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Whatever  作者: けいぞう
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57.メイ

 病院の最寄駅に到着すると、すでに夜十時を回っていた。

 特急で二時間、そこから地下鉄に乗り換えて一時間四十分。

 やたらと長いエスカレーターや階段をひたすら登って地上に出ると、オフィス街の真ん中に出た。

 ビルの立ち並ぶ通りは区画分けがやけに整然としていて、一本通りが違っても同じような風景に見える。

 地下鉄の出入り口の場所をよく覚えておかないと帰るときに困りそうだ。

 私はスマホの地図アプリを立ち上げる。麻生と比べると表示されている建物の密度が段違いだ。

 碁盤の目のような通りの一角、現在位置を示す青い丸が明滅している場所に、ピンを立てて記憶させておくことにした。


 片側三車線の道路なんて久しぶりに見た。

 この時間でも車の通りはまったく途切れる気配がない。

 どころか、少し渋滞気味ですらある。

 どこからこんなに人が湧いてきて何処に向かおうとしているのやら。

 私はタクシーを捕まえることを諦めて、早足で歩き出した。

 メールに添付されていた住所によると、地下鉄の出口から二十分程度歩いたところにある病院に、母は運び込まれたらしい。

 土地勘がない場所での移動は、地図にルートを表示していないと現在位置をすぐに見失ってしまいそうになる。

 ヒロカにアプリの使い方を聞いておいて正解だった。


 十分も歩くと唐突にビル街が途切れて見通しが良くなる。

 代わりに見えてきたのは、砂地を露わにした広大な更地だった。

 今日の作業を終えたらしい重機が疲れ果てたように雑然と敷地内に駐車されている。

 ここにもビルが建つのだろうか?

 そんなにオフィスばかり入る建物を作ったところで、不況と言われて久しい今の時代にそこを埋めきるだけの需要があるのだろうか。


 更に歩を進めて、団地や狭い公園を横目に見ながら、高速道路の高架を潜る。

 やたら長い信号に捕まって酷く焦れた。

 その高速道路を境に、途端に町並みが古めかしく寂しい印象に変わった。

 ひび割れた漆喰の壁の住宅や、塗装が剥げ落ちたまま塗り直されていないシャッターやガードレール。

 絶対にもう誰も住んでいないであろう木造のあばら屋が取り壊されもせず放置されていたり、ろくに除草もされていない空き地に、ナンバープレートの外れた軽自動車が打ち捨てられているのを見かけた。

