01 Plow
ここからが本編です。
かつて三千人以上の人口を抱えていた村も、今は一人しか住んでいない。空き家だらけの閑散とした村の中を黒髪青目の青年騎士、レイモンド・スキニは一人、農具を背負って歩いていた。
この村は数百年前突然現れた男神の加護の下、繁栄の道を歩んだ。それまでは寂れていくばかりだった辺境の村は若く美しい青年の肉体を持つ神様に育てられ、それまでにないほどの成長を遂げた。神様は村人達に知識を与え、教えを説き、力を与えてくれた。
しかし二年前、村は災厄に見舞われ、村人と神様を失ってしまった。神様に守られ、神様を守るはずの騎士である自分だけが一人生き残ってしまった。以来、誰もいなくなった村を一人で守ってきた。
毎朝、祈り、まだ暗い内から村の外の畑を耕す。村も、畑も、俺を育て、守ってくれた神様と先人達が残した物だ。俺の代で駄目にしてしまうのは申し訳ない。
最盛期とは比べ物にならないほど小さくなってしまったが一人で耕せるだけの畑を維持しながら、他の畑の管理も怠っていない。これはもしも村に移住者がやってきた場合、すぐに耕せるようにするためだ。
一方、畜産の受けた被害は深刻で、今も悪くなる一方だ。というよりも、一人では手が回せていないのだ。今、俺ができることは飼鶏の世話くらいだ。
村では昔から鶏の品種改良をしてきた。白と茶の羽が入り混じった丸い鶏は飛ぶことは出来ないが賢く、朝放っても夕方にはちゃんと帰ってくる。丸々と太りやすく、味も旨いため老若男女・人神問わず好まれていた。神様は鶏の肉を木の実で甘く煮た料理が大好きだったので、鶏の世話だけは欠かしていない。
一番手が掛からないのは果樹園だ。もともと手の掛からない果実しか植えていない上、収穫しきれなかった果実は山から来る鳥達が食べてくれる。日中、鶏を果樹園に放ってやれば、後は鶏達が果樹園の虫や雑草を食べてくれる。それに鶏の糞は肥料にもなる。
と、一見すればとても楽そうだが、俺の代で果実の品質はかなり落ちた。やはり手をかけて面倒を見てやらなければ良い実はできないのだ。
人手不足と品質の低下、それが現在抱えている問題だ。
この問題は村の人口を増やすことで解決できるのだが、一日で村人が全員死んだ村に住みたがる人間はいない。これまで行商人を通して移民を呼び掛けてもらったがさっぱりだ。最近では行商人もほとんど来なくなった。
「大昔、神様がこの村に来る前まではここの土地は痩せ、人口も少なかったらしい。今は土地が豊になったが、人口がな」
村に俺一人じゃあどうしょうもない。
普段通り、小屋の扉を開き、鶏達を農地に放つと、俺は土の世話を始めた。
愛用の剣は畑の脇に使わない農具と一緒に置き、桑だけを手に畑に入る。
良い土を耕すときは桑を振り上げる必要はない。大地を掬い、撫でるように桑で土を引いてやればいい。数百年もの間、神様と先代達が守り世話して来た畑の土は黒く、柔らかい。ここで育てた野菜はどれも美味い。
「神は農場、神は農民、神はその手で大地を耕し、神はその指で収穫する」
神様から授かった教えを口ずさみながら、俺は桑で畑を耕した。
「神は農地で実りを取れど、命は取らない。農場で生きるもの、それすなわち農場である」
桑は優しく振るう。間違っても土の中で暮らす虫を殺してしまわないように。
俺がまだ小さな子供の頃、神様は教えてくれた。土を良くする魔法などこの世にはない。良い土を作るのは土の中で暮らす虫達で、神でもなければ、人でもないと。
