表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Whatever  作者: けいぞう
70/78

70.ヒロカ

「三十秒前!」

 タイムキープとカメラコントロールを担当する頼子さんが叫んだ。

 スクリーン代わりの白いシーツの前に立って、肩にかかるストラップの位置を調整する。

 目の前には二台のカメラと、ディフューザーを付けた照明が二つ。

 さらに四十インチの液晶スクリーンが二つ並んでいる。

 一つは配信されている映像と同じものを映し、もう一つは歌詞、コードのリアルタイム表示と、演奏中の連絡を文字で表示するためのものだ。


 本番まであと三十秒だというのに、緊張は全く無い。

 実力以上に上手くやろうとなんて思っていないし、失敗するかもなんて心配もしない。

 ただ今まで積み重ねてきたものを披露するだけだ。


「二十秒前!」


 何度も確認したチューニングの最終確認。

 当然、狂いはなかった。


 隣りにいるメイを見る。マイクを手に目を閉じて、気持ちを集中させているようだった。

 髪が短くなったおかげで、首筋から背中までの、ため息が出るほど綺麗なラインが顕になっていた。

 今日もメイは、最高にカッコ良い。


「十秒前!」


 ネックを掴んでミュートする。

 一曲目はオリジナル、「Eclosion」。

 妖しげな雰囲気の曲調に合わせて、ライティングとエフェクター操作担当の高橋くんが片方の照明に赤いアクリル板を咬ませた。

 目の前が血のように赤い夕焼け色に染まる。


「五秒前!」


 一瞬だけ、メイが目配せを飛ばしてきた。

 私は小さく頷いて、右手をブリッジの横に添える。


「四、三、二――」


 真っ暗だった左のスクリーンに、ゆっくりとフェードインしていく映像。

 赤い薄暗闇の中に、私達二人が立っている。


 メイが短く息を吸い込む音に合わせて、私は一つ、ゆっくりとアップストローク。

 演奏開始。

 

『お願い 私の名前を返して

 誰もいない蛹の中で囁く


 窮屈な この空洞の中で

 私の形さえ失われてしまった


 飛び交う記号を繋ぎあわせた

 不安定なこの塒で

 貴方は儚い糸を紡いで

 星が落ちるのを待ってる


 崩れ落ちる 朽ち果てる

 この街に永久の凪が訪れて

 赤黒い雲 夜の目の雫

 月のない空に もう手が届くよ


 お願い 私の皮膚を返して

 触れられない痛みが私を苛む


 曖昧な境界を混ぜあわせて

 出来上がった色は斑

 深く暗い混沌にまみれて

 それでも私のままでいる


 抱きしめて くちづけて

 踏みにじって 唾を吐いて

 私の心の 抜け殻を作る

 いつかこの背に 翼が生えるまで


 お願い 私の耳を返して

 世界はまだ囁きをやめていない』

 

 最後のストロークの音を長く長く響かせながら、私はカメラに背を向けてアンプに近づく。

 甲高いハウリングの音が続く。

 カメラの画角の外で、青田さんがリバースシンバルの音量を上げていく。

 バス、フロアタム、スネアが同時に大きく打ち鳴らされて、私は次の曲のイントロリフをかき鳴らし始める。

 エフェクターの切り替えもバッチリで、一瞬にしてディストーションとオーバードライブがかかる。

 サビのメロディをアレンジしたフレーズをリピート。

 二巡めから店長がスラップするベース音が合流。

 リズム隊と合わせるのは数回目だが、店長さんと青田さんのスキルは流石の一言で、驚くほどあっさり本格的なバンドサウンドを作り出すことが出来た。

 ピッキングのニュアンスや音量で、歌い出しを促す。

 メイは左手を真っ直ぐ前に突き出して、低く抑えた声で歌い出した。

 そのポーズは、何かに追いすがろうとしているようにも、何かを遠ざけて拒絶しているようにも見えた。

 背景には闇夜を切り裂く光線や稲光。


『かすれた声で叫んだのは

 決して消えることのない祈り

 体中を巡る 決意の熱が

 行き場もなく胸を焦がしてるのに


「嘘ばかり」そう気付いてても

 たまにそれに救われちゃうから

 スカートのポケットの中

 焦りがまた形を変えていく


 伏せられたカード 裏返しの本音を

 覗き合う毎日が僕らの人生なの?

 

 何のためにここにいるの 教えてよ

 誰かが回す世界の隅っこで

 敵わない敵 叶わない夢

 未来がまた一つ 日常に消えていく

 

 間奏。

 息苦しさに喘ぐような表情から一転、メイの顔に意志の光が灯る。

 左手が裏返る。

 何かを差し出すような、誰かに手を差し伸べるようなその掌。

 縦にスプリットされた画面が、メイのバストアップと私の手元を映す。

 頼子さん、ナイスカメラワーク!