 下手をすると麻生の町よりも雰囲気は寂しいかもしれない。


 ひょっとしたら、人目につくような場所を取り繕っているだけで、この国のほとんどの場所はこういう状態なのかもしれない。

 枯れ草と、錆びた鉄と、古ぼけたコンクリとアスファルトの色。

 放置され続けているうちに彩度を失っていく町並みは、巨大な生き物が老化していく様のようだと思った。


 なだらかな上り坂が続いて、高台の中腹辺りに差し掛かると目的地が見えてきた。 

 かつては白かったであろう、薄灰色の巨大な建物。

 窓枠や出窓の金属に浮いた錆が雨だれに流されて、赤茶けた汚れがそこかしこに染み付いている。

 清潔感が重要なはずの病院の外装とは思えない荒廃ぶりだった。

 学校の校門のようなスライド式の門扉をくぐって、無人の警備員詰め所の前を横切り、蛍光灯四本の内の二本が切れかけている中央入口ゲートから中に入った。

 面会時間もとうに終わっているらしく、総合案内受付以外の窓口と待合室の電気は消されていた。

 非常口の緑と消火栓の赤いランプの光が闇に浮かんでいる。


「すみません、えっと……蘇我冬実の病室は?」


 受付のナースに声をかける。

 旧姓を思い出すのに少し時間がかかった。

 目元にクマを貼り付けた四十前後と思しき彼女は、はっきりとした、でも事務的な声で応対してくれた。


「面会時間は終了していますが」

「今日、ここに急患として運び込まれたばかりだって聞いてます。まだ容態がどうなのかも確認できていなくて……」


 看護婦が疑わしげな視線で私を見つめる。

 話している内容の割に口調が切迫していないことを不審に思われたのかもしれない。


「父が……冴木順二が先に来ているはずです。確認していただけますか?これ、学生証です」

「……少々お待ち下さい……。冴木、順二さん……。患者さんのお名前は、蘇我冬実さん?冴木冬実さんではなく、蘇我さんですか?」

「あ、いえ、冴木であってます」


 驚いた。

 まさか新しい苗字のままになっているとは思わなかった。

 もしかしたら、まだ離婚自体も正式に成立していないのかもしれない。


「三階の301号室です。こちらにお名前、入院者との続柄と、入館時間をご記載下さい。あと、こちらの番号札、目に見える所に付けておいてください」


 渡された番号札は二十三番だった。

 制服の胸元にクリップで留めて、私は受付のすぐ後ろのエレベーターに乗り込んだ。

 揺れの酷い旧式のエレベーターで三階にたどり着くと、左右に病室が広がっていた。

 標識に従って右手に進む。

 常夜灯のうっすらとした光の中を進んでいくと、消毒液の匂いが一層強くなる。

 相まって、私の胸の中の複雑な感情も、その体積を増していった。

 彼女は今、起きているのか寝ているのか、それとも意識がないのか。

 起きているとして、何と言っていいのか。

 考えても答えなんか出ないだろうと諦めていたが、いざこうして近づいてみると嫌でも頭が思考してしまう。

 薄闇の中、病室の前のベンチにいつものスーツ姿の父を見つけた時、妙にほっとしてしまった。


「芽衣」


 その表情に少しの余裕を見て取って、母の状況がそこまで重篤でないことを悟った。

 安心したような、それなら自分がわざわざ来る必要はなかったかと拍子抜けしたような、やはり複雑な気持ちになった。


「……前にも患った胃が思ったより良くなかったらしくてね。今日の昼頃に吐血があって、とりあえずここに運び込まれたらしい。一通り検査をしてもらって、今はその結果を待っているところだよ」


 私が洗ってアイロンをかけてあげるようになったおかげで、Yシャツはパリッとして皺がない。

 それだけでも以前とはかなり印象が変わるものだが、肝心の本人がいつにも増してくたびれきった顔をしている。

 仕事中に呼び出されて長旅を強いられた後だから、致し方ないのかもしれないが。

 私は隣に腰掛けて、一息ついた。


「……ついさっきまで一眠りしてたけど、今は起きているようだよ」

「……」


 直接言葉にはしていないが、顔を見せてやれと言っているように聞こえた。

 会ってみたいと父に伝えてはいたものの、もうすこし万全の形でと思っていた。

 倒れて救急車で運ばれた直後なんてデリケートな状態で自分が顔を出したら、余計な刺激を与えてしまうんじゃないだろうか。


「冬実のことを心配しているなら、大丈夫。きっと芽衣が来てくれるのが一番の薬だよ」

「……本当にそう思う?」

「ああ、間違いないよ。少し、素直じゃないことを言うかもしれないけど。行っておいで」


 その言葉と、大きな手の平に背中を押されて、私はベンチから立ち上がる。

 スライドしだすまでがやたらと重たい引き戸をゆっくりと開けて、私は病室の中に足を踏み入れた。

 ベッドは一つの個室らしかった。

 ビジネスホテルのシングルとほぼ同程度か、それより少し狭い程度。

 部屋の中央に、カーテンに囲まれたベッド。

 奥側に回り込んでカーテンの切れ目を見つけ、その隙間に手を差し入れる前に、声をかけた。


「あの……」

「……はい?」


 巡回に来た看護婦だとでも思ったのだろうか、カーテンの中から細く高い声で、返事が帰ってくる。


「……あの……芽衣です。開けて、いい?」

「…………」


 長い沈黙。

 父がどこまで事情を話してくれているのか、確認しておくべきだった。

 この反応から察するに多分、彼女にとって私の訪問は寝耳に水なのではないだろうか?


