すぐ「今日、鬱やわあ」とか言っちゃうやつ。
あれ嫌いです。
ところ変わって大学近辺の定食屋・まんぷく亭。シャレもひねりもあったものではない店名である。
だが、それなりに美味しくてボリューミ―な定食を出してくれるので、悠と石神もよく利用している。
石神は、「ハーフ&ハーフチキンカツ定食」のチキンカツを口いっぱいに頬張っている。切り分けられてはいるが、それでも一切れのサイズが大きい。
テレビのチャンネルみたいだ。
ちなみになにがハーフ&ハーフなのかというと、ソースが半分はソースで半分はおろしポン酢であるところだ。
悠もよく「ハーフ&ハー(以下略)」を注文しているが、今日はオムライスにしておいた。
べつに食欲がなかったわけではないが、チキンカツにがっつく姿はお世辞にも見栄えのいいものではないからだ。
しかし、そんな心配は悠の杞憂に終わった。
未央が同じものを注文したからだ。
女性の前にバカでかい定食があるのは、かなり不自然な絵だ。
悠は、さらに別の心配に頭をもたげた。
食べきれるのだろうか。
悠は、そんなことを思いながら未央を見た。
そして彼女は悠の視線を知ってか知らずか、一切れをさらに半分に切り、行儀よく口に運んでいる。
それを見て石神は「その手があったか!」という表情を浮かべた。が、しばらくじぶんの皿を凝視したあと結局はいつも通りに豪快にチキンカツに食らいついた。
「お前なあ。ふだん偉そうなこと言ってるくせに、食いかた汚いとかなんの説得力もないぞ」
それを聞いた石神は、目を剥いて悠を睨めつけたが「ふんふん」と口いっぱいに肉を詰めてうなるだけだった。
「まあ、おいしそうではあるけどね」
笑みをこぼしながら未央は言う。
彼女は石神の食べ方を見ても、大して気に留めなかったようだ。
にもかかわらず、石神は口の中の食物を嚥下すると、湯呑のお茶を一気に半分ほど飲み、悠にかみつく。
「そうだそうだ。しょうもないマナーよりも、食事はロマンだ。どうやって食べたら一番『らしい』か、さらに言えばおいしいか。気にするのはそこだけだろ」
「べつにそうやってかぶりついても、味は変わんねえだろ……」
「お前はわかってない。なんにもわかってない。食事の機微のなんたるかをまったくわかってない」
「わからなくていいわ。そんなもん」
「まあまあ。なにもそんなことで争わなくても」
未央は二人の仲裁に入る。
しかし、あろうことか石神の矛先は未央に向いてしまった。
「そんなことだと? いや、楠田さんと言いましたっけ? これは大事なことですよ。人間の三大欲求の一角を占めることですからね!」
「未央でいいよ」
「恐縮です。では、未央さん。あなたは三大欲求の一つである食欲を『そんなこと』と片づけてしまったのですよ!」
「はあ……」
未央は石神と初対面だ。
そんな彼女に対してでも、いきなりこんなことを言いだす友人の気が知れない、と悠は呆れた。
そして困っている未央に助け舟を出す。
「いきなり変な角度からかみついてんじゃねえよ。石神を紹介した僕までおかしなやつだと思われたらどうしてくれるんだ」
「なにを今さらなことをほざいてるんだお前は。なにも俺が変人であると認めてるわけではないからな。むしろ、俺はいたってふつうの人間だ。無知蒙昧の大衆からすると、理解不能なことをわめているように思えるかもしれないが、それは俺がおかしな妄言をまき散らしているからではなく、聞き手の読解力や知識が不足しているからなんだ。上質なユーモアで正しく笑うためには、相応の教養が必要なんだ。それを私が理解できない話をするあなたが悪いで片づけるとは、知性への冒涜でしかない。……まったく大学生とはいつからこんなに怠惰になったのだ」
「よくもまあ、橋田壽賀子ドラマばりの長口上で自信家丸出しの発言をできるな。お前の辞書には謙遜って言葉はないのか」
「謙遜だと。はっ、笑わせるんじゃねえよ。あんなの本気でやってるのはほんとの変わり者しかいねえよ。人間なんてのは元来、認めてもらいたくてしかたない生き物なんだからな。年がら年中、自己承認欠乏症を患っている愚かな生き物だ」
「長々ベラベラと話すのも、誰かに聞いてもらいたくて、じぶんの主張を認めてもらいたくてなのか?」
ちょっと皮肉りながら悠は言う。
「む、まあそうかもしれんな。しかし、いいではないか。SNSやらなんやらで『マジ鬱やあ』と本物の鬱病患者をバカにしてるとしか思えない言動をするやつよりよっぽどマシであろう。だいたいあれはなんなんだ。あんなものは『マジで!? 大丈夫?』と心配してもらうまでがワンセットだろう。馬鹿げた因習だよ。バカをバカが支える構図。反吐が出る!」
「まあ、たしかにあれは両者わかっててやってる特有の気持ち悪さがあるさな。まだ石神のように、対面でわめていてくれるほうが二次災害もないし、正しい気がしてくる」