 『こっそりと胸の中には

 真っ白な怒りを灯している

 諦めたフリ 手放した誇り

 でもまだ負けなんて認めない


 放たれたワード 鏡越しの真実

 響き合う感情に耳を澄ませてよ


 世界はまだ終わったりしないから

 見えなくてもいい ただ聞いて欲しい

 癒えない痛み 言えない秘密

 全部この歌が 激情に変えていく

 

 何のためにここにいるの 知っているよ

 僕らが創る舞台の真ん中で

 覚めない夢を 冷めない熱を

 全部この歌が 激情に変えていく』


 掲げた左手をメイが振り下ろすと、それを合図に全員がミュート。

 照明はオフ。

 暗闇の中少し息を弾ませて、私とメイは軽く拳をぶつけあった。


 歌詞を表示していたスクリーンの右上に、数字が表示される。

 四百七十八。

 少し考えて、閲覧者の数だと気づいた。

 もうすでに全校生徒の数を超える人達が、配信を見てくれていることになる。

 私がメイの腕を揺さぶると、少し安心したようなため息が聞こえた。


「マイク、一旦ミュートした。どうする?このまま演奏続けるか?」


 スクリーンの裏から顔を覗かせて、高橋くんが聞いてくる。


「少し、MC入れようか。メイ、しゃべれる?」

「え、ま、また?私、アレちょっと苦手……ヒロカに笑われるし」

「この前は上手くこなしてたじゃん!ほら、時間ない!明るくなったら、改めて自己紹介。アーティストっぽくね。照明ゆっくり点けて」

「おっけ、マイク入ります!」


 隣でメイが肩を強張らせたのが分かったので、ほっぺに軽くキスしておいた。

 ゆっくりとスタジオ内の照明がフェードインする。

 少し眩しそうに、メイが両目を細めた。


「……こんにちは」


 やっぱりその出だしか。

 私は吹き出しかけて、首を振って顔を引き締めた。

 いま私たちは、五百人近くに見られているんだった。


「初めましての方は、初めまして。お久しぶりの方は、お久しぶり。Irisです」


 私はメイの隣にくっついて、小さく右手を振って、軽く投げキスなんかしてみた。


「……あー……なんか反応がないとしゃべりづらいかも……ねぇ、あと何話せばいいの?」


 声と表情は平静を装いつつ、内心メイが滅茶苦茶焦っているということに、多分私だけが気付いていた。


「あれ、もうギブアップ?」


 少し意地悪をして、私はニヤニヤしながら茶化す。


「だって、なんかカメラに向かって独り言言ってるみたいなんだもん」


 バッチリ衣装を決めたメイが困ったように眉根を寄せて私に縋ってくるのが可笑しかった。

 私はちょっといい気分で、声を殺して笑った。


「え?何?」


 スクリーンの裏から、パソコンを入力するようなジェスチャーを見せる高橋くん。

 左のスクリーンに繋がったノートPCを何やら操作すると、私達が映る画面の中に大量の文字が表示され始めた。

 右端から左端へ、滝のように文字が流れていく。


「うわ!すごい……なにこれ」

「あ、コメント表示したんだね。今この配信を見てくれてる人達が、パソコンとかスマホとかで文字を入力してるの」

「へえぇー」

「これも、反応っていえば反応だよね」

「……こんにちは!」


 改めてマイクに向けて挨拶するメイ。

 一拍遅れて、大量の白文字が雪崩のように画面に押し寄せた。

 私達の姿がしばらく隠れてしまうほど大量の「こんにちは」の文字。


「なにこれ……面白い……。元気ですかー?」


 また数秒後に「元気」「元気ー!」「元気だよー」。


「すごいすごい!会話ができる!」

「……メイ、さっきから反応が完全に素だよ」

「……いけない」


 お上品ぶって口元を隠すメイ。服装のせいか、さっきから妙に振る舞いが女らしかった。


「うわ、何?波がいっぱい……」

「これは、みんなが笑ってるってこと。笑い声が上がってると思って」

「髪切った?だって。はい、ちょっと事情で。似合う?……可愛い?え、ありがとうございます!」


 どうやら反応は極めて好意的なようだった。

 野次みたいなコメントは全くと言っていいほど見当たらない。

 少し安心した。


「冴木ー!だって。すごい、何で名前知ってるの?え?……有名?嘘、なんで?」

「ちょっと」


 画面にかじりついて新感覚のコミュニケーションを楽しんでいるメイの肩をピックでつつく。


「あんまり一人で楽しまないでよ。相手、ライブのお客さんだよ?」

「……いけない」


 数秒前と同じポーズを取るメイ。


「……こういうのなんて言うんだっけ。親子丼?」

「え?なんで?」


 思いっきり首を傾げるメイを他所に、画面は「w」の大津波と「天丼」の文字に埋め尽くされた。

 メイは全く意味が分かっていないようだったが、とりあえず笑いは稼げたようだ。


「まあいいや、次、行ってみる?」

「そだね。いっぱい聞いてもらわなきゃ」

「すごい、六百人も見てくれてるよ……」

「……馬鹿やってる場合じゃないね」


 私たちは同時に頷く。

 『愛のバクダン』のイントロを始めると、また画面に文字が溢れかえる。

 私は脳内でそれを大歓声に変換した。


 それから三曲通して演奏し終える頃には、中継視聴者数は八百を超えていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