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Whatever  作者: けいぞう
75/78

75.ヒロカ

 それから、私は曲作りとギターの練習に明け暮れる毎日を送った。

 メイがいない寂しさは、やはり音楽に没頭することでしか晴らせないと思った。

 ナカシマギターショップに通って青田さんにエレキギターを教わったり、バイトを続けて溜めたお金で真っ赤なストラトを買ってみたり。

 いつかまた会える日に、メイを驚かせられるようにと思って取り組むと、毎日はあっという間に過ぎていった。


 Irisのクリスマスライブの噂は、年が明けてからもあちこちで耳にした。

 写真部の生徒が、噴水の縁に立って演奏する私達の姿を撮っていて、しかもその写真の一枚が大通りの写真屋さんが主催するコンテストで金賞を受賞したそうだった。

 お父さんは肖像権の侵害がどうとか騒ぎながらも、受賞作品が発表された町内会報を何十部ももらって保管していた。

 A2版に印刷して店頭に飾ろうと言い出してお母さんに呆れられていた。

 その写真に写っているシーンの直後に警察沙汰になったことは、もう忘れてしまっているようだった。


 次の年、学校の弁論大会で、高橋くんがIrisのライブについて語り、特別賞に輝いた。

 私達が学校側の妨害を乗り越えて表現の場を設けたことにスポットを当てて、夢のために行動することの素晴らしさを熱弁してくれたのだが、当の私は学校中の衆目に晒されて恐縮しきりだった。

 さり気なく、ライブ自体が正当に許可を取ったものであったことと、文化祭でのメイの所業が致し方ないものであったことなどについてもフォローをいれてくれていた。

 一時期流れた「冴木芽衣は路上ライブの首謀者として退学になった」という噂も否定され、Irisの名誉は挽回されることとなった。


 二回目の文化祭。

 私は一年生のガールズバンドに楽曲提供をし、更にサポートメンバーとしてサイドギターで参加して、優勝した。

 参加グループは違えど二連覇出来たことはかなり嬉しかったのだが、メイに報告すると思いっきり拗ねられてしまった。

 めったに使わない威嚇顔の黒猫スタンプとともに「浮気したなーー!」というメールが返って来て、私はしばらく平謝りするしかなかった。


 文化祭といえば、私たちと因縁のあったCandyのギタリスト、梶という名前だったらしいが、彼は現在不登校状態になっているらしい。

 何でも、付き合っていた女生徒にスマホを盗み見られ、掲示板に貼られたメイの写真のオリジナルを持っていたことが発覚し、Irisのファンだったその女生徒に告発されたということだった。

 メイの不在によって解散状態となったIrisは、噂に尾鰭が付くにつれ伝説的なパフォーマンスを演った幻のデュオという扱いを受けるようになり、そのフロントウーマンを辱めたとされる梶は学校中の生徒の不評の的となった。