「……どうぞ」


 少し硬くなった声が許可を下す。

 私は覚悟を決めて、カーテンをくぐる。


 リクライニング式のベッドに上半身を預けて座っていたのは、驚くほど痩せ細った中年女性。

 まだ四十前後のはずなのに、量の少ないセミロングの髪にはかなり白いものが混ざっているし、頬が酷くこけていた。

 顔色は土気色で、白目がうっすら黄色く濁っている。

 そんな有様でも、綺麗に通った鼻筋や、長い睫毛に縁取られた切れ長の目は、確かに私の中の記憶と重なる。

 間違いなく、私の母だった。

 戸惑いと少しの緊張を滲ませるその顔を、当然のことだが、自分に似ていると感じた。


「……座って」


 父が使っていたらしい丸椅子を指差して、母は言う。

 従って腰掛けると、生徒指導室のそれと似たような座り心地だった。


「……久しぶりね」

「……うん」


 布団の上で組まれた両手の甲に皺が目立つ。

 記憶の中の彼女と比べようとしても、比較対象をうまく思い出せない。

 たった四年前のことだが、単純な時間の経過だけのことではない。

 お互いにうまく会話を切り出せないことが、二人の間に横たわる何かの存在を示唆していた。


「四年ぶり、になるのか」

「……うん」

「……どんな美人になってるかと思ったけど」

「え?」

「案外、大したことないわね。まだまだただの子供じゃない」

「……」


 一瞬、何だかとてつもなく失礼なことを言われているような気がした。

 何か他に言うことはないのか、とか、そんな子供よりももっと小さかった私を捨てて姿を消したのは誰だ、とか、怒鳴り散らしてやりたくもなった。

 でも、強がるような笑顔を浮かべる母の両手が震えているのが分かって、私は吸気をただのため息として吐き出した。


 ――なんとなく、分かってしまった。

 この人は、自分の夫を狂わせた娘のことが、怖かったのかもしれない。

 若さを失っていく自分と、昔の自分に似ていく私。

 自分の命を削るようにして娘を育てていくほどにその差が顕著になっていく残酷な現実から、目を背けたくなってしまったのではないだろうか。


 大人とは、もっと多くの事情を抱えて、子供にはまったく理解できないような葛藤に毎日頭を悩ませながら生きているものだと思っていた。

 でも実際には自分の両親はどうだろう。

 父はただ好きになった人のために必死に働いていただけだった。

 母は自分の存在意義を娘に奪われることを恐れて逃げ出しただけだった。

 反発や憎しみを抱くよりも、共感したくなってしまうほど分かりやすい動機で動いているように見えた。


 だから、相手が大人だとか親だとか構えずに喋っていいんだと、自分を許すことにした。


「……そりゃそうだよ。まだ、十五だもん」

「そっか、アンタ三月生まれだよね」

「覚えてたんだ?」

「……当たり前でしょ。って、そんなことくらいだけどね」


 これでいいのだろうか?

 母子の会話というのは、これで間違っていないだろうか?

