22.メイ
次の朝、私はいつもより一本遅い電車で登校していた。
喉を使えないので腹筋背筋を繰り返していたのだが、はりきりすぎたのかひどい筋肉痛になってしまったのだ。ぎしぎしと痛む体で、いつものように着替えようとして新しい制服があることを思い出した。
モスグリーンとエンジ色ではなく、白ベースにグレーのラインが入ったブレザー。
スカートはラインのグレーと色を揃えたチェックのプリーツだ。
ヒロカは可愛く着こなしているが、正直私の雰囲気とはイマイチな相性のような気がした。
袖を通してみると案の定着心地が少し軽くて落ち着かなかった。
胸元のリボンはつけないでいこうかとも思ったが、校則もそこそこうるさい学校なので、そういう訳にもいかなかった。
通学中、電車の窓ガラスに映った自分の姿を見て、うわっと声が出そうだった。
一応市内では一番の進学校だから憧れる人も多いのだそうだが、この制服のデザインを先に見ていたら違う学校を希望していたかもしれない。
(それだったら、ヒロカに会えなかったんだよね……。)
想像して、身震いしてしまった。
今となっては、ヒロカと音楽がない生活なんて考えられない。
ヒロカといるためには仕方ないと割り切って、できるだけ自分の服装は意識しないように努めた。
学校に到着し、校舎の三階まで上がって、教室を目指す。
いつもより時間帯が遅いせいか、生徒の数が多い。
前の学校の制服を着ていたときに感じた視線が少し弱まった気がする。
朝のホームルームまであと二十分。私は前よりも軽くなったスカートの感触に落ち着かない気分のままC組の教室に入ろうとする。
「メイ!」
はっとなった。
C組教室の後ろの入り口横に寄りかかっていたヒロカは、はねるような足取りで近づいてきた。
「あ、おはよう、ヒロカ」
「おはよう!おー!うちの制服ー!」
ヒロカは私を中心にして回りながら、まじまじと私の全身を眺める。
「に、似合わないでしょ?」
「そんなことないよ!かわいいかわいい!」
「ヒロカ、声大きいよ……」
周りの生徒が何事かとこちらを見ている。
「ごめんごめん、ついはしゃいじゃって」
「このためにわざわざ私のこと待ってたの?」
「えへへ、それもあるんだけどさ、今日の昼休みさ」
「ああ、昨日話してたあれね」
「そそ、教室で待っててね、迎えに来るから」
「オッケー」
元気にA組へと駆けて戻っていく背中を見送って、私は小さく息を吐いた。今日もヒロカは元気だ。
「あれ、さいきさん、制服」
教室に入ると、前の席の前原さんが声をかけてきた。
席が近いせいかよく声をかけてくれる女子生徒だ。
ショートカットに眼鏡が似合う小柄な彼女も、この制服を問題なく着こなしている。
なんとなくさえき、ではなくさいき、と発音されている気がするが、気にしないことにする。
「うん、やっと受け取れたから」
「なんかもったいないね。前の制服、すごく似合っててかっこよかったのに」
「……そう?」
せっかく声をかけてくれたのに、私はそっけない返事を返してしまった。
ヒロカが似合うといってくれた今の姿ではなく、昔の制服のことを言われたのが面白くなかったのだと自己分析した。
彼女のたったあれだけの言葉で、私の心境はかなり変わってしまっているようだった。
「そういえばさ、さいきさん、紺野さんと仲いいの?」
前原さんは椅子に横向きに座って更に話しかけてくる。
「うん、まあね」
「やっぱり、この前の学年集会のときのあれがきっかけ?」
「まあ、そうだね」
あの出来事についてヒロカ以外と話すのは初めてだった。
「あの時本間のやつ、さいきさんに睨まれてびびってたもんね。スカッとしちゃったよ」
「あのときはちょっと……イライラしてたから、後先考えてなくて」
「でもみんなさいきさんにこっそり感謝してると思うよ。本間、嫌われてるからね」
「……」
本間先生に向けたのと同じくらいの敵意を、私は学年全員に向けてしまっていたのだが、そのことはなんとも思われていないのだろうか?
