」
独りごとに近い回答ではあったが、これも正解だ。やっぱり、この四人は優秀だと思う。
「これだけのものを描いたってことは、それだけ時間をかけたってことだ。時間がかかればかかるほど、やる気とか集中力ってのは落ちていくもんだが……数のパワーで乗り切ったのかも知れねえな」
みんなで励まし合えば、やる気や集中力は続くし、補いあえる。
「ただ、やる気と集中力があればいいってモンでもないな。カルミアが言う通り、この魔法陣は雑だ。真円でなければならないのに、ちょっと歪んでる。線が均一の太さじゃねえし、スペルもな~。ここはちゃんとくっついてないし、こっちは逆にはみ出てる」
「え? そういうのもダメなんスか? こぉまけぇ~」
うげっと顔をしかめるメラレカ。気持ちは分かる。
「そうなんだよ、細かいんだよ。だから、俺は召喚術キライなんだよ。細かいから面倒だし、しんどいから。小さいミスが一つや二つならまあ、何とかなるんだけどな、それが増えれば増えるほどダメになる」
例えば、棚を作るとき。寸法が違うパーツが一つや二つあっても、何となくごまかすことはできるだろう。でもそれが、一つや二つではなかったら? パーツが増えれば増えるほど、ごまかしがきかなくなるものだ。
「描いた人間は、手抜きをしたつもりなんてこれっぽっちもないだろうが、こういうのは細かいところまできっちりしなきゃならんからな。結果として、雑な、力のない魔方陣になったわけだ」
サンルシェルは、ため息をついた。
「召喚する対象を指定しちゃいるが、これに関しても雑だな。回復術と浄化術が使える。若く美しい娘……何様だ、このヤロウ。それから、明るく優しく、努力家で慈悲と慈愛に満ちた者。不平不満を言わず、誰に対しても公平であり、寛容、寛大。……どれだけ夢をつめこんだんだ? いるのか、こんな人間。いねえだろ。どう考えったって」
召喚する対象の条件を読み上げながら、サンルシェルはあきれ果てていた。だが、現実として魔法陣は働き、誰か、あるいは何かがここに招かれたのである。
「……召喚されたモノは……どこに行ったんだ?」
サンルシェルのつぶやきは、デュランタの声にかき消されてしまった。
「そうですよ、先生──! そんな人間はいないと、私も断言します。ですが、それが人間ではなかったら? スペル間違いをはじめとした小さなミスがいくつもあるんです。召喚対象に関する条件がどこまで生きているのか……」
デュランタの声が震えている。どうしたのかと思ったのは、一瞬のこと。当たり前すぎて、見落としていた、最低限の条件。それは──
「この魔法陣には、どこにも召喚の対象として人間を指定していないんです!」
ぞっと背筋が凍る。
召喚した少女の身体を溶かしたと思われる黒いもや。教会にいたはずの人々は、誰もおらず、その痕跡さえ消えている……らしい。人間にそんなことは不可能だが、人間以外の存在となれば話は別だ。
「寛容、寛大という条件があげられていますが、それは誰に対してのものですか? 上げられている性格も、全ての人に対して、とは書かれていません」
「……勘弁してくれ……」
サンルシェルは額に手を当て、天を仰いだ。これはもう、一介のお飾り枢機卿の立場でどうにかできる問題ではなくなってきている。
となれば、近くの教会に行って本部へ連絡を取ってもらわなくては。この教会を活動拠点にはしたくないから、その教会で宿を借りて……と、今後の予定について頭の中で算段をつけていると、
「先生……? あの……魔法陣の中、中央のあたりに、何か結界のようなものがありませんか? そこだけ何だかうっすらと靄がかかっているように見えるのですが……」
目を細め、ライティアが魔法陣の中を指さす。靄と聞いて彼の腕の中にいる司祭が、ひっと悲鳴を上げたので、ライティアは慌てて彼をなだめていた。
「結界~? そんなも……いや、あるな。なんだ?」
ライティアに指摘されて、サンルシェルも初めて気が付いた。
魔法陣の中心が少し歪んでいるように見えることは気づいていたが、召喚術の名残だろうとさして気にも留めていなかったのである。それだけ巧妙に隠されていた、ということではあるが……
「よく気づいたな。ふむ……ライティアは浄化術、デュランタは攻撃魔法、カルミアは万一に備えて回復術の準備。メラレカは、剣を構えろ。俺が付与術を乗せるから──」
「魔法剣で、結界をぶった切ればいいんスね?」
「おう」
腰に佩いていた剣を鞘から抜き、メラレカはそれを構えた。四人の準備が整ったことをアイコンタクトで確認し、サンルシェルは、彼の剣に付与術で光属性を乗せ、
「やれ!」
「はぁっ!」
裂帛の気合とともに、メラレカが剣を一閃させるっ!
