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Whatever  作者: けいぞう
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16.メイ


「おじゃましました」


 夕方五時半、外がすっかり暗くなって、タイムリミットが来てしまった。

 一軒家とはいえこれだけ家が密集していると楽器の演奏も自由ではない。

 私は紺野さんのお母さんにケーキのお礼をもう一度伝えて、御暇することにした。

 紺野さんはお店の一階入り口まで見送りに来てくれた。

 お父さんにもよろしくと伝えて、私は商店街から駅に向けて歩き出す。


 一人で歩くアーケード街。

 同じ道を逆に歩いているだけなのに、紺野さんと二人で歩いた時には気配もなかった寂しさに襲われる。

 二人でいる時間の楽しさの反動なのかもしれない。


 シャッターが閉まっている店舗が続くと、足元も危ういほど暗い。

 都心にいた時には通学路がこんなに寂れた道だったことはなかった。

 暗いのも、人が全くいないのも苦手だ。


 しかし思い返してみると、明るく人に溢れた街中なら落ち着いていられたかといえば、そんなことはなかった。

 人の気配が途切れないからこそ、その中で誰とも繋がっていない自分を思い知らされていた気がする。

 結局場所が変わっても、私の中に渦巻く薄暗い気持ちは変わっていない。

 ついさっき紺野さんの部屋で笑っていたのが遠い昔のことのように思える。

 紺野さん、彼女のお母さん、お父さん、生活の匂いのする部屋と、いただいたケーキの甘さ。ギターの音色。

 曇りのない笑顔で私を見送ってくれた紺野さんの「また明日ね」の言葉。

 それらはひと時私の孤独を癒やし、更に私を孤独にした。

 なまじ触れてしまうことで、欲が出てしまっているのかもしれない。

 駄目だ。あんなに楽しい時間を過ごしたのに、一人の帰り道になるとすぐにこんな風に落ち込んでしまう。

 もっと一緒に歌っていたかった。

 歌うことが出来なくても、ただ話すだけでも一緒に居たかった。

 心底そう思っていても言い出すことはできずに、こうして一人悶々としている。

 私は一体、どうしたら満足して安心することができるんだろう?

 いつになったら、このみっともないやせ我慢をしなくて済むようになるんだろう?


 紺野さんのお母さんも、両親が離婚して女手一つで育てられたらしい。

 それでもあんなにも明るく笑っていられる。

 紺野さんのような子供を産み育てている。

 私にはどう転んでも同じことはできない気がする。

 まったくそんな未来が想像できない。


 私は強く頭を左右に振って、すがるようにポケットからスマホとイヤフォンを取り出した。

 『リルラリルハ』をかけると、それは鎮痛剤のように私を楽にしてくれた。

 紺野さんが一生懸命弾いてくれた伴奏。

 ポジティブで優しい歌詞。

 こうしていれば大丈夫、私はなんとか自分を平静に保っていられる。


 まるで依存症だ。

 こんな私を知ったら、紺野さんはきっと幻滅するだろう。

 せっかく私を友達だと言ってくれたのに。

 だから努めて平然としていよう。

 紺野さんと繋がれる音楽を増やして、彼女と一緒にいられる、必要とされる時間を増やしていければ、いつか満たされる時が来るかもしれない。

 私は小さな声で歌いながら、麻生駅へと歩調を速めた。



 ホテルに戻り、私は真っ暗な部屋の中、ベッドに体を横たえていた。

 イヤホンから流れてくる音楽に集中して、覚えることに全神経を傾ける。

 次紺野さんと合わせられる日がいつになるかわからないが、できる限り曲を頭に詰め込んでおきたい。

 『Whatever』, 『Wonderwall』, 『リルラリルハ』、『Yesterday Once More』の四曲でプレイリストを作成してループ再生する。

 歌詞を表示したブラウザを見ながら聞いていると、ぴこん、という音とともに携帯が震える。

 今まで操作中に受信したことがなかったため、メールが来たのだと気づくのに少し時間がかかった。

 メールの差出人は紺野寛香。


「今日は来てくれてありがとう!次はもっとたっぷり練習したいね!」


 ハートマークの絵文字付き。私は少しくすぐったく思いながら、返信する。


「そうだね。思い切り練習できる場所があるといいんだけど。音楽室は軽音部に占拠されちゃってるんだっけ?」

「うん……。そういえば時間配分とかしてるのかな?私も一応軽音部だから、少しは使える時間をもらえてもいいはずなんだけど……。バンドでもない一人じゃ厳しいかな」

「それなら、私も入部するから、二人で週に数時間とかでも使わせてもらおうよ」

「え?冴木さん、部活、そんな簡単に決めちゃっていいの?」


 汗マークが文字の横でアニメーションする。

 絵文字やスタンプも入力しているのに紺野さんの方が返信が早い。

 私はもたもたと簡素な文面を作っては送信する。


「他にやりたいことなんて特にないし、前の学校でも部活やってなかったから」


 何よりも紺野さんのギターを聞いて、歌っていたいと伝えたいのに、何故か出来上がる文章が素直ではない。


「そっか。だったら明日にでも行ってみよう!実はアンプを音楽準備室に隠してあったんだけど、この前軽音部の人に勝手に使われちゃってたんだよね。ちゃんと管理しないとダメだね」