 私たちは、お互いに探りあうようにしながら言葉を並べていった。


「体、良くないの?」

「ああ、まあ、ね」

「お父さん、凄く心配してた」

「……なんだかなぁ、もう。あの人が余計なお節介しないでいてくれたら、もう少し気が楽なんだけど」


 話す内に、母が自分の体に起きている異変についてどの程度自覚していて、どこまでの覚悟を済ませているのかが伝わってきた。

 この人は、もう自分が長く生きることにそこまで執着していない。


「まあでも、面倒見たいって言ってくれるんなら、そうさせてやるかな」


 力なくではあったが、もう一度母は笑ってみせた。


「……わざわざ、来てもらっちゃって悪かったね。一回ちゃんと会えて良かったよ。なんていうか、月並みだけど、元気そうで安心した」

「うん」

「遅くなっちゃうから、帰んな。もう無理して、来なくていいからね」

「……うん」


 私を捨てて行ったことを、彼女は謝らなかった。

 私も、責める気にはなれなかった。

 償うだけの時間と体力が残されていなければ、贖罪なんて出来るはずもない。

 やり場のない想いを丸呑みすることになるが、そうしたって別に死ぬわけじゃない。


 私は椅子から立ち上がって、短くお別れの挨拶を済ませてカーテンを閉じ、病室を後にした。


 音が響かないようにゆっくりとドアを閉めた時、これで良かったのかもしれないと納得している自分を自覚した。

 涙を流して感動の再開をするでもなく、お互い謝るでも責めるでもない。

 ただ、一度だけお互いの顔を見ておくことで、ぷつりと切れた糸の先の解れを繕うことが出来たような気がした。


「早かったな」


 ベンチから立ち上がって、廊下の小さな窓からとくに見ものでもない町並みの風景を眺めていたらしい父が振り返って、言う。

 期待と不安が入り混じった、というのは、こういう顔のことを言うのだろう。

 その顔を見て、しまったと顔を顰める。

 私にとってはもう十分でも、この人にとってはそうではない。

 むしろこれからの時間のために、父は今まで努力してきたんだ。


 期待の部分がその目を曇らせてしまうのか、父は母がもう死期を悟っていることに感づいていないようだった。

 整理がついてすっきりしたはずの心が、ずきんと痛むのを感じた。


 その後医師に呼び出されて検査の結果を二人で聞かされ、茫然自失状態に陥った父の背中を、私は苦々しい思いで見つめていた。

 楽観も悲観も差し引いて余命は十八ヶ月程度。

 進行がんとか腹膜転移とか、専門的な言葉を使って状況を説明をされても、十八ヶ月というあまりに具体的な時間のインパクトが強すぎて、父の耳にはその意味が届いていないように見えた。


 その後、私は近くのファミリーレストランに父を引っ張っていって、とりあえず奥の方の広めの席に押し込んで、私はその向かいに座った。

 木曜日の深夜だというのにほぼ満席で、ドリンクバー二つの注文だけで席を確保するのは少し気が引けた。

 だからといってお互い食欲が湧くような状況ではなかったが。

 ホットのコーヒーを二つ運んできて、もう一度席に収まる。

 季節のおすすめメニューを紹介する放送が、何とも白々しく聞こえた。


 父は両肘をテーブルの上について、重ねあわせた両手で口元を抑えている。

 油断すると漏れだしてしまいそうな嘆きを何とか押しとどめているように見えた。


「……治療費とか、入院費とか、お父さんが払うことになるんでしょ?」


 唐突に現実的な単語を並べ立てる私を、驚いたように見やる父。

 言い出しづらいであろう内容は、せめて私が言ってあげるしかないと思った。


「そうなると、やっぱり本社の方に勤められたほうがいいんだよね?何度も交通費払って面会に来るのも負担だろうし」

「……」


 不甲斐なさそうに俯く父に、私はできるだけ淡々と続けた。


「薊橋のホテルは、あっちの工場に勤めてるから手当が出て、なんとか二部屋借りられてるって、前に言ってたよね。本社勤務なら、社宅も借りられるし、会社が終わった後でも顔を見に来ることくらいは出来る……?だよね?」


