表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Whatever  作者: けいぞう
76/78

76.ヒロカ

 二年という月日が経っても、この町は何も変わっていなかった。

 錆びたシャッターとアーケード。

 本当に営業しているのか疑いたくなるようなひっそりとした個人商店たち。

 思い返してみると、私が小さい時から大した変化は起きていない気もする。

 時間が止まったような町並みは、五年先、十年先も同じ佇まいを保っているんじゃないかと思わせる。

 もし来年、私がどこか全く違う町の学校に進学して、数年間ここを離れることになったら、少しはホームシックにかかったりするんだろうか?

 引越しも転校も経験したことのない私には、それこそ想像することもできない。


「こんにちはー!」


 薄暗い照明の中に、代わり映えのしないラインナップのギター達が陳列されている店頭。

 ナカシマギターショップも、一昨年の春と同じように感じた。

 昔は何故かここを、自分とは全く縁のない人種がたむろする怖い場所だと思っていた。

 今では、加湿された空気も、静かに流れるエリック・クラプトンも、すっかり馴染みのものとなっていた。

 カウンターに誰もいないので、無遠慮にスタジオスペースに踏み込む。

 Bスタジオの扉の小窓の奥に、頼子さんの姿を見つけて、重いドアノブを回す。

 体当たりするようにして扉を押しひらくと、ワウを効かせたエレキギターの音が中から溢れ出してきた。


「紺野先輩。こんにちは」


 チェリーサンバーストのレスポールをミュートさせて、麻生高校の制服姿の女生徒が私にお辞儀する。

 私よりも頭半分ほど背が高い、少し心配になるくらいほっそりとした体つき。

 どことなく狐を連想させるつり気味の目が、まっすぐな視線を私に投げかけてくる。


「ごめんね、凛ちゃん。急に呼び出して」

「いえ。どうせ別のスタジオで練習してましたから」


 明るい茶色のセミロングヘアをピックを持った右手で整えながら、少し素っ気ない口調で返答する。


 彼女は植松凛子ちゃん。

 私が文化祭でサポート参加したバンド、Lillyのギターボーカルだ。


「凛子ちゃん、ホントにいつもギター弾いてるね。練習の鬼って感じ」


 キーボードの前で楽譜のコピーを手に、頼子さんが感心したように言う。


「青田さんのアレンジ、地味に難しいんです」


 しかめ面でエフェクターのペダルを踏む凛ちゃん。

 アンプから発せられる音がクリーンに切り替わった。

 中学からバンド活動をしているという彼女は、いつも大量の機材をキャリーで持ち歩いている。


「紺野先輩、早く準備して下さい。そこにスコアありますから」

「おっけー、ちょっと待ってね」


 ケースを開いて、エレアコを取り出す。

 ストラップを取り付けて、シールドを繋いだ。


「……またエレアコ……」


 眉をひそめる凛ちゃん。

 彼女は私がエレキを弾いているところを見て技を盗みたいと常々言っていて、こっちのギターを持ってくると露骨にがっかりした顔をする。


「紺野先輩、前から言おうと思ってたんですけど、そのギターはちょっと……スキルに見合ってないと思います。ストラトはいいの持ってるだから、そっちをメインにした方がいいんじゃないですか?」