 最初の事件の時からそうだが、軽音部の人間にはいいイメージがない。

 あの人たちはきっと純粋に音楽が好きなわけではない。

 でなければせっかく手に入れた練習場所であんな問題を起こしたりはしないはずだ。


「じゃあ、明日は放課後音楽室集合ね。楽しみ」

「うん!ありがとう!」



 翌日の放課後、私は佐藤先生に入部希望の旨を伝えると、たった一枚簡素な書類を書くだけで入部処理が完了した。

 紺野さんと同じ部というのは嬉しいが、学校で喫煙騒動を起こすような連中ともそうだと考えると少し穏やかではない。

 流石にそうそう問題など起きるものではないかとその時は思い直したものの、そのあとすぐに私の楽観は裏切られてしまった。



 音楽室。懲りない大音量で演奏している。

 近隣は大丈夫なのかと心配になる。

 問題を起こした直後なのだから、少しは気をつければいいのに。


 中に入ると、紺野さんの表情が曇る。

 また勝手に使われているようだ。

 アンプに腰掛けているのは長髪の男子生徒。

 上靴の色から、二年生だと分かった。


「あの、すみません!」


 音量が大きすぎて声が聞こえないらしい。

 私はつかつかと歩み寄って、アンプのスイッチを切った。


「なにすんの」


 細い眉毛の長髪男が私を睨みつける。


「そのアンプ。彼女のものです。返して下さい」


 バンドメンバーと顔を見合わせる長髪男。


「備品かと思ってたよ。じゃあ、今日だけ貸しといてよ。どうせ今日は俺たちの時間だし。次からは自分らの用意するから」


 ため息が出る。何から言ってやればいいのやら。


「その時間というのは誰がいつ決めたんですか?私も彼女も軽音部ですが、使用時間の割り当てはされていません」

「は?んなの、初日に決めた時に居なかったのが悪いんでしょ」

「では、改めて使用時間の相談をしたいのですが、誰に話せばいいですか?」

「さぁ?知んないけど」


 長髪男は話は終わりとばかりに背を向けてアンプのスイッチを入れる。

 すかさず私は電源を抜いた。


「貸して欲しいという相談ですが、お断りです。人から借りているものを椅子代わりにするような人には、絶対に貸したりしません」

「さっきからなんなんだよテメー」

「こっちの台詞です。勝手に人のものを私物化した上にその扱い。失礼だとは思わないんですか?」


 長髪男は嘆息して、こちらを睨みつける。

 紺野さんが、身震いをして私の後ろに隠れた。


「ごちゃごちゃうるせー、よ」


 悪態とともにアンプを蹴り飛ばす。刺さりっぱなしだったシールドのプラグが、倒れたアンプと床に挟まれた。


「あっ……!」


 紺野さんがアンプに歩み寄って起こす。

 シールドはプラグ部分が無残にも折れ曲がっていた。


「もういいよ、今日は俺らもう上がるから。使いたきゃ使えば」

「気に入らないとヒステリーなんて、まるで子供ね。あなたがまともに話も反省も出来ないなら、顧問に報告して問題にします」

「せんせーに言いつけます、って言えよ。そっちのが似合うよ。クソが」


 残りの二人も、私を睨みつけて、肩をぶつけながら出て行った。


「紺野さん……」


 アンプの隣にしゃがみ込む小さな彼女の背中に、私は戸惑いながら声をかける。


「…………」


 私は歯噛みする。

 ――どうしてこうなるんだ。

 二人で音楽を楽しんでいる時はあんなに楽しいのに。

 そのための場所が欲しいだけなのに。

 軽音部に関わるとろくなことがない。

 同じ音楽をやっている人間でどうしてこうも違うのだろう。


 落ち込む私を尻目に、紺野さんはプラグが壊れたシールドを抜いて、ギターケースから予備のシールドを繋ぎ直す。

 音を出してみて、ホッとしたように笑った。


「よかった、アンプの方は壊れてないみたい」

「でも、ケーブルが……」

「いいよ、そっちは家にあった古い方だから。それよりごめん、また私のせいで嫌な思いさせて」

「……」


 困ったように笑う顔。

 この人は、腹が立ったりしないのだろうか?

 どうしてあんなことをされて、私のことを気遣うのだろう?


 自分の中に渦巻く憤り。

 連中を紺野さんに謝らせないと気が済みそうもない。


「冴木さん。そんな顔しないで」

「え?」

「ね、歌ってよ!せっかく使えるんだから!」


 そう言って彼女は『Whatever』のイントロを弾き始めた。


 私が歌い出せずにいると、紺野さんが弾き語り始めた。

 優しい、柔らかな声。彼女の視線が、笑顔が、歌声が、私に向けられている。

 たったそれだけで、怒りも苛立ちも少しずつしぼんでいく気がした。


 私も歌う。

 この曲に必要のない感情を全て取り払って、紺野さんのリズムにあわせる。


 ああ、それだけでこんなにも楽しい。

 もっと声を出したくて思い切り息を吸い込む。酸素、血液、楽しい気持ち。

 私の中を巡って、私の喉から紡ぎ出されるメロディ。

 二人で雲の中にいるような浮遊感。

 目があうと笑う紺野さん。

 私も、つられて笑っていた。


 歌い終わると、紺野さんはイエイ!とおどけて見せた。


「やっぱり最高!私、冴木さんの声、大好き」


 私は照れてしまって、何も言い返せなかった。

 男子の先輩に凄まれても睨まれてもこんな風にはならないのに。紺野さんには敵わない。


 うまくいかないことも、腹が立つことも、彼女とこうしていれば何もかもどうでもよくなってしまう。

 そんな気がした。


 気を取り直した私が「もっと!」と言う前に、紺野さんは次の曲を奏で始めていた。


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