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Whatever  作者: けいぞう
29/78

29.ヒロカ


 メイが寝息を立て出したのを確かめたら、途端に私も眠くなってきた。

 でも、もう少しメイの寝顔と体温を楽しんでいたい。


 私はメイの、黒絹のような髪に触れてうっとりした。

 その内面を象徴するような真っ直ぐさ。そう考えるとより一層愛おしい。


 メイの悩みが何なのか、具体的にはわからないままだったが、きっと彼女は自身の優しさ や真面目さに苦しめられているのではないか。

 そんな気がしてならない。

 でも、私は例え不器用でもそんな生き方は美しいと思う。

 そうあることで傷ついたり迷ったりするたびに、自分を頼って欲しいと思う。

 理解して、応援して、支えて、守ってあげたい。


 人を好きになるって、こういうことなのかもしれない。

 なんだかそうであることが自然すぎて、相手が女の子であることに疑問すら抱かなかっ た。

 普段の凜とした表情からは想像もつかないほど無防備に脱力したその寝顔。

 今は間違いなく私だけのもの。

 全身を委ねてくれるその心地よい重みが、じんわり私の心に幸せを広げていく。


 よく考えると、二人きりでホテルのベッドにいるって、大事件もいいところだ。

 成り行きのままに随分関係が進展してしまった。

 ほっぺだけど、キスまでしてしまったし……。

 しかもお代わり欲しがられちゃったし!


 女同士でそういうの、メイが嫌がる人じゃなくて良かった。

 っていうか、嫌がるどころかウェルカムな感じだったような……。

 友達や先輩の話を聞くと、男の子よりも女の子の方が好きという人も、ちらほらいるものらしい。

 でもその人達が、何年経った後も同じでいるかなんてわからない。

 思春期特有の不安定さによる一時的な気持ちの偏りでしかないのかもしれない。

 当人たちも、レズとか同性愛ってワードを突きつけられたらすんなり受け入れるのは抵抗 があるんじゃないだろうか?


 私は、別に何と言われても構わない。

 好きになった人がたまたま女の子だっただけだし、他にもっと好きになれる人が現れるか と聞かれたら、想像できない。

 メイよりかっこよくて、綺麗で、守ってあげたくなる人なんていない。

 私はメイと……こういう呼び方が合っているのかわからないけど、恋人同士になりたい。


 でも、恋人の定義って何だろう?

 異性であることが前提?

 お互いがそうであると認めればそれでいいのだろうか?

 微妙な問題だが、どうとでも言える気がする。

 女の子同士の場合、グレーな部分の領域は広い。

 女の子の親友同士ならボディタッチとか、一緒に寝るとか、一緒にお風呂とかだっておかしなことじゃない。

 お互いの関係をそれと認めなくても、身体的な距離は縮められる。


 しかし逆に、カミングアウトした瞬間にそれまで普通だったスキンシップを一切拒否される可能性もある。

 やはり、お互いの認識が重要なのだろう。


 「メイ。……メイにとっても、私は特別だよね?」


 小さな小さな声で、独り言のように漏らしてみた。


 勢い任せではあったけど、キスはかなりの冒険だった。

 頬とはいえ、生まれて初めての経験だったし。

 結果受け入れてもらえた、ということは、期待できると思っていい。はず。


 窓の外、雨はまだ降り止まない。帰る時までに止むだろうか。


 ……今日のうちに、帰らなきゃいけないだろうか?

 信じられないくらいの大雨が降って、二人でここに閉じ込められてしまえばいいのに。

 メイだってきっとそう願ってくれてるはず。


 ふと、メイが私に望んでいることが何なのか、考え出して不安になった。

 私は、できるならメイとずっと一緒にいたい。

 今日も明日も、何年先だって、私のことをパートナーとして必要としていて欲しい。

 メイはどうだろうか?

 今メイが悩んでいることが解決して、例えばそのあと数年間、一緒にいたとして。

 メイが大人になって、もっと器用にうまく世渡りを出来る人になったとしたら。

 その時もまだ、メイは私を必要としてくれるだろうか?

