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Whatever  作者: けいぞう
34/78

34.メイ

 濃い緑色の暖簾をくぐると、大福、羊羹、餡子玉などの和菓子が陳列されたカウンターが出迎えてくれる。

 ヒロカのクラスメイトのお家でもある和菓子屋さん、光雲堂は、昔ながらの商店といった佇まいだった。

 大量に注文しようとするヒロカを宥め、芋羊羹二つと餡子玉を二つを買って、店の前のベンチに腰を下ろす。

 すぐに食べると店の主人に伝えると、小皿にお菓子を盛りつけ、緑茶を運んできてくれた。


「そういえば、ヒロカの衣装はどうするの?」


 竹の楊枝で芋羊羹を切りながら、私はずっと気になっていたことを口にした。


「あ、それなんだけど……明日、メイの部屋に行ってもいい?候補を持って行くから、決めるの手伝って欲しくて」


 悩むほど選択肢があるのが羨ましい。

 普通の女子高生なら当たり前なのだろうが。私の場合人前に出るための服なんて、二人で買ったセットしかない。


「いいよ。泊まっていける?」

「うん!もちろんそのつもり!」


 半分に切った餡子玉を口の中に放り込みながら、ヒロカはご機嫌顔だ。

 相変わらず甘いものを食べてる姿がよく似合う。


「本番前の最後の週末だからね。しっかり準備しとかないと。弦張り替えて、あ、美容院行っておこうかな」

「髪、切っちゃうの?」

「うぅん、少し軽くしてもらうだけ。あと、眉毛整えてもらったりとか」

「……少し、パーマとかしてみたらどうかな?」


 彼女の髪型に注文を出す彼氏の気分で、軽い提案を出してみた。


「え?似合うと思う?どんな感じ?」

「うーーん、どんな感じっていうと難しいんだけど……」


 頭の中にあったイメージは、長毛の小型犬だった。

 小柄な彼女の小動物的な魅力を際立たせるには、空気を含んでふわりとして、重力を感じさせないようなヘアスタイルがいいと思う。

 私の髪との対比にもなるし、軽くウェーブさせる感じで……と、いうイメージを伝えるのがとても難しい。


「じゃあ、明日雑誌持って行くから、それ見て一緒に選んでくれる?」

「了解。ちょっと楽しみ」


 えへへと笑って、ヒロカが隣から体を預けてくる。

 肩の上に頭がくる丁度いい高低差。

 勝手な話だが、ヒロカの身長は今くらいのままストップしてくれると嬉しいなと思った。

 私はヒロカの頭の上にこつりと側頭部を乗せた。


 秋らしい爽やかな風が大通りを吹き抜けていく。

 日差しが暖かい。

 どこからか金木犀の花の香りが運ばれてきた。

 穏やかな時間とは、こういう時のことを言うのかもしれない。

 芋羊羹の優しい甘さを楽しみながら、ヒロカの体温を左半身に感じる。


「あれ?寛ちゃん?」


 好事魔多し、とはこのことか。アーケード街を通りがかった女生徒が、ヒロカに声をかけてきた。


「あ、頼子さん!」


 ヒロカの頭が肩から離れる。

 なんとも寂しい開放感。

 確か、A組の澤田さんだったか。

 ヒロカよりもさらに少し小柄に見える、おでこを出した髪型とそばかすが控えめな印象を与える人だ。

 何故か少しおどおどしながら、私に会釈を投げてきた。


「冴木さん、だよね。初めまして」

「メイ、同じクラスの澤田頼子さん」

「どうも」


 私も小さく会釈を返す。


「もう、最近寛ちゃんが構ってくれないから寂しくて……。帰りも一人だし……」


 澤田さんはさめざめと泣く演技をして嘆いて見せた。

 何となく薄幸そうな雰囲気がある彼女がそうすると、冗談にならないほどの哀愁が漂った。


「あーー、ごめん頼子さん。最近文化祭の準備とか練習とかが忙しくて……」


 ヒロカは立ち上がって、あたふたと澤田さんに謝る。


「じゃあ、文化祭が終わったらまた遊んでくれるの?」

「うん、もちろん!」


 私は芋羊羹の残りを一気に口の中にねじ込んだ。

 もぐもぐと雑な咀嚼をして、緑茶で一気に流しこむ。

 鶯色のあんこ玉も、まるまる口の中に放り込んでやった。


「あ、でも……」


 澤田さんは私があからさまな不機嫌オーラを放っているのに気づいてか、一歩下がって私とヒロカを交互に見た。


「私、二人の邪魔する気はないから。むしろ、二人にはうまく行って欲しいっていうか……」


 そばかすの浮いた頬を桜餅みたいな色に染めて、彼女はそっと目をそらす。


「え?頼子さん?それって……」

「て、ていうか、私すでにお邪魔だよね!ごめんなさい、空気読めなくて!」

「あのー、えっと」

「じゃあ!」


 女の子走りで去っていく澤田さん。

 暫くその背中を呆然と見送っていたヒロカが、首だけこちらに回して私を見る。

 私はすまし顔で緑茶を啜った。

 

