目は口ほどにものを言う
秘密は守ろうとしないタイプ。
悠は今、山手ゆかりと都道京介と楠田未央とテーブルを囲んでいる。
目の前には、一冊のキャンパスノート。
学部棟の一階に設置されたラウンジで彼らは顔を突き合わせていた。
開かれたノートには走り書きのようなメモが書き散らかされている。
四人は、一か月後のクラス発表のテーマについて話し合っていた。彼らは一応全員、社会学部に所属しているが個々の関心はバラバラだ。
まとめようと思って、まとまるものでもない。
「よし、一度整理しよう」
仕切りたがりの京介が、各人の主要関心テーマについてリストアップしていく。
都道京介:環境、持続可能な開発、都市政策、原発問題、ドイツのエネルギー政策。
楠田未央:福祉、北欧の福祉政策。
山手ゆかり:社会哲学、マルクス主義、社会思想史。
九鬼悠:宗教社会学、民族紛争、民族主義、ナショナリズム。
「清々しいまでにバラバラね」
楠田未央がつぶやく。クリの実のような色をしたショートボブがよく似合っている。
まだ肌寒い日もある四月の終わりだというのに、すでに気合いの入った肌色のホットパンツでその長く細い足をさらしている。
上は、袖の長いシャツに白いカーディガン。
褐色に近い肌が健康的で、まちがいなく美人の部類に入る顔立ちだった。
二回生ゼミは、三回生からはじまりそのまま卒論まで書くことになるゼミとはいささか性質を異にする。
最大の特徴は、ほぼランダムで所属するゼミが決定されるという点だ。あくまで二回生のゼミは、本格的な研究に入っていく前に、その方法を学ぶという名目なのだから仕方がない。
だから自然に各々の興味関心は交差せずに、とっ散らかることになる。
そして今、悠たちはそれが原因で、議論が紛糾していた。
グループ・プレゼンのテーマが一向に定まらないのだ。
テーマが決まらないことには、担当を分担することも具体的な作業に入ることもままならない。
自らが興味ある分野のほうが、調べものもはかどるのだから誰もが譲りたがらない。
「誰しもが一定の興味を持てるテーマにしたいと思ってる。そうなると……」
京介が書き出したリストをのぞき込む。
「やはり、社会哲学や社会思想史はあまりに高度すぎると思うんだ。どうかな、ゆかり」
そうだ。京介はゆかりさんを呼び捨てにするのだ。
まったく関係ないことを思いながら、悠は名指しされたゆかりを見た。
「ううん。でも、マルクスは社会学をやるうえで外せない人だと思うのよね。ヴェーバーだって同じだし」
補足しておくと、「ヴェーバー」とはドイツの社会学者・マックス・ヴェーバーのことである。
「そうかもしれない。しかし、やはり専門性が高すぎやしないか?」
「そうね……」
ゆかりは形だけの同意をしたが、京介に聞こえないくらいの声で「大学は専門研究する場所だし」と不満そうな声で言った。
ゆかりの隣に座っていた悠には、はっきりとそれが聞こえた。
それにしても。
悠はぼんやりと思った。
社会思想史やらマルクス主義やらは、素人が聞いたらなんのこっちゃかわからない。
いわば社会学の本丸である。
それを亜麻色のロングヘアを軽くウェーブさせている可憐な美女がやろうというのだから、世の中はわからない。
そんなことを考えているうちに、ゆかりが折れたようだ。
「いいわ。京介くんのテーマでやりましょう。ドイツのエネルギー政策。いいじゃない」
と言った。それは仕方なく、譲歩に譲歩を重ねてようやく譲ったという感じではない。
ゆかりはほんとうに興味があるふうだった。
もとから知的好奇心が強いゆかりにとって、じぶんの門外漢を学ぶということは喜ぶべきものなのかもしれない。
「未央もそれでいい?」
「うん。あたしは大丈夫だけど」
「九鬼くんも?」
「お、おう」
「よし。それじゃ、決まりね」
「んじゃ、この分野に一番強い俺が、文献のリストアップと各人の担当を決めておく。今度のゼミでまた話し合おう」
仕切り屋が仕切り屋らしい言葉で議論を閉じた。
「おい、ゆかりこのあと暇? 晩飯でもいかね?」
京介がゆかりのもとへ歩み寄り、誘いをかける。
「う~ん。ちょっと用事あるから厳しいかなあ」
一蹴。
少しだけすっきりしたが、顔には出さない。
それが、悠の京介へのせめてものたむけだった。
「おお、そうか。じゃあ、また今度な」
「うん。またね」
そしてゆかりは、並んで立ちあがった未央と悠にむかって「バイバイ」と笑顔で言ったあと、ラウンジを駆け足で去っていった。
白いワンピースがひらひら揺れる。
それが、残像として悠のまぶたの裏に残った。
控えめな底のヒールも良く似合っていた。
その姿をぼんやりとした表情で見送ったあと、京介はちょっと気まずそうな表情を浮かべて「まあ、あいつも忙しいからな」と誰と知れずつぶやいて足早に去っていた。
取り残された二人。未央と悠。
唐突に未央が口を開く。
「都道くん。ゆかりのこと好きなのかな」
なんでもないように軽く。
未央はそういう女の子だ。
あまり誰が誰のことを好きだとかいう話に興味をむけるようなタイプではない。
むしろ恋愛そのものにも対して興味がないといった様子だった。
言い寄る男は決して少なくないようだったが、いっこうになびこうとしない。
その容貌から、もしかすると体と心の性別がてれこになっているのかとも思ったが、話しているとどうやらそういうわけでもないらしい。
しかし、男勝りという言葉が未央のためにつくられたのではないかと思うほどには、彼女が快活だ。
とにかくゆかりとはまた別のベクトルで、未央も不思議な女の子なのだ。
それゆえ悠も下手に肩をこらずに話せる。
気楽な相手だった。
「どうなんだろうな」
「ずいぶんのんびりした言いざまね。先越されるよ」
「……えっ」
「えっ」
オウム返し。意外な返答が帰ってきたという様子だった。
「なにが、なにに?」
まだ確定ではない。
慎重に慎重に。いつでもごまかせるように。
「九鬼くんが、京介くんに」
「ん?」
「ん?」
再度のオウム返し。
「ばれてた?」
「そりゃね」
逆にお前は隠し通せているとでも本気で思っていたのか。
そんな目で未央が悠を見る。
「ライバルだね」
その言葉は、これでもかというくらいに不敵な笑みで。
しかし、その意地悪な表情の裏には、どこか寂しさがこもっていることを悠は見逃さなかった。
「まあ、がんばりますよ」
「ふふ」
そしてリュックを背負おうとしたときであった。
グルル。ぐるる。
同時に鳴った。ユニゾンである。ハモリでもある。
「ふふ」
もう一度未央が笑う。
「飯、行くか」
こんな風にゆかりのことも誘えればいいのに……。
そんなことを夢想していたときに、携帯が震える。
取り出すと、案の定の名前がディスプレイに表示されていた。
石神健太。
「あ、わるいもう一人誘っていい?」
「うん、誰?」
「僕の友だち。おもしろいやつがいるんだよ」
そう言って、通話ボタンを押した。
「遅いぞ! どうせ暇なんだろ。格好つけてないで、とっとと出やがれ!」
やかましい声。未央も聞こえたようで、目を丸くしている。
「もうすでに、変なやつだろ?」
「……そうみたいね」
声を出さずに笑った。
またも二人同時だった。