 こんなに無防備に体を委ねてくれるだろうか?


 ――やめよう。

 ついさっき私がメイに言ったことを嘘にしてはいけない。

 できる限りのことをして、結果を受け入れるしかない。

 不安よりも今しか感じられないこの感情を大切にしよう。


 私はこっそり、メイのおでこにもう一度キスをした。

 唇を通じて感じる特別な体温と、髪の香り。

 私は言葉にできない幸せを噛みしめながら目を閉じた。

 夢の中でも、メイに会えるといいなと思った。




 目が覚めると、窓の外はもうすっかり暗くなっていたが、どうやら雨は上がっているよう だった。

 まだ腕の中にいるメイの顔を眺めようとして驚いた。


 「メイ、起きてたの?」

 「うん、おはよう、ヒロカ」


 いつもより少し低い、少し掠れた声。

 私もやっていたことだから文句は言えないが、寝顔をあまりまじまじ見られるというのは 恥ずかしいものだ。


 「下着とか、椅子の上にあるからね」


 メイがゆっくりと私の隣から体を起こすと、黒髪の毛先が私の腕をくすぐって離れていっ た。

 なんだか切ない感触だった。


 「制服と鞄も、一応除菌スプレーかけてお風呂場で乾かしておいたから。もう乾いてると思うよ」


 欠伸を噛み殺しながら、私も体を起こしてベットの淵に腰掛ける。


 「もう着替えなきゃダメかなぁ?これ、案外着心地いいんだね。気に入っちゃった」


 ガウンをつまんで見せると、メイは困ったように笑った。


 「せめて下着くらいはつけないと。っていうか、帰らないとまずい時間じゃない?もう六時 だよ?」

 「げ、やばい!」


 私は椅子の上に丁寧に畳まれて置いてあったパンツ、ブラ、キャミ、靴下を取って、浴室に飛び込む。

 どうやらメイは一度起きて、色々用事を済ませてからまた私の隣に来たらしい。

 私を起こさないように気を使いながら色々やってくれていた思いやりが嬉しい。

 下着の洗濯までお任せしちゃったのも、よく考えたらすごいことだ。

 あんまり深くは考えないようにするけど。


 すっかり乾いた制服に身を包んで、部屋に戻る。

 鞄に教科書とノートを戻して肩に担ぐ。

 ギターも反対側の肩に担ぐ。

 その間、メイは所在なさげに姿見の前に立っていた。


 「じゃあ、メイ!また明日ね!」


 私が出入り口のドアノブに手をかけて振り返ると、メイはなんとも言えない面持ちだった。

 笑ってはいるけど、不安を隠しきれていなくて、そのことを自覚した上でも顔は伏せたくない、そんな感じだった。

 ドタバタと勢いに任せれば、お互い離れがたい気持ちを吹っ切ることができると思ったが、一人ここに残されるメイはまだ少し名残惜しさが滲んでしまうようだった。


 私は一旦荷物を降ろし、メイに歩み寄った。


 「……ごめんね、もっとゆっくり一緒に過ごしたかったよ」


 私はメイの肩におでこを乗せて、その細い体を抱きしめる。


 「私こそ、ごめん……。ちゃんと普通に笑ってバイバイするって、決めてたのに。たった一晩 会えないだけなのに、どうしてうまく笑えないんだろう……」  

 私はメイの両肩に手を置いて、わざとらしいほどの笑顔で言う。


 「そういうときは!」

 「……そういうときは?」

 「おまじない」


 背伸びをして、頬にちゅっとやってやる。

 よし、四回目ともなると不自然さも取れてきた。


 「昨日までとは、違うよ」

 「え?」

 「私のおまじないが、メイを守るから」

 「……」


 笑いかける。

 メイの見開かれた瞳に私の顔が映った。


 「明日から、また練習だよ。一日しっかり休んじゃった分、ばっちりみっちりやんなきゃね!」


 私は肩のギターを突き出して、その後右腕を掲げてみせた。


 「まずは目標。文化祭。しっかり決めて、学校中びっくりさせよ。それで、その後は……」

 「……その後は?」

 「約束のデートの続き!」

 「……だと思った」


 クスクス笑うメイ。

 左手があがって、二人の腕がぶつかる。

 こうすると、なんだか勇気が湧いてくる。

 でも、合わせた腕をどちらからも離せなくて、ゆっくりと指を絡ませた。

 

