百度の恥とキミの愛
「ん」
箸につままれたほうれん草が口元に差し出された。
その下には白くて細い、けれど柔らかそうな手が添えられている。
「『ん』って言われても……」
「なぁに。 別に食べたくないっていうのなら、食べなくてもいいわよ」
「さすがにクラスで、あーん、は恥ずかしいんだけど……」
「いつもやってるじゃない」
「いや、だってそれは……」
断れるはずもない。
クラスでこんなことをやってたら注目を浴びる。
「おいおい、イツカちゃんのお願いを断るのか~?」
「えー、かわいそ~」
恥ずかしさを耐えるのと、クラスから冷たい目で見られる。
それなら、一時の恥を乗り越えた方がいい……はず。
「あ、あ~ん」
「はい。 どう、おいしい?」
「うん。 おいしいよ」
くたくたになったほうれん草の食感と、バターの風味が口に溢れる。
「キミ、これ好きだもんね」
ほうれん草のバター炒め。
冷めていてもちゃんと味がするから気に入っている。
「ん」
「『ん』って言われても……」
「もう、毎日やってるじゃない! ん!」
イツカは少しだけ口を開いて、ひな鳥のようにお弁当を待っている。
今度はこちらが、あーんをする番だ。
彼女が好きな一口ハンバーグを半分に切って、箸でつまむ。
「はい」
そのままゆっくりと箸を口の奥に進ませた。
つるりとしている唇は、何度見ても鼓動が速くなる。
ハンバーグが舌に乗ったとき、絡め取るような舌の動きに、目は釘付けになってしまう。
「うん、おいしい!」
「あ、あはは。 よかった……」
バレてはいないようだ。
もう付き合い始めて、こんなことをするようになって何か月も経つんだから、いい加減慣れないと。
今日もクラスの人に見守られながら、なんとか昼食を終えた。
放課後。
彼女の部屋にお呼ばれしていた。
薄い桃色のベッドシーツの上で、肩を寄せて座っている。
「やっと落ち着けたね」
落ち着いたもなにも、忙しかったことなんてなかったと思うけど。
でも、彼女が言っているのはそういうことではないんだとも察していた。
「ふふ。 二人きりだね」
いい香りと共に、左肩に力が加わった。
さっきよりも彼女の体温を感じる。
「ごめんね。 今日のお昼」
「う……うん。 やっぱりああいうことはさ」
「またお母さんが作ったお弁当で」
やめようよ、と言おうとしたが、違うことで謝られた。
「いいんだよ。 毎日お弁当作らせてしまったら、逆に申し訳ないよ。 イツカは夜遅くまで勉強してるんだし」
「うん、ありがとう」
イツカは学校での強い押しが嘘かのように、小さな声で呟いた。
「それに、こっちの弁当だって親が作ったやつだし」
「それはおいしいからいいの」
「あはは、同じ気持ちだよ」
違う人間なのに。
性格だって全然違うのに。
同じ気持ちで過ごしているということに、愛おしさを感じる。
「ねぇ、私って重くない?」
「うーん……重いかなぁ」
イツカがパッと姿勢を正してこちらを向いた。
「そ、そうだよね……。 毎日お昼にあんなことしてるし、ほぼ毎日部屋に来てもらってるもんね……」
しおらしくなる彼女は、本当に学校とは違う。
こういうギャップがあるところは、子どもらしくてかわいいと思う。
「でも、嫌じゃないよ。 嫌だったら言ってる」
できればお昼の、あーん、はやめてほしいけど。
でもそんなことで嫌いにはならない。
それに、イツカの扇情的な姿に抗えない自分もいる。
「きゃっ」
お昼のことを思い出した瞬間、左手を伸ばして彼女の肩をもう一度引き寄せた。
彼女は驚いているものの、じっとこちらの目を見つめている。
今まで見たことないくらいに濡れた瞳で、続きを待っている。
これ以上言葉はいらない気がする。
いいや、一つだけ。
彼女の強い思いに答えないといけない。
「すき」
「……うん。 んっ」
柔らかな唇を傷つけないよう、そっと思いを重ねた。