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色は匂へど  作者: 拾遺
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バンドマンの彼

小さなステージで鳴らされる真っ白なギター。


その演奏に負けないくらいに迫力のある歌声を聞けば、もう彼の魅力から逃れることはできない。


眩しい照明に彩られた彼は、まるで美しく咲き誇る花のようだった——。





私と彼の出会いはとあるライブハウスだった。


大学の友人に押し付けられたチケット。調べてみたら案外値が張るらしく、勿体ないので仕方なく足を向けた。


狭い店内にはたくさんの客が詰められていた。正直帰りたいと思ってしまうくらいには息苦しくて、そっと壁際に移動してライブが終わるのを待っていた。


縮こまった私に目を止める人なんていない。


皆ステージに向かってカラフルなサイリウムを振り、楽しそうに声を上げていた。


そんな熱狂の中で、早く終わらないかなぁ、帰ったら明日の課題やんなきゃなぁ、なんて床を眺めていた私は、今考えてみれば物凄く場違いだったと思う。


でも、そんな私の視線は彼の登場によってステージに釘付けにされてしまった。


彼がステージに現れると周りの空気が一気に熱くなった。


歓声も一際高まり、どうやらこれで最後らしい。


やっと帰れる。

そう思っていたはずだった。


——気がつけば、私は食い入るように彼を見つめていた。


黒髪に黒いパンツ、さらに黒いブルゾンを羽織った彼は、真っ白なギターをかき鳴らしながら歌う。


二色のコントラストが照明に映える。


「すごい…!」


知らない人の知らない歌。


時々英語の歌詞を混ぜながら、会場の熱気をも取り込んでどんどん激しさを増していく。


ステージで視線を集める彼はまるで美しく咲き誇る花のようだった。


どうしよう。…離れられない。


瞬きも忘れてしまうほどの時間はあっという間に過ぎていく。三曲ほど歌った彼は、喝采を受けて観客に手を振ってステージから消えてしまった。


『僕らの曲が、あなたに届いていますように』


そんなカッコイイ台詞を残して。


段々とまばらになっていく人混みの中で、私は一人動けずにいた。


そんな私を心配したスタッフの人が声をかけてくれて我に返ったけれど、それどころではない。これは大変なことになった。


好きだったアイドルたちが呆気なく霞んでしまうくらいに彼の姿が頭から離れない。


どうしようもなくテンションが上がってしまった私は、登場時の自己紹介を聞き流したことを後悔しつつ、最後に彼が告げたバンド名を頼りにネットで検索をかけた。


SNSですぐにヒットした彼の名前は“馬渕ツグハ”。


四人組バンド“Sasanqua”のギターアンドボーカルである彼は、今はそれほど有名ではないらしい。

知る人ぞ知る、という感じ。


でもあれほどの腕だ。きっとすぐに有名になる。


そこはかとない優越感と興奮に、私はいつまでも眠ることができなかった。





そんな刺激的な出会いから半年。

私はできる限り彼…ツグハのライブに参戦した。


大学生の身としては多額のお金を費やすことはできない。それでも新しく出たグッズやブロマイドは必ず買ったし、自室にはツグハのポスターを何枚か貼っていた。


今日もいつも通り彼のライブに行き、その爆発するようなエネルギー溢れる歌声を堪能した。


最寄り駅で電車を降りると辺りはすっかり真っ暗だ。

この辺りは住宅街なので人の数は少なくない。だがあまり発展しているとは言えず、どこか昭和感漂う街並みを呈している。


寺を横目に踏切を渡ると、立ち並ぶ飲食店はほとんど明かりが消えている。


たしか今日は両親が仕事で帰るのが遅いと言っていた。


この時間なら疲れて寝ている頃だろうし、食事を作らせるのはさすがに忍びない。


今しがた通り過ぎた営業中の寿司屋を思い出し、パック寿司でも買って帰ろうかしら、と足を止めた時だった。


「わっ!?」


間の抜けた男性の声と共に肩への軽い衝撃。

冷たい何かが私の服を濡らした。


何だこれ…と思っていると、暗闇の中で誰かが頭を下げた。


「す、すみません!ぼうっとしてて!」


少しあけて液体の正体がアイスコーヒーだと気がつく。


どうやら急に立ち止まった私にぶつかって、持っていたコーヒーを零してしまったらしい。


俯いているその人の様子に、とりあえず笑顔を向ける。


「こちらこそすみません。急に止まってしまって」


あわあわとハンカチを出してくれた好意に甘えて服を拭うが、そんなもので拭き取れる程度の汚れではなかった。


まじか、結構この服気に入ってたんだけどな…。


落ち込んでいるのが伝わってしまったのか、その人は申し訳なさそうに再び「すみません」と呟いた。


「今手持ち少なくて…クリーニング代くらいなら出せますから、」

「あ、いえ…大丈夫ですよ。別にこのくらい…」

「でも…」


彼はそっと私の肩を撫でた。


慣れない感覚に少し震えてしまった私に、彼は言う。


「大切な服なんでしょう」


切なげに発された“大切”という言葉。


それは彼の口から出た途端、他の人では有り得ないような重みを持って私の鼓膜に溶けていった。


まるで私と彼の周りだけ時間が止まってしまったかのようにすら感じる。


動けないでいる私に、彼は寿司屋の方を一瞥した。


「服のお詫びというのが嫌なら…あそこの寿司を奢ります。気が向いたってことで」

「あ、いや、その…」


駄目ですか、と尋ねる彼の表情は見えない。


しかし彼の真っ直ぐな声音を聞いてしまったら、彼の申し出を断ることなどできなかった。


私が小さく頷いたその時、ちょうどやって来た電車が彼の顔を照らした。


「…え、」


彼から向けられた優しげな視線。


それには、明らかに見覚えがある。見間違えるはずがない。


そしてその背中に背負っているもの、それはもしかして——




照明に輝く真っ白なギター。

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