ギャルゲーは恋愛の教科書。
仲の良い先輩の名言(迷言?)。
今、悠と石神は先ほどの居酒屋からほど近いカフェでコーヒーをすすっている。
石神は先ほどからなんどもうなずき「うんうん」と独り言を漏らしている。
「なんでお前が、そんなにニヤニヤと嬉しそうなんだよ?」
悠は問う。
「なんでってそりゃ、嬉しいではないか! 友人の恋が動き出す瞬間を目撃できて。ボーイ・ミーツ・ガールだよ! ラブ・コメディだよ!」
「大げさだよ。本を貸してもらうって約束しただけだろ」
「お前はバカか! 本を貸すって行為には、必ずそれを返してもらうという動作が伴うんだ。さらに言うと、借りた側がお礼と感想を知らせるという義務もな。つまりお前は、ゆかりさんとこの先、数度の接触が保証されたことになるんだよ。ゆかりさんも、それを許可したということになるんだよ!」
石神がいつの間にか「ゆかりさん」と呼んでいる。
それは、彼女に対する敬意を込めてのものなのかどうか、悠には判断がつかない。
「そこまでは、考えてないと思うぞ」
「当たり前だ! 俺は、そんな打算的な女は嫌だ!」
なんというトリッキーな棚上げ。
呆れて物も言えない。
しかし、石神はそんな悠の様子にまったく気づかずに、なおも楽しそうに続ける。
「順風満帆ではないか。わが軍の勝利がいよいよ現実味を帯びてきたぞ!」
「だから……気が早いって」
「気が早いということがあるか! そんなことは、俺がお赤飯を炊いてから言いやがれ!」
「そんなことしたら、助走つけて殴るからな」
「とにかく、とにかくだ! 本を返すときは、ゼミのときについでになんていうくそみたいなことはするな。必ず別途時間を取ってもらえ。喫茶店でもなんでもいいから呼び出せ。お茶だ、お茶をするんだ!」
「それはおかしくないか……。毎週会うのになんでそんなワザワザってゆかりさんも思うだろう」
「お前には考える頭がないのか! そんなことでは、理知的な彼女と会話を交わすこともおこがましいぞ!」
石神はどうやらゆかりを高く買っているようだった。
ゆかりも、石神が厠に立っているときに「おもしろい人だね」と漏らしていたので、二人はやはり本当に相性が良いようだった。
それが、悠はますますおもしろくない。
「仕方ねえだろ! 慣れてねえんだから」
「なにを偉そうに言ってるんだ! 恥じろ。それは恥じるべきことなんだ! お前は、もうあれだ。ギャルゲーをやれ」
「ギャルゲー? 話が変な方向に飛んで行ったんだが……」
「ギャルゲーはいいぞ。恋愛におけるさまざまな定式を効率よく学べる。もっともすべてを真に受けるとえらいことになるがな」
そう言って、「ぐふふ」と殊更気持ちの悪い笑い声を漏らす。
石神はそういうゲームもやるのか……。
引きはしないが、意外に思ったのは事実だ。
「お前、ちょっと引いてないか?」
悠の表情からなにを見て取ったのか、石神はにらみを利かせて言う。
「いや、そんなことはないぞ」
「俺は常々言ってるだろ。できるかぎりすべての物語に触れたいと思っていると。ゲームもそれの一貫なんだ」
「だから引いてないって……」
むしろ、なにかと理由をつけて自分の行動を正当化しようとする行為に少し引いていた。
好きなものは好き。
それでいいではないか。
悠がひそかに信条としていることだ。
「で、なんの話だっけ?」
「お前だろ。謎のギャルゲー論をご開帳したのは……」
「それはお前が変な顔するからだからな……」
「まあ、いい。ちなみに主題はゆかりさんをどうやってお茶に誘うかだ」
「ああ、そうだった、そうだった。まったくそんなことは一人でああでもない、こうでもないと考えるものだろ。お前はマニュアルがないとなにもできないゆとりか!」