 ……なんだ、気が利くいい子じゃないか。さすがヒロカの親友。



 夕方五時。

 紅葉し始めた山の向こうに、大きな夕日が沈もうとしている。

 ヒロカと大通りを冷やかして回り、今日のところは早めに帰宅することにした。

 駅まで一緒に歩くとき、さよならの瞬間が迫ると自然と二人とも口数が減ってしまう。

 いつからそうすることが当然になったのか覚えていないが、私達は指先を繋いで、わざとゆっくりと高架沿いの道を並んで歩く。

 ゲームショップ、小さな中華料理屋、コンビニ、駐輪場、ビジネスホテルの横を通り過ぎて、駅前のロータリーが見えてきた。

 少しずつこの街の地理にも慣れてきた。

 この街での記憶は、ほとんどイコールヒロカとの記憶だ。

 西日に照らされる田舎町の駅前広場。

 寂しげな古い自動販売機と、モチーフ不明のモニュメント。

 初めてちゃんとヒロカのギターを聞いたカラオケがロータリーの反対側に見える。

 隣を歩くヒロカをそっと盗み見た。

 黄色い点字ブロックを踏み外さないように足元を見ながら歩く姿。

 やっぱりギターケースは彼女が抱えて歩くには少し大きいような気がする。


「芋羊羹、美味しかったね」

「……うん」

「次は、お団子食べてみようかな」

「あんまり食べると、太っちゃうかもよ?」

「あー、それはまずいね。乙女の深刻な悩み」

「ヒロカは、ちょっとくらいぽちゃっとしても可愛いかもだけど」

「えー、それはやだなぁ。Irisのビジュアル的に。メイの横だと、太ったら目立っちゃいそうだし」

「じゃあ、私が太ったら?」

「えーーーー、全然想像できない!」


 立ち止まって、私をまじまじと見るヒロカ。


「なんだかメイ、前より少し痩せた?」

「どうだろ?ランニングしてるから、もしかしたらそうかも?」

「……普通胸から痩せるっていうよね」

「え!?なに、またそういう話?」

「……もし一緒に温泉行けたら、一緒にお風呂入ってくれるよね?」

「その話題の後に聞かれると、やだって言いたくなるなぁ」

「いいじゃーん、減るもんじゃないんだし!」

「……ヒロカ、それ、凄くおじさんくさい」

「なにそれ!?超ショック!」


 他愛もない話で笑いあう。

 もう駅の入り口の前に来ているのに、一度立ち止まってしまうとなかなか別れを切り出せない。


「あ、メイ、ちょっとこっち来て」

「ん?」


 ヒロカの手に引かれるまま、高架の柱の裏側に着いて行く。

 ヒロカは周りをキョロキョロと見回した後、私の方に向き直って、半歩近づいた。


「……明日の朝まで、メイが寂しくありませんように」


 両手が首に回される。

 少しだけ体を私にもたせかけて、ヒロカが爪先立ちする。

 この仕草のためにも、やっぱり身長差は今のままがいいと思った。

 左の頬に触れる、柔らかな唇の感触。

 微かに香るイチゴジャムの香り。

 小さな音を立てて、離れていく温もり。

 二人の間をすり抜けていく風が冷たくて、私は彼女をそのまま抱きすくめてしまいたくなる衝動に耐えなければならなかった。


「……ありがと」


 目を細めて微笑むヒロカ。

 ヘーゼルの光彩は、こんな暗がりでもキラキラと綺麗に輝いていた。


 決心が鈍らないうちに、私は駅の入り口に向けて歩き出した。

 ヒロカは黙って、改札まで着いてきてくれる。

 はたから見たら、凄く大げさなお別れみたいかもしれない。

 明日もまたすぐに会えるのに、一人になるのは相変わらず勇気が必要だった。


「じゃあ、また明日」

「うん。また明日。九時くらいには行くから」


 手を振って離れる私達。

 改札をくぐって、エスカレーターからもう一度手を振る。

 自動的にヒロカの姿が見えなくなるように運んでくれる仕組みがあってよかった。

 階段だと、自分の足ではいつまでもホームに上がれないような気がする。

 いつもと同じお別れ。

 また明日。

 私はもう一度呟いて、見慣れたホームへと上がった。



 夜七時半。あまり遅い時間にならない内にジョギングに出かけることにした。

