闇の中で探すのは(5/19編集)
「暑いから、トンネルを潜っていかね?」
そう言い出しのは幟の方だった。高速道路で見るようなトンネルとは違って、大柄な幟が腕を伸ばせば天井に触れられそうなくらいの、コンパクトなものだった。それだけ潜ったとき、二人を縮こまらせてしまうような妙な圧迫感がある。まだ昼なのに、トンネルに入った途端、ひんやりとした空気を感じる。そして、スピカの視界が数秒かちかちかと点滅すると、ゆっくりその薄暗さに慣れていく。彼女よりも早くに手を引いたのは、幟だった。
「俺、結構早く目が慣れる方でさ。スピカは、目が慣れるのに時間かかるタイプみたいだな」
そういいながら幟は嬉しそうに笑っていた。傍から見てもわかる、目が白黒としていた様子が可愛らしくて仕方が無かったのだ。トンネルの距離はそう長くは無い。至るところに刻まれている落書きを目で追いながら、ゆっくりと歩いていく。
「俺らも書いてく?」
「何を?」
「相合傘」
何故かこういう場所には、相合傘の落書きが目立つ。趣味の悪いスプレーの殴り書きではなく、石か何かで一生懸命刻んだのだろう、微笑ましい悪戯。しかし、スピカにとっては自分の名前を刻むということは恥ずかしいことでもあったし、公共の物に落書きするのは気が引ける。
「冗談だって」
もちろんそんな彼女のことなど幟はお見通しであったから、すぐに優しく自分の提案を却下したのだった。短いトンネルのゴールは直ぐ其処。トンネルに向かって、明るい日差しが真っ直ぐ伸びている。
「なんだ、もう終わりかよ」
トンネルの外に出ると、眩しいくらいに瞳の中に大量の光が入り込んできた。今度は薄暗闇から、光の中へ。またスピカの視界は、光に慣れるためにまたちかちかと点滅をしはじめた。
「やっぱりお前、慣れるの時間掛かるんだな」
ふっと、幟が空気だけで笑ったのを感じると、ふわりと唇に何かを押し付けられた。瞳の中に幾らか光が遮断されたのがわかったから、目の前に幟が居てキスをされたのだということがわかった。まだ数回しか交わしてないキスに慣れていなくて、スピカは思わず手で自分の唇を覆ってしまった。そして、また嬉しそうに笑う恋人。まだ目が慣れておらず、彼の顔の輪郭しか捉えることが出来なくてスピカは残念に思った。
「あ、今度は海に行って、砂浜にでっかい相合傘書かねぇ? それだったら、誰にも迷惑かかんねぇだろ?」
太陽の眩しさだけじゃない何かに、スピカはさらにくらりとしてしまった。