思うに神様は人間に対して決して楽をさせない方だ。例えば、騎士達の魔法を効果的に使えば、農作業はかなり楽になったことだろう。一人が一日かけて耕す畑も一度魔法をかければすぐに耕せる。しかし、神様はそれを許されなかった。魔法は村を守るためだけに。そして代わりに長い年月をかけて誰でも働けば見返りが得られる環境を作り上げた。
神様は厳しいが、とてもお優しい神様なのだ。人のためにならないことはお許しになられなかった。
『祈り、働き、お上がりなさい。世への奉仕こそが、人が天国に辿り着くための唯一の道』
神様が村人に教えた中で最上の教義だ。
重要なのは神様に対する信仰ではなく、世への奉仕であると神様はいつも言っていた。例えどれほど天に歯向かおうとも、世に対して十分に貢献したのであれば、その者は天に昇る資格がある。
そう教えを説く神様はとてもお優しいと思った。
畑を一面耕し終えたら、俺は一息入れることにした。
実は朝食がまだなのだ。災厄に見舞われる前、まだ村に十人騎士がいた時代、俺は毎朝のように他の騎士達とともに軽く稽古をしてから朝食をとった。そのときの名残で、俺は毎朝、畑仕事をしてから朝食にしている。
畑の脇で枯草や枯れ枝を集め、火打石で火を付ける。
火が安定したら中に平たい石を入れ、熱する。後は熱した石の上で料理をする。村の騎士達が昔から野営の際に使う伝統的な調理法だ。
この方法で焼く肉はとても美味いが、今日は芋を焼く。蜂蜜芋と呼ばれる甘い芋だ。甘い物が好きな神様のために甘くなるよう品種改良を続けて生み出した村の特産品だ。調理法は様々だが、一番の食べ方は落ち葉を集め、その中で芋を焼く、焼芋だと言われている。
今日は早く食べたいので、洗った芋をナイフで輪切りにして、石の上に並べて焼く。こうすることで早く火が通るので、忙しいときや空腹のときに重宝する。
昔、何度かお腹を空かせた神様が一人でこっそりこの方法をやっているのを目撃したことがある。神様からは『皆には内緒だよ』と言われ、芋の輪切りを少し分けてもらったこともあった。なんでも、隠れ食いをする神様を見咎める者も村人の中にはいたのだとか。まったく、困った神様だった。
蜂蜜芋は生のままだと固く、身は白い。しかし、火が通ると、その身は膨れ、柔らかくなり、色も黄金色になる。だから蜂蜜芋だ。
「そろそろ焼けたかな」
石の上で焼ける芋は熱いので、ナイフで掬うように芋の切れ端を一つとり、少し冷めてから一口噛んで味見する。
焼いた蜂蜜芋は柔らかく、ほくほくとしていながらも粉っぽさがない。そして何よりすっきりとした甘みが良い。
「今年の蜂蜜芋は出来が良い。後で神様や皆に備えておこう」
長らく村で愛されてきた作物だから、蜂蜜芋の出来はかなり心配だった。もしも甘くない蜂蜜芋なんて作ってしまったら、天国の神様や村の皆に合わせる顔がない。しかし、食べて出来が確認できた今は少し嬉しく、誇らしい。
あの日、神様のことを守れず、逆に守られてしまったが。神様は確かに村を守ってくれた。神様や皆が守った物は少しでも守りたい。それが神様を失った騎士である自分の使命だと考えている。
蜂蜜芋の朝食を食べ終え、次の仕事に取り掛かろうと立ち上がると、なにか異変を感じた。この辺りに人は俺しかいない。動物も限られているし、魔物は二年前の災厄で受けた被害から回復できていない。そのため、気配というものがとても感じやすい。村に向かってなにかが来たらすぐに分る。
「次も畑仕事のつもりでいたが、騎士の仕事が出来たようだ」
今度は剣を手に、俺は騎士として現場に向かうことにした。
レイモンド・スキニ:村の唯一の生き残り。好きな物は神様。好きな食べ物は甘い物(理由:神様が好きだったから)。嫌いな物は”災い”。土と氷に纏わる魔法を得意とし、十字剣を自在に操る腕を持つ。