37.メイ
いつも乗り慣れた路線でも、行き先が逆方向になるだけで雰囲気がかなり違う。
二つ先の駅までは田園風景だけが車窓を流れていたが、目的地に近づくに連れて幅の広い道路や背の高いビルが目立ってくる。
乗客の数は上るほどに増えていったが、それでも座席はすべては埋まらなかった。
薊橋を出てからおよそ二十分で、高岡駅に到着した。
複数路線が乗り入れているだけあって駅も巨大だ。
六番ホームから階段を降りると、改札の中にパン屋、本屋、お菓子屋、カフェが並んでいる。
「ここに来るとテンション上がるんだよね!気合入れて遊びに来た、って感じ!そこのスイートポテトと紫芋パイ、美味しいんだよ!」
ヒロカのお菓子に関する情報網はさすがだ。
構内に等間隔に並ぶ支柱には曲面ディスプレイが取り付けられており、駅ビルのコマーシャルが流されている。
改装して日が浅いらしく、真新しい建材の匂いがする気がした。
都心よりも人が少ないし、空間が広々と使われていて開放感がある。
デートスポットでもあるようで、カップルの姿が目立った。
とりあえず改札を出て、そのまま駅ビルのレストラン街に向かうことにした。
普通のファミレス等よりは少し割高になるようだったが、今日くらいは良いかとヒロカと頷きあった。
最上階でエレベーターを降りて、フロアの案内板を二人で眺める。
「メイ、何食べたい?」
腕を絡ませてくるヒロカ。
何だか自分たちもカップルになったような気分だった。
そうなると、あまり素っ気ない場所を選ぶのも気が引ける。
蕎麦、天ぷら、お好み焼き、ラーメンをまず消去する。
残りの選択肢は、カフェ、ステーキ屋さん、お寿司屋さん、エスニック料理店。
パンケーキを推しているらしいカフェの表示に、私の目は引き寄せられた。
「ここにしない?パスタとかピザもあるみたいだし」
「オッケー。行こ行こ」
案内板の地図を確認しようとする私の腕を引っ張るヒロカ。
迷う素振りもなく、食品サンプル展示だらけのフロアを進んでいって、スムーズにカフェの入り口にたどり着いた。
もしかして、パンケーキの匂いを辿ったのだろうか……?
「いらっしゃいませ、お客様、お二人様ですか?」
「はい、二人です」
「こちらどうぞ」
可愛らしいエプロン姿のウェイトレスさんに案内されるまま、私たちは窓際の二人席に案内された。
やけにふかふかした一人がけのソファ二つが正方形のテーブルを挟み込んでいるその席は、窓の外に駅前通りを一望できる特等席だった。
ギターを椅子の後ろに立てかけて、ヒロカが私の前に座る。
暖色の壁紙を観葉植物の緑が彩る店内の雰囲気に、ステージ衣装姿の彼女は上手く溶け込んでいた。
黒い服に黒い髪の私が浮いて見えないかが心配だ。
「あ!秋のスイーツフェスタだって!白と赤のぶどうシャーベット、栗とさつまいものモンブラン、カボチャプリンのアラモード……」
グランドメニューよりも季節ものに目が行くあたり、店の思惑通りのお客さんだ。
そんな屈託の無さを見ていて和んでしまう自分も、人のことは言えないかもしれないが。
私は店頭のディスプレイを見た時点で何を頼もうか決めてしまっていたので、メニューも開かずにただヒロカの姿を眺めていた。
柔らかそうな唇が窓から差し込む光を受けて微かに燦めく。いつもと少し印象が違うのは服装のせいだけではないようだ。
「やばい、迷っちゃって全然決められる気がしない……」
「ゆっくりでいいよ」
「え、メイはもう決まったの?」
「うん、トマトソーススパゲッティとコーヒー」
「決めるの早っ。っていうかまた何か男らしい組み合わせ……」
「言われると思った。別に狙ったわけじゃないからね」
私は肩を竦める。
「モルタデッラ入りペンネアラビアータ……。温泉卵カルボナーラフェットチーネ……。冷製ジェノベーゼカッペリーニ……」
ヒロカが注文候補を読み上げて行くが、どれも私の頭の中にイメージが湧かない。
途中で怪獣映画のキャラクターの名前が紛れ込んでいてもきっと気づけないだろう。
その点トマトソーススパゲッティは心配がない。
子供でもどんなものか想像ができるし、期待通りの味のものが出てくるはずだ。
結局、ヒロカは私が全く知らない呪文のような名前の料理と、栗とさつまいものモンブランを注文した。
「でさ、さっき言ってた考えって、なぁに?」
まだ少し名残惜しそうにしながら、ヒロカはメニューを重ねてテーブルの横のホルダーに差し込んだ。
「あのね、この高岡駅って、駅の二階からデッキが繋がって、広場みたいになってるでしょ?」
ほら、と私は窓の外を指差した。
駅舎、駅ビル、そして近隣の建物を二階フロアの高さでつなぐ歩行者専用の通路が見える。
正確にはべデストリアンデッキという名前らしいのだが、要するに歩道橋の橋の部分を広げて広場のようなスペースを設けたものだ。
「ホントだ。いつも下のフロアで移動しちゃってたから気づかなかったよ。上はこんなふうになってたんだね」
「で、この広場なんだけど、休みの日になると色んな大道芸をする人たちが集まることでも有名らしいの。ジャグリングとか、手品とか、ストリートミュージシャンとかね」
