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Whatever  作者: けいぞう
12/78

12.メイ

 スマホがメールの受信音を奏でる。

 思えば父以外からメールを受け取るのは本当に久しぶりだった。

 この端末がこんなに素敵なお誘いをもたらしてくれる装置だったとは。

 緊急連絡用として持っていてよかった。

 私はすぐに『OK。じゃあホームルーム終わったら、A組に行くね』と返信した。

 そのメールを送った後で、カラオケなんて中二の時に付き合いで一度行ったことがあるだけで、まともに歌ったことがないことを思い出した。

 紺野さんがギターを弾いて歌ってくれて、私がずっと聞いているだけというわけにもいかないだろう。

 だというのに、私ときたら音楽の授業で習うような歌しか知らない。

 『翼を下さい』と『贈る言葉』しか歌わない女子高生なんて、さすがにちょっと異常だろう。

 なんとなく、紺野さんならそれでも笑って受け入れてくれそうな気はするけど。

 私は少し考えて、スマホの、ろくにいじったこともない音楽アプリを立ち上げてみることにした。

 音符のアイコンをタップすると、この端末に入っている音楽一覧が表示される。

 見事なまでに真っ白だった。

 何も入れていないのだから当然だ。

 確か、インターネット経由で曲を購入できるサービスがあったはずだが……。

 それらしい箇所を操作していくが、どうも専門用語ばかりで途中で意味がわからなくなる。

 クレジットカードがない場合プリペイドカード?がいるらしい。

 コンビニで購入できるとあるが、カードを購入して、そのカードの情報をどうやってこの携帯に入れるのだろう?

 端末を裏返して見てもカードを挿入するような口は見当たらない。

 何かのオプションの機器が必要なのだろうか?

 全く、便利なようで不便なものだ。

 そうだ。前にテレビで携帯に話しかけて調べ物ができる機能があると紹介していた。

 記憶を頼りに操作していると、突然女性の声で「ご用件はなんでしょう?」と言われて驚いた。


「えっと、すみません……『Whatever』について知りたい、です」


 ぴこん、と音がなって、くるくると丸い光が回る。

 話しかけられた内容について考えているのだろうか?


「『えっとすみませんWhatever』に関する情報が以下に見つかりました」


 女性の声が答える。

 なるほど、えっととかすみませんは余計なのか。

 やっぱり機械は融通が利かない。


 改めて『Whatever』について調べてもらうと、インターネットの検索結果一覧が表示された。

 一番上にプロモーションビデオらしい動画のリンクが表示される。

 紺野さんが歌ってくれる曲を私も歌うのでは芸がないので、関連する項目の箇所を調べてみる。

 同じバンドの、『The Hindu Times』という曲の動画を発見した。

 タップするだけで動画の再生が始まった。

 やっぱりこのバンドの曲はメロディが親しみやすい。

 せめてこの曲だけでも、明日までに歌えるようになっておこう。

 幸い、歌詞付きの動画も見つかった。

 何度も何度も再生してメロディと歌詞を頭に叩き込む。


 歌詞を見なくても歌えるようになるころには、東の空が白み始めていた。



 五時にベッドに入ったのに、目が覚めたのは六時だった。

 ひどい寝不足だったが不思議と苦ではなかった。

 放課後に待っている楽しみのおかげだろう。

 スマホの箱に入れたまま放置していたイヤフォンを使って、『The Hindu Times』を聞きながらホテルを出る。

 秋らしい奥ゆかしさのある青空と、予想外に冷たい空気を心地良いと思った。

 少しオリエンタルなエレキギターの旋律が特徴的なイントロ。

 歌詞の意味はよくわからないが、曲調は勇ましく力強い。

 なんとなく歩調が早くなるような気がする。

 音楽と一緒に外を歩くのがこんなに楽しいことだとは思わなかった。

 音を通じて空気と自分の感覚が繋がるように感じる。

 改札をくぐり、人のまばらなホームで電車を待つ間も、今までの毎日とは全く違う。

 欲しいものだけが直接自分の頭の中に入ってきて、要らないものが遮断される。

 こんなにわがままに自分だけの世界にこもることも、悪くないと思えた。

 音もなく、古めかしい車両が目の前に滑り込んでくる。

 私は軽い足取りで乗り込んだ。



 昨日までは一応授業の内容には食らいついて行けるように真面目に板書していたのに、今日は手につかない。

 気がつくと『The Hindu Times』の歌詞をノートに書いていた。

 紺野さんもこの歌が好きだろうか?