 「……眠れなかったら、メールか電話して」

 「うん、もう大丈夫」

 「本当?」

 「おまじないが効いてるから」

 「……だよね。じゃあ、こんどこそ、また明日!」

 「うん、また明日!」


 繋いだ手は、その状態が自然だとでも言うように、離すときに痛みを伴う。

 それでも今日は帰ろう。

 また週末にでも泊まりに来れば、たっぷり二人きりでいられるんだから。


 私はドアノブに手をかけ、えいやっと外に押した。

 そのまま、一度だけ振り返る。

 廊下の照明が妙に明るくて、部屋の中が薄暗く見えた。

 それでも、メイがちゃんと微笑んでいるのが見えたから、私はメイが見えなくなる直前ま で手を振って、そのままドアを閉めることにした。


 ばたんっ、と不必要に大きな音を立てて閉まるドア。

 その余韻が静かな廊下に反響する。

 もう一度ドアをノックして鍵を開けてもらって、メイに抱きつきたい。

 誘惑に揺れる気持ちをなんとか抑えて、私はエレベーターに乗り込んだ。


 一階に着いて正面玄関から外に出ようとすると、従業員らしき人がこちらも見ずに行ってらっしゃいませー、と声を上げた。

 お客じゃないのにね、と私は小さく舌を出した。


 雨は上がって、澄んだ空気が駅前広場を満たしていた。

 暗い色のアスファルトの地面は水たまりだらけだった。

 千切れた雲の隙間から覗く夜空が水面に写っている。

 私はその星空を跨いで飛び越えながら薊橋駅に向かった。


 バス停でバスを待つ人が二、三人、それ以外は誰もいない。

 麻生の商店街はまだ車が頻繁に通るだけマシだ。

 ここにはほとんど音がない。

 自分の足音がやけに響いて、バス待ちの人に睨まれた気がした。

 私は逃げるように駅舎に駆け込んだ。


 行きと同じく切符を買い、改札をくぐってホームに向かう。

 狭くて短いホームだったが、この線の車両編成ならば過剰なくらいだ。

 私はちょうど真ん中あたりで電車の到着を待つことにした。

 遠く見える山肌は宵闇のせいでほとんど真っ黒。

 のっぺりとした書き割りのような風景。

 裾野にちらほらと民家の光が見えるが数えられるくらいしかない。

 私の立っている下り方面ホームと、乗客の全くいない上り方面ホーム。

 ぼうっとした青白い蛍光灯の光に照らされて、真っ暗な闇の世界に二つの浮島が浮かんでいるように見える。

 うっかりこの足場から落ちたら、永遠に落下し続けていってしまうのではないかと空想して、身震いしてしまった。


 メイがこんなに寂しい場所で毎日夜を過ごしているなんて、想像もしなかった。

 そもそもホテル暮らしというのはどうなんだろう?

 無責任に憧れるなんて言っちゃったけど、よく考えたらあの生活感のない殺風景な部屋で、食事も、寝るときも一人なのだろうか?

 一応隣にお父さんが部屋を取っているらしいけど、忙しすぎてまともに会えていないと言っていた。

 両親の干渉を疎ましく思う私でも、さすがにそこまで孤独な生活は三日もすればもう沢山だろう。

 メイの気が滅入ってしまうのも無理はない。


 私はホームから振り返って、ステーションインの三階あたりを見やった。

 三階の部屋は幾つか明かりが漏れているが、どれが302号室かは分からない。

 一緒にいるときの室内は二人きりの愛の巣だなんて思ったが、こうして見上げるとメイが囚われている魔王の城のようだ。


 離れるのが躊躇われる、が、電車が来てしまった。

 私はステーションインから視線を切れないままで、車両に乗り込んだ。


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