 相変わらず、言いたいことははっきり言う娘だ。


「そうかなぁ?こっちの音も、優しくて好きなんだけどなぁ……。ほら、今日やる曲は、柔らかめなイメージだし」


 ごまかし笑いをする私を、頼子さんがニヤニヤしながら見ていた。

 作曲した本人にそう言われては凛ちゃんも引き下がるしかないのだろう。

 まだ何か言いたげな顔ではあったが、ぷいっとそっぽを向いて黙った。

 ホッとする私。

 全く、これではどっちが後輩か分かったものではない。


「もう揃ってたんだ」


 ドラムスティックをクルクル回しながら、スタジオに入ってくる、百八十オーバーの長身にスーツを着込んだ男性。

 青田さんだった。髪を真っ黒にしたせいで昔よりずっと若く見える。


「こんにちは、青田さん」

「こんにちはー」


 私と頼子さんが挨拶する。

 凛ちゃんは軽い会釈だけして見せた。

 前に聞いたら、威圧感のある男性が苦手なんだそうだ。

 背が高いだけの青田さん相手でも少し身構えているし、店長さんに対する反応はほとんど毛嫌いに近いものがある。


「今日はお仕事、休みだったんですか?」

「……ああ、フェスも終わったから」


 青田さんは去年の春、高岡にあるイベント運営会社に入社していた。

 なんでも結婚を控えているのだそうで、フリーターでは居られない事情が出来たようだった。

 就職してからも、私たちの音楽活動をサポートしてくれている。

 私の曲を編曲してくれたり、ベースかドラムで練習に付き合ってくれたりと、無愛想な振る舞いからは想像もつかないほどの面倒見の良さだった。


「スコア、もう見た?あんな感じでいい?」

「今見てるとこです。でも、シンプルでいいと思います」

「じゃ、弾きながら、質問とかあったら言って」


 ドラムセットの中に入って、バスタムを数回打ち鳴らした後、スティックをぶつけてカウントする。

 私と凛ちゃんは同時に演奏を開始したが、頼子さんは楽譜を睨みつけながら探り探りという様子でキーボードを鳴らした。


 青田さんが編曲してくれたのは、『遠い君へ』。

 クリスマスライブの時に、駅前広場で演奏した曲だ。

 私にとってはとても思い入れのある曲だし、誰よりも頼子さんが熱烈に推していた。

 前奏にはエレピでサビのメロディのアレンジが入れられているようで、譜面は初見のはずの頼子さんも数回の反復ですぐに弾けるようになった。


「イントロはこんな感じね」

「はーーー、このメロディ聞くだけで、もう思い出して涙が出ちゃいそう……」


 両手で頬を包んで体をうねらせる頼子さんを、凛ちゃんが気味悪そうに横目で見ていた。


「……紺野先輩、この曲、先輩が歌ってくれませんか?」

「え?どうして?」


 いつもならリードギターとボーカルを兼任している凛ちゃんが、珍しく控えめな発言をして私を驚かせた。


「……なんていうか、歌詞が……ちょっとついていけなくて」

「えーー!?なんで!?すごくいい歌詞じゃん!」


 鼻息も荒く、頼子さんが食ってかかる。

 気に入ってくれているのはありがたいが、私としても確かにちょっと照れ臭い面はあるので、凛ちゃんの言うことも理解できた。


「これって、冴木さん、って人が紺野先輩に宛てて書いたんですよね?」

「そうだよ!ラブラブだった二人が離れ離れで、切なさ満載でしょ?」

「……」


 私の代わりに答えてくれた頼子さんの言葉に、凛ちゃんは深いため息をついた。


「……紺野先輩は、こんなにいい曲が作れて、ギターのスキルもすごいんだから、それだけで勝負できると思うんですけど」

「え?どういうこと?」


 私はぽかんと口を開いて、凛ちゃんの発言の真意を尋ねる。


「……一昨年のライブのこと、噂に聞いてます。駅前広場でやったってやつ。ライブの最中に告白とか、キスするパフォーマンスをやったとか」

「……パフォーマンス?」


 そこまで聞いても彼女が言いたいことが分からずに、私はオウム返しした。

 またため息をつく凛ちゃん。


「女同士でお互い好きなフリとか、キスとか。話題作りにしても邪道だって言ってるんです。バカな男どもはそういうの、食いつくのかもしれないですけど」

「凛子ちゃん!」


 私が反応するよりも早く、頼子さんが叫んだ。


「あのね、寛ちゃんと冴木さんは本当に……」

「同性愛者だって言うんですか?それって、音楽に関係あるんですか?……もし本当にお互い好きなんだとしても、そんなの、思春期にありがちな気の迷いでしょう?仲良くなりすぎて勘違いして、それを人前で言っちゃうとか……恥ずかしい。大人になったら思い出しただけで赤面ものですよ?」