「あ、もしかして!」
ぱぁっと表情を輝かせて、ヒロカは胸の前で両手を合わせる。
「ここで練習するの?!」
「そう。どうかな?練習っていうか、半分本番みたいな感じだけど」
「いいねいいね!ストリートライブだね!」
「本番間近だから、人前に少し慣れておいたほうがいいかなって思って」
「……やばい、ワクワクしてきた」
両拳を固めて胸の前で震わせるヒロカ。
その顔には緊張よりもやる気が滲んでいる。
「あ、でも、だったらアンプとマイク、持ってきたほうが良かったかな?」
「あんまり音量出しちゃうと、警察に止められちゃうらしいんだよね。みんな無許可でやってて、通行とか近隣の迷惑にならないレベルならってことで黙認されてる感じらしいから」
ヒロカに教わったスマホのブラウジングというやつで調べた情報をそのまま説明する。
「そっか、じゃあ生音と生声で勝負なんだね。メイの声に負けないようにしないと!」
やがて運ばれてきた料理は、せっかくあんなに悩んで頼んだにも関わらず、そそくさと忙しなくヒロカの口の中へ運ばれて消えてしまった。
ヒロカに急かされて、私も急いでスパゲッティを平らげ、コーヒーを飲み干し、会計を済ませて駅ビルを後にした。
休日の正午過ぎだけあって、デッキの上に人通りは絶えない。
あちこちにパフォーマーの姿は見えるが、幸いなことに音楽を演奏しているグループはいないようだった。
新参であまり大音量を出して目をつけられたりしても面倒だ。
できるだけ端のほうで、かつ人通りはそこそこある場所を探す。
北口の出口からバスターミナルを挟んで、さらに北に歩くとタクシーと一般車用のロータリーがあった。
バスターミナルの上はデッキが吹き抜けになっているが、タクシーと一般車の方は蓋がされて上が広場になっている。
その広場の東側の端が丁度良さそうだった。
デッキをぐるりと囲んでいるツツジの植え込みが途切れている一角に二人で陣取って、通行人たちの方向に向き直る。
地上よりも視点が高いせいか、視界に占める空の青の比率が広い。
開放感のある空間だった。
「ここで、いいね」
「うん」
私たちは若干の緊張を飼い慣らしながら、準備を始める。
私は胸元を編み上げている紐を少し緩めて、咳払いと深呼吸をした。
ヒロカがソフトケースからギターを取り出す。
真っ赤なボディが今日も眩しい。
ストラップをくぐって、チューニング確認。
やっていることはいつもの練習と同じルーティーンだが、今日はお互い少し入念になっているようだ。
「選曲、まかせちゃっていい?」
「オッケー!」
答えるが早いか、ヒロカはピックでボディを叩いてリズムを取ると、
「……three、four」
思い切りの良いストロークでイントロを始める。
「リルラリルハ」。
八小節後から、私はフルボリュームで歌い始めた。
ヒロカが慌ててストロークを強める。
予想より声量が出ていたようだ。
マイクがないと手持ち無沙汰だ。両手はコートのポケットに突っ込んでおくことにした。
通り過ぎる人たちがちらりと一瞥を投げてきたりする。
ヒロカと高橋くん以外に演奏を聴かせるのは初めてだったが、意外にも歌い出すとすんなり緊張はほぐれていった。
本番を想定して練習を繰り返してきた成果かもしれない。
爽やかなサビのメロディが、広場に向けて放たれていく。
私の声、ヒロカのギター。
重なりあったり、掛け合いのように交互に音で主張しあったりして、ワンコーラスを終える。
スライドを効かせた間奏の間、ヒロカの顔を見やる。
目線が『調子いいみたいだね』と聞いてくるので、『うん。広々してて気持ちいい!』と答えた。
ヒロカの目配せをもらって、二番を歌い出そうと正面に向き直ったら、二人連れの女子高生が七、八メートル先で立ち止まってこっちを見ていた。
私はヒロカと目で会話する時の要領で、『聞いて行って!』と訴えた。
二人はお互い顔を見合わせた後、数歩こちらに近づいてきた。
よし、と内心ガッツポーズする。
気分よく声を張り上げながら歌っていると、ヒロカが少し前に出てきた。
軽やかにステップしながら、サビのコーラスを重ねてくる。
ハモるときだけ私に向き直って、ギターに集中するときは私に背を向ける。
私も動きを合わせて、向き合ったり、背中合わせになったり。
なにこれ、楽しい。
私はポケットから両手を取り出して、感じるままに動かしてみた。
指でリズムを取って、腕を広げて、髪をかきあげる。
全身が活き活きと躍動しているのを感じる。
自分の神経が拡張されて、髪の毛先やコートの裾までリズムに合わせて跳ねているように思える。
ブーツの靴底を打ち鳴らして、アウトロのリフのリズムを刻む。
ヒロカはいつものエンディングにアドリブを付け足して曲の終わりを長引かせ、私をからかった。
いたずらっぽく舌を出してみせる笑顔が、たまらなく可愛いと思った。
やがて演奏が終わり、ヒロカが弦をミュートすると、バラバラと拍手が起こった。
いつの間にか、もう二人、カップルらしい男女が足を止めてくれていた。
私たちはお礼を言って、すかさず次の曲に移った。