「であろう? そうであろう! それ見たことか!」
「なんで勝ったつもりになってるんだよ……」
「あなたたち、いつもこんな感じなの?」
しばらく黙って二人の会話の行く末を追っていた未央が、疑問符を差し挟む。
「こんな感じとは、どういうことですか未央さん」
これは、石神のセリフ。
「ええっと、なんていうか……。口喧嘩でもしてるみたいに延々と言葉のドッチボールを続けるようなスタイル?」
「ハハハ。ドッチボールですか。言い得て妙ですね。ドッチボール。うん、なるほど。いいメタファーです。おい、ドッチボールだとよ、九鬼」
ひさびさに石神が悠の名を呼んだ。
その声は心底、楽しそうに弾んでいる。
ふだんは、「お前」としか呼ばないのだから大きな違和感がある。
だから一瞬、反応が遅れてしまった。
石神は、そんな悠を「?」と見つめている。
「うん、どうした?」
「――いや、なんでもない。んで、なんの話だっけ?」
「しっかりしろよ。会話の流れを正確に追うことは、べしゃりで最も重要とされるスキルだぞ。ちなみに今の話題はドッチボールについてだ」
しかし、そのあと石神はじぶんの言葉に「あれ?」と漏らした。
「……あなたたちの会話のスタイルについてです」
未央が呆れて話の流れを修正する。
もし、石神の説を取るならば、この場で一番の会話玄人は未央ということになる。
「ああ、そうでしたね。もう、しっかりしろよ。ドッチボールはあくまで比喩だ。そうに決まってるだろ」
その言葉は、悠に向けて。
しかし、その言いざまには悠も納得がいかない。
「待て、待て。話題の方向性を狂わせたのも石神、お前だぞ」
「細けえことはいいんだよ!」
無茶苦茶だ。無茶苦茶すぎる。
もう石神と出会ってから、何度目のことになるかわからない。
石神は、人を呆れさせるために話しているのか。
本気でそんなことを疑いはじめた悠であった。
「そんなことよりも、未央さん。あなたはゆかりさんとこの男の関係をどう思いますか?」
「関係? 九鬼くんがゆかりを好きってこと?」
唐突に本題に切り込む石神も石神だが、それにふつうに対応する未央も未央だ。
「ほお! そこまでご存知でしたか! ならば、話が早い。では、教えていただきたい。この男、九鬼悠は男としてどうですか? 貴重なガールズの意見です。率直に語っていただきたい」
「ううん。難しいね。残念ながら男前ではないよ。でも、看過できないほど不男というわけでもない。ようするにふつう。顔だけでは、アドバンテージにもディスアドバンテージにもならない感じ」
「リアクションに困る発言だな」
悠はポソリとつぶやいた。
「いいんじゃないの? 外面で判断のしようがないのだから、その分内面を見てくれるわけだし」
「内面? でも、九鬼の内面なんて空っぽでしょう。それこそ、過疎ですよ。地方のシャッター商店街ですよ」
「石神よ。勘違いしているようだから言っておくが、本人の前でそんな評しかたをして怒らないのは、僕が優しいからだからな」
「そうだよ、九鬼くんはなかなかどうしておもしろい人だと思う。ほどよいユーモアセンスもあるし、石神くんほどぶっどんでもないし。まあ、ちょっと変だけど。そういうところがないと、石神くんとも付き合ってないと思うけどね」
未央は楽しそうに笑う。
石神は、そんな彼女の言葉に意外にもすんなりと同意してみせる。
「たしかにそうかもしれませんね。ふつうということは、それはつまり『つまらない』とほぼ同義ですからね」
「ねえ。性格いいなんて当てにならない人物評だよ」
「ふむ。未央さん、あなたはなかなか人を見る目が備わっているようだ。お前のゼミ仲間はなかなかの粒ぞろいだな」
「上から目線でのお褒めの言葉ありがとうございます」
言葉を振られたら悠は、ふて腐れ気味で答える。
「そしてそんなこの男が、山手ゆかりにモーションをかけようとしている。いかがでしょう未央さん。お二人の友人として、この一戦うまく行くとお思いですか?」
「ううん。難しいかな」
拍子抜けするほどあっさりと。
その言葉に悠は落胆を隠せなかった。
しかし、未央はそんな悠を見て慌てて言葉を足す。
「ああ、ごめんごめん。成功しないってことではなくて予想することが『難しい』ってことね。ほら、ゆかりって、結構変わったところあるじゃん。あたしも、二回生から付き合いだからそこまで深くゆかりのことを知らないんだけど……。それでも一筋縄で行かない相手であることは間違いないわ」
そしてそのあと、未央は「ほら。京介くんだって玉砕してたじゃない?」といたずらっぽい笑みを浮かべた。
可愛い。
悠は、不覚にもそう思ってしまった。
「おや、あの京都男はもうすでに特攻して星になったわけですか!」
「なんだそのロマンチックなたとえは……」
それを無視して石神は続ける。