「ちょっと、凛子ちゃん!あなた、二人のこと見てたわけでもないのに……!」


 さらに声を荒げる頼子さんを、私はまあまあと宥めた。

 凛ちゃんの反応はもっともだし、何より二人が言い争うような事柄ではない。


「……紺野先輩、その冴木さんって人には沢山曲を書いてるんですよね?私たちだって、ずっと前からLillyに曲を作って欲しいってお願いしてるのに」

「あー、それは、うん……」

「そばにいもしない人じゃなくて、私たちを優先して下さいよ。紺野先輩の不毛な関係のために私たちが後回しなんて、納得できないです」


 拗ねたような声で、凛ちゃんは私を正面切って非難する。

 感情表現がまっすぐな娘だけに、私はちょっと気圧されてしまう。


「……歌って見せてあげれば?寛ちゃん」


 腕組みをした頼子さんが、意地の悪い笑みを浮かべて言う。

 ここ二年でこの人が一番性格が変わったかもしれない。


「凛子ちゃんもボーカルなんだから、気持ちがどれだけ歌唱表現に影響するか、分かるでしょ?冴木さんに答えるつもりで、歌ってあげなよ。思い知らせてやっちゃって」

「……頼子さん、穏やかにいこうよ……」

「先に突っかかったのは凛子ちゃんの方だよ。こう言う娘は、論より証拠が一番」


 頼子さんの弁に、今度は凛ちゃんがムッとする。


「私が、紺野先輩の歌を聴いたら納得して黙るって言うんですか?いいですよ、やって見て下さい!」

「え……あー、えーっと……」


 ここまで盛り上がってしまっては、笑って誤魔化せそうもない。

 メイがいなくなってからは歌う練習も少しはしているが、凜ちゃんを黙らせるほどのことができるだろうか……。


 助けを求めるように青田さんに視線を投げるが、肩をすくめるだけだった。


 仕方ない。

 もうなるようになれだ。

 私はアンプの電源を切って、三人に向けて向き直った。


 思い出す。

 約一年半前のクリスマス。

 メイが私の目を見ながら、歌ってくれた時のことを。


 ……三週間、離れただけで胸が張り裂けそうなほど寂しかった。

 音楽に没頭することで寂しさを紛らわそうとしていた。

 それは、今の私も同じ……いや、今のほうがずっと長くこの気持ちを抱えて過ごしている。

 メイが私を想って探してくれた言葉達をなぞるようにして、私は歌い出した。


 ふと通り過ぎる風にさえ、愛しい人を思い出してしまう。

 出来るなら自分の心の中身すべてを、その風に乗せて届けられたら良いのに。


 どんなに泣いても、どれだけ夜を越えても、記憶の中の楽しかった時間は遠ざかるばかりで……。

 またもう一度いつか二人で過ごせる時が来ることを信じていても、生まれて初めて突きつけられた孤独が、まるで世界を染め替えてしまったようにさえ感じる。


 一人で眠る夜には、メイも星空を見上げたりするんだろうか。


 ああ、この歌詞を書いた時、メイはきっと今の私と同じような気持ちだったんだ。

 どんなときでも私達を救って、幸せな気持ちにしてくれた音楽に、せめて胸の切なさを癒やして欲しいと祈りを込めて、言葉を探した。

 それは私が曲を作るよりもずっと具体的に、自分自身の抱えている痛みと向き合う行為だったに違いない。


 私は、きっとメイほどは強くいられない。

 歌う声は涙に震えて、いつ来るかわからない未来のことなんて、もう一秒だって待っていられないような気がしてしまう。


 それでも……。


 例え報われなかったとしても、誰かに疑問をぶつけられても、私も願うことをやめない。

 メイが笑っていてくれることを。

 メイを傷つける全てものを打ち消してしまいたい。

 だって、私は……。


 私は……。


 最後のフレーズを、声に出すことができなかった。

 だって、メイのキスを思い出してしまったから。

 感覚を麻痺させるように努めていた時間の中で、自分の中に募った寂しさを、メイの言葉を借りて歌ってしまったから。

 そして何より、どれだけ私達が愛し合っているのか、痛感してしまったから。


 そして、目の前に愛する人は、いないのだから。


 我に返った。

 目の前に並ぶ三人が、みんな同じ表情をしている。

 呆気にとられたような、私を心配するような、そんな顔だった。


「あれ……」


 頬が濡れている。

 一粒ポロリなんてもんじゃない。

 足元にはちょっとした水たまりができそうなほどだった。

 これだけ涙を流しながら、よく歌っていられたものだ。


「……ごめん……あの……」


 私はギターを降ろして涙を拭い、必死に言い訳を探す。

 感情を込めて歌えと言われたのは確かだが、突然こんなにボロ泣きなんて、ちょっといくらなんでも異常すぎる。

 三人があんな顔をするのも当然だ。

 結局言い繕う言葉が見つからずに、私はギターをアンプに立て掛けて、駆け出した。


「ごめん……!」