パリィンと高い澄んだ音が響いた直後に、すかさずライテイアが浄化術を放った。
結界に封じられていたモノが、悪しきモノであったことを考えての指示だったのだが、優秀な彼はこちらの意図をきちんと理解して、サンルシェルが促す前に術を放ったのだ。
付与術を使った直後、サンルシェルはすぐに攻撃魔法の構築に入っていた。デュランタの攻撃魔法で仕留めきれなかった時のことを考えてのことだったのだが……
「誰か倒れてるっ!」
剣を鞘にしまったメラレカは、魔法陣の線を踏まないようにぴょんぴょん跳ねて、中央へ行き、そこに倒れている誰かを抱きかかえ、陣の外へ連れてきた。
黒髪の黄色い肌をした少年は、顔色も悪く、ぐったりしていた。
「ずいぶん、衰弱しているみたいですね。この様子では、回復術は使わないほうがいいでしょう」
構築していた回復術を治癒術に切り替え、カルミアがそれを倒れていた少年にかける。
回復術は、術をかけられた人間の傷を治そう、体を元気にしようという力を加速させるためのもの。体力が著しく低下している人間には不向きなのだ。一方、治癒術は空気中の理力を使って、体を癒していく。こちらの方が、術をかけられる人間の負担が少ない。その分、術者の力量が問われるのだが。
幾分、顔色がマシになったところで、治癒術は終わり。あまり長く治癒術を使っていると、逆に体の負担が増えてしまう。そのあたりの見極めが、カルミアは秀逸だった。
「せっ、先生! 司祭が……司祭がっ……!」
「ん? あぁ、お前の浄化で逝けたんだな」
「逝けたって……え? だって、あの人は…………」
「アンデッドだ。人に害を与えるゴーストじゃなくて、人を導くガイドと呼ばれる方な」
外回りをしていると、ときどき出会う存在だ。本来であれば、彼らが行くべき場所へ行ったことを喜ばなくてはならないのだろうが……いつもさみしく思ってしまう。
ライティアは、彼の体を抱きしめていた。彼の体に触れた感触が、今でもしっかりと残っているのだろう。嘘だ、信じられないと小さくつぶやき、ぽろぽろと涙をこぼした。
「泣け、泣け。泣いていい。ガイドとは別れた方が良いって理屈じゃ分かってても、感情は嫌なもんだ。なんで死んでるんだって怒って、もう会えないじゃないかって悲しんで、寂しがって、落ち着いたら、冥福を祈ってやれ」
涙をこぼす彼を抱きしめるのは、デュランタだ。
「ガイドって、本当にいるんですね。僕、初めてお会いしました……」
「オレも。っつか、こんなに唐突にいなくなっちまうモンなんスか?」
泣いているライティアとそれを慰めるデュランタを見る、カルミアとメラレカも沈んだ顔をしている。
「いなくなっちまうなあ。あぁ、これで自分の役目は終わったって、こっちの気持ちも知らねえで、スッキリした顔して逝きやがるんだ。それが腹立たしくて、腹立たしくて……!」
アイツとかアイツとか、アイツとかな! 自分が死んであの世とやらに行った時は、全員探し出して、挨拶がわりに一発殴ってやろうと思っている。
それはともかくとして、
「とりあえず、場所を移動するぞ。ヴィールテイン教会のことを本部に報告しなきゃならんし、こいつのことも考えにゃならん」
はあとため息をついたサンルシェルは、メラレカが抱きかかえている少年を指さした。
「えっと……この近くとなるとペールホネン教会ですか?」
「よく知ってンな、カルミア」
「ステンドグラスのヴィールテイン。天井画のペールホネンって、有名だよ、メラレカ」
「ふぅん。シラネ」
聖職者を目指しているっていうのに、有名な教会を知らないってどういうこと⁉ と、カルミアが毛を逆立てているが、サンルシェルは、苦笑いするしかない。
「聖職者でも、興味のない分野のことは知らねえもんだよ。ただまあ、何かあった時のために派遣先の周辺に教会があるのか、あったら副祭神はどの神なのか、くらいは調べておいた方がいいな。駆け込み先になるかも知れねえから」
テルホトゥーヒ教は、多神教だ。どの教会も主神であるテルホトゥーヒとは別に、もう一柱か二柱の神を祭っていることが多い。むしろ、テルホトゥーヒだけ、という教会の方が珍しいくらいだ。当然、司祭もテルホトゥーヒだけでなく、別の神にも祈りを捧げる。
ちなみに、サンルシェルは、テルホトゥーヒの他に剣と戦、勝利の神フォトフーレを信仰していた。主神とは別にどの神を信仰しているかによって派閥ができていることは事実だが、教会はどの派閥の司祭であっても受け入れてくれる。受け入れなければならない、という決まりなのだ。
「ライティア、ペールホネン教会へ移動するぞ。そこで、ここのことを報告して、本部に連絡を取ってもらって。それから、飯と風呂とベッドだ。その後のことは、起きてから考える」
「は、はい……っ」
デュランタに支えてもらいながら、ライティアは立った。一頻り泣いたからか、だいぶ落ち着いてきたようである。
「先生、これからもこういうことはあるのでしょうか?」
「あるだろうな。そのたびに、泣いてわめいて怒鳴り散らしたくなるけど、ガイドと会わなきゃよかったって思ったことは一度もない。あぁ、でもあれだな……あいつの名前、聞きそびれちまった」
急いでいたとはいえ、失敗した。しまったなとサンルシェルは、ため息をついたが、
「調べます。絶対に」
力強く言い切ったライティアは、涙の跡を手の甲で拭ってきっぱりと断言した。
「あぁ、そうだな」
「名も知らない司祭では、私たちの祈りが届かないでしょうからね。調べましょう」
デュランタが言えば、メラレカとカルミアも「手伝う」と声をそろえた。
この後、保護した少年が目覚めたことにより、ガイドとなった司祭が教えてくれた黒いもやを追いかけることになるのだが…………それはまだ先の話である。
続かない! この後に関しては、なんにも考えていません。