「軽音部なんて、絶対ああいう問題起こすって分かってたから今まで創部が認められてなかったのに、出来て一週間もしないであれだもんね。予想通りすぎっていうか」
「まあ、そうかもね……」
「ほら、今度の文化祭で新しい催し物があるじゃない?バンドバトルとかって。あれもやるって決まったはいいけど、結構揉めてるみたいよ。軽音部がやりたいっていってねじ込んだくせに全然準備しないとかって」
それに関しても、ある意味予想通りだ。開催までにまた何か問題を起こさなければ良いのだが。
「高橋君、苦労してるみたいだよ」
「……高橋君?」
「ほら、うちのクラスの実行委員。このまえロングホームルームで決めたじゃない?運営からバンドバトルの責任者を押し付けられちゃったらしくて」
高橋……。思い出そうとしてみたが無駄だった。名前と顔が一致する生徒なんて前原さんくらいのものだ。
「そっか、バンドバトルのことは高橋君に聞けばいいのね?」
「たぶん……。何か関係あるの?」
「うん、ちょっとね。高橋君ってどこに座ってる?」
「そこ。青いセーターの。ってかさいきさん、クラスメートの名前くらい覚えなきゃ」
けらけらと笑う前原さん。言われている内容はもっともだが、私はほとんど無視して席を立った。
「高橋君?」
私が声をかけると、何やら書類とにらめっこしていたその男子生徒は振り向いた。短く切り揃えた髪を整髪料で逆立てた頭がウニのようだった。
「ん?なに?」
「文化祭のバンドバトルのこと、ちょっと聞きたいんだけど」
整えた眉毛を歪めて、露骨に面倒そうな顔をされた。
「嫌な話題だな」
「ごめんなさい。出場の手続きって、高橋君に直接言えばいいの?」
「え、冴木さん、出るの?!」
面倒そうな顔が驚きの表情に変わる。
「そのつもり、なんだけど」
「えー、軽音部の連中だけかと思ってた」
「私も一応、軽音部なんだよね」
「えー?!そうなの?!」
ヒロカより声が大きい。
ちょっと勘弁してほしい。
「んじゃ、エントリーシート、これ書いてくれる?明日中くらいに俺に渡してくれればいいから」
机からB5サイズの紙を取り出して渡してくる。
「ありがとう」
「軽音部の先輩がタチ悪くってさ。全然協力してくんないの。出るんなら、準備とか手伝ってもらえるとありがたいんだけど」
「うん、言ってくれれば、A組の紺野さんと二人だから、一緒に手伝うよ」
「二人って……え?パートは?」
「紺野さんがギターで、私が、その、ボーカル」
ボーカルというのはなんとなく口にするのに覚悟がいる言葉だった。
「えーー?!嘘!見てみてぇ!」
「ちょ、ちょっと静かに……」
「あ、ごめん……」
「とにかく、書いて渡すから、よろしくね」
私が席に戻ると、高橋君の席にほかの男子生徒が群がる。
これは出場前にクラスの噂になってしまいそうだ。見てもらうことが目的なのだから問題はないのだが。
「さいきさん、まさか出場するの?!」
案の定、前原さんも食いついてきた。
「一応ね。紺野さんと一緒に」
「えー!すごーい!見に行ってもいい?」
「う、うん、いいけど……」
なんだか照れくさくなって私は書類に視線を落とした。
出場メンバー、バンド名、演奏曲目の記入欄がある。
持ち時間は一組十五分らしいので、見込み通り三曲というところか。
そこまで考えて、視線がエントリーシートの上部に戻る。バンド名の欄がある。バンド名……?
「しまった……。考えてなかった……」
午前中の授業はまったく頭に入らないような気がした。
「普通、どうやって考えるんだろう?何か取っ掛かりが欲しいなぁ」
昼休み。
ヒロカに事情を説明して、エントリーシートについて相談した。
ヒロカは前原さんの席を借りて、私の机の上にノートを広げていた。
「なんだろう……。お互いの名前とか?」
「メイ、ヒロカ……」
ノートにカタカナでメモをするヒロカ。ペンをくるくると回して考え込む。
「名前の文字を混ぜてみるとか?」
「め、い、ひ、ろ、か……」
「かめひろい!」
「没ね」
「だよね……」
これはある意味、演奏する曲目を考えるより難航しそうな作業だ。
あまり大げさな名前は抵抗があるし、シンプルな中に自分たちらしさを出すのはかなり骨が折れる。
「日本語にするのか、アルファベットの名前にするのか……」
「ヒロカ、英語で何かいい単語ない?」
「えー、突然言われてもなぁ」
「だよね……」
「どうせなら、かっこよくてかわいいのがいいよねぇ」
「呼びやすくて、イメージに合うような……」
何か、コンセプトになるようなものはないだろうか。
私達にとって重要な事柄や、象徴的な単語……。
「いかひろめ!」
「海から離れましょ……」
「ぶー」
ノートの上に突っ伏すヒロカ。
「曲のことに集中しなきゃいけないのに、思わぬ落とし穴だね……」
「紺野、寛香……」
「冴木、芽衣……牙?」
