69.ヒロカ
『Iris never withers. 12/25 13:00 http://smilevid.com/bg-35485/ad4b5ec/』
『↑なにこれ?』
『ブラクラ?』
『なんかカウントダウンしてる』
『ホイホイ踏むなよ』
『アイリス?またなんかニュース?』
『エンコー証拠動画キタら起こして』
『スマ生じゃない?なんかやんの?』
『あと二時間』
『リンク先更新されてた。顔写ってないけと紺野と冴木の写真っぽい。』
『冴木って停学中じゃないの?』
『クリスマスって、これからデートなのに』
『見栄張るなよ』
『商店街のどっかにも似たようなポスターあったよ』
『サンタっていつまで信じてた?いつそんなのいないって知った?』
『北欧には本物がいるから』
いつものように話題は右往左往しているが、その書き込みは一定の関心を呼んでいるように見えた。
ティーザーサイトのアクセスは千に迫ろうとしている。
青田さんと頼子さんの宣伝の効果だろう。
控え室として使わせてもらえることになったスタジオBで、私は指慣らしを終えてスマホを覗き込んでいた。
部屋は暖房を強めにたいてくれていたが、肩が出ている衣装のせいで少し肌寒かった。
青田さんが手配してくれたレンタル衣装の中から、私は白のパーティドレスを選んだ。
薄紫の細身なレザーベルトがアクセントになっていて、Irisのイメージにぴったりだと思った。
少しだけ丈が長かったので、パニエを履いてスカート部分を膨らませた。
あとは髪を少し整えて、チャームが付いたヘアピンを着ければ出来上がりだ。
スタジオの防音扉がゆっくりと開いて、隙間からメイが顔を覗かせた。
「あ、着替え、終わった?見せて!」
私が声をかけると、恥ずかしがってすぐには見せてくれないかと思いきや、ニヤリと笑ってぴょんと扉の陰から飛び出してきた。
メイの方は、黒のドレスだった。
ティアード加工で、かすかに覗く裏地の紫が上品ながら妖しい印象を与える。
ざっくりと開いた襟ぐりを飾るネックレス。私のヘアピンとお揃いのデザインだ。
「わーー!かわいい!お姫様みたい!!」
「ありがと。ヒロカも素敵。お人形さんみたい」
うっすらとペイズリーパターンの入っているタイツを履いて、足元は黒ベロアのパンプスだった。
黒いサテンのロンググローブをはめながら、自分の靴の高さを気にする素振りを見せた。
「ちょっとだけ歩きづらくて……。スタジオの中なら動き回ることもないからいいんだけど」
「私も少し高めにしてみたの。スタイル良く見えるかなって。メイ、ちょっとこっち来て!」
スタジオの壁に設置されている姿見の前に二人で並んで、衣装をチェックする。
「うんうん!いいんじゃないかな!?色は対照的だけどバランス取れてるよ!」
私が腰に手を当ててポーズをとると、メイもそれをマネする。
「すごい……。何だか本当にアーティストみたい……」
「青田さんに感謝だね……。衣装も機材セッティングのこととかも。あ!そうだ!」
私はドラムセットの椅子の上に置いてあった色紙とサインペンをメイに手渡す。
「?……これ?」
「サイン。左側に書いて!」
「……ねえ、これ、夢じゃないよね?なんだか、勘違いしちゃいそう……」
両手を頬に当てて、珍しく女の子らしい照れ方を見せるメイ。
「今日一日は、思いっきり気取っちゃってもいいんじゃないかな」
「でも……流石にちょっと恥ずかしいね。サインなんて」
「私はもう書いちゃったんだから!メイも、お願い」
「……よし」
一つ力強く頷いて、メイはサインペンを走らせる。
ブロック体大文字でMAY、そのあとに星のマークを書き込んだ。
「あはは、いいね!なんからしさが出てる!」
「あ、仕上げに……」
二人の名前の上に、メイが更に何やら書き込む。
「あ、かわいい。これって……」
「フルールドリス。ほら、これ」
メイは自分のネックレスと私のヘアピンを指差す。
「Irisのマークだよ」
「……へえぇぇ」
色紙をしみじみ眺め、私はちらりと横目でメイを見る。
「これ、私がもらっちゃダメかなぁ?」
「……なにそれ!自分たちのサインを部屋に飾るの?」
大笑いするメイ。
私は色紙を胸に抱いて、唇を尖らせた。
「だって、なんかいい出来なんだもーん。メイは欲しくないの?」
「うーん、ちょっと自分では照れくさいかなぁ」
「ダメダメ。それはうちに飾るんだから」
いつの間にか入り口に立っていた青田さんが、クギを刺すように言う。
いつものTシャツジーパン姿ではなく、Yシャツに黒のスラックスだ。
細身の体にシンプルな服装が良く似合うが、髪の色のせいで休憩しているホストみたいに見えた。