 今日歌ったらわかるだろう。

 同じバンドの他の曲を聴いてみたくてウズウズし始めていた。

 その日、私は初めて授業中にスマホをいじった。


 音楽って、思ったよりも気軽に楽しめるものだったんだ。私は認識を改めた。

 CDショップに行くとあまりに大量の選択肢がありすぎて何から手をつけていいのか見当もつかなくなってしまう。

 その中から千円とか三千円とか、決して安くないお金を払って買うに値するものを発掘するのはとても難しいことで、その難関を乗り越えないと手に入れられないものなのかと思っていた。

 こんな風にスマホを少しいじるだけであんなにいい音で再生できるなんて。

 気づかせてくれた紺野さんに感謝しなくては。


 スマホで歌詞を確認しながら辞書を引いて翻訳してみる。

 その日一日中、すべての授業中、私の机の上には英和辞典がのっていた。



 待望の時間は、なかなか意味が読み取れない歌詞の翻訳に夢中になっているうちに、驚くほど早くやってきた。

 まったく連絡事項を覚えていないホームルームが終わり、挨拶の号令がかかる。

 私はよしと声をあげて席から立ち上がり、教科書を鞄に詰め込むのもそこそこに、教室をあとにした。

 二つ隣の教室も間もなく解散となったようで、バラバラと生徒たちが教室から吐き出され始めていた。


 私は遠慮なくA組の中にお邪魔してブルネットの髪を見つけて駆け寄る。

 以前の学年集会以来なんだか不快な視線を感じることもあったが、今はそんなことは気にしていられない。

 紺野さんと合流すると、ギターを取りに行くというのでついて行くことにした。

 四階の空き教室の掃除道具入れの中から、ケースに収まったギターを担ぎ上げる紺野さん。

 小柄な彼女が背負うと少し重そうだが、アンバランスさが少し可愛いと思った。


「なんで、こんなところに隠してるの?」

「うーん……。持って歩いてると目立つし……教室に置いてるといじりたがったりする人もいるかなぁって」


 この前の臨時学年集会での騒動以来、彼女も少し肩身が狭い思いをしているのかもしれない。

 それにしても、彼女がひたむきに頑張っている趣味なのに、こんな風にコソコソしなくてはいけないことが腹立たしかった。


 二人で校門を出て、駅の方に向かう。

 駅前のバスロータリーの横手にある、一見お城のような建物がカラオケボックスだった。

 踏み込むと、中はちょっとした非日常な空間。

 白と黒の市松模様にタイルを敷き詰めたロビーには、プリクラの筐体やドリンクバーが設置されている。

 内装はカラフルでポップで、自分には不似合いな世界観だと思った。

 紺野さんがカウンターで受付をしてくれる。

 希望の機種を聞かれたが、よくわからないのでなんでもオッケーと答える。

 伝票を受け取って、迷路のように入り組んだ廊下を進む。

 到着した薄暗い個室には二人がけのソファが二つと、小さな小さなステージがあった。

 隅に置いてあった折りたたみ式マイクスタンドを手慣れた様子でステージにセットし終えると、ソフトケースのジッパーを開けて大切そうにギターを取り出す。

 目の覚めるような赤いボディ。

 小柄な体をストラップに潜らせて、紺野さんはそれを体の前に吊るす。

 あらかた準備ができたのを見届けて、私はソファに腰掛けた。


「なんだか、恥ずかしいけど……」


 照れ笑いする彼女に、私はワクワクを押し殺して笑顔で頷いた。


 一度深呼吸してから、紺野さんは真剣な表情でネックの部分を掴む。

 スムーズな動きで、ピックを持った彼女の右手が弦をかき鳴らし始める。

 手首を柔らかく使って軽やかに、前奏を奏でる。

 鳥の羽ばたきのように、その右手がサウンドホールの上を往復する。

 そのたびに、私の気分も高揚していった。

 少し苦しいくらいの鼓動。

 紺野さんは真剣な表情のまま歌い始めた。


 よく知っているサビのメロディ。

 でも紺野さんの可愛らしい声が歌うと、元の曲とはまるで別物だ。

 力強さではなく、透明感と浮遊感。

 心地いいリズムを刻むストロークに合わせて、ウェーブのかかった髪が揺れる。

 素早くなめらかな動作で次々と形を変える左手の指先。

 流暢な発音で、声高らかに自由を歌う。

 普段の少しおびえたような仕草は全く見る影もない。

 小さなステージの上で、彼女は全身で演奏していた。


 その姿を見つめながら、私は必死で、溢れ出して爆発しそうな正体不明の感情を喉のあたりで押し留めていた。


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