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名もなき覇の系譜  作者: こく
第四話 覇の系譜に連なりて
9/12




 家屋は二階建てで手狭だった。土台に石が使われ、潮が満ちても届かないよう高く造られている。

 通された居間は他の家と同じよう中央に囲炉裏が設けられ、その周りに四人が座れば、それなりに窮屈だった。他の男たちは集落に戻るか、家の前で控えているらしい。

 複数で住むことを想定されていない家。覇という少年が一人で暮らすためのものだ、と白狐は思う。人々から隔絶されている孤独な彼に、昔の自分が重ならないでもない。

 海水に浸かった体はもう随分と乾いている。夏の夜の気温は心地よかった。身動きすると、塩だか砂だか区別つかないものが髪から零れてぱらぱら音を立てる。

 一番奥の座に腰掛けたのは覇だった。その右手側で胡坐をかいた大家(ダージャ)が、白狐に向けておもむろに彼を指し示す。


「うちの孫だ」


「あまり……似ていませんね」


 場違いな感想が口をつく。それくらい似ていなかった。年齢による変化の過程を差し引いても、顔の部位、佇まいや仕草。彼らにぴたりと重なるものはひとつもなかった。

 薄暗い室内でも、覇の透き通るような白皙は際立っている。黒髪の間から覗く額の形が美しい。俯き加減の目は、光の加減で気まぐれな炎のように濃淡を変えた。

 彼は大家(ダージャ)にも、この集落の誰とも似ていなかった。もし似ている者がいるとするなら、それは千伽しかいない。

 大家(ダージャ)と長明は、白狐の反応を具に窺っている。腹の中を入念に探られている。白狐は、先程の覇の言葉を思い出した。


「この男には、俺たちのことを知る権利がある。俺たちもまた、知る必要がある」と。


「あなたたちは、僕の何を知りたいのですか?」


 投げかけた問いは率直だった。最早隠し立てする必要はないと思った。その意思は大家(ダージャ)に届いただろうか。彼は独特の間を置いて、答える。


「俺たちが知りたいのは」ひとつ息を吸った。「あんたが、この“覇”のことをどうしてそんなに気にかけたのか、その理由だよ」


 白狐は一度覇の方を見る。彼は片肘をついて素知らぬ顔をしていた。ああ、その横顔さえも。


「僕の幼馴染に似ています」


 きっぱりとした声で言う。長明が僅かに顔を上げた。


「いえ、似ているという言葉では足りません。似すぎています。気味が悪いくらいに」


「じゃあ、その幼馴染とやらは……」


 大家(ダージャ)の胡乱気な眼差しに、初めて生気らしきものが宿る。「……都の貴族だったりするのかい?」


 白狐はゆっくりと頷く。彼らの表情に渦巻く感情は、畏怖と驚きと、やはりそうかという安堵が綯い交ぜになっていた。それらを噛み締めているかのように、重たい沈黙が落ちる。


「そうか」ようやく口を開いたのは大家(ダージャ)だった。「やはり朝廷の貴族だったか」


「……」


「八家の貴族の内に、稀に白い髪を持って生まれる家系があると聞いたことがあったが、本物を見るとなかなかどうして、奇妙なもんだな」


 褒められている気がしなかった。実際大家(ダージャ)は褒めるつもりなど微塵もないのだろう。その反応は白狐には最早新鮮に映った。


「気付いていたのですか」


「何となく、そうなんじゃないかとは思っていた。だが……ああ、そうかい。そういうことかい」


 白狐が八家の貴族のどこに属する家なのか、彼らは聞くことさえなかった。興味がなかったのだろう。大家(ダージャ)はおもむろに煙管を引っ張り出し、懐から探し当てた煙草の葉を詰めて火を点けた。

 ほどなくして煙の匂いが立ち込める中、白狐を見透かしたよう長明はゆっくりと言う。


「私たちは、()()()()()()なのです」


「同じ?」


「はい。かつて、〈()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 しばらく声が出なかった。言葉を紡ぐはずの唇がぴくりとも動かない。「どういうことですか?」とようやく口から出る。


「そのままの意味です。我々は──この集落の者は、月天子の子孫です。一人残らず」


 白狐の脳に様々な感情が過った。淡々とした長明の口調が、余計に困惑を掻き立てる。

 彼はまるで、何でもないことのように語る。そこには月天子の血の畏怖や信仰といったものがまるで感じられない。やがて白狐の思考が、疑念や怒りのようなものに帰着したのも自然なことだった。