 重い防音扉を自分でも驚くほど素早く開いて、私は隙間からスタジオの外に飛び出した。

 頼子さんが呼び止める声が聞こえた気がしたが、振り返れなかった。


 スイングドアを乱暴に押し開いて、私は行先も決めずに遮二無二走った。

 自分が情けない。

 強がることも、自分を捨てて泣きわめくこともできない。

 私はただ、みんなの前から逃げ出すという道しか選べなかった。


 八月終盤の午後一時。

 気温は一日のピークだった。

 息の続く限り走り続けて、汗だくになって足を止めると、駅前まで辿り着いていた。

 無意識が行き先を決めていたのだとしたら、皮肉なことだ。


 まばらにしか人は通りがからないのに、広場の中心にある噴水は必死に水を噴き上げ続けていた。

 私は少しでも気温が低い場所を求めて、ふらつく足取りで噴水に近寄り、縁に腰掛けた。

 夏服の袖で涙と汗を拭う。なかなか息が整わない。

 荒い息のまま、両手をお尻の後ろについて空を仰いだ。

 汗と涙を、直射日光で乾かしてしまいたかった。


 空は青い。

 1+1=2みたいな真理だけど、それは正解で間違いだ。

 本当は、青さの中にも色々な種類がある。

 爽やかで透き通るような青。

 皮肉っぽく突き放すような青。

 くすんでいて何を考えているのか分からない青。

 遠くて、そこに確かにあることは間違いないのに、とらえどころがなくて、そしてどこまでも無責任に広い。

 まるで未来の暗示だ。


 今見上げている空は、なんだか白っぽくて嫌味みたいに眩しくて、狭い町をうろちょろと走り回っている私を嘲笑っているかのような色だった。


 メイと一緒に高岡のデッキで見た秋晴れの空は、もっともっと澄んでいて、素直な綺麗さだった。

 メイと一緒に見た雨上がりの空は、見守るように優しくて、包み込んでくれるように深い色をしていた。


 そこまでぼんやり考えて、辿り着いた結論は結局いつもと同じ。

 メイがいなければダメなんだ。

 こんなに綺麗に晴れ渡っていても、世界中の私以外の全員が綺麗だと言う色だったとしても、私一人ではそれを好きにはなれない。

 メイがいない未来しか見えないなら、私はまたいつまでも堂々巡りを繰り返す。

 何も変わらないこの町で、変わっていくみんなに取り残されて。


 突然、視界が翳る。

 逆光で真っ暗に見えるその人影は、凛ちゃんだった。


「……忘れ物です」


 不機嫌そうな口調でぼそりと言って、噴水にギターのハードケースを立てかける。

 機材を積んだキャリーを引きつつこの重いケースを運んできたのに、息一つ乱れていない。


「……ごめん。……ありがとう」


 正直合わせる顔がなかったが、今の顔を隠したりする余裕もなかった。

 観念して謝罪と感謝の言葉だけを返す。


「なんでそんなに疲れ切ってるんですか?大した距離でもないのに」

「……運動不足、かな。それとも、もう歳かな?」

「馬鹿言わないでください」


 呆れたように言って、凛ちゃんは私の隣に腰掛ける。

 しばらく無言で自分のつま先を見つめていたが、やがて意を決したように、セミの大合唱にかき消されそうな声量で言った。


「……あの、すみませんでした。余計なこと言って」

「……え?……あ、うぅん……。いいよ」


 発端は凛ちゃんの言葉だったが、悪いのは私だ。

 自分で作った歌を歌いながら大泣きなんて、みっともない。


「……本当、なんですね」


 私と同じものを見たがるように視線を上に向けて、凛ちゃんが続ける。


「本当に、冴木さんって人のこと、好きなんですね」

「……うん。好きだよ」


 問いかけに対する答えを口にすると、ある部分では楽になって、ある部分では辛くなった。

 棚上げされていた私の胸の中の矛盾は、一向に解決していないらしかった。


「……ごめんね、急に泣き出して逃げ出すなんて、子供みたいだよね」


 自嘲する自分の口調が嫌だった。

 話し方も仕草も私よりもずっと大人びている凛ちゃんに、今更取り繕う必要もないだろうに。


「そうですね。先輩は、子供みたいです。言動も、声も、体型も」 

「……ひどくない?」

「すみません。嘘つけないんです」

「…………」

「何か、悩んでるんですか?私でよかったら、相談のりますよ?」


 敬語以外は完全に先輩風な凛ちゃんの言葉に、私は苦笑いするしかなかった。

 どんなことでもすっぱり答えを出せてしまう彼女は、確かに頼れる相談相手なのかもしれない。


「凛ちゃんは……恋ってしたことはある?」

「ありません。そんなことしてる暇があったら、練習したいですから」

「あ……そう」


 前言撤回。

 相談は一往復の問答でぶつりと叩き切られた。


「一回だけ、バンドのベースの男の子に告白されて、付き合うみたいになったことはありますけど、長く続きませんでした」

「え?それは、なんでダメになっちゃったの?」

