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短編

のんびりカメのひとりごと

作者: 雨咲まどか

 かけっこの勝者はカメだった。でもそれは、ウサギが途中で寝ちゃったからだ。

 もしウサギがきちんと走っていたら、絶対にカメは勝てなかった。それも、きっと大きな差をつけて。





 私が思うにこの世界は、みんなせかせか急いでる。なにをそんなに、と思ってしまう私の方がとろいだけなんだろうけど。


「……あ」


 自転車の鍵、なくした。

 駅の駐輪場で私は鞄に手を突っ込んだまま立ちつくし、記憶を探る。


 えーっと、電車に乗って、ちょっと中身を整理しようと鞄の中から自転車の鍵を出して、それから切符と一緒に制服のポケットに……入れて、ない。

 ああ思い出した。電車の中に置いてきたんだ、たぶん。


「どうしようかなあ……」


 顎に手を当て、ため息一つ。

 夕方のこの時間なら家には妹の美沙がいるはずだ。予備の鍵を持ってきて貰おうか。

 首を横に振った。駄目だ。携帯電話の充電が切れてるから、電話出来ないんだった。なんとも、ついてない。

 私は諦めて駐輪場を後にした。もういいや、歩いて帰ろう。どうせたいした距離じゃないし。

 今日は朝から駄目な日だった。三年生にもなって遅刻したし、返ってきたテストの点数も悪かった。おまけに携帯の充電は切れて、自転車の鍵はなくす。そしてそれは、全部私自身のせいだった。


 のろのろ足を進める私の周りは、ゆっくりゆっくり景色が流れる。右を見れば藍色で、左を見ればオレンジ色の空。まるで太陽の光が暗い空に溶けていくみたいだった。

 そろそろ変わらなくちゃいけない。昔から私はなにをするのもとろくって、嫌になった。どれだけ懸命になったって、みんなに追いつけない。それこそカメがウサギにかけっこじゃ勝てないみたいに。だって、誰も童話のウサギみたいにサボってくれないし、待ってくれない。

 強くなった向かい風に、私は前髪を押さえた。


 しばらく歩いて住宅街にさしかかった頃、背後から声がした。


「お姉さん?」


 足を止めて振り向くと妹の彼氏の古川くんがいた。家に何度か来たことがあるから覚えている。

 自転車にまたがっている古川くんはにっこり笑って挨拶をしてくれた。いくら彼女の姉だとはいえ、道ばたで見かけてちゃんと挨拶をするなんてえらいなあと私は少し感心した。


「これからお家にお邪魔しようとしてるところなんです」


 古川くんが自転車から降りて手で押し始めたので、私もまた歩き出す。


「そうなんだ、また美沙に呼び出されたの?」


 妹の美沙はしっかりしてみえるけど以外と寂しがり屋で、たまに古川くんを呼び出すことがあった。現在彼氏の居ない私はそれがこっそり羨ましくて、でももし私に彼氏が居ても同じように呼び出すなんて出来ないだろうな、とも思っていた。

 古川くんは苦笑してみせた。


「そんな感じです。――お姉さんは帰りですか? 歩きでしたっけ?」


「ううん、いつもは駅から自転車なんだけど、鍵なくしちゃって。予備の鍵を持ってきて貰おうとも思ったんだけど、携帯の充電も切れてて電話も出来ず……」


「え? 駅なら公衆電話使えばいいのに」


 私は古川くんの言葉に一瞬呆けてしまった。


「あーー! 古川くん天才だね。何で気付かなかったんだろ、ちょっとショック……でも、歩くの好きだからまあいいや」


 気付けなかったことに肩を落として地面を弱々しく蹴る。

 そうだ、私は歩くのが好きだった。学校に遅刻しないために毎日必死で自転車を漕いでいるけど、こうしてぼうっと歩く方がずーっと好きだ。自転車は私には速すぎて、似合わない。


 一歩進むと、足の裏にコンクリートの感覚がしてほんのちょっとだけ風景が変わった。

 これが、私の速さだ。


「自転車も車も電車も、みんな速すぎるよね。私には歩きぐらいがちょうどいい気がするの」


 私が半ば呟くように言うと、古川くんは「そうですね」とだけ答えた。

 小学生が笑いあいながら走って横を通っていく。その後を、「ちょっとまって」と少し遅れて追いかけている子が一人。私は心の中でその子を応援した。がんばれ、がんばれ。


「ちょっとまって」を私は今まで何度言ったか数え切れない。沢山の人に、まってもらった。

 十分待つのは得意だ。十分時間を使うのは得意だ。十分浪費するのは得意だ。

 でも、十分速くするのはどうしても出来なかった。

 だからもしも私が「ちょっとまって」と言われたら、絶対にまってあげるつもりだ。

 後ろを顧みてみる。さっきの小学生は、もう見えなくなっていた。

 あの子が無事に追いつけたのか、もうわからない。


 私はふと古川くんが当たり前みたいに横を歩いているのに違和感を覚えた。

 こんなに歩くのが遅いのに、なんでだろ。そっか、合わせてくれてるんだ。


「古川くんは人の速さに合わせられるんだね。すごいなあ」


 感嘆して声を上げると彼は目をぱちくりさせた。


「そんなの、初めて言われました」


「えー、すごい才能だよ、それ。いつも美沙にも合わせてるじゃない」


 美沙は何をするにも人よりテンポが速いから、私はいつでも彼女に追いつけずに「遅い」と言われる。それなのに、美沙から古川くんの文句を訊いたことがない。

 あ、そういえば。


「古川くん、美沙に呼び出されてたんだよね? こんなゆっくりしてて大丈夫なの?」


 私が訊くと、古川くんは焦った表情を浮かべた。


「たぶん大丈夫……。怒られそうになったら、助けて下さいよ」


 その顔がなんだかおかしくて、私は声に出して笑った。





 家が見えてきた。一歩一歩踏みしめて、玄関まで。

 ほらね、歩いてだって、ちゃんとたどり着けるんだよ。そりゃ、自転車より随分時間かかったけど。どんなにのろまだって、ウサギに勝てなくったって、ちゃんと。


 古川くんを連れてドアを開けると、待ちかまえていたらしい美沙が目を丸くした。

 私は満面の笑みで言う。


「ただいま」


 それから、小さくひとりごちた。


「……ゴール!」



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