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Whatever  作者: けいぞう
31/78

31.メイ

 昼過ぎにしっかり眠ってしまったせいか、日付が変わっても全く眠気が来なかった。

 線路沿いの道を五キロほどジョギングして、ゆっくりとバスタブで体を温め、上がったのが夜中の二時。

 目は冴える一方だった。

 私は簡素な机の上にルーズリーフを並べて、思いつくままに言葉を書き連ねていた。

 ただ無心になって、今までに自分が経験してきた物事をイメージしながらシャープペンを走らせる。

 気が付くと片面が真っ黒になるくらいのキーワードが並んでいるので、その紙を裏返して少し体裁を整えた内容に書き直す。

 最終的に出来上がるものが、時として私の予想を超えたり裏切ったりするのが面白かった。

 その文面が自分の中のどこかから生まれてきたものだと考えると、自分の新たな一面を見つけたような気分になれる。

 時間を忘れるというのはこういうことのことを言うのだろう。

 私の脳のどこに入っていたのかと可笑しくなるくらい、大量の言葉が溢れ出して来てルーズリーフを埋めていく。

 こんなに自由な世界はない。

 何かを伝えるための言葉が並んでいさえすれば、文法さえ無視したって構わないのだ。

 まるで何かのセラピーを受けているかのように、私はその作業に没頭していた。

 自分の納得の行く文面が出来上がると達成感があるし、いまいちな出来だと悔しくて一からやり直したくなる。


 一つだけ、楽しみとしてとってあることがあった。

 それはヒロカとの楽しい思い出について書くことだ。

 そんなことを初めてしまったら、きっとまた学校を休む羽目になってしまうだろう。


 時計が四時を回って、やっと少し疲れたかなと感じた。

 窓の外では早起きな小鳥が喧しく鳴いている。

 私はベッドに体を横たえて、目を閉じた。

 まだ少し、ヒロカの髪の香りが枕に残っている気がする。

 何より強烈に私の記憶に刷り込まれているのは、イチゴジャムのような甘い香り。

 彼女の使っていたリップのものだ。思い出すだけで胸が強く脈打つ。

 ヒロカの唇が触れた頬を指先でなぞる。感触を思い出すと熱を帯びた痛みのない傷口のようにじんじんした。


 ふと、スマホのLEDがチカチカ光っていることに気づいた。

 ずっと枕元に放置したままだった。

 ヒロカからメールが入っている。

 しまった、すっかり無視してしまっていた。


 返す文面を考えながら、こんな時間では起こしてしまうかもしれないと返信を思いとどまった。

 ヒロカからのメールに気づかなかったり、返信する時間を気遣う余裕がある自分に驚いた。

 昨日の夜はずっとスマホを握りしめて返信を待っていたというのに。

 きっと、これもおまじないの効果だろう。


 ヒロカがメールで言っていた通り、練習するのが楽しみだ。

 二日歌わなかっただけで結構なフラストレーションだったが、我慢したおかげでもう喉は元通りだ。

 明日、ではなくもう今日、の放課後は思い切り歌おう。

 そのためには少しでも寝て、まずは学校に行かなければ。


 ちゃんと寝付けるだろうか……その不安が過ぎりそうになったら、頭の中を文字と言葉で埋め尽くした。

 そうしていると余計な思考の入ってくる余地はない。


 昨日までとは違う。ヒロカの言った通りだった。私はすんなりと眠りの世界に落ちていった。



『白と黒のチェック まるでチェスの世界

 私の頭の中 繰り広げられる戦争

 どちらに染まりたいのかさえ 答えを問う言葉は絶え

 もう戦いは止まらない

 

 降伏は許されない 正しいかどうか

 勝たなければ語れない それだけが確かなこと

 タクトを振る黒い腕 もう少しで勝てそうで

 私はまた一つ嘘をついた


 モノクロのリドル 

 そう 私の口元だけ見て

 歪な笑みの訳を 貴方なら答えられる

 モザイクのパズル

 ねえ 意味のないノイズに

 私の想いさえ 騙されてしまう前に』

 

 その夜、私は夢を見た。

 黒いベールとドレスに身を包んだ私は、お城の塔の上で何かを待っている。

 階下では剣を持った王子様姿のヒロカが、黒ずくめの兵隊達と戦っている。

 やっとの思いで私のところにたどり着いたヒロカを、私は何故か落とし穴に落としてほくそ笑む。

 ポップでコミカルな世界観なのにゴシック調の重厚感もあって、まるでよく出来たプロモーションビデオを見ているようだった。

 多分、寝る直前に書いていた歌詞の内容がそのまま夢に入ってきたのだろう。

 

 目覚めてすぐ、私はその雰囲気を忘れてしまわないうちにルーズリーフにメモ書きしておいた。

 ヒロカがこの歌詞に曲をつけたとして、この世界観とマッチするものになるだろうか?

 それとも、全く違う解釈になるだろうか。とても楽しみだと思った。




 朝のホームルーム直前に登校すると、一昨日と同じようにヒロカが教室の前で待っていた。

 美味しいのど飴を見つけたからと言って、私に一袋くれた。

 私のお礼を聞くか聞かないかのうちに、ドタバタとA組に戻って行った。

 多分、様子を見にきてくれたのだろう。

 私は席に着いてから、そののど飴を一つ口に含んだ。

 パッケージの絵の通り、梅味だった。

 酸っぱさで頬が歪む。でも確かに美味しかった。


「おはよう、冴木さん。ちょっといい?」


 目の覚めるようなウニ頭。高橋くんが席にやってきた。


「今日の放課後なんだけどさ、早速ステージ組み立てるの手伝ってくんない?ガムテープ大量に用意したからさ、机繋ぐの始めちゃおうと思って」


 私は口の中ののど飴を右の頬袋に移して答える。


「うーん、今日はヒロカと練習する日にしようと思ってたんだけど……」

「練習って、どこで?音楽室は部の連中の予約が分刻みで入ってるって聞いたけど……」

「私たちはそんなに機材がなくても練習出来ちゃうから。空き教室か、高架下の広場に移動してやろうかなって」

「あ、だったらさ、芸楽館裏のステージ作るスペース、使っていいよ。あそこならあんまり人も来ないし、隣は公園だから少しくらい音大きくしても文句来ないだろうし」

「そのかわり、ステージ設営は手伝えってことね?」

「その通り!力仕事は俺がやるから、ガムテ貼る係だけでも、頼むよ!」


 両手を合わせてウニ頭をさげる高橋くん。

 こうまでされたら、流石に断れない。

 私は了解の旨を伝えて、放課後に現地集合する約束をした。


「あ、高橋くん!ごめん、これ、決まらないことがあってまだ出せてないんだけど、いつまでなら待てる?」


 私はカバンのサイドポケットに畳んで仕舞っておいたエントリーシートを取り出して聞いた。


「えーっと、週一の報告が明日だから、遅くても今日中にはお願い!」

「今日中……。了解」


 結局あれから、バンド名が決まっていない。

 だが、昨日の夜から頭の中を文字や言葉で埋め尽くしているから、今なら何か名案が浮かぶかもしれない。


 私は和英辞典を取り出して、思いついたキーワードの英訳を書き連ねて行った。

 目標、一時間目終了までにバンド名候補を決めること。



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