01.ヒロカ
初めて最後まで書き上げた、思い入れの強い作品です。
過去一度なろうにあげたことがありましたが、お作法が分かっておらず滅茶苦茶なあげ方をしてしまっていたので、一旦削除してました。
心理描写がクドく、なろうにあげるにはかなり不向きとの評価をいただいたこともありました。
それはもうある意味芸風と思って、辛抱して読んでいただける方にのみお届けできればと思っています。
お付き合いいただければ幸いです。m(_ _)m
『解き放って 駆け上がってその坂道を』
たった六本の単三電池で、そのアンプはメイの歌声と、私のギターの音色を増幅させる。安物のマイクとエレアコだけど、誰もそんなことは気にしない。私が作ったメロディと、メイの作った歌詞が形となって、駅前の噴水広場を駆け抜ける。私たち二人の目の前には、百人近い観客たち。誰が指定したわけでもないのに、みんな似たようなダッフルコートを着ている。でもそれもきっと一曲目が終わるまで。二曲目になれば、みんな上着を脱ぎ捨てるだろう。コートの下はみんな違う制服。性別も学年もばらばらだけど、みんな笑ってる。手を上げて、足を踏み鳴らして、思い思いのステップで踊って。
『世界がこんなに綺麗だなんて、きっと誰もまだ気付いてない』
そう、そうだよ。灰色だらけのこんな町だって、私たちならすぐに最高のステージに変えられる。
二度目のサビが終わって、私の大好きなCメロ。カッティングを織り交ぜて、小気味よくリズムを響かせる。
『あと何回、愛してるを言えるだろう。あと何回、ありがとうを言えるだろう。
そんなことが怖いのは、きっと今だけだから』
抑えに抑えた感情を、最後のサビで爆発させるために、メイは目を閉じて不適な笑顔を浮かべる。ゆっくりと撃鉄を下ろすようなその表情は、ぞくぞくするほど綺麗。
『この歌があるから、この声があるから、もう不安なんてどこにもないよ』
ストレートな言葉。語りかけるような声色。もっともっとメイの声を浴びたい。私は一歩前に躍り出て、ストロークに力を込めた。メイが少し驚いたような気配がしたけど、すぐに同調して声量が上がる。あんまりうるさくすると交番からお巡りさんが出てくるんだけど、今日のメイの調子だったら、彼らも仕事を忘れて聞き入ってくれるんじゃないかとさえ思える。
『さあ、伝えよう 僕達の想いを この世界に』
私の背中に、こつりとメイの背中がぶつかった。気がつくと私たちは、たくさんの人たちに囲まれていた。背中を合わせて、同じリズムで小さく上下に揺れる。
ねえメイ、みんなわくわくした顔してるよね。部屋で音量に気をつけながらギターを弾いてメロディを考えて、放課後の音楽室や空き教室で、二人で大笑いしながら一つの曲に仕上げて。それが今、こうしてたくさんの人を楽しませてる。メイの目にも見えてるよね。私の背中のほうにいる人たちの笑顔は、メイがちゃんと見てくれてるよね。
『どこまでも響くように、いつまでも絶えないように』
ああ、なんて楽しいんだろう。なんて幸せなんだろう。まるで自分たちが世界の中心にいるみたい。言葉にすると本当にありきたりだけど、きっとこの想いも私は新しいメロディに変えていける。メイに一番最初に聞いてもらうんだ。そうしてまた、新しい歌が生まれて、その歌が新しい笑顔を生む。私の世界が、明るく染め変えられていく。
私は、メイに出会えて、メイと一緒にいられて、本当によかった。
『歌おう。ありがとう。愛してる』
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多分、母が若い頃に趣味としてやっていたものなのだろう。
中学の制服をしまうときに私が見つけた、古ぼけたクラシックギターと、ギター入門の本。
Cからコードを覚えて、一ヶ月かけてFを抑えられるようになった。
はじめに覚えた曲は、『LET IT BE』。
シンプルだけど綺麗なメロディだったから、何度も何度も一人で弾き語って、こっそりと感激した。
両親に聞かれるのは恥ずかしかったから、いつもミュート気味のアルペジオとささやくような声だったけど。
自分に自信が持てなくて、入学式のあとの自己紹介が入試のときより緊張するような自分が嫌で、何か人に自慢できるものが欲しいと思ってた。