「そんな馬鹿な」


 長明は肩を竦める。その反応さえ見透かされていたかのようだ。


「信じられないのも無理はありません。歴史は我々の存在を排除しました。『天介地書』は月天子の子孫にあたる血縁が八家に分かれたと語っていますが、()()()()()()であるはずがないのです。本当は、もっと沢山いました」


「沢山……?」混乱した声が出る。


「はい」長明は居住まいを正して白狐を見る。「如何にして現在の孑宸皇国の第三王朝が始まったか、ご存知ですよね?」


 ぎこちなく頷く。『天介地書』に全て記されていることだった。かつて〈月天子〉が東大陸を平定し、統一したのが第二王朝時代。そして、〈月天子〉が突如行方を晦ませ、その子孫が跡を継いで皇国を治め始めたのがこの第三王朝時代だ。


「王朝が移り変わるとき、都では内乱が起こったのです」


「それは、聞いたことがあります」


 何の前触れもなく姿を消した、月天子の後釜を巡る貴族同士の争いである。その経緯を『天介地書』は多く語らない。どのようにして第三王朝初代皇帝がその座についたか、恐らく詳しく記録するのは現在の王朝そのものの沽券に関わるのだろうということは白狐にも何となく想像できる。

 『天介地書』は、皇帝にとって不都合な真実を語らない。


「では、あなたたちは内乱によって都を離れざるを得なかった、貴族の一派ということなのですか……?」


 沈黙を経て、「いや?」という大家(ダージャ)の不機嫌そうな声色に、白狐は結論を急ぎ過ぎたことを悟った。長明が代わりに口を開く。


「あの時代は我々も含め、月天子の血を引く、或いはそれを自称する家々が乱立した時期でした。誰もが後継者の座を求めて争う中で、ある家は没落し、ある家は併合し、ある家は市井に溶け込み──そして我々の先祖は、都を出ていくことを選びました」


「それは……何故?」


「都にいるべきじゃなかったからだ」


 答えたのは大家(ダージャ)だった。「あの都に、俺たちが残る価値がなかったからだ。それは今も変わらねぇ」


 彼は、内乱によってここまで逃げたのではなく、自分たちで選択して出ていったのだということに強く拘っているようだった。理由を訊ねるまでもなく、彼は続ける。


「誰もが贋物の癖に、帝冠を欲しがった。そうしてどこの馬の骨とも知らない男が、月天子の孫を名乗って皇帝となった。俗に塗れた帝冠に価値なぞあるものか」


「だから、出ていったと?」


「そうとも。誰も、皇帝になんぞなるべきではなかった。月天子の後釜に相応しい奴なんか、いなかったんだ。俺たちのご先祖も含めてな」


 全員が黙る。大家(ダージャ)の言葉は、耳が痛かった。かつて儲君として帝冠を争ういざこざの中に身を置いていた白狐としては、時代は違えど残念ながら覚えのある話である。

 朝廷を支配する八家の貴族は、神聖な月天子の子孫たる権を振り翳し、その癖誰もが生き残ることに必死だった。阿諛追従こそが最上の処世。力あるものにしがみ付くためなら、媚び諂うことも裏切ることも平気でやった。

 程度の差はあれ、白狐の父親もその一人だったのだろう。そうでなければ息子を帝座に就けることにあれほど固執するはずがないのだ。白狐は父親の言いなりだった。俗に塗れた帝冠とはまさに、当時の白狐が抱いた違和そのものである。

 多分、そうしたやり方で月天子の後継者に()()()とすることが正しくないと、誰もが何となく知っていただろうに。


「俺たちの先祖は月天子のいなくなった都を見棄て、この長遐の裏に住み付いた。恐らく途方に暮れていただろう。どうしようもなく堕落した朝廷を正そうにも、天子は既にいない。この国を治めるに相応しい皇帝は、月天子だけ。世俗に沈んだ皇国が、いつか瓦解するのを待っていたのかもしれない」


「……」


 だが、と大家(ダージャ)は煙を吐き出し、小さいが存在感のある声で言う。「ひとつだけ、ご先祖は間違えていたのさ」


 彼らの視線が、自然と覇の方へと向いた。覇はすっかり話に飽いたように、しなやかな指先を付けたり離したりして不思議な暇潰しに興じている。

 不意にその指先から何か生命が生まれやしないかと、千伽をよく知る白狐は身構えそうになった。幼馴染はそうやって幻覚とも本物ともつかない何かをつくり出して退屈を凌ぐのが好きだった。


