71.ヒロカ
『No weapon with geeky name
Never identified by silly trademark phrases
Standing on the real world and no invitation from parallel universe
Neither a miracle nor a magic
No chance to re-do
We don't have pastel-colored weightless hair
None of fancy mansions, maids and limousines
Of course there is no such a strong student council in this school
No time to hold a tea party
Nobody doubts that
Warm and fuzzy days are just worthless and void
Only the way to improve is getting hurt and rebound
What the words are here for
Carping never make you happy, was it?
Something we must notice is now here
How much do you need indulgences to get wise? Grow up.』
次に演奏したオリジナル曲は、『Grow up』。
ヒロカに手伝ってもらいながら初めて英語の歌詞に挑戦した曲だった。
発音はヒロカ直伝ではあったが、果たして上手く舌は回っていただろうか。
コメントを見ている限りでは好意的な反応がほとんどだったので、私はこっそり胸を撫でおろしていた。
「この、888888っていうのは、何?」
「拍手、だよね?」
頼子さんと高橋くんが大きく頷く。
「ってことは、盛り上がってる?」
「聞いてみたら?」
「……盛り上がってくれてますかー?!」
メイが聞くと、直後に画面は真っ白になる。
思い思いの言葉で、視聴者達は興奮を伝えてくれていた。
「何回やっても不思議。ハイテクだね」
感心しきっているメイの発言に、また画面上に笑いの反応が起きる。
「あれ、なんで笑われてるの?」
「……ハイテクって。そういえば最近聞かないね」
「……そうなの?……ねぇ、やっぱり私しゃべんない方が良いんじゃないかな?」
不安げに声を潜めるメイだが、「もっとしゃべってー」とか、「かわいい」とか、ちょっと羨ましくなるようなコメントが流れてくる。
「ほら、もっとしゃべってって。ちょっと繋いでおいて。私マイクスタンド準備するから」
「あ、え、ちょっと。一人にしないで!」
私は手をひらひら振りながら画角の外に出る。
そのまま、アンプに寄りかかってスポーツドリンクを飲んだ。
一人カメラの前に取り残されたメイはしばらくおどおどしていたが、やがて照れくさそうにはにかみ笑いを浮かべながら画面に向き直った。
「ごめんなさい、ちょっと準備の間、お待ち下さい」
ペコリと頭を下げるメイ。
ふと、高橋くんが何かを思いついたような顔で、キーボードに文字を打ち込み始めた。
「え?……質問コーナー?答えればいいの?」
高橋くんの入力した文字が画面上部に青い文字で表示される。
『お名前をどうぞ』
「……冴木芽衣です」
『ニックネームはありますか?』
「えっと、ヒロカにはメイって呼ばれてます」
『年齢と誕生日?』
「十五歳、三月二十三日です」
『血液型は?』
「O型」
『好きな食べものは?』
「……ビーフシチューと、ミートローフ」
『お風呂では体のどこから洗いますか?』
「頭から」
『身長と体重は?』
「百六十五センチ、四十八キロ」
私は高橋くんを睨みつけるが、無視された。
スリーサイズ、と書きかけた文字が見えたあたりで頼子さんが高橋くんの頭にチョップした。
文字が消える。
「素敵な衣装ですね」
「あ、これは、ビー玉通りのラクレールっていうお店の貸し衣裳です。綺麗ですよね」
『オリジナル曲では作詞を担当されていますが、歌詞にはどんな思いを込めていますか?』
「うーーん、言いたいこと。普通だったら誰かに話す機会なんて絶対無いようなことでも、歌なら聞いてもらえるから」
『クリスマスライブはまだまだ続きます。意気込みをどうぞ』