 私としても一言言ってやらなくては気が済まなかったのだが、そんな機会が来る前に彼は学校に姿を現さなくなってしまった。

 多少消化不良ではあったが、メイ自身はあの画像が出回ったこと自体気付いていないようだったので、特に蒸し返すようなことはしないようにした。


 そして今年。

 三年生になった私たちは受験生の称号を押し付けられ、なにやら急き立てられる毎日を過ごしている。

 音楽のことをもっと勉強したい私は、音大か専門学校を目指そうと漠然と決めたものの、まだ具体的な進学先の目星はつけられないままずるずると夏を迎えていた。

 頼子さんは宣言通り製菓学校を受験するらしいし、高橋君は県内の国立大学工学部を目指すと言っていた。


 みんながそれぞれ自分たちの未来に向けて、本格的な準備をし始めた夏休み。

 私は過ぎ去っていく特別な季節を惜しむように、夏期講習が終わった後、教室の窓からの景色を眺めていた。

 学年が上がるにつれて教室の階数は上がっていき、窓からの見晴らしは広がっていった。

 将来への展望なんてものも自動的に比例していってくれれば苦労はないのだが、依然として抱えている不安の大きさは変わらない。

 一年後の自分がどうしているのか、タイムスリップして見てこられたら良いのに。なんて意味のないことを考えていたりする。

 窓の外には部活動に汗を流す後輩たちの姿。

 焦がすような炎天下、夢中になって駆け回る彼らも、一皮めくれば同じような不安に揺れる心を抱いているのだろうか。


「あれ?寛ちゃん?帰らないの?」


 隣の教室で別の教科の講習を受けていたらしい頼子さんが、3-Cの教室を覗き込んで声をかけてきた。

 製菓学校に行くなら普通の教科の講習なんて受けても意味が無いだろうと聞いたら、英語だけは将来のためにしっかり勉強しておきたいとのことだった。

 彼女は生まれつき真面目な性格なのである。


「あー……うん……。帰るけどさー」


 かくいう私は、二学期以降に苦手な数学で赤点を取らないために、一、二年の授業内容を総ざらいしてくれる夏期講習で必死の復習をしている立場だった。

 ギターにかまけてろくに勉強してこなかったツケが貯まって、三年の授業内容に全くついていけなくなってしまったのだ。

 音楽関係の進学をするための勉強ならばいくらでもやる気を出して吸収していけるのに、数学と物理は三倍の時間を費やしても頭に入ってこない。

 今も講習の後半は頭の中にタブ譜が流れてきてしまって、教師の説明そっちのけ左手を蠢かせてしまっていた。

 自己嫌悪で頭が重くなって、私は机の上に突っ伏した。


「何?また凹んでるの?定期的にやられちゃってるよね、寛ちゃんて」


 私の前の席に横座りで腰掛けて、頼子さんはニコニコしている。

 この二年近くで彼女は身長が十センチくらい伸びて、そばかすも薄くなり、見違えるほど大人びた。

 一年のときは首から下は私のコピーロボットみたいだったのに、メキメキ成長して差をつけられてしまった。

 特に、胸。


「……微分積分のせいで高校卒業できない生徒って、この国にどれくらいいるんだろうね……」

「ありゃ。今日はそっちか」


 苦笑いをして私の頭を撫でてくれる頼子さん。


「また、冴木さんのことで落ち込んでるのかと思ったよ」

「……そっちも、相変わらずだけどさぁ……」


 当然だが、二年近くたった今でも私とメイの関係は続いている。

 私は毎日の出来事を少しずつ曲にして、メイに送るのが日課になっていた。

 たまにはメールもしたが、よほどの大ニュースがあったときくらいだ。

 メイはバイトに看病に声楽の勉強にと本当に忙しそうだったし、あまり言葉での会話が盛り上がってしまうと、必死に抑えている寂しさがまたぶり返してきてしまいそうで怖かった。

