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Whatever  作者: けいぞう
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03.ヒロカ

 『Whatever』ばかり何十回も繰り返して弾き語って、気がつくと時間は夕方五時を回っていた。

 あまり遅くならないうちに帰らなければ。

 私は慌ててギターをケースに戻した。

 弾いている時はその重さは全く苦ではないのに、帰り道は疲れもあって担いで帰るのがしんどい。

 少し迷ったが、ギターは音楽準備室の掃除用具入れの中に置いていくことにした。


 家は徒歩十分程度しか離れていないため、自転車通学の許可は降りなかった。

 許可証のない自転車は駐輪禁止になっているので、たとえ休日でも乗り入れることは出来ない。

 そう簡単にバレたりはしないのかもしれないが、学校との揉め事は避けたいので我慢することにしている。


 下足に履き替えて表に出ようとして、立ち止まる。かすかに、誰かの歌声が聞こえて来た。

 透明感があるというのは、きっとこういう声のことを言うのだろう。

 音量自体はさほど大きくないのに、澄んだ響きがガラス戸をすり抜けて伝わってくるかのようだった。

 驚いたのはその声質にだけではない。

 その歌声が奏でるのは、さっきまで私が歌っていたメロディ。

 私は呼び寄せられるように、昇降口の外へ足を踏み出す。

 瞬間、校舎の裏側から歩いて来た女生徒と鉢合わせた。

 揺れる長い黒髪にドキッとする。

 あの人だ。

 私に気づいて一瞬驚きの表情を見せ、歌声が途切れる。


 ほんの刹那、目が合った気がしたが、彼女は私のことなど特に気にする様子もなく、悠然と私の前を通り過ぎていった。

 堂々とした力強い歩調なのに、なびく髪や振る両腕の軌道は優美だった。

 自分が同じ立場なら気まずくて赤面して引き返していたかもしれない。


 それにしても、どうしてあの人が『Whatever』を……?


 その後ろ姿が見えなくなった後も、しばらく私は馬鹿みたいにその場に立ち尽くしていた。

 ただの偶然で片付けられないような、何か強い胸騒ぎのようなものを感じていた。


 ふと、体が身震いして、日が落ちかけていることを教えてくれる。

 まずい。急いで帰らなければ。

 もともともっと早く帰るつもりでいたから防寒など出来ていない。


 校門を出て、ハナミズキの並木を歩く。

 図書館と公園を左手に見つつ歩くと、駅まで続く目抜通りに突き当たる。

 休日だというのにほとんど人通りはない。

 通り過ぎるのは古くて野暮ったい形の車ばかり。

 広くもない歩道に取り付けられたアーケードのせいで、狭苦しさを感じる。

 行く先の側に並ぶのは、和菓子屋、シャッター、シャッター、婦人服店、シャッター、シャッター、落書きされたシャッター、楽器店、シャッター、シャッター、シャッター、シャッター……。

 孤独なんて言葉を使うのは大げさかもしれないけど、この場所は一人でいるとそんな言葉を使いたくなるような気分にさせる。

 最近、特にギターを初めてから、自分を取り巻く環境の味気なさに気づき始めていた。

 関東平野の端の端、山に囲まれて隠れるように毎日を過ごすこの町には、歌の世界に出てくるような自由や開放感は見当たらない。


 信号待ちで足を止める。

 人のいないゲームセンターでは、整然と並んだ筐体が飽きもせずデモ画面をループさせている。

 漏れ聞こえてくるUFOキャッチャーの陽気でちゃちなBGM。

 片側一車線の大通りを車が通り過ぎるたびに、アーケードの支柱の影が歩道を舐めていく。

 色あせたポスターや錆びたバス停、腐りかけた木のベンチ。

 ふとこの町の人間が自分を残して全て消えてしまったのではないかと錯覚する。

 薄気味の悪い悪寒を振り払うように、小走りになって帰路を急いだ。


 商店街のシャッター街化は、数年前に郊外に出来た複合施設の影響が大きいらしい。

 私の家、紺野書店の両隣も青果店と布団店だったのだが、どちらも二年ほど前に潰れてしまった。

 自分でももし買い物をするとしたら、こんな寂れた通りに並ぶあばら家よりもショッピングモールを選ぶだろうから、無理もないことだと思う。

 そんな中で我が家が商売を続けていられるのは、ひとえに企業努力の賜物だとお父さんは得意げでいる。

 文房具やポスター、カレンダー、ファンシーグッズや印鑑まで手広く扱っているため、一階は一見書店とは思えない佇まいだ。

 在庫管理や陳列はお母さんが苦心している。

 店番は一階がお父さん、二階がお母さんの担当で、基本的に年中無休だ。

 あまり他の家庭の様子を知らないが、家庭内は円満な方だと感じている。

 たまに両親が喧嘩するのは経営に関する議論が白熱した時くらいで、曰く必要な衝突なのだそうだ。


 入り口のドアを引いて開くと、ぴろりろぴろりろ、と来店を知らせるチャイムが鳴る。

 ちょっと昭和臭すぎるから変えるかやめるかしてほしいとよく言うのだが、はぐらかされて終わる。

 店のことに対して娘の発言権はないに等しい。


 父はいつもと同じように、カウンターの奥の丸椅子に腰掛けて新聞を読んでいた。

 休日の夕方から夜にかけてはお客さんがいる時のほうが珍しい。


「おかえり」

「ただいま」


 それだけいつものようにやり取りを交わして、私は急な階段を二階へと登っていった。

 二階は漫画と小説。参考書や地図、あとCDも少しある。

 近くに高校が集中しているのでティーン向けが多い。

 お父さんの方針で立ち読み歓迎としているのだが、それでもやはりこの時間にはお客さんはいなかった。


 ビーズの暖簾をくぐってバックヤードに入り、ダンボールの迷路を抜けて行くと私の部屋がある。

 玉型のドアノブがなんとも渋く、年頃の女の子の部屋とは思えない扉だ。

 室内にしてもまず畳敷きだし、木目丸出しの巨大なタンスと学習机の存在感が凄まじい。

 ぬいぐるみとパステルカラーのCDラックだけが少女趣味の欠片として片隅に置かれている。

 寝床は布団なので、部屋に戻ったらまずベッドにダイブしてダラダラする、というのが私の密かな憧れだ。

 スマホをプレイヤーに接続してランダム再生にする。

 流れてくるのは主に一昔前のポップスで、メロディが綺麗でキャッチーなものばかりだ。

 ギターを弾き語りするのに向く曲を選んでいるせいだった。


 畳の上に寝転んで天井の木目を眺める。

 職員室と昇降口で見かけた女生徒のことを思い出す。

 彼女は、転校生なのだろうか。

 だとしたら明日以降会うことがあるだろうか?そうだといいな、と思いながらウトウトし始める。

 プレイヤーから流れてきたのは、『楓』。

 穏やかで優しい歌声に包まれて、私はあっという間に眠りに落ちてしまった。


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