「はい。私達の演奏、見て、聞いてくださってありがとうございます。私も目一杯楽しんで歌いますので、最後まで楽しんでください!」
『ありがとうございました!』
もう一度お辞儀するメイ。88888の洪水。
「じゃあ、次はヒロカね」
「あ、やっぱりそうなるよね……」
私だけ答えない訳にもいかないので、マイクスタンドを持ってメイと立ち位置を交代する。
メイなら一人でも絵が持つかもしれないが、私一人で画面を独占するのは気が引ける。
しかしもうそんなことで尻込みもしていられない。
ライブ前の円陣を思い出して、私は胸を張ってマイクの前に立った。
『お名前をどうぞ』
「紺野寛香です!」
『ニックネームはありますか?』
「えーっと、ヒロカ、です」
『年齢と誕生日?』
「十六歳、四月二十九日」
『血液型は?』
「A型」
『好きな食べものは?』
「クレープ、芋ようかん」
『お風呂では体のどこから洗いますか?』
「……左腕、かなぁ?」
『身長と体重は?』
「百四十五センチ……体重は当然ヒミツ」
「可愛いヘアピンですね」
「あ!紺野書店の一階ファンシーグッズ売り場で売ってます!紺野書店です!参考書、コミックをお求めの際は是非どうぞ!」
『オリジナル曲では作曲を担当されていますが、どんなときに曲が思い浮かぶんですか?』
「嬉しかったこと、悲しかったこと、感動した時にその気持ちを表現したくて、曲を書きます」
『好きなタイプは?』
「えーーー……。堂々としてて、頼りになって、でもたまに甘えてくれる人、かな?ってあれ?!さっきと質問が違う!!」
『ありがとうございました!』
「え?終わり?!ちょっと!私にも意気込み聞いてよ!高橋くん!!」
『名前バラすな』
88888の合間に、「高橋w」とか「ナイス高橋」のコメント。
上手くオチに使われてしまった。
「……私、普通に体重言っちゃったんだけど……」
恐る恐る定位置に戻ってくるメイ。私は横目で睨みつけた。
「……隠す必要が無い人は別に言ってもいいと思います」
「別にヒロカも気にしなくていいと思うけど。全然太ってなんかないし」
「こんだけ身長とスタイルが違うのに、体重が近かったら嫌でしょ?!……もう、この話題終わり。さっさと次行こ」
今まで精一杯カッコつけてクールなギタリストを気取ってたのに、すっかり笑われ役になってしまった。
演奏で挽回しなくては。
次の曲は一応私の見せ場の一つ。
バンド譜バージョンで練習し直した『そばかす』。
ギターを構えてメイを見ると、一瞬でメイの顔も引き締まる。
ドラムスティックのカウント音を合図に、低音がうねる歪ませたギターのイントロ。
覚えたてのピッキングハーモニクスも織り交ぜて、なんとか原曲をコピーする。
メイが目を見開きながら私の手元を凝視しているのがわかった。
時間がない中でもこの曲だけはなんとか完コピしたかった。
歌い出し。
Aメロのバッキングは、ジャジーでメロディアス。
そして泣けるほどハイレベルだ。
エレアコの弦では厳しいと言われた細かなチョーキングとハンマリング・プリングもこなせた。
寝る間を惜しんでの練習と、本番独特の緊張感が私の指先に力と自信をくれた。
気のせいか、ベースとドラムの音量が下がった気がする。
店長さんと青田さんが笑顔でうなずくのが見えた。
カメラが、私の手元と横顔を捉える。
メイの声だけがIrisの武器だなんて思われたくない。
また少し左手の動きが軽くなった気がした。
この曲には速弾きのギターソロはない。
その代わり一曲通してソロを任されているような難易度だ。
サビに入ってもコードのストロークみたいな単純な伴奏にはならない。
ドラムよりもメイの歌声と合わせて、一緒に歌を歌わせるように、一心不乱に弦を弾く。
旋律は遊ぶように、踊るように、絡み合いながら駆け抜けていく。
最後のサビでは、コーラスを入れるくらいの余裕があった。
やっと顔を上げた私を、メイの満面の笑みが待っていた。
『ヒロカ、すっごくかっこいい!!本当にプロみたい!』
『本当?!』
『うん!見とれちゃった……』
うっとりと頬を染めているメイ。
バンドバトルでは邪魔が入った曲だけに、練習しなおしてリベンジを果たせた喜びはひとしおだった。
何度もメイと演奏してきた中で初めて、ギターの音でメイの声をリードできた気がする。
二人で音楽を始めた時に思い描いていた、理想の演奏のイメージ通りの出来上がり。
楽しい。気持ちいい。メイの視線が熱い。最高の気分!