 逆に、メイが曲につけてくれる歌詞を読むことで、今のメイの気持ちを知ることができた。


 ただ、いつメイが私のことを迎えに来てくれるのかについては、全く聞き出せずにいた。

 メイは治る見込みのほぼ無い病気のお母さんのそばにいるために麻生を離れたのだから、私がメイを急かすということは許されないと思った。


 そう分かっていても、定期的に落ち込みなくなってしまうタイミングはある。

 ゴールが見えないマラソンに気が滅入らない人はいないだろう。

 自分の夢のためと思って前向きに頑張れる日もあれば、メイと一緒に追いかけているはずの夢なのに、どうして一人ぼっちなんだろうと泣きたくなる夜もあった。

 そんな時は決まって頼子さんに愚痴を聞いてもらっていたので、彼女が先程のように言うのも致し方ないことかもしれない。


「ほら、しゃきっとしなきゃ。Irisのギタリストがそんなにヘロヘロでどうするの」


 ぽんぽんと肩を叩いてくれる頼子さん。

 眼前で、肩が凝りそうな二つの塊が上下する。私は余計にげんなりした。


 言われなくても分かっている。

 ここまで弱った姿を見せられるのは、正直言って頼子さんが相手のときだけだ。

 Irisの活躍について噂が噂を呼んだ結果と、去年までの部活動の実績のおかげもあって、私は校内外でそこそこの有名人になっていた。

 特に軽音部では曲を作って欲しいと依頼してくる後輩が数多く、たまに廊下などで捕まると拝み倒されたりするくらいだった。

 角が立たないように依頼を断るには、キリッとした、でも少し寂しげな顔で、「ゴメンね。私、メイのために作りたい曲がまだまだいっぱいあるから」と言うのが一番だった。

 どんなにしつこい後輩も、メイの名前を出すとすんなりと引き下がってくれた。

 あれだけのパフォーマンスを披露して電撃的に学校を去ったメイの存在は、軽音部内ではほとんど神格化と言っても過言ではない扱いを受けている。

 そのパートナーとして、あまりカッコ悪い姿は見せられないのである。


「ほら、『メルヘン』のクレープでも食べて帰ろ?アイス追加無料券あるから」

「……ん」


 私は重い腰を上げた。

 確かにこういう気分のときは甘いものを食べるのが良い。

 私たちは二人で教室を出て、一階の昇降口を目指して階段を降りた。

 外の夏の日差しに目が慣れていたせいか、校内は相対的に薄暗く感じた。


 下駄箱で靴を履き替えていると、ゾンビのような足取りで男子生徒が近づいて来た。


「あ、高橋くん。おはよう」

「おはよー」

「……うーぃ……」


 かつてのウニ頭はすっぱり卒業したらしいのだが、流行りに流されて髪型が定まらないのが何とも彼らしい。

 今は爽やかめなショートウルフだ。

 私達の次のコマの夏期講習を受講しに来たらしく、黒いセルフレームの眼鏡をかけてお勉強モードだった。


「どしたの?なんか死にそうだけど」

「……いやぁ。彼女と喧嘩してさ……。朝五時まで電話だのメールだので寝てなくて……」

「……バカじゃないの?」


 頼子さんがバッサリと切り捨てる。

 彼女は性格もかなり逞しくなった気がする。


「そう言うなよ……。せっかくの十八の夏だってのに、勉強一色じゃあんまりだろ?今の彼女、すげー大事にしてんだから……」

「ほとんど色恋一色に見えるんだけど、私には」


 二年に上がってから高橋くんは恋多き男として浮名を轟かせていた。

 彼もまた頼子さん以上に身長が伸びて、体つきも男らしくなっていた。

 もともと素材は悪くない方なので、結構モテている。


 過去に私はこの人に告白をされたんだと思うと、苦笑いが浮かんでくる。

 今となっては、ただの微笑ましい思い出だ。


「あーもう、ただでさえ寝不足で暑くてしんどいんだから、キツいこと言うなよ……。お前ら、今日はもう終わり?」

「うん、これからクレープ食べに行こうかって話してたの」

「くそ、俺も行きたい……。その後は?」

「普通に帰るけど」

「んだよー。たまには遊ぼうぜー。あ、ナカシマさんとこ行かね?」

「……ほら、勉強一色なんて嘘だ」

「うっせ」


 私は言い合いを始めそうな二人の間に割って入った。


「あ、でも良いかも。また一曲アレンジ完成したって、青田さんが言ってたから」

「おー、マジで?!」

「聞きたい聞きたい!凛子ちゃん、今からでも捕まるかな?」


 頼子さんがスマホを取り出して早速連絡を取ろうとしてる。


「……多分。あの子、新曲って言うと何してても飛んでくるから」

「よーし、んじゃ午後一に集合な。平日だしBスタだったら空いてんだろ」


 急に元気になった高橋くんはぶんぶんと手を振りながら校舎内へ消えていった。


 私たちは校門を出る。

 駅前バスロータリーのそばにある小さなクレープショップでお目当てのアイス乗せクレープを購入し、カラオケ店の前のベンチに腰掛けて食べ始めた。

 私はストロベリーチーズクリームにイチゴのジェラート乗せ。

 頼子さんはバナナ練乳クリームにチョコレートアイス乗せ。

 一応日陰ではあるものの、気温自体は軽く三十度オーバーだ。

 アイスが溶けて流れ出さない内にスプーンで突いたり舐めたり齧ったりして手の中の甘い円錐を攻略していく。


