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Whatever  作者: けいぞう
17/78

17.ヒロカ


 『リルラリルハ』を熱唱し終えて、冴木さんはグランドピアノに備え付けられている黒い椅子に座り込んだ。

 さすがに二時間ぶっ通しはきつかったみたいだ。

 私も背中合わせに腰掛けた。

 忙しなくコードチェンジをくりかえしていた左手のひらをもみほぐす。


 窓の外は真っ赤な夕焼けだった。

 触れていなくても、すぐそばにいると背中が暖かい。


「ねえ、紺野さん?」

「ん?なに?」

「……ヒロカ」

「えっ?」


 心臓がばくんと高鳴って、ピックを取り落としそうになった。


「って、呼んでもいい?」

「……と、突然だね」


 私は動揺を悟られないようにGのコードをストロークした。右手首がガチガチで固い音がした。


「私のことも……」

「……メイ!」


 私は許可を出される前にギターをミュートさせて、そう叫んだ。背中の後ろでビクッとした気配。


「……って呼んでいい?」

「……もちろん」

「じゃあ、私も。名前で呼んで。呼び捨てで」


 赤い顔を隠すように俯いた。

 私の背中に、遠慮がちな速度で重なる背中。

 メイの、背中。

 くすっと笑ったのがわかった。


「……友達を名前で呼ぶのって、みんな自然と、いつの間にかできるものなのかな?」


 なんとなく、メイの言いたいことがわかった気がした。


「私は苦手。どれくらい仲良くなったら、名前で呼んでいいのかなって、いつも考えちゃう」


 一番の仲良しの頼子さんだって、澤田が二人いるからみんながそう呼ぶのに乗っかっただけだ。


「一緒だね。っていうか、そんな深い付き合いなんてしたことないかも」

「そうなの?」

「うん。転校続きだと、なんか一線引いちゃって」


 それはつまり、私は特別だったってことなんだろうか?