 髪をポニーテールに結って、スニーカーに履き替える。

 かなり体を疲れさせておかないと、明日ヒロカが来てくれる時間が楽しみすぎて寝付けない気がした。

 ホテルから出ると、線路沿いの道を東に向けて走る。

 暫くは街灯もなく真っ暗な道が続くが、五百メートルほどで大きな国道に突き当たる。

 車の行き来はまず絶えないし、道沿いにはコンビニやファミレス、中古車店、ガソリンスタンドなどが断続的に並んでいて夜でもある程度は明るい。

 流石に女子一人で暗がりを走るのは危険かもしれないということで、最近はこの国道の歩道を行き来するようにしていた。

 起伏も少ないし、歩道の幅も十分にある。

 ヒロカに教えてもらったスマホアプリのおかげで、大体どこまで行って戻ってくれば何キロ走ったことになるか、目安が分かるようになっていた。

 今日は八キロくらいにしようと決めて、四キロ先の折り返し地点、カワタ電気店を目指した。


 一定のリズムで足を運ぶ私を、幾つものヘッドライトが追い抜いていく。

 ほぼ毎晩この道を走っているが、行き来する車たちは一体どこを目指して走っているんだろうと疑問に思うことがある。

 家へ向かって帰るのか、これから職場に向かうのか、荷物を届ける途中なのか。

 何故その流れが途絶えることがないのか。


 この国のそこらじゅうで、きっとこれと同じような風景が繰り広げられている。

 私はその中の小さな小さな点でしかなく、その点から約百八十度の視野で数百メートル先までしか見渡せない。

 世間や社会というものが、九十九パーセント以上自分の目に見えない何かの循環で構成されていることを想像すると、ふと恐ろしくなる時がある。

 こんなちっぽけな存在など、いくら成長して大人になったところで、世の中から見ればただの塵くらいの価値しかないのではないか。

 自分を卑下するわけではなくて、単純に規模から考えてそう結論付けるしかないと思うのだ。

 私は世界に、大切になどされていない。


 等間隔に配置されている街灯の明かりを目印に、ただ前へ前へと進む。

 道標というにはあまりに無機質な、冷たく青白い薄明かり。

 私の目指す先には何もない。

 ただ行って戻り、疲労を抱えて誰もいない部屋に戻るだけ。

 昔の自分ならこんなことに意味なんか見出すことは出来なかった。

 でも今は、報われるかどうかわからないこの行為を繰り返す自分を少しだけ誇らしいとさえ思う。

 できることは全てやっておきたい。

 誰一人今の私を意識していなかったとしても、次にヒロカの前で歌うときに、ほんのわずかでも自分を肯定する材料になればそれでいい。


 知らないうちにペースが上がっていたのか、息が乱れ始める。

 強引に深い呼吸を繰り返して、私は更にストライドを大きくした。

 いつ引き返しても誰にも責められないし、逆にどれだけ遠くに行っても誰が褒めてくれるわけでもない。

 ただ一つ確かなのは、人と違うことをしない限り結果もそれなりにしかならないということ。

 こんなに小さな存在の、手探りにも似た足掻きが、私を無視する世界を見返す行動の糸口になると信じて。

 少しでも大きな声で自分の思いを叫べるように。私は自分の両足と肺に鞭打った。


 酸欠気味の頭に浮かぶのは、ヒロカの顔。

 笑った顔、驚いた顔、拗ねた顔。

 私の世界を変えるチャンスをくれた人。

 同じ目標を追いかける仲間。

 そして、私の大好きな人。

 彼女のそばにいるだけで幸せ。

 でも、ずっとそばにいるために、私は変わらなければいけない。

 彼女が教えてくれたように、できることを全てやって、いつでも後悔なんかないと言い切れる自分でいなければ。


 私はカワタ電気店を通り過ぎて、さらにペースを上げた。

 まだまだ、全力とは言えない。

 もっと、もっと頑張りたい。

 今の私の心は、どんな逆境にだって折れたりしない。

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