18.メイ
「見てもらうだけで、いいの?」
「え?」
「私は……」
少し、言葉にすることに抵抗がある。
私の頭のなかにいる私が、本当に?できるの?とブレーキをかける。
けど、ヒロカは言ってくれた。
頭の中にこんがらがった鬱憤と、私と音楽を楽しめることが嬉しいという気持ち。
だから、私も。
「私は、見てもらうだけじゃ嫌だ。今まで私を縛ったり、抑えつけてきたものを見返してやりたい。私たちにはこれがあるんだって、誰も私たちの自由を妨げたりなんかできないって、堂々と言ってやりたい」
ヒロカが言葉にしきれなかった気持ちが、分かる気がする。
若いうちは無限の可能性があって、何でもできるだなんて言われるけど、実際に自由を謳歌してる人なんて見たことない。
みんな集団の中で自分の居場所を確保しようともがいている。
転校生なんて、出来上がりかけのパズルに放り込まれた余分なピースのようなものだ。
自分本来の形のままでその中にいることなんてできるはずもない。
窮屈で、何かあるたびにぶつかって擦れ、すり減っている。
目立たないように、はみ出さないようにしているのは楽だけど、自分を表現できないストレスは知らないうちに蓄積している。
ヒロカが生徒指導の先生に髪を掴まれた時、私を突き動かしたのは、そういうものの爆発だったんだと思う。
見せしめみたいにみんなの前で暴力を振るう教師と、それを助けられない生徒。
それぞれに言いたいことを言えたから、あの時私の心は少し解放された気がしたんだ。
そして、さっきの演奏でヒロカが私に気づかせてくれた。
歌の世界なら私も自由なんだ。
どんな理想論や夢物語も、偏った意見も、皮肉も、メロディに乗せて言うなら、大勢の前でだって何も問題ない。
私は何が好きで、何を伝えたいのかをはっきりと示せる。
なら私はとりあえず、私は自由なんだと叫んでみたかった。
ちっぽけで未熟な私たちに、ままならない現実を突きつけていい気になってる誰かに、それがどうしたと、例え虚勢でも言ってやりたい。
この気持ちを、私だってまだうまく言葉になんかできない。
でも今まで感じたことのないその感情は、今確かに私の喉元で燻って、解放されるのを待っている。
「やるなら凄いって言わせたい。軽音部のバンドなんか霞むくらいのパフォーマンスにしたい」
ヒロカとならそれが出来るかもしれない。
客観的に見て自分がどんなレベルにいるのかなんて分からない。
でも、初めて二人で演奏した時の、鳥肌が立つようなあの感覚を、信じてみたい。
「……じゃあ、決まりだね」
「うん、一ヶ月後まで、特訓しなきゃ」
「色々準備も必要だね。明日、私の家で作戦会議、オッケー?」
「オッケー」
私たちは共に強敵に立ち向かう兵士になったかのような気分で拳をぶつけた。
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ホテルに帰った私は、帰り道にスマホで調べたボイストレーニングの方法を試してみようとしていた。
腹式呼吸というのは聞いたことがあるが、どうもすぐにピンとくるものではない。
まずはやりやすいストレッチから始めることにした。
ベッドの上で、スマホ片手に身体中の筋を伸ばすメニューをこなす。
部活をしてこなかった体にはそれだけでも結構な負荷だった。
ランニングや筋トレも有効らしいので、少しずつ鍛えていかなければ。
すぐには実感できないだろうが、意識してトレーニングすれば一ヶ月後には何らかの効果が出るだろう。
声は体が出すものなのだから。
イヤフォンからは、ヒロカが改めて選出した曲目のプレイリストが流れ続けていた。
発表用としてはある程度知名度のある曲をピックアップしてくれたらしい。
通して聞くと疎い私でも聞いたことのあるものがたくさんあった。
ヒロカ曰く、彼女の音楽の好みは母親譲りらしく、私に薦めたのも普通の女子高生が聞くにはかなり古い、流行とは無縁の曲ばかりなのだそうだ。
もちろん私はそんなことは気にしない。
古くてもいい曲はいい。
逆に流行り物なんて私にはよく分からない。
最近テレビで耳にするような曲では、胸が高鳴ったことはない。
このプレイリストから私が歌えて、かつヒロカのギターで演奏可能なものを選出することになるだろう。
様々なアーティストの曲が画面に並んでいる。
ヒロカが好きなものだけあってどれも聞いていて心地良いメロディだ。
しかしいざ数曲に絞ろうとすると容易ではない。
そもそも、今のところ文化祭で発表の機会があると仮定しても、何曲演奏できるのかもわからないのだ。
恐らく二、三曲、多くても四曲程度になるのだとは思うが、それぞれのケースを想定して選曲しておく必要がある。
一曲はやっぱり『Whatever』をやりたい。
あれこれと悩んでいると、あっという間に時間は十二時を回っていた。
「……」
隣の部屋の父はもう帰っているだろうか?イヤフォンのせいでドアの音などは聞こえなかった。
もし、文化祭のことを話したら、彼は来てくれるだろうか?
想像して、笑ってしまった。 ありえない。 今まで授業参観にだって来てもらったことはない。
ただ、少しだけ、見てもらえたらと期待してしまった。
ヒロカも言っていたけど、こんな風に積極的に何かをやってみたいと思ったのは私も初めてだ。
育ての親として、自分の子供がただ漫然と趣味もなく育っていくだけというのは、なんというか、張り合いがないのではないだろうか?
それはつまり今までの私は彼にそういう思いをさせていたということなんだけど。
そんな娘だから関心を持たれなくなってしまったのか、関心を持たれなかったからこんな娘になってしまったのか。
栓のない考えが頭を渦巻いた。
ああ、早く明日になってほしい。
ヒロカに会いたい。
彼女の甘いお菓子みたいな笑顔と声を思い出して、私はベッドの中で体を丸めた。
楽しみな気持ちが膨らむと、それを待つ今が少し切ない。
やっぱり私は、ヒロカとの関係に依存しすぎている。
友達は精神安定剤じゃない。
頼りすぎて求めすぎては、きっと離れていってしまうだろう。
母と同じように……。
ダメだ。
こんなことを思い出しては。
もっと他のこと……楽しいことを考えていよう。
そう思うほどに私の頭の中はヒロカでいっぱいになっていく。
胸が苦しい。
ヒロカの歌が聞きたい。
そうだ、明日、演奏とコーラスを録音させてもらおうか。
一人の時に歌の練習に使うと言えばおかしくないだろう。
今日だけ、まずはなんとか夜を乗り切ろう。