 一緒に音楽をやっていると、普通の友達付き合いとは違う繋がりを感じることがあった。

 言葉がなくても意図が通じる快感は、それこそ言葉にできない。


「なんとなく似てるよね、私達」

「……メイ、もそう思う?」

「……ヒロカ、もそう思ってた?」


 試すように呼び合う私達。


 私が噴き出すと、メイも耐えきれないというように肩を揺らし始めた。私達は大声を上げて笑った。


 多分、二人とも人間関係に臆病なのだ。

 ギターと音楽がなかったら、きっとこんな風にはなれなかった。


「バカみたい」

「ね。バカらしいよね」

「でも、良かった」

「うん、本当に。安心した」


 どっちが自分の言葉が分からなくなるくらい、私達は通じ合って会話していた。


「ねえ!メイ!」


 私は立ち上がって、くるりと振り返る。

 メイは座ったまま体をひねって私を見る。

 揺れる髪の隙間を夕日の金色がすり抜ける。

 私はその光景を、とても綺麗だと思った。


「私達、いつか人前で演奏できるかな?」

「え?」


 思いがけない質問だったのか、メイは目を見開く。


「だって練習ばかりじゃつまんないじゃない?いつか本番があったら、きっともっと頑張れると思う!」


 本音を言うとただ演奏してるだけでも最高に楽しかったけど、胸のドキドキに任せて私は言葉を重ねた。


「ステージの真ん中にメイが立って、私はその隣、少し後ろでギターを弾くの。メイの声を聞いたら、みんなどんな顔するかな?」


 メイは黙って、キラキラした瞳で私を見ている。

 想像したこともない光景を頭の中で描いているのかもしれない。


「ほら、こんな風に……」


 少しかしこまってギターを構える。

 何度も練習した『Whatever』のイントロを弾く。

 たった一つの楽器でも、リズムと抑揚で色んな表現ができることを、私は知っている。


 自由を象徴するような、翼を広げた鳥の姿を思い浮かべながら音色を奏でる。

 メイはゆっくり立ち上がって、私に背を向ける。

 お互いではない第三者に向けたつもりで歌い始める。

 いつもと少し違う音の届き方。

 いままでの、少し探るような発声じゃない。

 堂々とした、声高らかな歌唱。

 私は身体中の皮膚が旋毛に向かって引き寄せられるような、生まれて初めての感覚を味わった。

 やっぱりメイは凄い。

 その声とルックスにはカリスマ性のようなものがあるとさえ思う。

 でも私はそれに負けていられない。

 Aメロから、私はコーラスを重ねて歌った。

 アコースティック版で、ギターの人が歌っていたパートだ。

 私は動画を何度も何度も見て聞いて、自分の弾き語りの録音に重ねて歌えるように特訓した。

 私の声は細くて弱いけど、高さなら自信がある。

 コーラスとしてメイの声を引き立てることはできるはずだ。

 メイは驚いたように振り向いてきたので、どうだ!とウインクしてやった。

 メイはにっこり笑うと正面に向き直って歌い続けた。


 曲の終わりに何度も繰り返すフレーズは、私も一緒に歌った。

 私とメイを繋いでくれたこの曲の歌詞が、まるで私たちの背中を押すように語りかけてくる。

 一人では決してこの歌が言いたいことを感じ取ることは出来なかっただろう。


 アウトロを迎える。

 けど今度は残念だとは思わない。

 また何度でも、いくらでもメイと歌えるんだから。


「ね!?これならもうすぐにでもステージに立てると思わない?」

「……ねえ、ヒロカ、どうしよう。私、本気で震えてる。凄いよ」


 確かに想像以上だった。

 少し意識を変えただけで、メイの声量はぐっと上がって、数段聞かせるものになっていた。


「よし、じゃあ、やっぱり文化祭かな?十一月!もうあと一ヶ月ちょっとしかないね」

「い、一ヶ月って……待って。本気で?」

「うん!なんかやってみたらもう止まらなくなってきた!やろうよ!バンドやってる軽音部員は絶対演奏の機会を探してるから、きっと何かしらチャンスがあるよ!」

「……驚いた。ヒロカ、案外度胸あるんだね」

「あはは、実はね……。カラオケでメイの前で演奏した時からちょっと考えてたんだ。あの時は、何度も練習して、なんとか自分で満足のいく出来になって、聞いてもらって。それがすっごく楽しかったの!なんかクセになりそうだった」


 思い出してもワクワクする。

 メイが私を見て、聞いてくれた。

 何回も繰り返し練習した動作が緊張の中でもちゃんと披露できた瞬間、ふっと肩の力が抜けて、音と自分が一体化した気がした。

 今の演奏でもそうだった。

 ぶっつけのリハーサルだってこうなんだ。

 きっと本番はもっともっと気持ちいい。


 もう時計は五時を回っていたけど、まだまだ帰る気になんかならなかった。


「とりあえず、もう一回!」



 最後の一回を演奏している最中に日が沈んでいた。

 私達は突然暗くなった音楽室の床に隣り合わせで座って、音の余韻に浸っていた。

 電気をつければいいのだが、勢いと楽しさに任せて弾き続けたせいで立つのも億劫だった。

 疲れ切ってはいたが、両腕の怠さと、音に慣れた耳に染みる静寂が心地良かった。


「……あのね、メイ」

「ん?」

「……私、今まで自分からこんなに何かをやってみたいと思ったことってなかったの」

「うん」

「人前に立って何かするのも、ミスしたらどうしようって悪い方にばっかり考えて……。緊張しすぎでいつも思い通りにできなくて、そういうのできるだけ避けるようにしてたんだ」


 とりとめもなく言葉が溢れてきて、なにを伝えたいのかわからないまま口が動いている。

 なんだか少し胸が苦しいのは、自分の気持ちが上手く表現できないもどかしさのせいだ。


「私、私ね……。笑われて、なにあれ、って馬鹿にされて、そんな思いをするくらいなら何もしないで黙ってたほうがいいって言い聞かせてたの。いつの間にか、自分のことなんて誰も認めてくれないんだって思い始めてた。他人に何かを褒めてもらえても、気を使って言ってくれてるんだなって思っちゃって。なんか嫌な奴だよね」

「……」


 メイは沈黙で続きを促してくれた。


「でもメイが私の歌を褒めてくれた時、それが嘘じゃないって思えたの。お世辞とか社交辞令とか、この人はそういう事を言う人じゃないって、信じられたからもっとやってみたいって思えたんだ」


 私の身の周りにいる人達は、本音じゃない言葉ばかりを口にしている気がしていた。

 立場とかキャラクターとか、環境に与えられるものに縛られてばかりいるように見えた。

 そんな人達に囲まれているうちに、私は自分がやりたいことを見失って、集団の中の自分の役割を演じるになっていった。

 そんな毎日の中では、自分が誇れるものなんて見つけられるはずもなかった。


 一生懸命になることは尊い、大切だっていう常識が、的外れな努力とお粗末な成果でも心ない言葉で煽てる。煽てられて勘違いすれば叩き落とすような冷笑が待っている。

 それが怖くて、遠慮して、謙遜して、そのうちに自分の力が信じられなくなる。


 そんな悪循環に風穴を開けてくれたのがメイだったんだ。

 真っ直ぐな言葉でちゃんと私を評価してくれた。

 その人が、あんなに綺麗な声で私と歌ってくれている。

 なんて素敵な偶然だろう。膨らんでいく感情を言葉にしたくて、でもメイなら分かってくれるような気がして……。


「メイ……。私……ごめん、なんかもう、何言ってるかわかんなくなっちゃった」


 ベソをかいて洟をすする私を、そんな私を、メイはちゃんと見て、黙って話を聞いていてくれた。


「わかるよ。だから、大丈夫」

「……ありがとう。メイ」

「うぅん、私こそ、ありがとう」


 いつかと同じように、メイは私の背中に手のひらを乗せてくれた。

 そんな仕草も、すごく自然だから素直に嬉しい。すぐに元気が湧いてくる。


「だからさ、メイ。私のギターで歌ってほしい。私たちはこんなに楽しいんだって、みんなに見てもらいたい。ダメかな?」


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