33.メイ
ある日の放課後、私、ヒロカ、高橋くんの三人でいつものように芸楽館裏に集合していた。
「俺はやっぱり『Supersonic』が一番好きかな。『Morning Glory』もいいけど」
引っ張りだしたガムテープを千切りながら、高橋くんが言う。
実は彼も歳の離れた兄の影響もあって古い洋楽が好きなのだそうだ。
改めてヒロカにCDを借りて最近聴き漁っているらしい。
「どっちもかっこいいもんね。ロックっぽいのは男の子ウケいい感じ」
ガムテープで繋ぎあわせた机の面積は、やっと横十メートル縦七メートルというステージの大きさに近づきつつあった。
その角に腰掛けてギターを構えたヒロカがミュートした弦をちゃかちゃかとかき鳴らす。
「そうそう。洋楽って取っ付きづらいけど、あのへんは抵抗なく聞けるし」
私はパイプ机の足同士をビニール紐で縛って補強する作業をしながら、二人の会話を聞くともなく聞いていた。
「イントロからかっこいいよね。あのエレキギターの感じ」
「……えっと」
ヒロカが少し考えこんだ後、ギターを構え直して探るように弦を弾く。
「ああ、こうだ」
聞いたことのあるリフ。
『Supersonic』のイントロだ。
原曲では歪ませたギターの音だが、アコースティックで鳴らすとなかなか渋い感じになる。
「お、すげぇ、弾けるんだ」
「ふふふー、実は結構簡単なのです」
八小節のイントロの後、高橋くんは歌い出した。
まる一週間以上この場所で設営作業をしているが、彼が歌うのは初めてだった。
意外にもと言ったら失礼だが、ブレがなくいい声だった。
私とヒロカは驚きの表情で顔を見合わせた。
ヒロカが目線で、「いい?」と聞いて来ている。
私は、「まあ、うん。ちょっと複雑だけどね」と表情で返事した。
たまに歌詞があやふやになるものの、彼は見事にワンコーラス歌い上げて見せた。私達は惜しみない拍手を送った。
「高橋くん、意外と上手い!」
「意外とって何だよ。あー、でも気持ちいいねこれ。癖になりそ」
「ちょっとしたカラオケみたいでしょ?」
「いや。なんか正直カラオケよりいい。生音だからかなぁ?紺野のギターって、なんか歌いやすい気がする」
「ホントに!?練習の成果、出てるのかな!?」
ヒロカはギターを抱きしめて歓喜の声を上げる。
案の定、私の胸に針で刺されたような痛みが走る。
予想できた事態だったので、さほどダメージは大きくなかった。
少しだけ自分の感情を制御するのが上手くなった気がする。痛いことに変わりはないけど。
「でも、今のは特別だよ。私はメイの専属なんだから。そう簡単に他の人には弾かないんだからね」
ね。と私を見て笑うヒロカ。
視線が、「大丈夫?」と聞いている。
ヒロカはいつも視界のどこかで私を捉えているようで、私の微妙な表情の変化も見逃さない。
私は少し痛みが和らいだのを感じながら、「うん、ありがとう」と返答する。
「なんだよー。お前らいちゃいちゃしすぎだよー。なんで男一人女二人で俺があぶれてんだよー」
パイプ机の上に突っ伏して、高橋くんがボヤく。普通に考えればもっともな嘆きだ。
「ってかさ、お前らちょっと怪しくない?もしかしてデキてたりしないよね?」
「えー?メイ、どうする?あんなこと言ってるよー?」
「……ノーコメント、かな」
「え、否定しないの?」
「女の子には秘密があるのだよ、高橋くん。なんてね」
「なんだそれ。わけわかんねー。あーもー、なんかやる気なくなるわー。今日はもう作業終わりにしよっかなー」
腕まくりしていたワイシャツの袖が半端に戻りかけていて情けない有様だった。
最近ステージ設営以外にも委員の仕事が立て込んでいるらしく、ウニ頭も元気を失っている気がする。