「一枚目っていうのがレアなんだから」
「……あと二枚色紙買ってきて書いて、シャッフルしちゃおうか?」
「ダメ」
つかつかと歩み寄ってきて色紙を取り上げ、ビニールケースに仕舞う青田さん。
宝物を取り返した男の子みたいな顔をしていた。
大事にしてもらえるのは嬉しいが、やっぱりちょっとこそばゆかった。
「あと十分くらいでセッティング終わるから、マイクとギターのチェックお願い」
一瞬後には、またいつもの無表情に戻ってぶっきらぼうに言い、青田さんはBスタジオから出て行ってしまった。
なんだかサインが出来上がるのを待っていて回収しに来たような登場のタイミングだった。
「……変わった人だよね」
「……うん。良い人だけど」
私の言葉に、メイが頷く。
何故そこまで私たちのことを評価してくれるのかは分からないが、悪い気はしない。
アーティスト気分がさらに盛り上がってしまった。
あるいは最初から青田さんはそれを狙っていたのかもしれない。
「そういえば、この配信って、スマホかパソコンが有れば誰でも、どこからでも見られるの?」
「うん、URLさえ知ってればね」
「そっか」
スマホを取り出して、ティーザーサイトを表示させるメイ。
カウントダウンはあと十五分。
バンドバトルの時の映像から切り取ったらしい私達の写真が、背景に設定されていた。
マイクを構えるメイの口元のアップと、パワーコードを抑えている私の左手のアップ。
なかなか意味ありげで、見る人の興味をかき立てるレイアウトだった。
青田さんには感謝してもしきれない。
「一応お父さんにも、送っておこうかな」
あまり期待はしていないという口調でメイが呟く。
メイと彼女の両親との状況についてあまり深くは聞けていなかったが、私個人としては彼女が歌う姿を見て欲しいと思った。
「……見てもらえると良いね」
「ヒロカは、ご両親には知らせた?」
「お母さんだけにね。お父さんにはバレると、なんか色々うるさそうだから」
「そっか」
改めて、二人でティーザーサイトを眺める。
アクセス数は二千を超えていた。
凄いことをしかけようとしているという実感が、カウントダウンの一秒ごとに膨らんでいく気がした。
「……ねえ、ヒロカ?」
改まった口調で切り出したメイに、私は微笑みかけながら言う。
「……何を言おうとしてるか、当ててみせようか?」
目が合う。
たったそれだけで、私はメイの次の言葉が何であるか、確信していた。
「私達、プロのミュージシャンになれるかな?でしょ?」
私がそう言い当てたことを、もうメイは驚かなかった。
きっとお互い、頭の何処かでは考えていたことだ。
「……こんな機会をお膳立てしてもらっちゃって、舞い上がってるのかな?」
自分に問いかけるように、メイは胸に手を当てる。
聞かれた私も、もちろん客観的な答えなんて持っていない。
かわいいドレスを着て自分のステージが出来上がるのを待っている内に、すっかり浮足立ってしまっていた。
「……わかんない。でも」
私はもう一度鏡に向かって、ドレスを着た自分たちを見つめた。
ちょっと前は想像もしなかった姿。
お互い出会ってから三ヶ月でこうなんだから、数年後のことなんて、まったく見当もつかない。
「わかんないってことは、可能性はあるってことだよね」
今までずっと、自分に将来の夢がないことが苦しかった。
やっと夢中になれることが見つけたのに、今度はそれを夢と呼んで良いのかが分からなくて悩んでいる。
そしてもし一度、アーティストになることが自分の夢だと言えるようになったとしても、その夢を信じ続けていくことに苦しむのかもしれない。
だったら、どうせどこまで行ってももがくことになるんなら、ただ未来を不安に思っているだけではいたくない。
メイと出会って私は変わった。
私を変えてくれたメイを好きになった。
これからどれだけ変われるかは、どれだけメイを好きでいるかだと思う。
自分にとって一番大切な感情がどれだけのエネルギーを持っているのか、その力を私自身も試してみたい。
どんな苦難が待っていても、その先にある幸せを信じて歩き続けていたい。
誰でもない、そう思えるきっかけをくれた、この人と一緒に。
「……だから、メイ」
私は右手をメイに向けて差し出す。
その腕は、今までとは違う新しい繋がりを求めていた。
「あやふやで、不確かで、パートナーが私じゃ頼りないかもしれないけど」
自分の弱気な言葉を打ち消すように、私は首を軽く振って、改めてメイを見つめた。
「これから、私と一緒に、同じ夢を見てくれる?」
手の平を下に。触れ合うためでも、支え合うためでもない。
力を合わせることを決意するための形。