「祖先がここに住み付いてしばらく経った後、“覇”が生まれたのです」


 長明が静かに口を開く。僅かに俯いた彼の顔には半ば翳がかかり、その言葉を口にすることを畏れている響きがあった。大家(ダージャ)も幾分固い口調で続く。


「月天子は跡形もなく消え去り、その子孫の肩書きは出任せか、家系図の中の話でしかない無意味なものと思っていた。だが、違った。月天子は確かに、俺たちに遺志を託していったんだ」


 一度息を吸った。「それが覇だ」


 少年は我関せずとばかりに宙を見つめている。白狐はやや混乱した。


「この子が……生まれたのですか?」


 いえ、と長明が首を振る。


「覇は、我々の中から極稀に生まれる特別な子どものことです。一度に何人も生まれることはない。ぱたりと途絶えたまま、何代も生まれないこともあります」


「特別……」


「それこそ」白狐の疑問を長明が塞いだ。「あなたが一番、ご存知かと思いますが」


 覇は、体を床に投げ出して寝転んでいる。だらしない格好も、彼がやると様になっていた。そうした些細な仕草にも気品や妖艶さが宿るのは、白狐にも覚えがある。誰よりも千伽を傍で見てきた自分が、彼を似ていると感じるのだから間違いない。


「“覇”という言葉の意味は知っているか?」


 大家(ダージャ)に訊ねられ、白狐は顔を上げる。心なしか試されているようだった。少しずつ疑問が氷解していく手応えを感じる。


「“武を以て治めるを覇道と云い、徳を以て治めるを王道と云う”……」


 口から出たのは、幼い頃に学んだきりの書物からの引用だった。“道”とは政治における理想の在り方で、武力で支配することを覇道と呼び、徳によって治めることを王道と呼ぶ。

 かつて東大陸で戦乱が絶えなかった頃は、この“覇”の在り方が盛んに持て囃されてきたが、第三王朝以降は比較的平和な世相も相俟って、為政者の徳を重んじる“王”を信奉する方向に変わってきていた。


「政治論の教養はあると見える」


「これほどの辺鄙な地に住みながら為政の道を語るあなた方が、僕には奇妙に思えます」


「そうか」大家(ダージャ)は何故だかそこで少し笑ったように見える。「帝の威光もこの地には届かぬと?」


「……いえ」


「いや、その通りだ。朝廷の目はこんなところになぞ向かんだろう」


 それでいいのだ。小さく呟いた、彼の声は暗闇に溶ける。幾分かの沈黙を経て、長明が覇を指し示した。


「仰る通り、覇とは武力で国を支配することに長けた、ある種の才能です。彼らは問答無用に人々を惹きつけ、足元に傅かせます。それは生まれながらに宿るもので、我々が如何に努力しようと覇には為れません。覇とは生まれながらに覇なのです」


 耳鳴りがするようだった。覇とは生まれながらに覇、という言葉を繰り返す。かつて千伽と交わした様々なやり取りが、彼に抱いた羨望と劣等感が生々しく蘇っては消えていく。白狐の顔は青褪めていただろう。

 恐らく長明はそれに気付きながら、構わずに続けた。


「我々の血族から“覇”の子どもが生まれるようになったとき、ご先祖様方はそれを月天子の正統な後継者だと考えました」


「月天子の、正統な後継者……」


「それは紛うことなき事実です。月天子は、王ではなく覇でした。雰王山で卵から孵った彼は、そう在るべくして皇国を支配したのです。その系譜は今も受け継がれ、月天子の血を引く者たちの中で時折顕在化するのでしょう」


 僕の幼馴染もまた“覇”なのでしょうか、などとわざわざ聞くまでもなかった。そんなことは、白狐が一番分かっている。

 しばらく静寂が満ち、暗がりの中で覇が身じろぎした。視線が集まったことに気付いたのか、お伽噺の終わりを結ぶように、少年はつまらなそうに口ずさむ。


「そうしてこの村は、覇を護り、閉じ込めるための箱になった」


 箱? そう訊き返しかけた白狐の脳裏に、この村で目にしてきたことが不意に巡る。外から客が来ない集落、不思議な歌を歌った子どもたち。この村は皇国の外にある、と口を滑らせた敏。そして、腐敗した都を出て行った彼らの祖先たち。