「あ、そういやさ。演奏の順番、アミダで決めちゃおうと思うんだけど、いいよね?」
設営作業は切り上げることに決めたのか、ガムテープの芯を回収し始める高橋くん。
「みんなに希望聞いて回ってるとキリなさそうだからさ、恨みっこなしで。」
「うん、それは仕方ないんじゃない?」
何番であっても全力を出すだけだし、本当にいい演奏なら順序がいつでも印象に残るはずだ。
「おっけー。じゃ、早速」
高橋くんはズボンのお尻のポケットから小さく折りたたんだプリントとポールペンを取り出して、机の上に広げた。
私とヒロカが横からそれを覗き込む。
手書きの文字でバンド名が七つ並んでいる。上から、Telecostar, Sugar&salts, しゅーくりーむ, ロンリノオト, Candy, ラズライト……提出が遅かったせいか、Irisは一番下だった。
それぞれの名前から真横に線を書き足していき、線の先に七までの数字を振る。
私とヒロカはお願いされるままにアミダの線を書き足した。
最後に高橋くんも、より複雑な分岐の線を書き足して、よしと声を上げた。
「な、何番?Irisだけ先に見て!」
「はいはい、待ってねー」
変な鼻歌を歌いながら線をたどっていく高橋くん。
上に行ったり下に行ったりして、最後には中央の線に到着した。
「四番、だね」
「……真ん中かぁ」
極端に早かったり、後ろだったりするよりも良いかもしれない。
聞いてくれる人は、一番多い時間帯だろうし。
「あー、なんか緊張してきた。順番が決まっただけなのに!」
ヒロカは胸を抑えて深呼吸する。
言われてみれば、私も少し脈拍が強くなった気がしていた。
私の場合は緊張というよりも、高揚感と言えるかもしれない。
もうあと一週間。来週の水曜日の祝日が本番だ。
五日後にはこのステージの上に立っているんだ。
よろよろと近づいてきたヒロカが、私の肩にもたれかかる。
「やばい、なんか口から心臓が出てきそう……」
私はヒロカの小さな背中をぽんぽんと撫でる。
「大丈夫だよ。ヒロカはいつも通りで完璧だから」
「うん……。高橋くん、四番って何時くらいからの予定?」
「ん?前後するかもだけど、大体午後二時くらいじゃないかな?」
「二時ね……。了解」
「あ、あとさ、曲目リスト確認したんだけど、『そばかす』、被っちゃってたんだよね」
「えっ?!」
私とヒロカが同時に驚きの声を上げる。
まさか、こんな古い曲を他にも演るバンドがあるなんて。
もう二十年くらい前の曲なのに。
「ほら、六番目になったこの、Candyってバンド。部長の安藤さんがいるとこなんだけど、三曲目に」
別のプリントをお尻のポケットから取り出して広げてみせる。
Candyのエントリーシートだった。
『平成ジュラシック』、『閃光少女』、『そばかす』とある。
「別に同じ曲演っちゃいけないって決まりはないんだよね。今のところ被りはこれだけだし。でも順番的にはあとに演るほうがインパクト薄れちゃうだろうから、できれば直接交渉して決めて欲しいんだけど……」
「……でも、いまから曲目の変更なんて」
「かなり、厳しいよね……」
まったく想定していなかっただけに、もし変更を強いられることになったら正直まずい。
どうして今になってこんなことになるのか。私はほとんど無意識の内に高橋くんを睨みつけていた。
「ほ、ほら、まだこの曲で行けないって決まったわけじゃないんだからさ。直接Candyの人たちと交渉して、向こうが別の曲を演るって言ってくれればなにも問題ないわけだし!」
慌てた様子の高橋くんが早口で弁解がましく言う。
高橋くんも非協力的な軽音部となんとかやりとりしながら準備を進めている立場な訳だし、彼を責めるのは流石に筋違いか。