 あらかた食べ終わる頃に、正午を知らせるチャイムが鳴って、広場の中央にある噴水が盛大に水柱を上げた。

 頼子さんはクレープの包み紙を丁寧に畳みながら、懐かしそうに目を細めた。


「もう、二年近く前なんだね。二人があそこで演奏してたの」

「……そだね」


 昨日のことのよう、とまでは言えない。

 私もそれなりに色々なことを考えながら、あの日からの毎日を過ごしてきた。

 それでも私の記憶の中には、はっきりと当時の光景が焼き付いていた。

 聞いてくれていたみんなの笑顔と、メイの眼差し。

 あれだけの観客の前でキスまでしてしまったんだと思うと、流石にちょっとだけ恥ずかしさも込み上げてくる。


 私の胸の中には、まだあの時の興奮の欠片のようなものが、熱を持ったまま眠っている。

 もう一度、今度は最初から最後まで、Irisのライブをやり遂げたい。

 その渇望とも言える欲求は、少しも翳ってはいなかった。

 当時はまともに会場の手配もできなくて、結局尻切れトンボに終わってしまった。

 でも今なら、もっとしっかりと準備をして万全の体制でライブを設定することが出来る。

 店長さんのツテでライブハウスにもいくつか出入りしているし、去年からヘンプホールという市民ホールも格安で貸し切りを受け付けるようになったらしい。

 オリジナルの曲も、四十曲以上ストックが出来た。


 さっき高橋くんと話したアレンジというのは、Irisの曲のバンド譜作成のことだった。

 青田さんがドラム、ベース、キーボード、リードとサイドのギターパートを譜面に起こしてくれているのだ。

 最近は月に二、三回のペースで、店長さん、青田さん、私がサポートを務めたガールズバンドのメンバー達と一緒に、定期的に演奏練習を行っている。

 ピアノが弾ける頼子さんも、キーボードのパートで参加してくれている。


 あとは、メイさえいてくれれば……。

 そこまで考えたところで、頼子さんがスマホを見ながら歓声を上げた。


「凛子ちゃん、もうナカシマギターショップの前で待ってるって」

「はやっ!」


 私は慌てて残りのクレープを口に放り込み、立ち上がってお尻を払った。


「ギター取ってくるから、頼子さん先に行ってて」

「オッケー」


 駅前で一時解散し私は紺野書店を目指した。

 何年たっても代わり映えのしない店頭の様子にため息を付きながら、スイングドアを開く。


「いらっしゃいませー。って、寛か。おかえり」

「ただいま」


 カウンターの中で体を上下に揺らしながら私に声をかけてくるお父さん。

 最近の役割分担では、昼間の寝かしつけはお父さんに任されているらしい。


「……寝てるか?」

「……うぅん、全然。ぱっちり。……ただいまー。勇」


 お父さんの背中にリュックサックのように背負われているのは、おんぶ紐に包まれた赤ん坊。

 名前は勇。生後三ヶ月の男の子で、なんと私の十八歳年下の弟だ。

 金髪碧眼で目が大きく、まつげが長い。

 海外製品のオムツのパッケージモデルも務められそうな美男子だった。

 私はそのマシュマロのようなほっぺを指でつついてくすぐる。


「あ、寛。お前手洗ってないだろ。それ以上触るな」

「えー、いいじゃんちょっとくらい」

「ダメダメ。触りたいならちゃんと手洗ってこい」


 歯をむいて私を威嚇するお父さん。

 歳を取ってからの子供は特に可愛いものらしいけど、絶対私の時より溺愛している。

 何だかちょっと不公平だと思った。


「あれ、お母さんは?!」


 二階の店番がいないことに気付いて、一階に向けて叫ぶ。


「ちょっとそこら辺散歩してくるってよ!体型戻すんだって必死だよ」


 勇を身ごもってから、お母さんは変わった。

 何かにつけて娘に口出しして来て、毎週のように酷い言い合いを繰り広げていたのに、ぴたりと私への干渉をやめた。

 お坊さんみたいにストイックな生活習慣に切り替わり、お腹の子供のために生きているという様子だった。

 産後も、前より何だか活動的になったような気がする。

 この前もスイミングを始めようかなんて言い出していた。


 紺野家はまさかの第二子誕生でちょっとしたパニックだったが、幸せそうな両親の顔を見ているのは悪い気分ではなかった。

 赤ちゃんの世話というのも新鮮で楽しいものだ。

 私にとっても、良い刺激になっているのかもしれない。


 私は部屋に入り、ウサギのレベッカにただいまを言った。

 メイのクマがトムではなくトマスなら、この子はベッキーではなくレベッカにすべきだと思って命名した。


 タンスに立てかけた二本のギターケースのうちどちらを持っていくか少し悩んで、エレアコのハードケースを拾い上げる。

 凛ちゃんがいるなら、私はサイドでいいはずだ。

 嵩張るケースを抱いて、急な階段を転げ落ちないように慎重に降りた。


「練習か?」

「うん、晩御飯、いらないって伝えておいて。行ってきます」

「あんまり遅くなるなよ」


 私は勇に手を振って、大通りに出た。


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