「よかったではないか。これで最大のライバルが脱落したわけだ。では、ゆっくりと外堀から埋められるな」
「そうでもないよ」
ピシャリと未央が言う。
「どういうことです?」
「ゆかりってほら可愛いじゃない。なんというかその、ゆるフワ系っていうの? ウェーブのかかった髪にお人形さんみたいな顔立ち。スタイルだっていいしね。男の子ってそういう子好きでしょ?」
「コホン。それは、この男に聞いてみるのが一番手っ取り早いかもしれないですね」
ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべて、石神は話題を悠に振る。
「やっぱりそうなの? 九鬼くんもゆかりのそういうところにやられた口なの?」
「……まあ」
「そっかあ。あたしも、髪の毛伸ばしてワンピースなんか着て見た目だけでもおしとやかになろうかな」
ゆかりとはまったく違うタイプでありながら、それでいてゆかり並にモテる未央だ。
そんなことを言いだすことが意外で、思わず驚きの目で彼女を見てしまった。
その視線に気づいたのか、チラリと悠のほうを見て「冗談だよ」と笑った。
石神はそんな未央を見て、一瞬なにかを言い出そうとした。が、やはり口をつぐんでしまった。
また石神らしいズケズケと失礼な物言いを初対面の未央にするのかと思ったので、悠は安心する。
おおかた、「あなたがそんなことをするとモテなくなりますよ」とかそんなところだったのかもしれない。
しかし、石神は引っ込めた言葉の代わりに存外まともなことを言った。
「つまり未央さんは、うかうかしてると男好きのするゆかりさんはあっという間にほかの男に取られると。それこそ、どこの馬の骨ともわからぬ男に。それを懸念しているわけですね」
「まあ、そんなところね。行動を起こすなら素早く。手あかのついた言い回しだけど、善は急げよ」
「お説ごもっとも。では――」
「焦るなよ、石神」
悠は牽制するが、石神は一度胡乱な眼差しを送ってくるだけで再び口を開いた。
「では、やはりデートに誘うしかないですね」
「だね」
「……やっぱりそうなるのか」
石神の言葉に弱った表情を浮かべるのは、悠だけ。
未央は完璧な他人事なのだから致し方ないことだろう。
「でもよ、簡単には言ってくれるが、それができないからこうやって相談してるんだぜ」
「なにが難しいことがあるんだ?」
理解できないという風に、石神は問うてくる。
「なにって、それはお前……。二人で遊ぼうと誘うのはなかなかにハードルが高いぜ」
「誰が二人と言った?」
その言葉に未央もなにかに気づいたのか「あっ」と声を漏らす。
そして石神のほうを見ながらクツクツと笑った。
未央は石神の思惑を察知したようだ。
そして、彼女はその考えを面白いと思っている。
しかし、悠は石神が何を言っているのかいまだにさっぱり見当がつかない。
頭に「?」浮かべていると、石神は言う。
呆れ声だった。
「お前はほんと、にぶいな」
「そうかもね」
未央も同意する。
秘密を共有するように楽しそうだ。
「なにがだ。僕にはさっぱりわからない。種明かしをしてくれよ」
その言葉は、降参を示すように両手を頭の横に持ち上げながら。手のひらを石神のほうに見せながら。
石神は「仕方ねえな……」と頭を左右に振りながらつぶやく。
未央は右手で頬杖をつきながら、石神が次に発する言葉を待つ。
「ダブルデートだよ」
「あっ」
思わず声が漏れた。思わず納得したように右手のこぶしの腹で左の手のひらを叩いていた。
石神の一言だけで、彼の思惑の大枠が理解できた。
未央が付け足す。
「それもあくまで四人で遊ぶという名目にしながら。であるならば、いくら臆病な九鬼くんでも簡単にゆかりを誘うことができる。……そういうことよね。石神くん」
「さすがです。未央さん。この男よりはるかに頭の回りが早い」
「そしてその四人、残りの二人とは……」
確信はあったが、確認の意味を込めて悠は問うた。
「言うまでもない。この俺、石神健太と楠田未央さん。もちろん協力していただけますよね?」
これも確信を込めた確認。
なんせ二人は今や共犯者。
断る理由などどこにもない。
「もちろんよ。しっかり援護するからね」
「そうと決まれば、あとはお前が行動を起こすだけだ。さあ、携帯電話を開け。新規メール作成だ。あて先は……おっと、もうここまで言うのは無粋か」
「わかった、わかった。誘えばいいんだろ」
「そうだ。俺たちに強要されたという体で行け。悪役はこちらに任せろ」
「んなことしねえよ」
「ほう。そうか、そうか。今さら遠慮することなどないんだぞ」
「なんでもいいけどね」
二人のやり取りにカットインする女声。
未央がこともなげにつぶやく。
「いやあ。楽しみになってきた」
どこか様子のおかしい未央と、ため息をつきながら頭を抱える悠を背に、石神だけは本心から心待ちにしているようにつぶやいた。