「牙はちょっと……」
「お、やってるね」
紙パックのカフェオレを片手に、高橋君が近寄ってきた。
「まさか学年集会のときの二人がバンドとはね、びっくりだよ」
「ヒロカ、この人が高橋君」
「どうも」
少し緊張気味に会釈するヒロカ。
高橋君はにかっと笑って、隣の席に座った。
「早速なんだけどさ、準備のこと相談させてよ」
私はとりあえずエントリーシートを机の中にしまった。ヒロカもノートを隠すように閉じる。
「一応、場所は芸楽館の裏に決まってて、簡単なステージを作ることになってるんだけど、机並べてガムテで繋いで、上にベニヤ板敷こうと思ってるんだよね。使ってない机なら体育館の下のピロティにいっぱいあるし、でかいベニヤ板も調達できたから」
「なんだか大変そう。ドラムセットとかも置くんでしょ?しっかり作らないと崩れそう」
「そうなんだよ。ガムテ大量に用意しないといけなくてさ。っていうか、机繋ぎ合わせるのがすげー時間かかりそうなんだよ」
「ステージの後ろはどうするの?」
「あー、何も考えてない。壁にステージくっつけて、何か飾ろうとは思ってるけど……」
ウニ頭をがりがりと掻く高橋君。
「簡単にできそうな物だと、風船とか?いくつも膨らませて浮かせるとか」
ヒロカの発想はなんとも乙女チックだ。
「うーん、どうかなぁ。ガスとか用意できるかわかんないし、男ばっかのバンドも多いから、カラフルな風船ってのはなぁ」
「……じゃあ、運動会で使う万国旗とか?」
「それもいまいちなぁ……カッコよくしてくれって軽音部の部長には言われてるし……」
ざっくりとした要求もあったものだ。言うだけ言って手伝わないというのもひどい話だ。
「体育館のベロアカーテンを借りて、貼り付けてみるとかは?」
「お!いいねそれ、冴木さん。先生に相談してみるよ」
「Band Battle!って文字を作って、貼り付けてみる?」
「おー、いいじゃんいいじゃん!写真とかビデオも残るだろうから、イベント名がわかるのはいいよ。それもやっとこう。ダンボールで作って色塗れば、それっぽく見えるだろ」
「高橋君、私たちのアイディアに乗ってばっか……」
「あ、バレた?俺昨日までなんも思いつかなくてさ」
ヒロカと高橋君に釣られて私も笑う。
自分が学校のイベントにこんな形で関わることになるなんて、少し前までは想像もしなかった。
「正直、準備は俺たち三人メインでやることになっちゃうと思うからさ、悪いけど、頼むね」
「えー!練習の時間、削られちゃう……」
「頼むって!出来る限り便宜は図るからさ」
「ホント?!じゃあ演奏の順番、トリにしてよ!」
「……いいけど、大丈夫?プレッシャー半端ないよ、たぶん」
「う……それは確かに」
手伝いを押し付けられることは不服そうなままだったが、ヒロカはお祭りが楽しみなのかはしゃいでいる。
高橋君と楽しそうに話しているのを見ていると、何故か胸がチクリと痛んだ。
ヒロカは自分と私が似ていると言ってくれたけど、私よりも彼女の方がずっと器用で人付き合いがうまいような気がする。
明るくコロコロと表情を変えるヒロカ。
その顔が私以外の誰かに向けられている。
名前も分からない感情が、それこそ風船のように膨らんで私の胸を圧迫する。
まただ。
文化祭、ヒロカと二人で決めた目標。その準備を、楽しくこなして笑っていたいのに。
「高橋君、ごめん。私達、昼ごはんまだだから、食べに行ってきてもいい?」
「え?ああ、そうだったの?悪い、引き止めちゃって」
「ううん、準備の話、また聞かせて。ヒロカ、行こ」
「あ、うん。高橋君、またね」
つかつかと教室を出る私を、小走りに追いかけてくるヒロカ。
「メイ?どうかした?」
左下から、心配そうなヒロカの顔が覗き込んでくる。
うまく穏やかに話を終わらせたつもりだったが、ヒロカには見抜かれていたようだ。
「……うぅん、なんでもない。朝ごはん食べてこなかったから、お腹すいちゃって……。あのままだとお腹鳴っちゃいそうだったから」
我ながらすらすらと言い訳が出てくるものだ。
「あはは、そっか。じゃあ、購買にする?食堂?っていうかメイって昼ごはんいつもどうしてるの?」
ヒロカが笑う。
私に向けて。
正直、ご飯なんてもうどうでも良かった。
昼休みが終わるまでは、ヒロカを独り占めしていたかった。
「コンビニで買って持ってくることが多いから、実は学校のご飯のこと、よく分かってなくて」
こう言ったら、きっとヒロカはまたお姉さん風を吹かせて案内をしてくれるだろう。
ヒロカが得意そうに私に何かを教えてくれる時の口調や笑顔が、私は好きだった。
「おっけー!任せて!購買はもうパンが売り切れる頃だから、食堂!Off we go!」
ヒロカに手を引かれて歩く。
左手の指先の硬さと、手の平の柔らかさ。
その感触が特効薬のように私の心のしこりを解きほぐしてくれた。