「ライトハンドまで使って早弾きするような女の子は、その人の考えるギター女子のイメージとは違ったみたいです」

「あ……そうなんだ」


 容易に想像できる。

 きっと凛ちゃんは、彼氏よりもギターにしか興味がなかったのではないだろうか。

 なんとなく、そんな気がした。


「それはともかくとして」


 なんだか悔しそうに、凛ちゃんはまたつま先に視線を落とした。


「……さっきの歌を聞いて、私、少しショックを受けたかもしれません」

「……え?」

「先輩、ギターは高校入ってから始めたって言ってましたよね?ってことはさっきの曲は、ギター始めて一年も経ってないうちに作ったってことですか?」

「うん、そうなるね」


 なぜかギロリと睨まれてたじろぐ。

 たまに彼女は、よくわからないタイミングで不機嫌になることがある。


「……澤田先輩の言ってたこと、わかるようなわからないような……わかりたくないような、変な感じです」


 彼女にしては珍しく、居心地悪そうに視線を泳がせていた。


「紺野先輩の作る曲って、独特だと思います。コードなんか呆れるほど単純なのに、凄く印象に残るメロディラインで……気がついたら鼻歌で口ずさんじゃってるような」


 多分、これは彼女なりに褒めようとしてくれている言葉なのだろう。


「もう少し、素直にデレてもいいのに……」

「……なんか言いました?」

「うぅん、なんにも」

「……でも、その曲を生み出してる原動力がその冴木さんって人だなんて、私はやっぱり信じられなくて。ただ単純に、紺野先輩に才能があるだけなんじゃないかって思いたくなるんです」

「そんな。才能なんて……」

「はい、その一言で片付けられるのも、実はかなり嫌です。どっちの理由も、納得いかないです」


 横目に、凛ちゃんの顔を盗み見る。

 真剣な横顔。

 音楽にかける思いは、その純粋さだけを比べるなら、私たちよりも彼女の方が強いのかもしれない。


「先輩は、どう思ってるんですか?いい曲が書ける要因って、なんだと思います?」

「……うーーん」

「なんて、聞くまでもないですよね。さっきの様子見てたら」


 質問して来たくせに、凛ちゃんは一人で納得してしまった。


「でも……自分と同じ女の子のことを好きになって、しかもそれが曲作りの動機になるなんて……ごめんなさい、やっぱり私には、信じられないっていうか……」

「そりゃそうだよね……」


 私だって、高校に入った当初はこんなことになるなんて予想もしていなかった。

 音楽についても、恋についても。


「普通の反応だと思うよ。あんまりおおっぴらに言えるようなことじゃないってことも、分かってるつもり」


 もう一度空を仰いで、私はため息混じりに呟いた。


「でも、あのときは……」


 ちょうど私が腰掛けているあたりに、私たちは立っていた。

 キスをしたのも、ここだった。


「あのときは……メイと二人でここに立ってたときは、もう何でも出来るような、どんなことだって言っちゃって良いような気がしてたんだ。私達の音楽に乗せれば、どんな言葉でも、みんなに聞いてもらえるんじゃないかって」


 メイが最初に聞いてくれて、歌詞をつけてくれると思うから、私は自分の頭の中をさらけ出すようなメロディだって抵抗なく紡ぎ出していける。

 メイと過ごした時間や、大切な人を思う気持ちを表現しようと思うから、生み出された曲には誇張も嘘もないと感じられる。

 出来上がった歌を人前で披露するときには、私達がどれだけ深く繋がってそれが出来上がったのかを伝えたいと思っていた。


「結局さ、やってることは一緒なのかも。私とメイが二人で作った歌を歌うことも、人前でキスすることも。もしかしたら、私達二人の世界を、聞いてくれてる人に押し付けてるだけなのかもしれない」


 音楽だけじゃなく、物を作ること全部に言えることかもしれない。

 歌なら歌詞やメロディに、物語なら登場人物や舞台に、作り手の思いは投影される。


 そしてその思いが受け手の心に響くなら、その作品と作者は沢山の人に愛してもらえるんだろう。

 共感を得ることができないなら、それはただの独りよがりにしかならない。

 私たちは、話題作りのためのパフォーマンスに必死になっている痛々しい女子高生デュオでしかなくなってしまう。


 曲作りに行き詰まったり、なかなか納得のいくアレンジができない場面に直面するたびに、何度もその葛藤にぶつかってきた。


「ねえ、凛ちゃん。私がさっき歌った歌、いいと思ってくれた?」


 みっともないついでに、素直に聞いてみることにした。


「私の曲とメイの歌詞、凛ちゃんに何か伝えられた?」


 きっと彼女は、私たちみたいな関係をあまり好ましく思ってはいないんだろう。

 そんな相手にこそ、私たちの歌がどう聞こえるのかが知りたかった。

 離れて過ごす私たちの寂しさや切なさは、ちゃんと伝わっているんだろうか?

