表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Whatever  作者: けいぞう
64/78

64.メイ

 その日はビラ配りのバイトが午後からしか入れなかったので、午前中のうちに母の所に顔を出すことにした。

 近くの花屋で見つけたお見舞いの品を手に、四人部屋の病室の前に立つ。

 ノックするべきか迷ったが、結局そのまま静かにドアをスライドさせて中に入った。

 境遇も病状も違う四人が同じ空間に押し込められているというのは、なんとも複雑だ。

 左右に二つずつ、カーテンで仕切られたベッドが並んでいる。

 冴木冬実の名札が下がっているのは、右手の手前側だった。

 個室から移されたとは聞いていたが、私がイメージする病室とは少し雰囲気が違った。

 窓の遠いそのスペースは少し薄暗く、少し空気が湿っぽいような気さえした。


「……お母さん?起きてる?」


 声量に気をつけながら、中に呼びかける。

 長い長い沈黙の後、中から咳払いが聞こえた。

 たぶん、まともに返事をするのが照れくさかったのだろう。

 私はカーテンの間から体を滑り込ませて、中の様子を伺った。


「……また来たの。別に無理して来なくてもいいって言ったのに。暇なの?」

「……まぁね」


 横になったまま、充血した目だけを動かして私を睨む母。

 あまり正面から目を合わせないようにして、私は備え付けの椅子に腰をかけた。


「それ、何?」


 私の手の中を指差して、聞いてくる。

 私は母の視界にそれが入るように、持ち上げてみせた。


「水中花。生のお花だと断られることがあると思って、こっちにしてみたの」


 ジャムの瓶を逆さまにしたようなガラスの容器の中に、三つの花をつけた桜の枝が閉じ込められている。


「ここ、置いておくね」


 古めかしいブラウン管の小型テレビが置かれているテレビ台の脇に、私はそれを飾った。


「……最近は体を起こしてると疲れちゃうから、この姿勢がほとんどなのよ。あんまり楽しめるお見舞いの品じゃないね」

「……そうだよね。ごめん、考え無しで」

「まあ、別にあっても邪魔にはなんないからいいけどさ……。あんた、私が桜が好きだなんて、聞いた覚えある?」

「うぅん、ないよ。私が好きなだけ」

「……あっそ」


 本当のところ母が桜を好きなのかどうかは、結局分からずじまいだった。

 私達の会話は、相変わらず不器用なすれ違いを繰り返すばかりだった。

 いつか元気になって退院できる見込みのある状況ならまだしも、母の病状ではあまりに話題が限られていた。


 父も、母の余命を聞いてしまってからは以前のように気兼ねなく会話することができなくなってしまったらしく、お互いが母と話した話題を共有しても、代わり映えのない内容ばかりになっていた。


「……髪、切ったの?」

「うん。いい加減伸び放題になってたから」

「もうちょっと綺麗に出来そうなもんだけど」

「……別にいいんだ。誰に会うでもないし」

「……そう」

「……」

「……」

「……ねぇ、お母さん」

「何?」


 私は少し勇気を出して、椅子を母の頭の側に寄せた。


「私ね、音楽が趣味になったの」

「……音楽?」

「うん。友達がギターを弾いてくれて、私が歌うの」

「…………」


 何か特別反応を期待したわけじゃなかった。

 ただ、話題に窮したら、自分が今一番話しやすい話題について切り出そうと決めていただけだった。


「今まで、趣味らしい趣味なんて持ったことなかったんだけど、始めてみたら楽しくて」


 果たしてこんな話をして、母はどう感じるのだろうか。

 娘の成長を喜ぶというガラでもないし、他人が楽しそうにしている様子なんか聞きたくないと思うかもしれない。

 それでも、踏み込んでみないかぎり探りあいのような会話は進展しないと思って、私は言葉を重ねた。


「……歌ね」

「……うん」

「そういえばあんた、ちっちゃい頃よく私に歌わせてたよ」

「え?」

「寝かしつけるときに、童謡とか歌ってあげてたんだけど、寝付くどころか興奮しちゃって、もう一回、もう一回って」

「…………」


 全く記憶にはなかった。

 それどころか、母に寝かしつけてもらった覚えさえなかった。


「でね、私が熱出して寝込んでる時に、隣で何度も『ぞうさん』を歌って、うるさくて寝られなくてね。叱ったらベソかいて、部屋の隅で一人でまた歌って……ぇほっ、げほっ……」


 すぐに咳に変わってしまったが、ほんの一瞬だけ、母は笑おうとしたように見えた。


「あの時は、結構上手だったけどね。今はどうなんだか」

「……友達は、上手いって言ってくれるよ」

「……そう」


 母は目を閉じて、布団をかけ直した。

 もう寝るから帰れと言われている気がした。

 私は少しだけ、自分に頬を緩めることを許した。


「……お休み。またね」


 小さく言って、返事を待たずに私は立ち上がった。


 出来るなら、聞いて欲しい。

 でもそんなこと、叶えられる訳もない。

 病室から離れるにつれ、切なさが膨れ上がった気がした。

 

 話せて良かったんだろうか。

 これからも、こうして話すべきなんだろうか。

 遠くない別れを知っていながら、その日に訪れる悲しみを大きくするような会話を……私たちは続けてどうするつもりなんだろうか。


 私は大きく頭を振って、詮ない思考を振り切るようにエレベーターに飛び乗った。 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