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Whatever  作者: けいぞう
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07.ヒロカ

 その日の四時間目は倫理で、理数系クラスの私たちにとってはほとんどどうでもいい、消化試合のような時間だった。

 昼食の前で空腹と睡魔が同時に襲ってくるが、さすがに堂々と居眠りはまずい。

 気を抜くとお腹が大きな音を立ててしまいそうだった。


 何の気なしに窓の外に視線を向ける。

 三階に位置する一年生の教室からの、見慣れた退屈な風景。

 その中に、小豆色のスカートと黒髪をなびかせながら校門に向かって歩く女生徒の姿を見つけた。

 冴木さんだ。

 転校初日から早退だろうか?

 なんだか後ろ姿が寂しげに見えて、また私の胸はざわつく。


 壇上では遥か昔、人間の理想は美にして善であると唱えられていたと説明していた。

 転校したての彼女に容赦のない好奇の視線を飛ばしていた同級生たちの姿は、美とも善とも対極にあるものだったような気がする。


 ため息をついてこっそり楽譜のコピーを取り出す。

 どうせまともに授業を受ける気が起きないなら、せめて開き直って建設的な作業をすることにしよう。


 譜面の上のダイアグラムが示すコードをそのまま弾くより、ベース音にあたる音をアレンジしてみた方が、より原曲に近い伴奏になる。

 ベースのタブ譜とコードの形を見比べて、自分の指で抑えられる形を模索する。

 同じフレーズに対して幾つか候補となる抑え方をメモしておく。

 週末に向けた楽しい準備作業のはずなのに、軽音部のことが頭をちらついて落ち着かなかった。


 軽音部には、何人くらい入部するのだろう?

 私が音楽室を借りられる余地はあるのだろうか?