 例えばまだ本気で人を好きになったことがないような人にでも。


「……何かっていうのはわかりませんけど、感じるものはありました」

「本当?」


 ほっそりした肩を掴んで詰め寄る。

 うざったそうにその手を振り払う凛ちゃん。


「悲しくなるような、でも優しい気持ちになるような……うまく言えないですけど……。これが、紺野先輩が音楽で表現したいこと、なんですよね?」

「うん!そうなんだよ!」

「……」


 脂肪の薄い、鋭角的な顎に手を当てて、凛ちゃんは考え込む。

 自分と全く違うアプローチで曲作りをする私という存在を、なんとか分析して理解しようとしているようだった。


「じゃあ、どうなったら私たちに同じような曲を作れますか?」

「……はい?」


 返って来たのは思いがけない質問。

 私は両目をパチクリさせて首をひねる。


「紺野先輩、私たちとバントバトルで演奏するの、楽しかったですか?」

「そりゃ、もちろん……。ちゃんとしたバンドで演奏する機会って、あんまりないし」

「そういう意味だけじゃなくて、Lillyのメンバーとじゃ、冴木さんと演奏するときと同じような気持ちにはなれないですか?」


 さっきとは逆に、今度は私が詰め寄られる番だった。


「シオリも、マナミも、リサも、また紺野先輩が曲を作ってくれるの、すごく楽しみに待ってるんです。さっきも言ったけど、今ここにいない人のことばかり考えてモヤモヤしてるだけなんて、もったいないですよ」

「それは……でも……」

「……私たちじゃ、ダメなんですか……?」


 凛ちゃんは下唇を噛んで、瞼を震わせる。

 いつも強気な彼女らしからぬ表情だった。


「私のボーカルって、そんなにダメですか?!冴木さんと比べて、足元にも及ばないですか?」

「り、凛ちゃん、ちょっと、落ち着いて……」

「はぐらかさないでください!紺野先輩、困るといつもそう。もう私、落ち着いてなんていらんないんです!」


 なんだか痴話喧嘩みたいになっていると思うのは私だけだろうか。

 必死な凛ちゃんの顔は、いつもの澄まし顔より幼く見えて、少し可愛いと思ってしまった。


「……私が作った曲じゃダメなんです。みんな、口には出さないけど、紺野先輩の曲ばっかり演りたがってる。悔しいけど、認めたくないけど、紺野先輩が曲を書いてくれたら……」