「その、部長の安藤さんって二年の何組か分かる?」
「え?えーっと、確かB組だったはず」
「ありがとう。ちょっと行ってくるね」
早速踵を返して歩き出そうとすると、ヒロカが行く手を遮った。
「私も行く」
「……」
音楽室でのアンプの一件が脳裏を過る。
が、ヒロカの表情を見て決心は固いのだと感じた。
私は頷いて、ギターを置いたヒロカの手をとって歩き出した。
昇降口で靴を履き替えて、普段はあまり縁のない四階まで階段を駆け上がる。
構造自体は三階と同じなのだが、掲示物や、何よりそこにいる生徒の雰囲気が違う。
私は気圧されないように眦を決してB組に向けて歩き出した。
教壇側の入り口にたどり着いた時、丁度下校しようとしていたらしい女生徒が出てきたので訪ねてみることにした。
「あの、すみません。軽音部の安藤部長って、まだいますか?」
薄い茶髪のその女生徒は、ペンシルで書かれた眉毛をくいっと上げて私を値踏みするように見る。
「安藤?えーっと、もう教室には居ないね」
「どこにいるか、分かりませんか?もう帰っちゃったとか?」
私の斜め後ろからヒロカが声をかける。
「んー、どーだろ。鞄はあるみたいだから、まだいると思うけど。音楽室にもいなかったの?」
「いえ、音楽室はまだ行ってみてなくて」
「じゃ、行ってみて。多分いるんじゃない?」
女生徒は面倒くさそうに教室から出て行った。
私たちはその背中に御礼を言って、芸楽館に向かうことにする。
一度二階に降りて、芸楽館への連絡通路である渡り廊下を渡って、今度は三階へ上がる。
音楽室からは楽器の演奏音は聞こえてこなかった。
一応、大きめの音が鳴るようにノックをしてから、失礼しますと声をかけて音楽室に足を踏み入れる。
グランドピアノの周りで、男子生徒四人女子生徒一人の集団が雑談をしていたらしい。
五人揃って突然の訪問者である私達を見やる。
「あの、すみません、安藤部長っていらっしゃいますか?」
顔がわからないのでとりあえずそう聞いてみるしかない。
と、その五人組の中に見たことがある顔があることに気づいた。
丈の短い詰め襟に、長髪と黒カチューシャ。
ヒロカのアンプを蹴り飛ばしてシールドを壊した、あの男子生徒だった。
向こうも私に気づいたのか、細い眉のせいで無駄に攻撃的に見える顔を顰めて睨んできた。
「何?」
長髪男の隣にいた、べっ甲ぶちの眼鏡をかけたツーブロック頭の男子生徒が返事をする。
この人が安藤さんだろうか。
「文化祭のバンドバトルのことで、ご相談があって」
私がグランドピアノの近くまで歩み寄ると、少し遅れてついてきたヒロカが私の隣に立つ。
怯えているのか、ちょっと動きがぎこちないような気がした。
「『そばかす』って曲、演奏予定だと実行委員から聞きました。私達も、当日その曲を演る予定でして、問題ないか確認させてもらおうと思って」
「え?あんな古っるい歌?」
「……私達も驚きました。まさかこの曲が被ることになるなんて」
「えー、どーすんの?同じ曲二回とか、客冷めるでしょ」
ピアノ奏者用の椅子に腰掛けていた金髪の女子生徒が、独特な、頭の悪そうな口調で言った。
妙に甲高くて頭痛がしそうな声だった。この頭でなぜ本間先生に呼び出されないのか不思議でしょうがない。
「どっちが先かによるんじゃない?あとから演る方は確かに微妙だろうし」
「演奏順序は、さっき実行委員が決めて、私達が四番、Candyの皆さんは六番になりました」
「は?なんで決まってんの?」
金髪のキンキン声の周波数が更に上がる。
「実行委員が、アミダクジを作って決めてました。あとで正式に連絡があると思います」
出来る限り淡々と、余計な感情を乗せないようにしゃべることにする。