 やっぱり放課になったらすぐに、佐藤先生に確認してみよう。


 職員室。

 佐藤先生は若い男の先生で、垢抜けないデザインのメガネと細長い体が頼りない印象を与える。

 若手だからと職員室の雑用を押し付けられて忙しそうにしているイメージが強い。

 鍵の管理もその一つのようだった。


 部員は軽く二十人を超えるらしい。

 学校の設備利用は部の活動が優先になるのは当然だが、先に使っいてた立場もあるだろうからと、軽音部に入部という扱いにしておいたと知らされる。私は焦った。


 なぜそんな勝手なことを。

 正直、今日の朝礼で奇声をあげていた人達と同じ部なんて、想像するだけで冷や汗が出そうだった。


 それでも、空いた時間だけでも使わせてもらえる可能性があるなら、籍だけは置いておくべきかと考え直して、私はとりあえず佐藤先生にお礼を言った。


「今日からもう活動開始してるはずだから、行ってみたらどうだ。顔合わせとかしてるんじゃないかな?」


 他人事のように軽く助言をくれる佐藤先生。

 あまり気乗りはしないが、何にしても置いてきたギターを回収したい。

 私はもう一度お礼を言って、職員室を出た。


 渡り廊下を渡って階段を上り、音楽室に近づくと、ディストーションギターの音が漏れ聞こえてきた。

 遠慮のない音量でガーガーとやっている。

 怯えながらドアを開くと、室内にいた十数人全員が一斉にこちらを見たが、すぐに興味なさげに視線を逸らした。

 部員とは認識されなかったのだろう。

 茶髪にピアス、着崩した制服姿。

 ある意味予想通りの顔ぶれが群がっていた。

 楽器を持っているのは二年生らしい二、三人だけで、残りは机の上や地べたに行儀悪く座って駄弁っているだけのようだった。

 意を決して中に踏み込むと、かすかに嫌な臭いが鼻を突いた。

 タバコの臭いだった。

 私は早足で準備室に入り、掃除用具入れからギターケースを拾い上げて、そそくさと逃げるように音楽室を出た。


 ――ダメだ。あの中で練習なんてどう考えても無理だ。

 そもそも人がいるだけで声が出なくなるのに、あんなまともに会話も出来なさそうな相手がいる空間で弾き語りなんて、出来るはずがない。


 こうなれば、早朝だ。

 明日朝早くに来て、また様子を見ることにしよう。


 教室に戻ると、頼子さんが待っていてくれた。


「カバンが残ってたからすぐ戻ってくると思って。一緒に帰ろ?」


 のんびりした彼女の言葉は、いつも私に癒やしをくれる。私たちは、連れ立って校門を出た。



 帰り道、とりとめのない会話はやがて、ショートホームルームで配られた進路希望調査のプリントの話題に及んだ。


「頼子さんは、何かなりたいものとかあるの?」


 隣を歩く頼子さんに尋ねる。

 視線の高さが合うクラスメイトは、彼女しかいない。


「うーん、お菓子とかパンとか作るのが好きだから、そっち系かなぁ。製菓学校とかいいかなぁと思って。ほら、高岡の駅前にあるあそことか」


 綿菓子みたいなふわふわした声で答える言葉に、私は少なからずショックを受けた。

 まさか彼女が、すでに具体的な進学先まで考えているとは予想だにしていなかった。


「寛ちゃんは?」


 逆に聞かれて、言葉に詰まる。

 将来のことなんて、ピックの先ほども考えていなかった。


「わ、私はギターかな!これ一本抱えて流離いの旅に出るの!」

「えーーー、かっこいい。素敵」


 おどけた答えはただのはぐらかしでしかない。

 自分でも咄嗟とは言え滅茶苦茶を言っていると思ったのに、素直な頼子さんが拍手して褒めてくれるものだから余計に自己嫌悪は募った。


 頼子さんは紺野書店に寄って、スコーンのレシピを買って帰っていった。

 フルカラーのそれは定価二千二百円。

 高校生のお小遣いを考えると決して安くはない額だが、迷ったり惜しんだりする様子は無かった。

 夢中になれる物事が将来に繋がっているのが羨ましい。

 親友に取り残されたような気がして、私は彼女の背中を見送った後で深い溜め息をついてしまった。


 部屋に戻っても、宿題や勉強に取り掛かる気分にはなれなかった。

 サイレンサーをつけてギターの練習をする。

くぐもったような音が自分の胸中と重なって、余計に落ち込みそうになる。


 嫌な気分を振り払いたくて少し右手に力を込めると、ドアの裏で待機していたかのようなタイミングで、即お母さんが部屋に殴り込んできた。

 中央で分けた金色の前髪の隙間から、青い瞳で私を睨みつける。


「寛。お隣に苦情言われたばっかりなの、もう忘れたの?」

「ちょっと。ノックくらいしてよ」

「せっかく用意した朝食を食べないような奴には、そんな気は使ってやらない」


 不機嫌そうにハタキの柄で自分の肩を叩くお母さん。

 その仕草や口調は、最近ちょっとおばさん臭くなったような気がする。

 黙っていればハリウッド女優もかくやという容姿のくせに、何とも勿体無い。


 お母さんはイギリス人だ。

 つまり、私は日本とイギリスのハーフ。

 だというのに、私の髪と瞳の色は、母方のおじいちゃんのものが受け継がれた。

 しかも顔つきと体型は父方のおばあちゃんに似た純和風。

 そのせいで、混血であると気付いてもらえることは殆どない。

 昔から、お母さんの容姿は私にとってのコンプレックスだった。

 もし私がお母さんみたいな長身の金髪碧眼で、鼻筋の通ったクールビューティだったら。

 きっと冴木さんのように自信に満ち溢れた振る舞いが出来ていたはずだ。


「ギターばっかりじゃなくて、ちょっとは勉強しなさいよね」


 綺麗な顔を皮肉っぽく歪めてお小言を漏らしながら、お母さんは出て行った。

 容姿以外は、彼女は全くもって普通の、ただの口うるさい主婦である。


 せめてもの反抗のつもりで小さな声で歌ったのは、『十五の夜』。


 四月生まれの私は、もう十六歳だった。


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