 そこまで言って、凛ちゃんは大きく首を振り、決意の表情で立ち上がった。


「紺野先輩。お願いします。Lillyに入ってください。サポートじゃなくて、正メンバーとして」


 目を丸くする私を鋭い眼光で射抜いたあと、直角に体を折って頭を下げてくる。


「お願いします!」


 懇願するような声が、煉瓦敷きの地面に跳ね返って私の耳朶を打つ。

 凛ちゃんの綺麗な旋毛を見つめながら、プライドの高い彼女がここまでする理由が自分にあるのか、確信が持てずに戸惑っていた。


 そうまでしてバンドに誘ってくれることも、私の曲を認めてくれることも、すごく嬉しい。

 Lillyはガールズバンドの中ではかなりスキルも高い方だと思うし、いい子達ばかりで一緒に演奏するのは楽しい。

 加入させてもらえば、ソングライターとしてもギタリストとしても、きっと成長できると思う。


 それでも、凛ちゃんのなりふり構わない勧誘の言葉を聞いた時、私は改めて自分の気持ちを実感した。

 それはとても皮肉なことだが、やはり私の気持ちは揺らぐことはなかった。


「……ごめん、凛ちゃん」


 私の声に、頭を下げたままの凛ちゃんの肩がピクリと震える。


「やっぱり私、Lillyには入れないよ。だって……」


 この噴水広場が沢山の笑顔に埋め尽くされた時のことを思い出して、私は小さく胸を震わせた。


「私は、Irisのギタリストだもん。今までもこれからも、私はメイのためにギターを弾いて、曲を作っていたいよ」

「……こんなに、お願いしてもダメですか?」


 胸がちくりと痛む。

 それでも、私の答えは変わらない。


「ごめん」


 ゆっくりと頭をあげた凛ちゃんの顔は、怒りと落胆を露わにしていた。


「そんなに、冴木さんが好きですか。今ここにいる私たちよりも、いつ戻ってくるかも分からないその人の方が大切なんですか」

「約束したんだ。必ず迎えにくるって。ずっと待ってるって。だから……」


 遠く、陽炎が揺れる。

 私の未来は、この道の続く先と同じようにあやふやで、朧げで、頼りない。

 もしかしたらその先には、私の想像とは違う風景が広がっているかもしれない。

 でも、メイと繋がっているかもしれない未来を目の前にして、それを諦めることなんて、絶対に出来ない。

 私は私にできる全てのことを、全力でやり尽くしてなきゃいけないんだ。

 今度こそ、後悔なんか残したくない。


 私は噴水から立ち上がる。

 うんざりするような熱気が体に絡みつく。

 それでも、私は前を向いた。


「さっきみたいにウジウジ悩みながら、子供みたいに泣きながら、これから毎日過ごしていくんですか?」

「……今までも、ずっとそうだった。私、弱くて……毎日毎日泣きたくなって、でもその度に、それだけメイのことが大好きなんだって実感してた。寂しさだって苦しさだって、メイがくれるものなら大切にしたい。そこから生まれる歌が、誰かに響いてくれるなら、この時間だって無駄なんかじゃないって思える」

「……そんな時が、本当に来るんですか?」

「何年後でもいい。メイがそれを歌ってくれさえすれば、全部報われる。そう信じてるの」


 私の返答に、凛ちゃんは呆れたように、左下に向けて深いため息を吐いた。


「バカみたい。私、紺野先輩のこと尊敬してたのに……そんな叶うかも分からないことに縛られるなんて」

「ごめん……」


 凛ちゃんの言葉は、胸に刺さる。

 それはきっと、私が自分で自分に抱いている気持ちの一部と重なるからだと思う。

 矛盾と葛藤のごちゃ混ぜで滅茶苦茶な私の意識に代わって、言うべきことを言ってくれるのがありがたかった。


「でもきっといつか、凛ちゃんもわかってくれる時がくるよ。メイの歌を聴いたら、私がどうしてここまでこだわってるのか」


 だから私も、私の中の結論をはっきりと言葉にすることが出来た。


 メイへの思いを否定される度に湧き上がる痛み。

 それが強いほど、私は二人で過ごした幸せな日々を思い出せる。

 私たちが交わした再会の約束の尊さを、信じていられる。


 凛ちゃんは今日何度目かの深い溜め息をついて、きっと私を睨んだ。


「……いつか、Lillyをもっとすごいバンドにして、紺野先輩を後悔させてみせます。私の誘いを受けておけばよかったって後になって言っても、もう遅いですからね」


 キャリーを握る凛ちゃんの手が白むほど力がこもる。

 鬼気迫る形相で睨みつけられても、私はもうたじろがなかった。


 自分の中に、確かにメイを感じる。

 だからこの言葉は、私一人の言葉じゃない。


「Irisは、負けないよ」


 眦を決して、私は微笑む。

 メイみたいに上手くは出来ていないかもしれないけど、毅然とした闘志を視線に込める。


 私の挑戦的な言葉を無視するように、凛ちゃんは身を翻した。


「そういうことは、せめてメンバーが揃ってから言ってください」


 皮肉っぽい口調で言い捨てて、キャリーを引いて駅に向かって歩いてく凛ちゃん。

 その背中を見送ってから、私はふうっと息を吐いてもう一度噴水に腰掛けた。

 少し遠ざかっていた蝉の声が、思い出したように私の耳に殺到する。


 もしかしたら凛ちゃんは、もう私達と練習をしに来てはくれなくなってしまうかもしれない。

 それでも、私は彼女とのやり取りの中で自分の気持ちを確かめられたことに、小さな満足を感じていた。


 どんな弱音を吐いてみたって、どれだけ涙を流したって、私に出来ることは決まっている。

 ただメイを思ってギターを弾いて、曲を作ること。

 いつかメイが、私の隣でそれを歌ってくれる日が来るまで。


 傍らにはエレアコのハードケース。

 メイが残してくれた、私の大切な宝物。

 私は金色の留め具を三箇所外して、中身を取り出す。

 夏の日差しを浴びて、眩しいくらいに輝く白のボディ。

 私はそのボディの曲線に導かれるようにして、ギターを構える。構えてしまうと、歌い出さずにはいられなかった。


『約束をしよう 明日も変わらずに

 笑顔でいるために

 一人でもこのドアを開いて

 君に会いに行くよ


 降り止んだ雨に気づかないフリをして

 傘をさして歩く 洗いたての町

 久しぶりの空の青さ

 君はもう見つけたかな?