バンド同士の揉め事でイベント中止なんてことになったら目も当てられない。
「ありえねー。順番勝手に決められるとか。同じ曲だったら先に演ったもん勝ちじゃね?」
「それで、ご相談に来たんです。正直私たちはまともに演奏できる曲数が三曲しかないので、今から曲の変更は厳しくて」
「んなこと言ってもなぁ」
安藤さんが他の四人の顔を見回す。
彼らにしても三曲のバランスを考えて選曲している以上、おいそれと変更を受け入れるのは難しいのだろう。
「私たちは、ギターとボーカルだけなので、バンドの演奏とはかなり雰囲気が違うと思います。もし同じ曲を演ることになっても、聞く側は別物として扱うんじゃないかと思うんですが……」
「え?二人だけ?」
「はい」
「なにそれ。だったら別にいんじゃん?」
あからさまに馬鹿にした口調で、金髪の女子生徒が言い放つ。
「いやいや、ないっしょ。勝手に順番決めて今更言ってくるとか」
カチューシャ男が口を挟む。この人の場合単純に私たちのことが気に食わないのだろう。
「順序のことは、実行委員が不公平のない形で決めたことですので、私たちからは何も」
「……だから一年に任すの嫌だったんだよね。あの実行委員適当っぽかったし」
全く準備を手伝いもしない連中が何を言っているのやら、と内心思いながら私はすまし顔で黙っていた。
「んじゃ、公平にこれで決める?」
安藤さんはポケットから百円玉を取り出して、私たちに見せる。
「百のほうが裏、花のほうが表ね」
「……わかりました」
コインは親指で跳ね上げられ、左手の甲の上に落ちると同時に右手で隠された。
「どっち?」
『……表』
私とヒロカは同時に答えた。ゆっくりと右手をどかす安藤さん。花の模様が見えた。
「あちゃ」
「何、安藤、負け?」
「何やってんだよー」
私はほっと胸を撫で下ろした。ヒロカも微かに笑って私の袖をきゅっと掴んだ。
「じゃあ、すみませんが、私たちは予定通りの曲目で演奏します」
「はいはい。どうすっかなぁ、やっぱ『キラーチューン』入れる?」
「なんか偏り過ぎじゃない?」
Candyのメンバーはもう私達など無視して話し合いをし始めた。
私達は軽く会釈だけしてその場を辞した。
音楽室のドアを閉めると、それまで呼吸を止めていたかのようにヒロカが大きく息を吐いた。
「……とりあえず、よかったね」
「うん。もう、ドキドキしちゃったよ」
部長だけあって、安藤さんはまだ話が通じる人のようだった。
もしあの金髪の女生徒と長髪カチューシャみたいな人たちばかりのバンドだったらもっとゴネられていたかもしれない。
そんなメンバーではバンド自体が成り立たないかもしれないが。
ただ、私を睨みつけていた視線が少し気になった。
シールドの件はヒロカの意向もあって先生に報告はしていなかったが、それでも敵意剥き出しという感じだった。
「ね、少し息抜きしない?」
右手の小指に絡まる、ヒロカの指先の感触。
私は微笑んで、愛しい相棒に向き直った。
怖がりながらもちゃんと隣に立っていてくれたことが嬉しかった。
「そだね。今日は少し疲れたね。たまには早めに上がろうか」
ヒロカはぱっと顔を輝かせて、私の腕を引く。
「じゃあ、和菓子屋さん行かない?芋羊羹一緒に食べたい!」
「この前言ってた所ね?オッケー」
私達は芸楽館裏に戻り、まだガムテープと格闘していた高橋くんに相談の結果を伝えて荷物を回収した。
「あ、なんだよ、お前らもう帰っちゃうの?!」
「今日はデートなの。花金だしねー!」
「また月曜から手伝うから、今日は、ごめんね」
「んだよー!くそー!リア充爆発しろー!!」
高橋くんの怨嗟の声を背中に受けながら私達は裏門に向けて駆け出した。