そんな動機でも続けられたのは、音楽が好きで、楽器ができる人に対する昔からの憧れがあったからだと思う。
使い道が見つからずに親に言われるまま貯金していたお年玉から八万円を使って、私は真っ赤なギターを買った。
正直どんな種類のものが自分に合っているのかわからなかったし、商店街の狭く薄暗い楽器店は怖くてあまり長居できなかった。
だからもう直感で、かわいくてかっこいいのを選んだ。
後から知ったのだけど、それはエレキアコースティックという、それ単体でもアコースティックギターとして弾けるし、アンプにつないて音を増幅させることもできるタイプのギターだった。
両親には「高校デビュー?」なんて冷やかされたけど、そのころにはもう恥ずかしいなんて思わなくなっていた。
お気に入りのアーティストのコード譜をいくつも買って、家族に何度も音量を注意されながら練習を繰り返して、どんどん歌える歌が増えていった。
複雑なコードもすぐに抑えられるようになって、バレーコードがいくら続いても大丈夫なくらい左手の握力もついた。
できることが増えてくると、人間欲が出るものである。
誰にも気兼ねせず、じゃかじゃかとコードをかき鳴らしながら歌ってみたい。
そう思ってギターを手に自宅を飛び出してみたものの、なかなかいい場所が見つからなかった。河原やガード下、ギターの練習をしている人がいても不自然と思われないような場所を探して、自転車で町内を何週もする羽目になった。広い公園の隅っこなら目立たないし誰も気にしないだろうと思ってギターを構えたものの、人が通りががる度に赤面して携帯をいじる振りをしてやり過ごして、結局一曲もまともに歌うことができなかったこともあった。
結局、私は音楽の先生に相談して、休日に音楽室を貸してもらうことにした。 この高校の吹奏楽部は廃部寸前でろくに活動していないし、運動部の生徒たちは校庭や体育館、部室棟の周りしか行き来しない。 四階の片隅ならどんなに大きな声を出しても問題なかった。
こっそりアンプも運び込んで、準備室の棚の中に隠しておくようにした。
その日も、私は貸切スタジオ状態の音楽室で一人、新しい楽譜を堪能しようと考えていた。。 母親に無理を言ってお弁当まで作ってもらって、駅前のコンビニでお茶とかりんののど飴を買って、いつものように校門をくぐった。
私の通う県立麻生高校は、一応市内一の進学校だ。 かなり歴史のある学校で、私が入学する前の年に創設七十周年を迎えたと聞いた。 かつては白かったであろう校舎の壁も、今は陰気な鼠色だ。 本校舎は一度改築したらしいのだがそれも十数年前のことなので、隣接する旧棟と比べると少しマシに感じるという程度だ。 来賓用玄関に続く階段は小奇麗に掃除されているが、その真下に位置する生徒用の昇降口は薄暗く、足を踏み入れると埃っぽい空気が淀んでいた。 私は1-Aの下駄箱で上履きに履き替えて、すぐ目の前の階段を上る。
職員室の扉をノックするのはいつになっても慣れない。 苦手な先生がいないことを祈りつつ、決まり通り一礼してから中に入る。 少しでも目立たないよう、ギターは廊下に立てかけておくことにした。
何をそんなに書くことがあるのかというほどの書類やノートが雑然と詰まれた机の列を横目に見ながら、給湯室の横の鍵置き場に近づく。 幸いというか無用心にもというか、人っ子一人ない。 緑色のタグがついた見慣れた鍵を手に取り、貸し出し簿に必要事項を書き込もうと備え付けのペンを拾った。 そのとき、衝立の裏に設けられた来客用のスペースから話し声が聞こえてきた。 さすがに施錠もせず職員室を空にはしないか、と思いつつ、気づかれないうちにその場を離れようとした。 音楽の佐藤先生には勝手に鍵を使って構わないと許可をもらっているのだが、事情を知らない先生に見咎められて声をかけられるのは極力避けたかった。
「では、来週からよろしくお願いします」
先生のものではない声。 そう思ったのは、声質とそのトーンのせいだった。 張りがあって力強く、それでいてどこか甘い。 誰かの声がこんなに印象強く耳に残るのはというのは、初めての経験だった。
「うん、気を付けて帰ってください」