「俺も、お前もゆとりだけどな」
「そもそも『ゆとり世代』ってカテゴライズが俺は嫌いなんだよ。だっておかしくないか? いつの時代、どの世代でもバカっているわけじゃないか。逆もまた然りだ。それが当然なんだよ。べつに学校で教えることが減っても、頭いいやつは頭いいんだよ。そもそも円周率は三ではなし、台形の面積の求めかただって習う。あんなもん都市伝説だよ!」
「一理あるが、また関係ない方向に話題が転がってるぞ」
「ああ、すまんすまん。と・に・か・く! お前はゆかりさんをなんとかして誘い出せねばならないわけだ」
「ああ。ちなみに僕はさっきからその話しかしていない」
「そう言うな。どんなに完璧なスケジュールを立てても、それ通りに事態が進展することなんてのはほぼない」
「アクシデントで予定が狂うことと、設計図にない飾りをつけて無駄な手間をかけることは別だとは思うがな」
「なにを言う。料理を美味しくするのは最後のひと手間だというではないか! 隠し味だよ! XO醤だよ!」
「比喩に比喩で返すな。どんどんわき道にそれる」
「デートに誘うことなど簡単だ。その答えだけを示すなら、この会話も五分ともたずに終わっていただろうよ」
「じゃあ、なんて言うんだよ? 俺は自然じゃないと嫌だからな」
「『お借りした本が素晴らしくて一刻も早くゆかりさんの解釈もお聞きしたいのですがお時間ありますか?』でいいではないか。感動が文面ににじみ出る素晴らしい名文句だと思うぞ」
「なんだか、感動を決め打ちしてるみたいでいやだな」
「お前はなぜ、そうも変に潔癖なところがあるんだ。部屋は散らかってるくせに」
「俺の部屋は、今関係ないだろ」
「対案があるなら示せ。ないなら、沈黙せよ!」
「やめろ。原発問題みたいだ」
「ふふふ。ブラックジョークだよ」
「趣味が悪い」
そして、悠は続けて言った。
「まあ、とりあえずそれで行こうか」
「うむ。それがいいに決まっている」
「ところでさ、石神って女苦手?」
意表を突かれたのか、石神は口をパクパクさせた。
そして頭を数度振って、勢い込んで反論する。
いや、反論というよりも、石神お得意の論点ずらしだった。
「仮に俺が、異性とうまく話せなかったとしても、お前のアドバイザーになることはできるぞ!」
「なぜだ。説得力がないではないか」
「なにを言う! 高名な経済学者が、経済大臣や財務大臣になってもうまく行くとは限らないではないか。理論を構築するのと、それを使って実際に行動するのはまったく別のアクションなんだよ!」
「経済の問題と色恋を同列に語ることはさすがに無茶だと思うぞ」
「そんなことはない。経済という抽象的な言葉を使うからそう思うだけなのだ。それは勘違いに過ぎない。もう一度、経済という概念が本来指し示すところをよく考えてみるがいい。『経済』とは、商店街の八百屋でカレーライスをつくるために人参を買うことから国家間の貿易までのすべてを含めるのだ。そう。人びとの根幹をなす消費行動は押しなべて経済的な活動だ。そんな市井の活動と、恋愛を同列に語ってなにが不都合か」
弁舌やら話術とはなにかと問われると、つまるところいかに適当なことをそれっぽく語るかということになる。
悠が、石神と話していてしばしば思うことだ。
石神なら、うまい棒の話でも二時間は持たせることができるとさえ思えてくる。
そんなことを思いながら、すっかり冷めてしまったコーヒーを一口飲む。
それを見て、石神も思い出したかのようにカップに口をつけたが、「まずい」とつぶやいただけだった。
石神は夏でもホットコーヒーを飲む男だ。
ぬるくなったコーヒーなど問題外なのであろう。