ぴょんぴょん飛び跳ねながら、エンディングを迎える。
アドリブで思いつくまま全弦を掻き鳴らしながら、ネックを高く掲げる。
長く長くファルセットを伸ばしながら、見事なビブラートを披露するメイの声。
バスと二つのシンバルを乱打する青田さんのドラム、ハイポジションでトレモロする店長さんのベース。
全部の音が、私の左手の上に集中しているように感じる。
飛び跳ねて、ギターを振り下ろしながら最後のストローク。
全員が私のキューに合わせてくれた。
メイとハイタッチ。
それだけじゃ足りなくて、抱き合って飛び跳ねる。
スタジオの中にも、頼子さんと高橋くんの拍手が響いた。
あまりにも長く画面にコメントが殺到するもので、私達の姿は文字の陰に隠れてしまった。
「凄い反響!ヒロカ、名前いっぱい呼んでもらってるよ!」
「ありがとー!!」
私は両手を大きく振ってお礼を叫ぶ。
メイと一緒にこんな演奏が出来るだけでも言葉に詰まっちゃうくらいの幸せなのに、こんなに声援までもらったら、もう感謝の言葉しか出てこない。
盛り上がっていく気持ちは、もっともっと上をと欲張っている。
「はー、楽しいねー!」
MCなんて入れる予定はなかったが、気持ちに任せてスタンドマイクに向けて喋る。
汗で張り付いた前髪を指先で梳かしながら、メイが頷く。
「もし実際にみんなの前で演ってたら、どうなってたかな?」
「いーっぱい声援もらえてたかもね。文字でも嬉しいけど」
画面上に表示される文字はほとんと絶え間なく流れている。
コメントを入れずに見ているだけの人もかなりいるだろうけど、それにしても想像以上の反響だった。
メイが画面に表示する閲覧者数を指差す。
「今、九百人以上みてくれてるんだって」
「えー、凄い!バンドバトルの時の倍以上!」
「……そんな人数の人達に囲まれるって想像すると……」
「……緊張しちゃう?」
「うぅん、興奮しちゃう」
「だよね!」
頷き合って笑う私達。
「でもさ、九百人も入れる会場って、私達じゃ用意できなかったかもね」
「あぁ、確かに……。ナガサワヤの吹き抜けホールでも、八百人らしいし。野外だと、設備が大掛かりになっちゃうだろうしね」
半分諦めるようなに言いながらも、もしできるならやっぱりみんなが見ている前で思い切り演奏したい。
その想いは拭いきれなかった。
「でも、別にこれが最後の機会じゃないしね。いつか次の機会に、どこかのステージで演奏できるよね!」
「……そうだね」
ほんの少し、メイの返事のトーンが下がったことを感じて、私は右側を盗み見た。
変わらず笑顔を浮かべているのに、その横顔に少しだけ翳りのようなものを感じた気がした。
「見て。『思い切って体育館とか校庭とかジャックしてやっちゃえば?』だって」
メイが画面を指差して言うので、私はとりあえず違和感のことを忘れて笑った。
「無理無理。本間先生に何言われるか」
「ただでさえ目をつけられてるしね」
「そう!このライブも、本当は新山公園でやるはずだったんだよ!でもあの人の圧力みたいなので、急遽変更になっちゃって……」
「え、そうだったんだ」
「もういっそ、路上とか駅前とかでもありかなぁとかも思ったんだよね。警察に許可取って」
嬉しいことに、「配信のほうがじっくり見られるから嬉しい」という声や、「もし麻生駅前でやるなら絶対見に行く」というコメントも見えた。
途中、高岡での演奏を見たというリスナーもコメントをくれたりして、突発のトークコーナーは大いに盛り上がった。
そんな中で、一つの長文コメントに私の視線は引き寄せられた。
「……?『麻生市でストリートライブをする場合は、警察には直接許可を取れない?』」
「……どういうこと?」
市のことについて詳しいらしいそのリスナーは、数秒後にメイの質問に答えを返してくれた。
「『警察は”認定機関”に対して、……えっと、ホウカツ的な許可を与えていて、”認定機関”に認定をもらったミュージシャンだけがストリートライブを実施できる』……だって」
「なんだかややこしいけど……」
「その”認定機関”にオッケーがもらえれば、直接警察には許可を貰う必要はないってことなんだね」
「すごい。ためになる」
こういう情報を知っている人とやりとりができるというのも、この形態の利点かもしれない。
「”認定機関”かぁ。何か審査とか、テストとかあるのかな?」
「……演奏がうまくなきゃだめとか?」
「……私達クリアできるかな?」
「うぉぉぉ、っほん」
ごにょごにょと相談を始めた私達の真横から、わざとらしい咳払いが聞こえた。
店長さんが何か言いたげな顔で私を見ている。
「店長さん?どうしたの?」
しゃべっていいのかとジェスチャーで聞いてくる店長さんに、私は頷いた。
思いっきりマイクに拾われるような咳払いをしておいて今更だ。
「えー、あー、ぅん!審査のポイントは、いくつかあるが、まずは道路、設備を破損汚損しないこと。またもしそうなった場合に賠償すると契約を結べること。実施場所の環境・状況から判断して許容されるレベルを逸脱する音量を出さないこと、などがあります」
「……店長さん、詳しいですね」
「そして何より、これ以降は私の個人的な意見も入るが……」
もったいぶってまた一つ咳払い。個人的な意見?
