第3夜
「魔物憲章によれば、魔王の跡継ぎ選びが始まると跡継ぎ候補同士の戦いは禁止され、決闘をした場合は両者の継承権を剥奪するそうだ。クードとガルマンダは父王の期待を裏切り、跡継ぎ競争をリタイアしてくれるのか?」
今にもぶつかり合うすんでのところで、魔王の五番目の王子エスカルペイドがにこやかに割って入りました。
「なんだと、跡継ぎじゃなくなるだと!? 本当かクード」
「ふ、ふん、わらわが知らぬはずなかろう。もちろんそうじゃ。お主ごときと直接争う気など全然なかったのじゃ」
「ふふ。さあ、ふたりとも! もう競争は始まっているのだ。早く人間の味方になってこなければ」
エスカルペイドに促され、クードもガルマンダも我先にと急ぐ気持ちで心はきゅっとしまった紺色になりました。クードはどっしんどっしんと、ガルマンダはバッサバッサと、それぞれの全然ちがう体で神殿を出ていきました。
「エスカル兄様、魔物憲章っていうのには脱落のルールが決まっていたの?そんな大事なこと、どうして魔王や神官は説明しなかったのかな」
ロックスは気になってエスカルペイドに聞いてみました。あのすぐ喧嘩になってしまうふたりにはとても不利なルールです。
エスカルペイドの代わりに、ペンデルフィアがため息を吐きながら教えました。
「魔物憲章というもの自体が、うそである……。クード姉上とガルマンダ兄上の諍いをやめさせるためにだましたのだエスカルペイド兄上は」
「ふふふ、ペンデルフィアの言う通りさ。ふたりの急ぎようといったら、おもしろかったろう?」
ロックスは、エスカルペイドの、冗談を信じ込ませるようなところが少しだけおそろしくも感じます。でもこれは、エスカルペイドなりのクードとガルマンダが怪我をしないための方便でした。
ロックスがエスカルペイドを少し苦手に思うのは、言動だけのせいではないかもしれません。兄に悪いとは思いつつ、ロックスはエスカルペイドの匂いが得意でないのです。
エスカルペイドはクードからロックスまでの四体よりも上の世代のこどもで、魔王と半魚人から生まれました。半魚人というのは、人型で、二足で陸を歩くのですが、全身鱗があり頭が魚で腕などに水かきがある、水中で暮らす種族です。半分魔王に半分半魚人なので四分の一魚人というわけではありません、エスカルペイドも半魚人の姿をしています。とてもよくできたひとで機転が効くのですが面白がるのが好きで、笑顔は人間の目には少し不気味に映ります。ロックスが苦手とする匂いは、魚くささや潮の香りが半魚人の肺とエラ両方を用いて行う独特の呼吸で強く広がるためです。
「クード姉様とガラマンダ兄様は、魔王のこども同士では戦えないと思い込んだまま冒険を進めていくんだね……」
ふたりの行く末が不安なロックスは呟くように言いました。
「良い薬かもしれぬな」
すぐ上の兄・姉をなだめるのに何十年も骨を折ってきたペンデルフィアはちょっと嬉しそうです。
「あの力持ちふたりが出発してしまったのだから、私たちものんびりしていられないぞ」
にこにこしたエスカルペイドはさも旅立ちが楽しみなようにロックスとペンデルフィアのお尻も叩こうとしてきます。
にこにこ顔のエスカルペイドの心に、どぎまぎする赤紫が見え隠れして、ロックスは不思議に思って見つめました。ロックスとエスカルペイドは間に六体も兄弟姉妹が挟まって三百も歳が違うのですから、ロックスにはエスカルペイドの考えを探り当てることはちょっと出来ません。でも、なんとなく何か隠しているような、遠ざけようとしているような、変な感じがします。
そもそも、魔王が恒久魔王になるおめでたい式典に出席するこどもの少なさも気になってきました。これまでに登場した五体以外の魔王のこどもは、誰も来ていないのです。魔王クロスも特段それを気にせずに、跡継ぎの決め方を発表しました。ロックスは気になってきました。
でもペンデルフィアは珍しく朗らかに、ロックスの手を引き促します。
「よし。ロックス、我らも冒険を始めるべきだろう。行こう。我はまず、郷に帰るとしよう」
エスカルペイドに見送られ神殿を出たところで、ロックスはペンデルフィアに問いかけてみることにしました。