 以前父に引っ越しの相談をされた時の記憶を掘り返してみると、その時は聞きたくないと耳を閉ざしていたはずなのに、案外細かく覚えていた。


「正直なところ、どうなの?もし私が一緒に都内に引っ越してきて、社宅で生活するようになれば、お母さんの面倒を見ながらでも生活していけそう?」

「……芽衣、そんなことは……」

「答えて。お願い」


 はぐらかしても誤魔化しても始まらない。

 あまりに方向性の異なる願望を抱いている私達三人にとっての、せめて一番マシな着地点を見つけなくてはならない。


「……なんとかしなきゃ。……私達、こんな滅茶苦茶でも、家族なんだから」

「……」


 父は返事を返す代わりに、静かに唇を噛み締めて、眼鏡を外した。

 眉間を指先で揉んで眼鏡をかけ直すと、充血した目で私を見据えた。


「……国民健康保険は私が払い続けていたから、負担額は実質の三割……と、こんな話をしても仕方ないな。任意の入院保険には入っていないそうだから、複数人部屋に移動してもらったり色々節約をしても、入院費は一日一万五千円くらいはかかるな。プラス、治療費……これは保険が効く効かないでまちまちだが、結局トータルとしては、私の一ヶ月の稼ぎをまるまる注ぎ込んだとしても、冬実の生活は維持できない。毎月十万以上赤字になるだろう」

「それって、借金でもしないと病院にお金が払えないってこと?」

「いや、一応賞与……ボーナスも出るから、多分、収入全部つぎ込んでやっとプラスマイナスゼロというところだろう」

「私達の生活費は?」

「……貯金を切り崩していくしかないな。ギリギリの節約生活でも、一年保つかどうか……」

「……」


 要するに、ジリ貧もいい所ということだった。

 私に心配をかけまいとする父の試算だから、現実はさらに二割増し程度で厳しいと思っておくべきだろう。


 私一人の我儘を通していられるような状況ではないことが数字の上で理解できて、私はソファーシートの背もたれに頭を預けて天を仰いだ。


 ほぼ絶望的ともいえる状況で、一応悪あがきとして考えてみる。

 なんとか、一人だけでも麻生で生活していくことは出来ないだろうか?

 高校は休学でもして、ボロでもアパートを借りてアルバイトをして。

 空いた時間でヒロカと会って、曲作りや練習をする。

 厳しいだろうが、実現不可能ではないはずだ。

 時給八百円のアルバイトで試算してみて、生活するだけならなんとかやりくりできそうという結論が出たこともあった。

 しかし、今の父と母のことを忘れて、そんな生活を私は楽しめるだろうか?

 少し前なら、二人のことなど知ったことではないと言い切れたかもしれない。

 でも今は、あの時の私とは違う。


 同じ労力をかけてアルバイトするなら、都内のほうがずっと賃金はいい。

 このファミレスだって時給千五十円だ。

 私が稼いで二人分の生活費を捻出できれば、一年で底をつくはずのものを十八ヶ月まで保たせることができるかもしれない。

 レベルを問わなければ学校だって通って、進級しておける可能性もある。

 休学してヒロカの後輩になるなんて事態は避けたいし、中退はもっと抵抗があった。

 私は将来、ヒロカを食わせていくだけの職を手につけなくてはならないのだ。


 つまり、全ての状況を整理してみて出た結論は、父について引っ越すのが最良の選択である、というものだった。

 目の前の父の視線も、強制はしたくないという前提はありながらも、自分と一緒に来て欲しいという願いを隠しきれずにいるようだった。


「……今日のところは、近くのホテルに泊まろう。ツインの部屋でも、構わないか?」


 父は重い腰を上げて立ち上がり、アクリルの円柱からレシートを拾い上げた。


「うん、私は平気」

「……すまんな」


 自分の娘に対してたったそれだけのことを申し訳ないと思ってしまう父の性格を、私は少し不憫に思う。

 もうすこし自分勝手になってもいいんじゃないかと言ってあげたくなる。

 でも、そんな控えめな父が唯一譲りたくないと思う対象が、母なのだろう。

 損得関係なく愛してもらえる母がいるからこそ、その娘の私も四年間養ってもらえたんだと思う。


 つくづく、世の中は自由なんてものとは程遠いと思い知った。

 悲しいほどに私はまだただの子供で、自分一人の力で出来ることなんてほんの僅かしかない。


「ねえ、お父さん」

「ん?」

「これからどうするか考える時間、三週間だけもらってもいい?」


 だからこそ、もう一度だけ、あの感覚を味わっておきたい。

 私はスマホを取り出して、ヒロカに打つメールの文面を考え始めていた。


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