「音楽を愛していること!人に聞いて欲しいという熱意とそれに見合うだけのスキルを持っていること!」
突然OFFで入ってきた声に、戸惑いのコメントが寄せられ始める。
私ははっとなって店長さんを指差した。
「もしかして……!”認証機関”の?!」
「うん。一応責任者やってます」
『えーーー?!』
私、メイ、高橋くん、頼子さんの声が重なる。
青田さんはドラムセットの中で相変わらずの澄まし顔だ。
「な、なんでそのこと早く教えてくれなかったんですか?!」
「え、いや。だって、結局スタジオで配信って方法に決まったじゃない?だから路上なんて、今更選択肢にはないのかと思って……」
ばつが悪そうに頭を撫でる店長さん。
「……自分のとこのスタジオで配信やってくれたほうが、宣伝になると思ったんじゃないの?」
隣でハイハットのペダルを踏みながら、青田さんがぼそりと漏らす。
「青田くーん!私は、一人でも多くの人に聞いて欲しいという寛香ちゃんの要望に応えようとしてだね……!」
「え、待って待って!じゃあ、私が今ここで店長さんに、認定してくださいってお願いしたら?!」
リスナー置いてけぼりで、私は店長に食ってかからんばかりの勢いで尋ねた。
「うん、出来るよ、認定。書類一枚印刷して、それにサインしてもらえば」
……思わぬところから話が妙な方向に向き始めた。
そして、このやり取りが生で配信されていたということは。
「……見て、ヒロカ」
画面を指差して、メイが私に囁く。
「やるなら見に行くぞー!」「この流れだったらやるしかないっしょ」「生で見たい!」エトセトラエトセトラ……。
私は、メイの横顔を見つめる。
もし私が感じていた予感の通り、メイがこのライブのあとにまたお母さんの元へ戻ってしまうとしたら。
いつまた一緒に演奏できる機会が来るか分からないのに、この配信だけで今日を終えてしまって良いのか。
「寛ちゃん……」
「紺野……」
ディスプレイとカメラの後ろから、判断を迫るような声が上がる。
私が黙って見つめていることに気付いたメイが、私に向き直る。
動揺を滲ませた笑顔の裏に、困っているような、助けを求めるような陰がまた少し覗いた。
「……今日は、クリスマスなんだよね」
私の言葉の真意を測りかねた様に、メイは少し首をかしげる。
「少しくらい、無茶したっていいよね」
思い通り、イメージしたとおりに物事が進むこと。
何をやってもうまくいかないこと。
今までの経験と重ね合わせて、今日のこれはどちらに倒れるだろう。
こればかりは飛び込んでみないと分からない。
でも、運命なんて大げさな言葉を使っていいのかはわからないけど、いろんな出来事が背中を押してくれているような気がする。
「メイ、行こう。やろうよ!」
強い決意を込めて、私は微笑む。
もしメイと出会ってから今日までのことが、すべてまっすぐに繋がっている道だったとしたら、それはきっと、この先のもっと大きなクライマックスへの通過点だったのだと思う。
うねるような起伏を超えて、今大きな山場が目の前にある。
そこに立ち向かうかは、今までの私のままでいるか、これからの私でいるかを直接暗示している。
あの時こうしていれば、こう言っていれば、そんな後悔にまみれた毎日に戻るような一歩を、今の私は選んじゃいけない。
だって、今この瞬間は間違いなく、目の前には私を変えてくれた人がいるんだから。
「ヒロカ……」
戸惑うように持ち上げた左手が、胸元で彷徨っている。
メイの胸の中に渦巻く葛藤が、そのまま私に伝わってくる。
決してリスクのない試みではない。
いくら許可を取ったといっても、どんな妨害や邪魔が入るか分からない。
時間いっぱいまでここで全曲を演奏し終えれば、間違いなくそれもひとつの大成功の形だろう。
「メイ。私ね」
もうカメラが回っていることなんて忘れてしまっていた。
ゆっくり、一歩一歩メイに歩み寄っていく。
「もう一度、メイと一緒にあの歓声に包まれてみたい。いつくるか分からない次の機会よりも、今あるチャンスに挑戦してみたい」
メイの表情に驚きの雫が落ちて波紋を広げる。
皮肉なことに、その反応で私には分かってしまった。
さっきメイが見せた違和感の正体。
やはり彼女は、このライブが終わったらまたしばらく私のそばにはいられなくなるんだ。
もし上手くいかなかったら。
メイが去った後に、今まで以上に心ない噂や中傷が蔓延することになるかもしれない。
その時私は一人で、また戦っていけるだろうか?
自問の答えは、はっきりとした肯定だった。
私の手にはメイと、みんなが重ねてくれた掌の重みが残っている。
メイと同じ夢を追いかけていられる。
それを応援してくれる仲間もいる。
だったら今は、このスタジオの外でも私達が成功を掴めるのか、試してみることを選びたい。
「でも……ヒロカ。私は……」