答えたのは、しわがれた老人教師の声。 ちょうど先生と話し終えたらしい女生徒は、カギを握りしめたまま硬直している私の目の前に姿を現した。 この学校の制服とは違う、抹茶色のニットベストと小豆色のスカート。 なんだかおいしそうな配色だなと思いつつ、それを着こなしている長身の持ち主の容姿に目を奪われた。 つやつやしているのに軽やかなストレートロングの黒髪と、紙のように白い肌。 直線的な眉は凛々しいのにほんの少し垂れ気味の両目がチャーミング。 筋の通った高い鼻の下には少し薄めの桜色の唇。 可愛さとカッコよさのちょうど中間。 クールっぽいのに親しみの湧く、あちらもこちらも立てたような、我儘すぎる完成度だ。 雑誌で見るモデルさんよりも魅力的だと感じながら、作り物っぽさや非現実感に突き放されることもない。 つまり私がどうなっていたかというと、ただただ、その人の姿に見とれていた。
「君、何か用かね?」
呆けていて、その声が自分に向けられていると気づくまでにかなりの時間が必要だった。
「君。カギを使う許可はとっているのか?」
「は、はい!音楽の佐藤先生に許可をいただいています!」
衝立の奥からひょこりと顔を出した老人教師のいらだった呼びかけに、慌てて答える。
野暮ったい眼鏡のレンズ越しの視線が私をにらみつけている。声が軽く裏返った。
「では、そこの台帳にカギの番号と氏名と学年・組を記入して。返却予定時間も忘れずに」
「はい!」
叱りつけるような声に不必要に大きく返事をして、台帳に必要事項を記入する。
震える手でもたもたと下手な字を書き連ねる私の後ろを、女生徒が足音もなく通り過ぎていく。
その間私の意識は完全に背後に向いていた。
私の右手は長年の習慣に任せてペン先を走らせていたらしく、中学時代の学年・組を記載していた。慌てて訂正書きする。
「失礼しました……」
逃げるようにに職員室を抜け出して、暴れる心臓を右手で抑えながら一息ついた。
廊下の左右を確認する。
私が立てかけたギターのケースがそこにあるだけで、ロングヘアの後ろ姿はなかった。
何故か少しがっかりしながら、私は気を取り直してギターを拾い上げた。
音楽室に入り、グランドピアノの前にある黒い椅子に腰かけても、まだ少し心臓が落ち着かなかった。
老人教師の声がまだ鼓膜にまとわりついているような気さえする。
より一層職員室への苦手意識が強まってしまった。
特に休日に訪れると、そこにいる教師は必要以上にいらだっている。
世間が休みなのに拘束されていることへの憤りなのか、休日に来室する生徒の殆どが面倒事を持ち込む存在だからなのか。
いけない。つまらないことを考えて悶々とするためにここに来たのではない。
通学カバンから新品の楽譜を取り出す。
そわそわしながらお目当ての曲のページを開き、譜面台の上に固定する。
楽譜に折り目をつける瞬間は、何度経験してもいいものだ。
曲名は『Whatever』。
イギリスの伝説的なバンドの代表曲で、日本でもCMなどに使われて知名度は高い。
一、二弦を固定した特徴的なコード進行がシンプルながら味わい深く、初めて聞いた瞬間から弾き語りをしてみたくてたまらなかった。
はやる気持ちを抑えながらエレアコを取り出し、ストラップに体をくぐらせる。
音楽室で演奏するようになってから、立って弾くスタイルが定着していた。
コードダイアグラムを確認しながら、CDで聞いたイントロのリズムを真似てストロークする。
コード進行は極めて単純で、すぐに原曲と同じようにイントロを奏でられるようになった。
元が男性ボーカルの曲なので、原曲キーでは少し低い。
三フレットにカポタストをつけてみると、だいぶ歌いやすくなった。
そのタイトルからも連想できるが、この歌のテーマは『自由』だと思う。
こうして歌ってみると、何にも囚われることないのびのびとした気持ちが広がっていく。
人種も性別も違う人達の心に触れたような気分になれてワクワクする。
自然と口角が上がって、もっともっと大きな声が出せるような気がする。
私は窓を小さく開けて、汗ばんだ体に爽やかな秋風を浴びた。
青い空を眺めながら歌うと、鳥になって空を舞っているような開放感を味わうことが出来た。
どんなに嫌なことがあっても、歌とギターのことを考えている間、私は自由でいられた。