メイの視線が手の先から私の顔へと移って、目があった。
何故か、学校の昇降口で初めて会った時のことを思い出した。
あの日から、本当に色々な事があった。
でも今にして思うと、全ての出来事はこの日に向かうためのステップだったような気がする。
だから、その手が私の手に重ねられることも、ごく自然なことのように感じた。
「……私ね、見たんだ」
「え?」
メイは目を閉じて、穏やかな声で囁く。
「何万人もいる観客に囲まれて、ギターを弾くヒロカと、歌ってる私」
「……それって、夢?」
「そうかも。しかも、ほんの一瞬。でもよく覚えてる。私もヒロカも、聞いてる人達も、みんな笑ってた」
私とメイがはしゃいでふざけあって笑い合う気持ちが、聞いてくれているみんなに伝わっていく感覚。
自分たちがどれだけ楽しくて幸せか、全部が伝わる瞬間。
それを目指して生きていくことができるとしたら、なんて素敵な人生だろう。
一人で想像する時よりもずっと、頭の中に描く夢のイメージは力強く膨らんでいった。
「ヒロカのギターを聞いた時から、今この瞬間までが、真っ直ぐ繋がった気がする」
力強い眼差しが、私の瞳を射抜く。
しっかりと見つめ合って、ぴったりと心を重ねあわせる。
「……私とメイは、こうなる運命だったんだね」
「そうだよ。そうだって信じて、現実にしよう」
「出来るよね」
「きっと……うぅん、絶対出来る。だって」
『私達なんだから』
手を重ねたまま、吸い寄せられるようにキスをする。
二人で一緒に未来を目指すための、誓いのキス。
それだけで、どんな不安も消える。
何だって出来る気がする。
覚悟は決まった。
今日一日のライブこそ、途方も無い夢のための第一歩だ。
「あー!ま、待って待って!そのまま動かないで!」
Bスタジオの入り口ドアから上半身を覗かせて、頼子さんが慌てたように声を上げる。
「高橋くん!店長さん!青田さん!」
廊下に向けて招集の声を上げる。
スマホで二、三枚、手を重ねる私達の写真を撮ってから、頼子さんは私達のそばに駆け寄ってきた。
「こういうの、一回やってみたかったんだよねぇ!」
メイの手の上に、右手を重ねる。
私は笑って、立ち位置を調節した。
「なんだよ、澤田。もう本番……って、あぁ」
いつもより一層気合の入ったウニ頭が、私達を見つけて納得の表情を見せる。
「ま、ライブって言えばお約束だしな」
頼子さんの手の上に、高橋くんが右手を乗せる。
私の手の上の重みが、少しずつ増えていく。
その感触だけで胸がいっぱいになって涙が出そうになってきた。
「それ、私も参加していいのかなぁ……。こんな若い子達に混ざって……。私、今年で四十二になるんだけど……」
青田さんとお揃いの白シャツ黒スラックス姿で、大統領のSPみたいな雰囲気の店長さんが躊躇いながら入ってくる。
「何似合わないこと言ってるんですか!店長がいなきゃ、始まんないでしょ!」
「……そう?じゃあ、遠慮無く……」
ずしりと来る重み。
店長の大きな手は私達のそれを覆い隠してしまいそうなほどだった。
「……あれ?」
後にすぐ続くと思っていたもう一人が来ない。
「……青田くーん!」
もうすっかり私達の間ではお馴染みになった怒鳴り声。
「はいはい」
足音もなく、自然な流れで輪に加わる青田さん。
店長の上であることに文句を言うかと思ったら、思いの外勢い良く右手を重ねてきた。
重い。
たった六人の小さなチームだが、重なりあった想いの力が形となって私の手の甲に乗っているように感じた。
全員を見回す。
みんな、一番下に手を置いている私を見ていた。
気合のこもった視線を一身に浴びて、私は胸の中に残っていた弱気の欠片が消え失せたのを感じた。
「……みんな、ありがとう。もう本当になんて言っていいか分からないくらい、感謝してます」
頼子さんがもう目を赤くしている。
高橋くんが口の端を上げて笑った。
「なんて言っていいか分からないから、全部演奏で伝えます。私たちのこと、最後まで、しっかり見てて下さい」
店長が綺麗な白い歯を見せて笑う。
青田さんの無表情が、いつもより引き締まって見えた。
「……私達の歌は、誰にも負けない!」
自分に言い聞かせるように叫ぶと、五人が頷いてくれた。
頼子さんの目から、涙が溢れた。
「……Irisは、絶対に枯れない!」
メイが私の手を握りしめる。
それを感じた全員の右手に、一層の力が込もった。
正面にいるメイが、もう一度ゆっくりと力強く頷いた。
「成功させるよ!」
『おう!』
「楽しんでいこう!」
『おう!』
「みんな笑顔で!」
『おう!』
「最後にもっかい!!」
『おーーー!!』