 点と点が繋がるような感触は、最初の疑問を呼び起こす。白狐は大家(ダージャ)に問うた。


「集落の長を大家(ダージャ)と呼ぶのも、偶然ではないということですね」


「ええ、そうです」答えたのは長明だった。「この集落を治める者は、伝統的に皇帝と同じ名を背負います」


「大した意味なんてないのさ」


 謙遜なのか投げ遣りなのか、大家(ダージャ)の唸り声は判断がつかない。


「俺なんてただのお飾りだ。月天子の血こそ引いてはいるがね、何の有難味もない。あんたの髪と同じだ」


 出会ったときに、大家(ダージャ)に言われたことを思い出す。彼はきっと、白狐が朝廷に縁のある貴族だと初めから推測していたに違いない。

 彼らはこんな辺鄙な地に住んでいるのだから都のことなど分かるまいと高を括っていた過去の自分の何と能天気なことか。

 歯噛みする白狐を横目に、長明は大家(ダージャ)は多数決で決めるのだと教える。この集落ではそうやって物事を決めるのが掟なのだ、と。


「覇が生まれたとき、大家(ダージャ)とその血族は番人となります。覇を護り、同時に人々から遠ざけるために」


「何故、遠ざける必要が?」


「覇が子どもを作らないためです。覇が男であれ、女であれ、子孫を残すことは絶対にあってはならないのです」


 白狐は眉を顰める。絶対に、という言葉が引っ掛かる。そんなこと可能だろうか。それに、覇を月天子の後継者として認めている割に、それを集落の外から徹底して隠すことは矛盾しているように思えた。


「それは……何故?」


「覇が、普通の者ではないからです」


 長明の物言いは淡々としている。義務感というものが隅々まで行き渡っているその言葉遣いは、いっそ心地良くもあった。


「この集落を象徴とする神聖であると同時に、全てを破滅に導く脅威でもあります。覇が血を繋げば、必ずその一族は力を持ち、集落の内部の均衡は崩れ去るでしょう」


「だから、覇が生まれたらその一代で打ち止めにしなきゃならない」


 大家(ダージャ)の仄暗い言葉は、暗澹としたものを飲み下したような実感が籠っている。彼らは実際にそうして何世代にも渡って、代わる代わる覇を封じ込めてきたのだろう。例えそれが血の繋がった孫であろうと。


「もっと恐ろしいのは、この村の覇がその野望を以て皇国に反旗を翻すこと。我々は何としてでも争いを避けなければなりません」


 その予見はぞっとするが、考えてみれば有り得ない話ではなかった。

 武力で人々を支配することに長けた覇はその性質上、平穏とは程遠い人生を送る運命にあるのかもしれない。力があれば振るいたくなるのが人の性だ。これまで生まれてきた覇の中には、実際にそうした支配欲に駆られた者も少なからずいるのだろう。


「我々の祖先の予想に反し、月天子が不在となっても皇国は滅びることなく、今日まで続いています」


 長明の目が宙をなぞる。それから白狐を見た。


「それは、王道という新しい在り方が重んじられるようになったためです。覇は、もう古い。今の皇国には不要なばかりか、争いを生む危険な火種とも言えます」


「ああ──」


 思わず声が出た。視線が集まるのも構わず、白狐は静かに顔を覆う。かつて幼馴染が帝冠を正式に辞退したとき、彼は笑いながら白狐に告げたのだ。「()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()」と。

 あのときは何となくはぐらかされたような、口の上手い千伽に言い包められたような気分になったものだが、今なら分かる。千伽と──その父親は、覇という言葉こそ使わなかったものの、千伽の持つ魔性が如何に危険か、知っていたのだ。

 人々の頂点に立つ才がありながら、国家に争いの火種を撒きかねない危険を自ら先んじて潰した幼馴染のことが、何百年もかかって今ようやく白狐が辿り着いた答えを端から手に入れていた彼のことが酷く懐かしく、妬ましかった。

 束の間、様々な感情が吹き荒れた白狐を気遣うよう、長明は口を噤む。暗闇に、大家(ダージャ)の煙の吐き出す掠れた音だけが静かに響いた。

 顔を上げる。自分がどんな顔をしているか分からなかったが、長明はどこか悲しげに、囁くように言った。


「いつか、覇が再び皇国に必要とされる時代が来るかもしれません。野望と魔性、武を以て人々を支配しなければならない時代が」


「……」


「そのときまで我々はこの集落を世俗から隠し、護ります。ええ、そんな時代が来ることのないよう我々は心から願っていますが」




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