 窓辺で歌う君の 瞳に映る景色に

 虹がかかるのを 祈ってるけど

 本当は僕を見てて欲しい

 君はまた笑うかな?


 ねえ、何度でも言葉にして

 聞かせて欲しい 僕達の未来

 君がくれた光を抱いて

 僕はやっと僕になれたんだ


 限りある時間を 止められないままで 二人

 消えていく今があるから この歌を歌える

 気づいたんだ

 手を繋げばこの町もこんなに綺麗なんだって

 君が教えてくれた

 この世界の秘密は 君と僕しか知らない』


 歌っているうちに、私の周りには麻生高校の生徒が十数人集まってきていた。

 アウトロを奏で終わると、パチパチと拍手をもらえた。


 私は笑った。

 みんなが、笑って聞いていてくれたから。


「こんにちは。暑いですね」


 メイがそうしたように、私は挨拶をしてみんなに声をかける。

 私一人こんなところで弾き語りをしたのは初めてだったので、みんな珍しいものを見るような顔をしている。


「……みんなは、大切な人っていますか?考えただけで切なくなるような、その人の声を聞いただけで胸が締め付けられるような……」


 私が誰のことを言っているのか、気付いてくれた人はどれだけいるだろうか?

 この中の何人が、メイのことを知っているんだろうか。

 タイや校章の色を見ると、三年生はほとんどいなかった。

 みんな、私をLillyのギタリストだと思っているかもしれない。


「恋をするって、凄いことだと思いませんか?心から誰かを好きになるだけで、人って凄く強くなれるって、そう思いませんか?」


 唐突な私の独白に、生徒たちは怪訝な顔を見せる。

 やっぱり、言葉じゃダメなんだ。伝えたいことは、歌わなきゃ聞いてもらえない。

 私にも、出来るだろうか。メイがあの日、この場所でやったように。


「大切な人を思い浮かべながら、聞いてくれたらうれしいです。『遠い君へ』」


 私はもう一度、その曲を歌う。今度は涙なんか流さない。最後まで歌いきってみせる。一番聞いて欲しい人が、すぐそばにいなかったとしても。



 日が落ちても、蒸し暑さは相変わらずだった。

 広場の時計は夜八時を指している。

 私はギターを構えたまま、一人噴水の縁に腰掛けたままでいた。


 結局、歌える歌は全て歌った。

 聞いてくれる人の数は増えたり減ったりだったが、一番多いときでも二十人は越えなかった。

 夕方頃から少しずつ人だかりは小さくなっていって、さっき最後の一人、一年生の女子生徒が会釈をしながら駅の方へと去っていった。


「……ま、上出来な方だよね」


 左手の指先がじんじんと痛む。

 一人でこんなに長時間休まずに演奏を続けたのは久しぶりだった。


 歌い終えると、拍手をもらえた。

 曲のリクエストももらって、出来る限り応えた。

 それなりに、楽しくて充実した時間だったと思う。


「…………」


 ギターを抱きしめる。

 覚悟はしていたことだったが、やはりメイと二人の時とは全く違った。

 真顔で少し聞いて去っていく人がいた。ちらりと一瞥だけ投げて通り過ぎていく人達も沢山いた。

 大歓声もない。

 あの日のライブで感じた高揚感は、湧き上がってくることはなかった。


「……そんなに、上手くいくわけないよね……」


 諦めるように呟いて、私はゆっくりとストラップを外した。

 あまり遅くなると、またお母さんの小言病が再発するかもしれない。


 ケースにギターを収めて、ぼんやりと噴水を眺める。

 二年前のことを思い出していた。

 まだメイと出会う前、一人でギターを弾いていたときのこと。

 あの頃は、人前で歌を歌うどころかギターの弦を弾くことさえも恥ずかしくて、演奏できる場所を探して町内を彷徨ったりしていた。

 いつの間にか、こんな風に普通に弾き語りできるようになっている。

 それだけでも、自分にしては格段の変化だと思えた。


 変わっていけると思えるから、挑戦し続けることも出来る。

 もっと練習して、もっといい曲をいっぱい作って、また試してみよう。

 そう心に決めて、私はケースの蓋を閉じた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